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価値や願いを一度捨ててみよう! 上級編(回復後の話)

前回は、価値や願いを一度捨ててみようというテーマで、実践のやり始めに出やすい葛藤や苦しみを、価値や願いという観点から解説してみました。

今回は、ある程度、自分の症状が改善し、自分の中の衝動や本音と付き合いながら生活をしていけるようになっても、まだ「価値」や「願い」といったものが、自己を深めていくうえで障害になりうるということを書いていこうと思います。

SIMTで自己洞察を深めていって、自分の病気や症状の特徴がある程度掴めて、そういったものと付き合っていけるようになると、生きていくことが、そして生活していくことがだいぶ楽になってきます。
様々な症状やストレスがあって、それに対して、様々な感情や衝動が起こっても、その中である程度、自分の価値にあった、そして価値を実現する方向への行動というものが選択できるようになってくるんですね。
もちろん、毎回、価値実現の行動をできるわけではありませんが、そういった選択、行動をできることが増えていきます。
そんな中で症状も少しずつ落ち着いていきます。

しかしですね、そういった生活をして、自分なりにある程度満足のいく行動がとれるようになってきても、生活の中でやっぱり葛藤や違和感を感じる状況があるんですね。
というのは、自分としては、自分の価値に基づいて、自分なりにベストだとかベターだと思った行動をしたのに、自分の中に怒りや戸惑いといった感情が出現するような状況に気づくことが出てきたんです。
そんな自分を洞察すると、それは、それまでのように、自分の衝動的反応とか本音に基づいた評価の結果生まれた感情、つまり「こんな衝動的な反応をするなんて、俺ってダメだな」というものではなく、自分が洞察の結果、できるだけ本音や独善を交えない形で築き上げてきた価値に基づいた行動の結果としての感情、もし言語化するならば、「この状況で、洞察をして、一番良いだろうという判断をしたのに、なんでこんなに理不尽な対応をされなくてはならないんだ」といった感情であることがわかりました。

そういったできるだけ偏見や独善的な基準を排除した価値にもとづいた行動で、それまで体調も改善し、自己実現に結びつく結果につながってきたはずです。

最初は、なぜ、そういった感情が生じるのか自分でもよくわかりませんでした。
でも、確かにそういったことが時々あり、自分の中でそういった感情の置き所に困ることがありました。

ただ、その感情を抑え込もうとすると、それはさらなるストレスを生み出してしまうので、そこはSIMTのマインドフルネスな態度を貫いて、「今、自分はこういうつもりで行動して、結果としてこんな感情が、これくらい生じているんだなあ」と観察して、そこから「なんでだろう」ということを、ついつい考えたくなるのですが、深追いしないように、できるだけそのままにして、流して様子をみていました。

そうするうちに、あることに気がつきました。

僕が価値に基づいて行動した時に、その価値が、誰か他の人の価値とぶつかった場合、どうやらそのような感情が浮かびやすいことに気がついたのです。
価値に基づいた行動をするときの価値とは、SIMTの洞察をしながらの価値ですから、できるだけ1人よがりの価値ではなく、その状況やそのときの相手にとっても、良い結果を招くだろうと判断しての価値です。
だから、多くの場合、状況にあった、相手がいる状況でも、その場にいる人がある程度、みんな受け入れてくれるといっった場合が多いです。そして、それまでは、その結果、まわりの人にも喜んでもらえて、自分の喜びにつながっていくことが多かったのです。

しかし、まれに自分が良かれと思って選択した価値や行動が、受け入れてもらえなかったり、誰かの価値とぶつかってしまうことがあります。
特に、自分が色々な角度から洞察した上で、絶対にこの判断がいいはずだ!と思ったときであると、それが拒絶されたり、受け入れてもらえなかったりしたときに生じる憤りや怒りの感情も、とても強くなります。

そんなときに「こんな良い選択をしているのに、なんでそんな理不尽な対応をされなけならないのか」とか、「なんでこんな理不尽な状況にいなくちゃならないのか」といった憤りの感情が心に渦巻いてしまうわけです。

でも、読んでいる方はもうお気づきかもしれませんが、「こんな良い選択をしているのに」といったときに、その中に多かれ少なかれ自分の偏見が入ってしまっているわけです。
もちろん、それを完全に取り除くわけにはいきません。
でも、それで憤りを感じてしまうということは、その後ろに「私の判断したこの事は、絶対にただしい」という本音が働いているわけですね。

どんなに正しく見えることでも、本当にそれが正しいかどうかは、それを判断する人によって変わります。
例えば、食べ物に飢えている戦時下の子供に、食べ物を与えることは正しいように思えますよね。
でも、その子供がたまたま他で食べ物をもらってお腹いっぱいだったり、たまたま体調が悪くお腹の調子が悪くて食べ物が食べれないときかもしれません。
そんなときに、食べ物を渡されても実は迷惑だったりするかもしれませんよね。
しかし、そんな事情をしらないとしたら、食べ物がないだろうと思って差し出した食べ物を断られたら、
「なんでせっかくあげようとようとした食べ物を拒否するんだ!」と憤りの気持ちが生じませんか?

