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まずは三次感情に着目しよう!

すっかり1か月近くがたってしまいました。大きな仕事がひと段落したので、また書き始めたいと思います。

今日は、「三次感情に注目しよう!」というテーマです。
特に、実践をしはじめのころ、まだまだ体調の状態がすぐれないころには、ここに注目するといいんじゃないかと思います。

この「三次感情」というのは、セッション3で課題として出てきます。

呼吸法の実践、注意の分配や心理現象への名前付けなど、セッション1、2の中で習っていって、その後にでてくる課題です。

僕は、個人的には、ゆっくり呼吸法をしっかりと身に着け、それを繰り返し実践していくこと、そして、この三次感情を見つけて、そこからの思考の連鎖をある程度予防できるようになると、それだけでも初期の体調の悪さがだいぶ改善するんじゃないかと思っています。

ちなみに、わからない方とために説明すると、
一次感情・・・・・何かその場で起きたり、言葉を言われたり、見たり、聞いたりしたときにまず出てくる感情のこと。
二次感情・・・・・一次感情の結果として自分が起こした反応や行動に対し、返された反応として生じた感情のこと。
  例:相手の言葉に対し怒りが芽生えたため(一次感情)、怒鳴ったところ、無視されたためさらに怒りが強くなった(二次感情)

三次感情・・・・・一次感情や二次感情が生じたところから、時間的、空間的に離れたところで、思い出したり考えたりしたことにより生じる感情。
となっています。

ここで、一次感情、二次感情は、かなり強力な感情なので、最初のうちからコントロールしようと手を出したりしてはいけません。
これらは、結果として起こっているので、起こってしまった時点でもう消すことはできないものです。それを何とかしようとか、止めようとすると余計体調を崩していく結果となります。

そこで、三次感情なのですが、この三次感情というのは、日常生活の中でかなり頻繁に起こっていることなのです。これは、日中の洞察訓練を積んでいkとわかってきます。
 「感情」というと、泣いたり、笑ったり、どちらかというと激しいものを連想させるため、頻繁に起こっているといわれても最初は気が付かないかもしれません。しかし、ちょっとした気分の変化も含めて感情ととらえていくと、この三次感情というのは、すごくたくさん生じていることに気が付いていきます。

 そして、この三次感情のポイントは「今、ここ」ではないことです。

 うつや不安障害では、この「今、ここ」ではないことに対して、繰り返し思考や映像を思い起こして、気分を悪化させているという特徴があります。例え、無意識であっても、このことが繰り返されています。その結果として、体調を悪化させたり、希死念慮を生じたりしています。

 そこで、「感情」の変化に着目して、とにかく、日常生活の中で、自分の「気分」や「感情」が少しでも動いた時を徹底して洗い出すのです。
 まずは、まずは動いた時を発見できれば、それでいいです。実は、「感情」というのも、すでに結果なので、三次感情といえども、生じてしまったものを止めることはできません。まずは、感情が動いたことに気が付けるようになることが大切です。

 そして、ネガティブな三次感情に気が付いたら、そこで、すぐに呼吸法を始めましょう。意識が感情にひっぱられて、さらなる思考をめぐらし、三次感情をどんどん悪化させる前に、呼吸に数分~数十分、意識を向け続けて呼吸法を行い、自律神経の波がさるまで時間稼ぎをしましょう。

 おそらく、これに徹底して取り組むことで、初期には体調の悪化がだいぶ予防されるんじゃないかと思うのです。
 やはり、ここでのポイントは、起こってしまった感情は止められないという事です。
 「覆水盆に返らず」です。
 生じてしまった感情は、こぼれた水と一緒です。もうこぼれてしまった水を、お盆に戻すことはできません。またこぼれた水を多少拭くことはできても、濡れてしまった床を完全に乾かすことはできません。こぼれた水を何とかしようと必死になると、さらにお盆から水がこぼれていって、被害は大きくなります。
 乾くには、時間を待つしかないのです。今の水がそれ以上にこぼれないようにじっと乾くまで待たなくてはいけません。