確かに、丁寧にその状況の説明をいってもらえれば、納得するかもしれませんが、そうでなければ憤りのが生じるはずです。場合によっては、その状況を聞いてもすっきりしないモヤモヤが残るかもしれません。

SIMTを続け洞察を続けていくと、自分の価値や願いも磨かれていきます。
しかし、自分が自由に動けるようになってくると、ついつい自分の価値や願いが素晴らしいものだ、さらには絶対的なものだと勘違いしてしまうことがあります。


そういった状況に応じて適切に動けるようになった自己は、西田哲学においては意志的自己を超えて、叡知的自己といいます。そのような自己は、行為的直観といい、様々な状況において、見た瞬間に独善的な判断を離れ、適切に判断をし行動ができるようになります。

しかし、自分自身の判断、評価を絶対としてしまうと、そこに間違いを起こしてしまう落とし穴があります。
自分の正しさを押し付けて、他の人の価値や判断が認められなくなってしまいます。
そうするとそこで、自己の成長は止まってしまいます。

やはり、ここでも、「自分の価値や願いを一度すててみる」という態度が必要になります。
例え、自分が正しいと思っても、そこで、一度、自分の正しさや価値を横において、状況を改めて落ち着いてよくみみることです。決してその憤りを起こさないようにするのではありません。
自分の価値を否定されれば、だれでも気分が良くはありません。
ただ、そこで、自分の価値を押し付けるのではなく、それを一度、横において、状況をただ良くみていきます。そして、待ちます。
そうすることで、今まで自分が気がつかなかった背景や、さらには、自分がそれは間違いだと思っていた判断も、状況によっては、必要な判断であったことに気がついて、さらに自分の幅を広げるきっかけになるかもしれません。

むしろ、自分の行動が自由になっていけばいくほど、憤りを感じるような場面にこそ、自分の成長をもたらすきっかけが隠れていることがわかってきます。

さて、今日は、自己洞察が進んできた先にも、「価値や願いを一度すててみる、横においてみる」という態度が大切なんじゃないかということを、例をあげながら書いてみました。

ちょっと西田哲学などわかりにくい言葉も出てきましたが、大切なのは、頭で理解することではありません。
SIMTでは、初心者も、経験者でも、基本的には行っていく実践の内容に変化はありません。
丁寧に丁寧に、実践の内容を深めていけば、理解は自然とあとからついてきます。

ぜひ、日々の実践を大切にお過ごしください。

ではでは、また時間のあるときに書いてみようとおもいます。
お時間のあるときに、ぜひご訪問ください。

価値や願いを一度捨ててみよう!

早いもので、前回のブログよりすでに一か月たってしまいました。

今日は、価値や願いを一度捨ててみよう!というテーマで書いてみたいと思います。
「価値」や「願い」というものは、だれでも持っているもので、決して悪いものではありません。セッション4でも、「価値」と「願い」をしっかりと確認し、実践を続けられるモチベーションを維持することが大切なことが取り上げられています。

しかし、この「価値」と「願い」というのの扱い方を間違えてしまうと、自分自身をどんどん苦しめてしまうことになりかねません。
なので、今回は、この「価値」と「願い」というものとどのように付き合っていくかということを書いてみようと思います。

僕が、この「価値」「願い」について考えていく中で、大きく、実践をやりはじめの初心者と、しばらく続けた実践者、中級者の方とで、「価値や願いを捨ててみよう!」という理由が少し違うように感じました。なので、まずは初心者向けの「価値と願いを捨ててみよう」について書いてみようと思います。

 うつや不安障害を治そうと思ってSIMTに取り組んでいる方々において、この「価値」「願い」というのは、とても重要かと思います。
「早くよくなりたい!」「この体調から抜け出したい!」「早く仕事に戻りたい!」「仕事じゃなくても、まともに生活できるようになりたい!」などなど。
 
 かなり切迫した強い願いをお持ちではないでしょうか。

 しかし、その願いをあまり強く持ちすぎると、自らをどんどん苦しめる結果になってしまいます。
 なぜなら、それはあくまでも、「長期的目標」、目指す先であり、今すぐかなえられるようなものではないからです。
確かに、目的、目標は大切です。これがなかったら、どこに向かえばいいのかわからなくなるし、これがあるからこそ日々頑張れるわけです。だから、この「願い」そして「目標」といったものを持っていること自体は、決して悪いことではありません。
 ただ、それが、今すぐかなえたい目標、つまり短期的目標になってしまうと、何かと不都合が起こってきます。

 なぜなら、その理想像が、今すぐ可能ような状況なら、あなたは今ここで、うつや不安障害などで苦しんでないわけです。
 今までそこから抜け出そうともがいてきたのに、それができないから苦しんでいるわけです。そんな中で、この目標や願いだけが独り歩きしてしまうとどうなるでしょうか。
 「こんな自分でありたい」という理想像がどんどん強くなり、どんどん目標が高くなればなるほど、今の自分とのギャップは大きくなってしまいます。そして、人が落ち込んだり、不安になったりするのは、この「理想像と今の自分とのギャップ」によって引き起こされます。だから、このギャップが大きくなればなるほど、無力感も強くなります。

 そこで、SIMTにおけるマインドフルネスというのの定義を思い出してみましょう。
 マインドフルネスというのは、常に「今、ここ」の自分を独善を排して観察・洞察し、その上で、判断、行動をしていくものです。
 あくまで、観察や洞察の対象は、「今、ここの自分」なんですね。
 「価値や願い」「目標や理想像」というのを持つこと自体は問題ないのですが、そればかりを意識して、自分の思考作用が作り出している幻ばかり追いかけていっても、「今、ここ」を観察するマインドフルネスからはどんどん離れていってしまうばかりです。

 しかし、我々は、幼いころから、今の自分よりもっと高い理想や目標をもって、それに向かって努力することを教育され、しつけられてきました。今の自分に満足することは、おごりや怠慢といった風にすら考えられてしまったりします。
 だから、ついつい、何をやるときにも、この「理想像」や「目標」を作りたがってしまいます。
 
 身近なところで言えば、座って瞑想をやるとき、「~分できなきゃダメだ!」とか「もっと気分が良くなるはずだ!」とか。
 実践を続ける中で、「これだけやっていれば、もっと体調がよくなるはずだ!」、仕事を始めれば、「毎日、朝から夕方までフルで仕事をしなくちゃ」とか。
 ついつい、いろいろと勝手な「価値や願い、目標、理想像」を定め、そうできないことに落ち込んでしまいます。
 そして、それが達成できない自分をダメだと評価して、苦しくなってしまいます。

 ここで、注目しなくてはならないのは、「~であるはずだ」という理想像の方ではなく、そうてきない自分自身の状態の方なのですね。「今、ここ」の自分自身を観察して、「今の自分は、~分くらい瞑想していると、やめたくなる気持ちが生まれるんだな」とか、「良くなってきていると思っていたけど、こういう日には体調が悪く感じるんだな。こういう部分はまだよくなっていないんだな」とか、「これくらいの仕事ならこなせるけど、このレベル以上に頑張ると、ぶり返しがきて体調が崩れるんだな」とか、そういう観察・洞察が、とても大切になります。

 でも、ついつい「こうありたい」ということが先になって、否定的評価をし、落ち込んでしまいます。これは、もう習慣です。
 だから、思い切って「価値や願いをすててみよう!」というタイトルにしたわけです。

 自分が、「こうありたい」「このほうがいい」などの願いが出てきたら、「いや、そうじゃなくてもいいんだよ」「まずは、今の自分をみていこう」と、次々にわいてくる願いや理想を、一度、横に置いてみる、自分の手から放してみるという事を、習慣づけていくと、実践をするのが楽になってきます。
 今日の自分には、今日の自分があり、明日の自分には明日の自分があります。今、そこにある自分がすべてです。
 頭で作り出す勝手な理想像は、一度横において、実践を続けてみましょう。

 ちょっとたとえ話で、書いてみますね。
 ある人が地方で生活していたとして、「東京に行きたい」という願いがあったとします。東京に行って、華やかな生活をすることを夢見ています。
 テレビドラマのように、「東京に行けば、こんなことができる、あんなこともきっとできる」と夢見ていますが、それを考えれば考えるほど、今の自分の境遇と比較して、気持ちが落ち込んできます。
 
 ここで、東京での生活を想像することは楽しいですが、東京での生活を調べることは夢が膨らみますが、そればかり膨らませていても、「今、ここ」の状況は、まったく変わりません。1㎜も東京には、近づきません。
 もし、真剣にその夢をかなえることを考えるなら、まず、「今の自分」を見つめなければなりません。
 今の自分が、いくら持っているのか、まずはそれが大切かもしれません。そして、今の自分に何ができるのか、生活費を稼ぐことができるのか、生活に必要な家事はできるのか、何を持っているのか、なども大切な要素ですよね。
 まずは、「今の自分の現状」をどこまでも正確に知ることが大切です。

 それが、わかって初めて、では「東京に行くためにどのような方法があるのか」という事が考えられるわけです。
 
 ポケットに500円玉1枚しか入っていないのに、「今日中に東京に新幹線で行きたい!」といくら願ってもかなえられません。
 今の自分が500円しか持っていないのを確認した上で、では、銀行口座にはいくらあるのか、そして、今後どのように、いくらくらい稼げばいいのか、そして、自分はどれくらいの収入を得られるのか、そういったことを現実的に考える必要があるわけです。

 そうすると、1㎜も東京に近づいていなかったのが、「この500円で、まずは、駅を2つ進もう」という判断がつくかもしれません。そこで、少しアルバイトをしてお金をためたら、何日か後には、もう少し進めるはずです。
 もちろん、これが最善の方法とは言えないかしれませんし、最初の駅で、まずは進まずにお金を貯めるという選択しもあるでしょう。
 でも、ただ東京に行くことだけに嘆いて日々落ち込んでいるより、ずっと現実的ですよね。

 このようにSIMTでも、いつかよくなる日を夢見て、その時の生活を思い描くのもいいのですが、そればかりを見てため息をつくのではなく、そのような願いを胸にそっと収めつつ、今の自分がどのような状態なのか、どのようなことが可能なのか、実践をしていく中でどのような変化が起こってきているのか、といったことを偏見のない目で観察しながら、実践を続けていくことが大切です。
 そうすることで、日々の実践の苦しさ自体も和らぎ、少しでも前に進めているという感覚も生まれてきます。それがわかるまでは、理想とのギャップにため息をついてしまう自分も含めて、自分を許してあげましょう。

 そして、二つ目の理由があるのですが、SIMTを経験したものとしていえることは、実践を続ける中で、「価値や願い」というもの自体もどんどん変化していってしまいます。だから、苦しい時期に思いつく「価値・願い」といったものに、あまりこだわる必要性自体がないともいえるのです。
 僕自身、うつ病で苦しんで仕事もできず家にいた時期は、本当に苦しかったです。そういった時の自分は、視野自体もすごく狭くなり、思考作用や心の働き自体も落ちているので、その状況で考える「価値や願い、理想像、目標」といったものは、実は自分が本当に思っている価値や願いではなかったりします。もしくは、本来の願いのほんの一側面だけだったり。
 
 例えば、そのつらかった時は、「とにかく家族を養って生きていくために、なんでもいいから仕事して養っていければそれでいい」「そして、そのためには、なんとか常勤で働く正社員のような仕事をしなくては」と考えたりしてました。
 実際に、そのために、早く現場に戻ろうとし、そしてダウンするのを繰り返したわけです。
 そこで、SIMTを実践し始めてみると、そもそも、そんなことができる状態じゃないのが分かってくるわけです。まずは、その段階で、今まで自分が考えていたことと、現状の自分とのギャップに落ち込むわけです。
 しかし、それでも実践を続け、自分を観察していくと、だんだん調子の波もわかってきて、一部、アルバイトのような仕事もできるようになります。そして、どんな仕事でもいいわけではなく、やはり、自分にはやりやすい仕事とストレスがたまりやすい、体調が崩れやすい仕事内容がわかってきます。そして、ある程度、お金を得られて暮らせるようになったら、別に正社員とか常勤とかにこだわらず、自分の体調を維持できる、比較的自分がしたいと思えるような仕事でまずはやっていけるようになりました。そうすると、別に「常勤であることや正社員であること」は、自分がやりたいこととイコールではなくて、それをかなえる手段がそれだけしかないと勝手に思い込んでいたからだなというのもわかってきました。
 そして、今も、ついつい勝手に考えた理想像を膨らませて、やりすぎて調子の波がでてしまうこともまったくなくなったわけではありませんが、仕事と生活のバランスを取りながら、ある程度、自己実現の方向性も見つけ出せつつやれています。