 ここがポイントです。怒りが生じてしまった時、落ち込んでしまった時、それに気が付いてがっかりしてしまいます。
 気が付いたときには、どうしようもないくらい感情が膨らんでいるときもあります。
 しかし、そこで、たとえがっかりしてもいいんですが、それを無理やり抑え込もうとか消そうとか、どうにかしようとしないことが大切です。
 
 そこで、呼吸法があるんですね。できればゆっくり呼吸法を心掛け、ついついこぼした水(すでに生じてしまった感情)に向かってしまいそうな意識を、呼吸の方につなぎとめて、ひたすらそれを続けることで、自律神経の興奮や暴走が自然に落ち着いてい来るのをゆっくり待つしかないんです。

 すごく受け身な対応のように感じますが、これを徹底的に身に着けていくことで、ある程度、体調の波をしのいでいくことができるようになり、その結果、気持ちに余裕も生まれて洞察がしやすくなってきます。

 これができてこないうちに、無理に深いレベルまで洞察をしようとしても、そのこと自体が体調や感情の波を起こす結果となり、逆に体調が悪化してしまうことさえあると思います。だから、ここを徹底的に取り組んでいくことは、特に初期では大切なことだと思うんです。
 初期とは言いましたが、セッションが進んで本音の観察など、難しい課題が増えてきても、「やばい」と思った時に、この対応がとれると、それだけで体調をある程度、戻していくことができるようになります。大崩れしにくくなるということですね。困ったときに、戻れる安全地帯を自分の中に作れるのです。

 まずは、こういったように、三次感情にとにかく注目し、それが起こっていることに気がついていきます。そして、そこからさらに思考の連鎖、感情の連鎖を生まないように、呼吸法、傾注観察で対策をとっていきます。

 そして、それができるようになってきたら、次のステップです。
 それは、その三次感情が起こった直前、および直後に起こっている自分の中の連鎖を観察していくということです。
 先ほど、感情は結果だといいました。
 「感情」というのは、それが単体で起こっているのではなく、かならず何らかの連鎖の結果として生じてきます。つまり「感情」が動いている時には、かならずそこに連鎖が生まれているのです。
 その連鎖とは、どのような連鎖なのか、それを注意深く観察していきます。
 あまり具体的に書くと、そういうものだと思って、ついついそのような連鎖を探したくなってしまいますので、あえて書きませんが、自分の中で起こっていることに、丁寧に名前付けをしていく作業を、繰り返し繰り返しやっていくことが大切です。

 そうすることで、自分の中で感情が生じるきっかけとなっている事、そしてそのパターンなどが見えてくるのです。
 ここで大切なのは、そのパターンを無理に探そうとしないことです。探そうとしてしまうと、自分から「こんなパターンがあるんじゃないか」「俺ってこんなことを考えているかも」など自分で考えた出したものをパターンと認識してしまう可能性があります。
 洞察で得られる気づきとは、あまりそういったことではありません。
 ただ、名前付けの実践を繰り返し繰り返し行っていった結果、「あれ、こんなことを考えてた」と、思わぬ気づきがある場合こそ、価値ある気づきであることが多いです。
 ただ、ただ、実践の事実を積みあげていくことが大切です。

 そうしたパターンが分かってきて、初めて、従来生じていた感情や反応が起こらなくなったり、変化していくような判断や行動といったものが可能になってきます。

 特に実践初期は、「早く良くなりたい」「治したい」という気持ちが大きいので、こういったステップを駆け足で上りたいという焦りが生じてしまいます。
 でも、あえてそういった気持ちを横に置いて、ただ淡々と、課題の実践の積み重ねを続けていくことが大切です。
  
 そうした先にこそ、上に書いたような様々な変化や、実感を伴う改善を得られることだと思います。

 今日は、「三次感情に注目しよう」というテーマで、実践初期の日中生活時における洞察の目の付け所を解説してみました。
 
 またぼちぼち更新をしていくので、よかったら読みにきてください。
 ではでは失礼いたします。

意志的判断と意志的行動


 今日は、前回書いたブログの中で出てきた「意志的判断」、「意志的行動」について書いてみようと思います。

 そもそも、自己洞察瞑想法(SIMT)では、うつやパニック障害、不安障害を改善させるために、「意志的自己」を機能的に働かせることをトレーニングします。
 SIMT自体は、うつや不安障害が改善し、日常の生活や仕事が問題なくできるようになってからも、実践を続けることで、さらに深い自己(叡智的自己や人格的自己)を探求していくことができます。

 そんな深いレベルの自己を知りたい方は、詳しくは大田先生の書いている青い本「マインドフルネス入門 不安、ストレスが消える心の鍛え方」をご覧ください。
 といっても、読んだだけで理解できる人なんていないとおもいますが。。。。。。(笑)

  そういった深いレベルの自己の探究は、まさに一生をかけての課題になってくるので、まずうつや不安障害を克服し、改善するために、SIMTのセッションの中では「意志的自己」のトレーニングをしていくことが優先されています。
  そして、この「意志的自己を機能させる」という部分が、SIMTの特徴となっています。
 特に、一般的にマインドフルネスというと、「ありのままの注意」「今ここを偏見なく観察する」といった見る局面が協調されています。
 例:日本マインドフルネスにおける定義
 「“今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること” と定義する。
なお、“観る”は、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、さらにそれらによって生じる心の働きをも観る、という意味である。」


 このように対象が感覚だとしても、主に「観る」局面が強調されています。

 しかし、SIMTでは、意志的自己の使い方の中でも、洞察による観る局面だけでなく、そこからさらに「意志的判断」を行い「意志的行動」をとっていくことが協調されており、それが、SIMTの特徴となっています。 

 この「意志的自己」を鍛えるといっても、一般に言われているところの「意志を鍛える」ということとはちょっと違うと僕は思っています。
 一般的に「意志を鍛える」というと、困難にも負けないように意志を貫ける強さを持つ!とか、いやなことでも負けない自分を作る!のように、鋼のような強さをもつようなイメージを持つことが多いと思います。
 しかし、「意志的自己を機能させる」というのは、そのような自分の中の葛藤と戦って勝つような類のものではなく、そういった葛藤と上手に付き合いながらも、自分の生きたい生き方を選らんでいけるような状態です。
 前者が、鋼の強さだとしたら、後者は風にゆらぐ竹や柳のような強さとでも例えられるでしょうか。

 いつものように前置きが長くなりましたが、そんな「意志的判断」と「意志的行動」とはどういうことかということについて書いていきたいと思います。

 前回書きましたが、例えば、呼吸法や瞑想をやる気が出ないとき、課題の実践をやる気が出ないとき、ありますよね。
 
  「やる気がでない」 → 「こんな自分はダメだ」「これじゃ良い瞑想ができそうもない」 → 「実践をやらない」

 やる気が出ないときがあるのはしょうがないですが、
 この  「こんな自分はダメだ」「これじゃ良い瞑想ができそうもない」  というのは 衝動的・独善的な評価・判断

 その結果、 「実践をやらない」 というのは、 衝動的・独善的な行動

 ということになります。

 こういったときに、僕は今まで、この「観る局面」を大切にすることを強調してきました。すぐに決めつけないで、まずはよく見ましょう、観察しましょうということです。

「やる気がない」と思ったときは、その「やる気がない」という感覚を、どこでどのように感じているのか、例えば、身体が重い感じがするのか、頭がぼーっとするのか、などを観察してみようとお勧めしていました。
 また、その時に、どんな感情があるのか、どんな気分が、どのくらいの強さであるのか、その時に、どんな思考が繰り返されているのか、そういったことを観察していけば、それはもう課題の洞察と同じことだよ、と書いていました。

 だから、やる気のない自分を責めなくていいのだよ。やる気がなくても、そんな自分を観察していけば、それで洞察は十分なんだよと考えていたんです。そうしたら、自然と次につながっていくのではないか。そう思っていました。
 こうした意志の使い方をすれば、初期の意志作用としては十分なんじゃないかと考えたんです。

 今でもこの部分について、大きな変化はありません。すぐに衝動的な反応をせずに、たとえしたとしても、まずは「観る局面」を大事にしていくことは、すごく重要なことだと思います。

  実は、こういったことを文章にして、先日、養成講座の講習会の時に、大田先生にお伝えしてみたんですね。
 そうしたら、意志作用には、「判断・評価する局面」「行動する局面」が含まれていなければならず、それがSIMTの大事な要素であるということを、ズバッといわれてしまいました。だから、「観る局面」だけではダメだよと。
 