 先ほど、東京に行くというたとえ話をしましたが、現実の世界では、未来まで自分の生き方を示す完全なマップというものやマニュアルがあるわけではありません。
 今、ここから見える山の頂が、目標や価値にあたるようなものです。あんまり遠くの山の頂を目指しても、なかなか近づかずに苦しいだけです。それを遠目に見つつも、まずは、あの山の方向のあの峠を目指そうと、考えながら今いる自分の場所からの道、そして、行く方法を見つめていきます。しかし、その山を目指して日々進んみると、さらに遠くの山が見えてきたりします。
 そして、気づくと、遠くの山もいいけど、自分が求めていた生活は、その途上の村にあったなんてことが出てきます。
 
 「仕事に戻りたい」「結婚さえできたら」「子供がほしい」「あとこれくらいお金があったら」「この病気さえなかったら」いろんな願いがあると思います。でも、今、あなたが頭で描いていることは、あなたが本当に願っていることのほんの一部、ただの一側面なのかもしれません。

 一度、そういったこだわり、「願い」「価値」を横に置いて、「今、ここ」の自分を眺めてみましょう。
 今は、不満ばかりがたまる自分かもしれませんが、きっと時間とともにそんな印象も変化していくはずです。

 今日は、まず、SIMT実践し始めのころに大切と思われる「価値、願いを捨ててみよう!」というテーマで書いてみました。

 できれば、次回は、SIMTを実践し、ある程度改善して、自分の本音をさらに探っていくという段階においても、この「価値や願いを一度捨ててみる」という事が、意味あることなんじゃないかなと思う理由について書いてみたいと思います。

 書き始めると一気に書いてしまうんですが、なかなかそこまでが。。。。
 まあ、マイペースにやっていきたいと思います。皆様も気が向いたときにお付き合いくださいませ。
 
 ではでは今日はこの辺で。

まずは三次感情に着目しよう!

すっかり1か月近くがたってしまいました。大きな仕事がひと段落したので、また書き始めたいと思います。

今日は、「三次感情に注目しよう!」というテーマです。
特に、実践をしはじめのころ、まだまだ体調の状態がすぐれないころには、ここに注目するといいんじゃないかと思います。

この「三次感情」というのは、セッション3で課題として出てきます。

呼吸法の実践、注意の分配や心理現象への名前付けなど、セッション1、2の中で習っていって、その後にでてくる課題です。

僕は、個人的には、ゆっくり呼吸法をしっかりと身に着け、それを繰り返し実践していくこと、そして、この三次感情を見つけて、そこからの思考の連鎖をある程度予防できるようになると、それだけでも初期の体調の悪さがだいぶ改善するんじゃないかと思っています。

ちなみに、わからない方とために説明すると、
一次感情・・・・・何かその場で起きたり、言葉を言われたり、見たり、聞いたりしたときにまず出てくる感情のこと。
二次感情・・・・・一次感情の結果として自分が起こした反応や行動に対し、返された反応として生じた感情のこと。
  例:相手の言葉に対し怒りが芽生えたため(一次感情)、怒鳴ったところ、無視されたためさらに怒りが強くなった(二次感情)

三次感情・・・・・一次感情や二次感情が生じたところから、時間的、空間的に離れたところで、思い出したり考えたりしたことにより生じる感情。
となっています。

ここで、一次感情、二次感情は、かなり強力な感情なので、最初のうちからコントロールしようと手を出したりしてはいけません。
これらは、結果として起こっているので、起こってしまった時点でもう消すことはできないものです。それを何とかしようとか、止めようとすると余計体調を崩していく結果となります。

そこで、三次感情なのですが、この三次感情というのは、日常生活の中でかなり頻繁に起こっていることなのです。これは、日中の洞察訓練を積んでいkとわかってきます。
 「感情」というと、泣いたり、笑ったり、どちらかというと激しいものを連想させるため、頻繁に起こっているといわれても最初は気が付かないかもしれません。しかし、ちょっとした気分の変化も含めて感情ととらえていくと、この三次感情というのは、すごくたくさん生じていることに気が付いていきます。

 そして、この三次感情のポイントは「今、ここ」ではないことです。

 うつや不安障害では、この「今、ここ」ではないことに対して、繰り返し思考や映像を思い起こして、気分を悪化させているという特徴があります。例え、無意識であっても、このことが繰り返されています。その結果として、体調を悪化させたり、希死念慮を生じたりしています。

 そこで、「感情」の変化に着目して、とにかく、日常生活の中で、自分の「気分」や「感情」が少しでも動いた時を徹底して洗い出すのです。
 まずは、まずは動いた時を発見できれば、それでいいです。実は、「感情」というのも、すでに結果なので、三次感情といえども、生じてしまったものを止めることはできません。まずは、感情が動いたことに気が付けるようになることが大切です。

 そして、ネガティブな三次感情に気が付いたら、そこで、すぐに呼吸法を始めましょう。意識が感情にひっぱられて、さらなる思考をめぐらし、三次感情をどんどん悪化させる前に、呼吸に数分~数十分、意識を向け続けて呼吸法を行い、自律神経の波がさるまで時間稼ぎをしましょう。