 そこで、僕なりにいろいろ考えまして、大田先生に言われたことを噛みしめて、自分の体験の中で自分なりの意味をつかむために、しばらく熟成させていました。

 そこで僕なりに答えを出してみたのですが、結果、やはり大田先生のいう事はさすがだなーと思いました。あたりまえですが。。。

 大田先生にそう言われてみると、僕が「観る局面」だけでも十分じゃないかと考えていたときに、すでに、無意識に、その中に「評価・判断する局面」「行動する局面」も含めて考えていたように思いました。
 上記の、やる気がないときでも、「今、衝動的な評価をして、自分を責めた!」と気づき、そう判断するためには、意識的に、その状況を洞察し、判断しなければなりません。そして、衝動的な行動に走るのではなく、「では、今のやる気のなさとはどんな状況だろう」と「観る」という作用を、自分自身に向けようとするのは、ある意味、「意志的行動」と言えると思ったからです。

 そういう意味で、「自分をよく観ていこう」と決断し、行動することには、すでに「意志的判断」「意志的行動」の要素が含まれているといえます。

 さらに、僕は、この「観る局面」というある意味「意志的行動」をしていけば、結果として、自然と改善・マインドフルネスの上達への道が開かれるのではないか、と思っていたのですが、よくよく考えて、普段の自分の行動を観察していくと、やはりそうではないということにも気が付きました。

 例えば、やる気がないとき、「今日は、やる気がでないな」「疲れがたまっているな」と意志的に判断し、「今日は休んで実践をやらないでおこう」と決断し、実践を休むという「意志的行動」をしたとします。
 これが、今日の判断であれば、間違っているとは言えません。
 しかし、毎回、毎回、「今日は、やる気が出ない日だな」「だから今日も休もう」と、やっていたのでは、やはり絶対にマインドフルネスは上達していかないし、現状も変わってはいきません。
 厳密にいうと、こういった状況では、「今日は、やる気が出ない日だな」といったときに、その観察だけで終わってしまっていては、自分をよく観察できているようで、十分には観察できていないのですよね。
 自分の過去の経験から、「やる気が出ない日」という事にひとくくりにしてしまい、今日のやる気のなさはどのような状況か、どんな感覚なのか、ということを細かくみる視点がなくなってしまっています。

 さらに、そこで、一度は、観察した今日の状態を基に、「では、そんな自分で今日できることはないか」「改善を目指すために、今、必要なことは一体何か」という事を、真摯に探ってみなくてはいけません。そして、少しでもいいから、できることがあれば、それを続けていく、という意志的行動が大切になります。
 「やる気がでない」というものを何とか出るように変化させようというわけではなく、それを観察した上で、「じゃあ、今できる実践はなにかな」ということを判断し、行動に移していくということです。
 
 この過程を隔てた上で、自分が「今日は、疲れがピークの状態なので(意志的洞察)、まず体を休めるのが最善だと判断し(意志的判断)、ゆっくり休む。(意志的行動)」という選択になるのであれば、それは問題ないと思います。
 
 しかし、安易に「やる気がでない」「疲れてるから今日はやめよう」となってしまうと、一見、よく観察し行動したように見えますが、これはもう衝動的な判断、行動になってしまっていますよね。

 人間には、経験を積み重ねていくと、そこから一定した法則を見つけ出して、考えたりせずに瞬間的に判断できるようしていくような傾向があると思います。これは本能であり、自然の中で人間が情報を効率よく判断するために培ってきたシステムだと思います。
 それは、人間が生きていくために必要な能力です。
 しかし、それが無意識に行なわれていると、非機能的な反応に終始し、いつまでたっても症状が改善してこなかかったり、対人関係をこじらせてばかりになったりと、悪循環から抜け出すことはできません。
 
 そこに、意志の機能を働かせ、その局面に光をあて、自分の中のパターンに気づき、新たな選択肢を見つけていくことができるのが、マインドフルネスです。

 そのためには、まず「観る局面」で、今ここの自分自身の状態をよく観察し、そのうえで、むやみに、その良し悪しを評価して、自分を責めたり、その状態を無理に変化させようとするのではなく、今、必要なこと、できることを、その瞬間瞬間、判断し、実行していくことが大切です。そして、その結果をさらに観察し、判断し、実行していく。この繰り返しこそが、改善へのカギじゃないかと思っています。

 症状、苦しい感情、やる気のなさ、そういったものと戦わないけども、それらの言いなりにはならない。

 以前からブログで繰り返し、その違いを表現したいと思って書いているのですが、うまく表現できているでしょうか。
 これは、これから先も、ずっと僕の中でのテーマだと思います。

  つらいとき、苦しいときは、休んだっていいんです。でも、とにかく諦めないで、できる洞察、課題を実践していくことが大切です。
基本的な呼吸法、傾注観察、日常生活の中で、「思考してないかな」「感情が動いたかな」というチェックでいいんです。
 そういった基本的なことを、とにかく少しでもいいから日々続けていくことが大切だと思います。

 今日は、意志機能の中に含まれる「意志的判断」「意志的行動」について書いてみました。

 なかなかうまく伝えることが難しい内容なのですが、少しでも参考になったなと思えるところがあったら幸いです。
 今日も長文を読んでくださってありがとうございました。
 また、少しずつ更新していこうと思うので、お時間のあるときにお寄りください。

 ではでは今日はこの辺で。

やるきのないときは。


 今日は、題名の通り、やるきのないときのお話なのですが、実は、この3月下旬から4月上旬にかけて、今までにないくらい、マインドフルネスに対する熱意というか、やる気というのがかなり落ちてしまっていました。

 といっても、抵抗感とかやりたくないというわけではないのですが、なかなかマインドフルネスに取り組もうとか、もっと勉強しようという風に思えない状態であったわけです。

 こういう波は、今までにもあったのですが、今回の波はいままでの中では最大の波だったような気がします。
 おかげさまで、このところ、少しずつやる気も改善してきている印象があり、このようにブログにも取り組める気持ちになってきました。

 今回の原因というか、やる気がなくなっていた原因はいくつか心あたりがあります。

 ひとつは、昨年1年くらいかけて受講してきたSIMTの養成講座が3月の中頃に終わったこと、同時に、講座と並行して自分なりにまとめていた文章を、3月上旬に書き上げることができたこと。
 このことは結構自分の中で大きな出来事で、ある種の達成感が出てしまい(本当は、これからが本番といった感じなのですが)、軽い燃え尽き症候群になっていたような感じがあります。
 それに加え、3月下旬に、久しぶりの発熱を伴う咳風邪をひいて寝込んだこと。これでかなり体力を削られました。
 さらに、そんな中で子供たちが春休みということもあり、春の行楽予定がいくつかあったこと、などから、疲労がかなり蓄積していたように思います。

 そして、4月に入り、一向にやる気がでてこない状態が続いていました。

 そこで自分が対応した方法というか、どういう経過でどんなふうに考えていたかを書いてみたいと思います。

 さすがに4月に入っても、一向にやる気がわかず、いつもより回復に時間がかかっていたときは、「せっかくこれから活動の幅を広げるために昨年度1年勉強してきたのに、このままやる気がでなかったらどうしようかな、まずいなー」という思考が走ったりしていました。特に、まとめなきゃならない資料があったり、読もうと思って買ってるマインドフルネスの本を前にして、一向にやる気が起きないときは、上記のような思考が走るわけです。そして、「このままやる気がでなかったらどうしよう(不安)」という妄想や感情が起こり、「やる気がしないなんて俺ってダメだな」というのが、自分自身に対する衝動的な評価が起こったりしました。

 ただ、ここで、今までのSIMTの実践のおかげで、こういった気持ちがありつつも、それを膨らませるような方向にはいかないようにすることができました。具体的には、こういう思いが浮かんだりしても、「それは自分が勝手に作り出している思考、評価だ」と判断すると同時に、「確かにやる気はないが、それを意志の力で起こさせることはできない」とも理解し、「もし、このままやる気がでなくても、それはその時。今は、できることを続けよう」と判断して、呼吸法と瞑想、日記などは続けていくようにしていました。
 というのも、今までの経験上、このような時に、新しい作業や勉強をしても、疲れが余計たまるだけだし、効率も悪いということがわかっていて、しかし、だからといって、「俺はもうマインドフルネスが嫌いになったんだ」と決めつけてやめてしまうのは、衝動的行動だとわかっていたので、「今まで続けてきたできることをやれる範囲でやる」という判断に結び付いたわけです。