 おそらく、これに徹底して取り組むことで、初期には体調の悪化がだいぶ予防されるんじゃないかと思うのです。
 やはり、ここでのポイントは、起こってしまった感情は止められないという事です。
 「覆水盆に返らず」です。
 生じてしまった感情は、こぼれた水と一緒です。もうこぼれてしまった水を、お盆に戻すことはできません。またこぼれた水を多少拭くことはできても、濡れてしまった床を完全に乾かすことはできません。こぼれた水を何とかしようと必死になると、さらにお盆から水がこぼれていって、被害は大きくなります。
 乾くには、時間を待つしかないのです。今の水がそれ以上にこぼれないようにじっと乾くまで待たなくてはいけません。

 ここがポイントです。怒りが生じてしまった時、落ち込んでしまった時、それに気が付いてがっかりしてしまいます。
 気が付いたときには、どうしようもないくらい感情が膨らんでいるときもあります。
 しかし、そこで、たとえがっかりしてもいいんですが、それを無理やり抑え込もうとか消そうとか、どうにかしようとしないことが大切です。
 
 そこで、呼吸法があるんですね。できればゆっくり呼吸法を心掛け、ついついこぼした水(すでに生じてしまった感情)に向かってしまいそうな意識を、呼吸の方につなぎとめて、ひたすらそれを続けることで、自律神経の興奮や暴走が自然に落ち着いてい来るのをゆっくり待つしかないんです。

 すごく受け身な対応のように感じますが、これを徹底的に身に着けていくことで、ある程度、体調の波をしのいでいくことができるようになり、その結果、気持ちに余裕も生まれて洞察がしやすくなってきます。

 これができてこないうちに、無理に深いレベルまで洞察をしようとしても、そのこと自体が体調や感情の波を起こす結果となり、逆に体調が悪化してしまうことさえあると思います。だから、ここを徹底的に取り組んでいくことは、特に初期では大切なことだと思うんです。
 初期とは言いましたが、セッションが進んで本音の観察など、難しい課題が増えてきても、「やばい」と思った時に、この対応がとれると、それだけで体調をある程度、戻していくことができるようになります。大崩れしにくくなるということですね。困ったときに、戻れる安全地帯を自分の中に作れるのです。

 まずは、こういったように、三次感情にとにかく注目し、それが起こっていることに気がついていきます。そして、そこからさらに思考の連鎖、感情の連鎖を生まないように、呼吸法、傾注観察で対策をとっていきます。

 そして、それができるようになってきたら、次のステップです。
 それは、その三次感情が起こった直前、および直後に起こっている自分の中の連鎖を観察していくということです。
 先ほど、感情は結果だといいました。
 「感情」というのは、それが単体で起こっているのではなく、かならず何らかの連鎖の結果として生じてきます。つまり「感情」が動いている時には、かならずそこに連鎖が生まれているのです。
 その連鎖とは、どのような連鎖なのか、それを注意深く観察していきます。
 あまり具体的に書くと、そういうものだと思って、ついついそのような連鎖を探したくなってしまいますので、あえて書きませんが、自分の中で起こっていることに、丁寧に名前付けをしていく作業を、繰り返し繰り返しやっていくことが大切です。

 そうすることで、自分の中で感情が生じるきっかけとなっている事、そしてそのパターンなどが見えてくるのです。
 ここで大切なのは、そのパターンを無理に探そうとしないことです。探そうとしてしまうと、自分から「こんなパターンがあるんじゃないか」「俺ってこんなことを考えているかも」など自分で考えた出したものをパターンと認識してしまう可能性があります。
 洞察で得られる気づきとは、あまりそういったことではありません。
 ただ、名前付けの実践を繰り返し繰り返し行っていった結果、「あれ、こんなことを考えてた」と、思わぬ気づきがある場合こそ、価値ある気づきであることが多いです。
 ただ、ただ、実践の事実を積みあげていくことが大切です。

 そうしたパターンが分かってきて、初めて、従来生じていた感情や反応が起こらなくなったり、変化していくような判断や行動といったものが可能になってきます。

 特に実践初期は、「早く良くなりたい」「治したい」という気持ちが大きいので、こういったステップを駆け足で上りたいという焦りが生じてしまいます。
 でも、あえてそういった気持ちを横に置いて、ただ淡々と、課題の実践の積み重ねを続けていくことが大切です。
  
 そうした先にこそ、上に書いたような様々な変化や、実感を伴う改善を得られることだと思います。

 今日は、「三次感情に注目しよう」というテーマで、実践初期の日中生活時における洞察の目の付け所を解説してみました。
 
 またぼちぼち更新をしていくので、よかったら読みにきてください。
 ではでは失礼いたします。

意志的判断と意志的行動


 今日は、前回書いたブログの中で出てきた「意志的判断」、「意志的行動」について書いてみようと思います。

 そもそも、自己洞察瞑想法(SIMT)では、うつやパニック障害、不安障害を改善させるために、「意志的自己」を機能的に働かせることをトレーニングします。
 SIMT自体は、うつや不安障害が改善し、日常の生活や仕事が問題なくできるようになってからも、実践を続けることで、さらに深い自己(叡智的自己や人格的自己)を探求していくことができます。

 そんな深いレベルの自己を知りたい方は、詳しくは大田先生の書いている青い本「マインドフルネス入門 不安、ストレスが消える心の鍛え方」をご覧ください。
 といっても、読んだだけで理解できる人なんていないとおもいますが。。。。。。(笑)

  そういった深いレベルの自己の探究は、まさに一生をかけての課題になってくるので、まずうつや不安障害を克服し、改善するために、SIMTのセッションの中では「意志的自己」のトレーニングをしていくことが優先されています。
  そして、この「意志的自己を機能させる」という部分が、SIMTの特徴となっています。
 特に、一般的にマインドフルネスというと、「ありのままの注意」「今ここを偏見なく観察する」といった見る局面が協調されています。
 例:日本マインドフルネスにおける定義
 「“今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること” と定義する。
なお、“観る”は、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、さらにそれらによって生じる心の働きをも観る、という意味である。」


 このように対象が感覚だとしても、主に「観る」局面が強調されています。

 しかし、SIMTでは、意志的自己の使い方の中でも、洞察による観る局面だけでなく、そこからさらに「意志的判断」を行い「意志的行動」をとっていくことが協調されており、それが、SIMTの特徴となっています。 

 この「意志的自己」を鍛えるといっても、一般に言われているところの「意志を鍛える」ということとはちょっと違うと僕は思っています。
 一般的に「意志を鍛える」というと、困難にも負けないように意志を貫ける強さを持つ!とか、いやなことでも負けない自分を作る!のように、鋼のような強さをもつようなイメージを持つことが多いと思います。
 しかし、「意志的自己を機能させる」というのは、そのような自分の中の葛藤と戦って勝つような類のものではなく、そういった葛藤と上手に付き合いながらも、自分の生きたい生き方を選らんでいけるような状態です。
 前者が、鋼の強さだとしたら、後者は風にゆらぐ竹や柳のような強さとでも例えられるでしょうか。

 いつものように前置きが長くなりましたが、そんな「意志的判断」と「意志的行動」とはどういうことかということについて書いていきたいと思います。

 前回書きましたが、例えば、呼吸法や瞑想をやる気が出ないとき、課題の実践をやる気が出ないとき、ありますよね。
 
  「やる気がでない」 → 「こんな自分はダメだ」「これじゃ良い瞑想ができそうもない」 → 「実践をやらない」

 やる気が出ないときがあるのはしょうがないですが、
 この  「こんな自分はダメだ」「これじゃ良い瞑想ができそうもない」  というのは 衝動的・独善的な評価・判断

 その結果、 「実践をやらない」 というのは、 衝動的・独善的な行動

 ということになります。

 こういったときに、僕は今まで、この「観る局面」を大切にすることを強調してきました。すぐに決めつけないで、まずはよく見ましょう、観察しましょうということです。

「やる気がない」と思ったときは、その「やる気がない」という感覚を、どこでどのように感じているのか、例えば、身体が重い感じがするのか、頭がぼーっとするのか、などを観察してみようとお勧めしていました。
 また、その時に、どんな感情があるのか、どんな気分が、どのくらいの強さであるのか、その時に、どんな思考が繰り返されているのか、そういったことを観察していけば、それはもう課題の洞察と同じことだよ、と書いていました。

 だから、やる気のない自分を責めなくていいのだよ。やる気がなくても、そんな自分を観察していけば、それで洞察は十分なんだよと考えていたんです。そうしたら、自然と次につながっていくのではないか。そう思っていました。
 こうした意志の使い方をすれば、初期の意志作用としては十分なんじゃないかと考えたんです。

 今でもこの部分について、大きな変化はありません。すぐに衝動的な反応をせずに、たとえしたとしても、まずは「観る局面」を大事にしていくことは、すごく重要なことだと思います。

  実は、こういったことを文章にして、先日、養成講座の講習会の時に、大田先生にお伝えしてみたんですね。
 そうしたら、意志作用には、「判断・評価する局面」「行動する局面」が含まれていなければならず、それがSIMTの大事な要素であるということを、ズバッといわれてしまいました。だから、「観る局面」だけではダメだよと。
 
 そこで、僕なりにいろいろ考えまして、大田先生に言われたことを噛みしめて、自分の体験の中で自分なりの意味をつかむために、しばらく熟成させていました。

 そこで僕なりに答えを出してみたのですが、結果、やはり大田先生のいう事はさすがだなーと思いました。あたりまえですが。。。

 大田先生にそう言われてみると、僕が「観る局面」だけでも十分じゃないかと考えていたときに、すでに、無意識に、その中に「評価・判断する局面」「行動する局面」も含めて考えていたように思いました。
 上記の、やる気がないときでも、「今、衝動的な評価をして、自分を責めた!」と気づき、そう判断するためには、意識的に、その状況を洞察し、判断しなければなりません。そして、衝動的な行動に走るのではなく、「では、今のやる気のなさとはどんな状況だろう」と「観る」という作用を、自分自身に向けようとするのは、ある意味、「意志的行動」と言えると思ったからです。

 そういう意味で、「自分をよく観ていこう」と決断し、行動することには、すでに「意志的判断」「意志的行動」の要素が含まれているといえます。

 さらに、僕は、この「観る局面」というある意味「意志的行動」をしていけば、結果として、自然と改善・マインドフルネスの上達への道が開かれるのではないか、と思っていたのですが、よくよく考えて、普段の自分の行動を観察していくと、やはりそうではないということにも気が付きました。

 例えば、やる気がないとき、「今日は、やる気がでないな」「疲れがたまっているな」と意志的に判断し、「今日は休んで実践をやらないでおこう」と決断し、実践を休むという「意志的行動」をしたとします。
 これが、今日の判断であれば、間違っているとは言えません。
 しかし、毎回、毎回、「今日は、やる気が出ない日だな」「だから今日も休もう」と、やっていたのでは、やはり絶対にマインドフルネスは上達していかないし、現状も変わってはいきません。
 厳密にいうと、こういった状況では、「今日は、やる気が出ない日だな」といったときに、その観察だけで終わってしまっていては、自分をよく観察できているようで、十分には観察できていないのですよね。
 自分の過去の経験から、「やる気が出ない日」という事にひとくくりにしてしまい、今日のやる気のなさはどのような状況か、どんな感覚なのか、ということを細かくみる視点がなくなってしまっています。