 鎌田先生の本のタイトルにもなっている、「がんばらない、でも、あきらめない」という感覚ですね。

 とはいっても、最初から上記の過程がすべてできていたわけではなく、やる気ゼロの状態にどっぷりの4月上旬の時には、不安な感情や思考の方が多くあったように思います。それを呼吸法などでしのいでいくうちに、「じたばたしてもしょうがいないから、なるようになればいい。できることをやっていいこう」という風な気持ちも生まれてきて、そうしているうちに、まず体の疲れが少しづつ取れてきて、「今は、身体を休めつつ、できることをやっていけばいいんだな」と方向性に自信がわいてきたといった感じです。

 一般的に、マインドフルネスとして行われているものでは、「ありのままに見る、独善を排してみる」というように、「見る局面」が協調されがちです。確かにこれは、スタートとしてすごく重用なことです。見る局面ですでに独善がたくさん入ってきてしまうと、そのあとの判断、行動もそれにより偏ってしまいます。
 しかし、SIMTでは、見る局面だけでなく、その後に、「独善を排して判断し、行動する」という「判断する局面」「行動する局面」というのが、強調されており、それがSIMTの特色にもなっています。

 これはどういうことかというと、例えば僕の上記の過程でいうと、「今の自分は、講座を終え、風邪や旅行で体力が落ちていて、やる気がなくなっている状態なんだな」と確認するのが見る局面だと思います。
 この時に、習慣的に行われている「こんなんじゃダメだ」とか「このままだったらどうしよう」という習慣的、衝動的な評価や反応も生じてきます。これは止められません。でも、それを横に置いて、今の状態をできるだけ客観的に見つめるというのが、「見る局面」です。これはこれですごく大切なことです。
 しかし、これだけで止まってしまっていては、マインドフルネスを続けることが難しくなってしまいます。
 そこで、「『こんなんじゃダメだ』とか『このままだったらどうしよう』というのは、一時的に生じる衝動的反応であり、膨らませる必要はない、しかし、今の体調だとある程度の休みが必要である。』というのは、できるだけ独善を排した「見る局面」に基づいた「意志的判断」であり、さらに「こういう時には、無理に新しいことをせず、今までやってきたことを地道に続けよう」というのも、意志的判断だと思います。そして、「なるべく夜更かしせずに寝るようにして休息をとり、朝夕の基本的な瞑想と日記は最低限続ける」という行動が意志的な行動ということになります。
 この時に、「やる気が生まれないから、もう実践はやめちゃおう」と衝動的な行動を続けていては、たとえ、見る局面ができていたとしても、マインドフルネスの実践を妨げることになってしまいます。見る局面で得られた情報を基に、判断し、衝動的な行動ではなく、意志的な行動をとっていくことが大切です。

 意志的な行動といっても、やる気のない状態のときにやる気を出させることができるわけではないです。
 無理に新しいことを始めようと、身体や心に鞭打って行動することでもありません。
  しかし、見る局面で得られた情報を、できるだけ客観的に判断し、休みがどの程度必要なのか、そしてその休みを得るためには何ができるのか(早寝するとか外食は控えるとか)、その一方で、では何が続けられるのかということを判断し、行っていくのが意志的判断であり、意志的行動だと思います。

 ついつい、僕らは1か10か、白か黒かで考えがちです。しかし、現実の状況は、常にグラデーションです。休む割合と実践する割合も、10:0ではありません。そこを7:3でいいのか6:4でいいのか、それを判断し、実行し、そしてさらに観察し、判断し、調整して実行する。その繰り返しが、SIMTであり、マインドフルネスを実践していくということなのかなと思います。