 さらに、そこで、一度は、観察した今日の状態を基に、「では、そんな自分で今日できることはないか」「改善を目指すために、今、必要なことは一体何か」という事を、真摯に探ってみなくてはいけません。そして、少しでもいいから、できることがあれば、それを続けていく、という意志的行動が大切になります。
 「やる気がでない」というものを何とか出るように変化させようというわけではなく、それを観察した上で、「じゃあ、今できる実践はなにかな」ということを判断し、行動に移していくということです。
 
 この過程を隔てた上で、自分が「今日は、疲れがピークの状態なので(意志的洞察)、まず体を休めるのが最善だと判断し(意志的判断)、ゆっくり休む。(意志的行動)」という選択になるのであれば、それは問題ないと思います。
 
 しかし、安易に「やる気がでない」「疲れてるから今日はやめよう」となってしまうと、一見、よく観察し行動したように見えますが、これはもう衝動的な判断、行動になってしまっていますよね。

 人間には、経験を積み重ねていくと、そこから一定した法則を見つけ出して、考えたりせずに瞬間的に判断できるようしていくような傾向があると思います。これは本能であり、自然の中で人間が情報を効率よく判断するために培ってきたシステムだと思います。
 それは、人間が生きていくために必要な能力です。
 しかし、それが無意識に行なわれていると、非機能的な反応に終始し、いつまでたっても症状が改善してこなかかったり、対人関係をこじらせてばかりになったりと、悪循環から抜け出すことはできません。
 
 そこに、意志の機能を働かせ、その局面に光をあて、自分の中のパターンに気づき、新たな選択肢を見つけていくことができるのが、マインドフルネスです。

 そのためには、まず「観る局面」で、今ここの自分自身の状態をよく観察し、そのうえで、むやみに、その良し悪しを評価して、自分を責めたり、その状態を無理に変化させようとするのではなく、今、必要なこと、できることを、その瞬間瞬間、判断し、実行していくことが大切です。そして、その結果をさらに観察し、判断し、実行していく。この繰り返しこそが、改善へのカギじゃないかと思っています。

 症状、苦しい感情、やる気のなさ、そういったものと戦わないけども、それらの言いなりにはならない。

 以前からブログで繰り返し、その違いを表現したいと思って書いているのですが、うまく表現できているでしょうか。
 これは、これから先も、ずっと僕の中でのテーマだと思います。

  つらいとき、苦しいときは、休んだっていいんです。でも、とにかく諦めないで、できる洞察、課題を実践していくことが大切です。
基本的な呼吸法、傾注観察、日常生活の中で、「思考してないかな」「感情が動いたかな」というチェックでいいんです。
 そういった基本的なことを、とにかく少しでもいいから日々続けていくことが大切だと思います。

 今日は、意志機能の中に含まれる「意志的判断」「意志的行動」について書いてみました。

 なかなかうまく伝えることが難しい内容なのですが、少しでも参考になったなと思えるところがあったら幸いです。
 今日も長文を読んでくださってありがとうございました。
 また、少しずつ更新していこうと思うので、お時間のあるときにお寄りください。

 ではでは今日はこの辺で。

やるきのないときは。


 今日は、題名の通り、やるきのないときのお話なのですが、実は、この3月下旬から4月上旬にかけて、今までにないくらい、マインドフルネスに対する熱意というか、やる気というのがかなり落ちてしまっていました。

 といっても、抵抗感とかやりたくないというわけではないのですが、なかなかマインドフルネスに取り組もうとか、もっと勉強しようという風に思えない状態であったわけです。

 こういう波は、今までにもあったのですが、今回の波はいままでの中では最大の波だったような気がします。
 おかげさまで、このところ、少しずつやる気も改善してきている印象があり、このようにブログにも取り組める気持ちになってきました。

 今回の原因というか、やる気がなくなっていた原因はいくつか心あたりがあります。

 ひとつは、昨年1年くらいかけて受講してきたSIMTの養成講座が3月の中頃に終わったこと、同時に、講座と並行して自分なりにまとめていた文章を、3月上旬に書き上げることができたこと。
 このことは結構自分の中で大きな出来事で、ある種の達成感が出てしまい(本当は、これからが本番といった感じなのですが)、軽い燃え尽き症候群になっていたような感じがあります。
 それに加え、3月下旬に、久しぶりの発熱を伴う咳風邪をひいて寝込んだこと。これでかなり体力を削られました。
 さらに、そんな中で子供たちが春休みということもあり、春の行楽予定がいくつかあったこと、などから、疲労がかなり蓄積していたように思います。

 そして、4月に入り、一向にやる気がでてこない状態が続いていました。

 そこで自分が対応した方法というか、どういう経過でどんなふうに考えていたかを書いてみたいと思います。

 さすがに4月に入っても、一向にやる気がわかず、いつもより回復に時間がかかっていたときは、「せっかくこれから活動の幅を広げるために昨年度1年勉強してきたのに、このままやる気がでなかったらどうしようかな、まずいなー」という思考が走ったりしていました。特に、まとめなきゃならない資料があったり、読もうと思って買ってるマインドフルネスの本を前にして、一向にやる気が起きないときは、上記のような思考が走るわけです。そして、「このままやる気がでなかったらどうしよう(不安)」という妄想や感情が起こり、「やる気がしないなんて俺ってダメだな」というのが、自分自身に対する衝動的な評価が起こったりしました。

 ただ、ここで、今までのSIMTの実践のおかげで、こういった気持ちがありつつも、それを膨らませるような方向にはいかないようにすることができました。具体的には、こういう思いが浮かんだりしても、「それは自分が勝手に作り出している思考、評価だ」と判断すると同時に、「確かにやる気はないが、それを意志の力で起こさせることはできない」とも理解し、「もし、このままやる気がでなくても、それはその時。今は、できることを続けよう」と判断して、呼吸法と瞑想、日記などは続けていくようにしていました。
 というのも、今までの経験上、このような時に、新しい作業や勉強をしても、疲れが余計たまるだけだし、効率も悪いということがわかっていて、しかし、だからといって、「俺はもうマインドフルネスが嫌いになったんだ」と決めつけてやめてしまうのは、衝動的行動だとわかっていたので、「今まで続けてきたできることをやれる範囲でやる」という判断に結び付いたわけです。

 鎌田先生の本のタイトルにもなっている、「がんばらない、でも、あきらめない」という感覚ですね。

 とはいっても、最初から上記の過程がすべてできていたわけではなく、やる気ゼロの状態にどっぷりの4月上旬の時には、不安な感情や思考の方が多くあったように思います。それを呼吸法などでしのいでいくうちに、「じたばたしてもしょうがいないから、なるようになればいい。できることをやっていいこう」という風な気持ちも生まれてきて、そうしているうちに、まず体の疲れが少しづつ取れてきて、「今は、身体を休めつつ、できることをやっていけばいいんだな」と方向性に自信がわいてきたといった感じです。

 一般的に、マインドフルネスとして行われているものでは、「ありのままに見る、独善を排してみる」というように、「見る局面」が協調されがちです。確かにこれは、スタートとしてすごく重用なことです。見る局面ですでに独善がたくさん入ってきてしまうと、そのあとの判断、行動もそれにより偏ってしまいます。
 しかし、SIMTでは、見る局面だけでなく、その後に、「独善を排して判断し、行動する」という「判断する局面」「行動する局面」というのが、強調されており、それがSIMTの特色にもなっています。

 これはどういうことかというと、例えば僕の上記の過程でいうと、「今の自分は、講座を終え、風邪や旅行で体力が落ちていて、やる気がなくなっている状態なんだな」と確認するのが見る局面だと思います。
 この時に、習慣的に行われている「こんなんじゃダメだ」とか「このままだったらどうしよう」という習慣的、衝動的な評価や反応も生じてきます。これは止められません。でも、それを横に置いて、今の状態をできるだけ客観的に見つめるというのが、「見る局面」です。これはこれですごく大切なことです。
 しかし、これだけで止まってしまっていては、マインドフルネスを続けることが難しくなってしまいます。
 そこで、「『こんなんじゃダメだ』とか『このままだったらどうしよう』というのは、一時的に生じる衝動的反応であり、膨らませる必要はない、しかし、今の体調だとある程度の休みが必要である。』というのは、できるだけ独善を排した「見る局面」に基づいた「意志的判断」であり、さらに「こういう時には、無理に新しいことをせず、今までやってきたことを地道に続けよう」というのも、意志的判断だと思います。そして、「なるべく夜更かしせずに寝るようにして休息をとり、朝夕の基本的な瞑想と日記は最低限続ける」という行動が意志的な行動ということになります。
 この時に、「やる気が生まれないから、もう実践はやめちゃおう」と衝動的な行動を続けていては、たとえ、見る局面ができていたとしても、マインドフルネスの実践を妨げることになってしまいます。見る局面で得られた情報を基に、判断し、衝動的な行動ではなく、意志的な行動をとっていくことが大切です。

 意志的な行動といっても、やる気のない状態のときにやる気を出させることができるわけではないです。
 無理に新しいことを始めようと、身体や心に鞭打って行動することでもありません。
  しかし、見る局面で得られた情報を、できるだけ客観的に判断し、休みがどの程度必要なのか、そしてその休みを得るためには何ができるのか(早寝するとか外食は控えるとか)、その一方で、では何が続けられるのかということを判断し、行っていくのが意志的判断であり、意志的行動だと思います。

 ついつい、僕らは1か10か、白か黒かで考えがちです。しかし、現実の状況は、常にグラデーションです。休む割合と実践する割合も、10:0ではありません。そこを7:3でいいのか6:4でいいのか、それを判断し、実行し、そしてさらに観察し、判断し、調整して実行する。その繰り返しが、SIMTであり、マインドフルネスを実践していくということなのかなと思います。

 この「意志的行動」というのは、決して、自分の葛藤や感情、体調の波と戦うことではなく、今の自分に必要なこと、できること選択していくだけのことなのだという感覚を、実感をともなって理解する、つかむことはなかなか難しいのですが、その感覚がわかるようになると、すごく実践が楽になります。
 たとえ、その感覚がわからなくても、「意志的行動」が決して、自分と戦うことではない、と知っておくことがすごく大切なことのように思います。

 頑張った後には、かならずやる気や体調が落ちるときがあります。これは寄せた波が引いていくように、自然の摂理です。しかし、その波を知り、その波と合わせて生きていく方法があります。焦らずに地道にやっていけばいいと思うのです。

 調子が悪いときも、それが100%にならず、どこかで「そんなときがあってもいい」と、自分の中に様々な感情や気持ちを同時においておけるようになったのは、本当にマインドフルネスのおかげだなーと思います。
 その結果、僕は以前に比べると少し「強い人」になれているのかなーと感じます。

 今日は、自分がこの1か月ほどで体験したやる気のない状況を踏まえ、それに対してマインドフルネス的にどう対応していたのかということを書いてみました。誰でも経験することで、意外と不安になったり、その波の中でもまれて苦しくなっている人が多いんじゃないかなと思い(過去の自分がそうだったので)、今回は参考までに書いてみました。

 本日も長文にお付き合いありがとうございました。少しでも共感していただける部分があれば幸いです。
 更新が最近遅れ気味ですが、よかったらまた立ち寄ってください。ではでは今日はこの辺で。

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訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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