 この「意志的行動」というのは、決して、自分の葛藤や感情、体調の波と戦うことではなく、今の自分に必要なこと、できること選択していくだけのことなのだという感覚を、実感をともなって理解する、つかむことはなかなか難しいのですが、その感覚がわかるようになると、すごく実践が楽になります。
 たとえ、その感覚がわからなくても、「意志的行動」が決して、自分と戦うことではない、と知っておくことがすごく大切なことのように思います。

 頑張った後には、かならずやる気や体調が落ちるときがあります。これは寄せた波が引いていくように、自然の摂理です。しかし、その波を知り、その波と合わせて生きていく方法があります。焦らずに地道にやっていけばいいと思うのです。

 調子が悪いときも、それが100%にならず、どこかで「そんなときがあってもいい」と、自分の中に様々な感情や気持ちを同時においておけるようになったのは、本当にマインドフルネスのおかげだなーと思います。
 その結果、僕は以前に比べると少し「強い人」になれているのかなーと感じます。

 今日は、自分がこの1か月ほどで体験したやる気のない状況を踏まえ、それに対してマインドフルネス的にどう対応していたのかということを書いてみました。誰でも経験することで、意外と不安になったり、その波の中でもまれて苦しくなっている人が多いんじゃないかなと思い(過去の自分がそうだったので)、今回は参考までに書いてみました。

 本日も長文にお付き合いありがとうございました。少しでも共感していただける部分があれば幸いです。
 更新が最近遅れ気味ですが、よかったらまた立ち寄ってください。ではでは今日はこの辺で。

言葉と記憶による制限(進化の代償)

 
 今日は、人間が進化の過程で手に入れてきた能力で、逆に制限されてしまっているということについて、僕なりの考えを書いてみたいと思います。

 人間が、動物と比べ、飛躍的に発展できた一つの理由として、「知性」を手に入れたということが言えると思います。
 では、知性とは何かという事なのですが、「我おもう故に我あり」とは言ったもので、考えることができるようになったという事だと思います。

 では、「考える」上で、非常に大切になるのは何かというと、やはり「言葉」というものが大きいと思います。

 「言葉」というものができるまでは、人に自分の考えを伝えるときにも、物を介さないとできなかったわけです。
 例えば、「熊」ということを伝えたくても、熊そのものがないと伝えられないわけですよね。
 おそらく、そこから、絵をかいたりする中で、それが単純化され、音と結びついて言葉、言語として発展していったのかもしれません。
 その辺の文字や言語の発達については、詳しくないので、あくまで予測の話ですが。

 ただ、言葉をつかえるようになったことで、例えば抽象的な概念、「友情」とか「愛」とか「苦しみ」なんてことも、言葉を使って、人に表現することや、自分の中で思索をめぐらせることができるようになったわけです。

 そして、もう一つ、「記憶」という重要な能力があります。
 これ自体、言語を用いなくても、映像や感覚そのものとしての記憶もあるので、「言葉」とは別の能力かなと思ったのですが、この「記憶」の能力ができたことで、僕らは、危険を予測して回避することができるようになったわけですうね。
 「過去にこういう状況で獣に襲われた」という記憶があるから、同じような状況では、早めに対処することができるわけです。

 この二つは、人類の進化にとって、かけがえのない能力であり、今の大切な能力ではありますが、この能力が高まりすぎて、身近になりすぎて、逆にその能力に縛られて苦しむようなことが起こってきてしまいます。

 というのは、「言葉」はデジタルであり、現実そのものではありませんし、「記憶」ももちろん現実そのものではなく、バーチャルなものなんですね。ただ、それをついつい我々は実体のあるものと勘違いしてしまうんですね。

 例えば、「茶色」という色があったとします。このこの言葉があるから、僕らは、目の前に「茶色」の色がなくても、相手にこの色のことを伝えることができます。
 しかし、「茶色」という色は、現実には、無現にあるはずですよね。明るさ、濃さ、黄色っぽい、赤っぽいなどの色味など、僕らが日常でであう「茶色」は、千差万別で、決してひとつとして同じ色はありません。でも、それをいったら僕が伝えたい「茶色」は永遠に、正確には人に伝えられません。100%同じ色はないのですから。でも、自分の中では、「茶色」という言葉を付け、ある種の色味のものが、「茶色」という言葉と定義づけされて、自分の中に記憶として蓄積されています。それを私自身は「茶色」と名付けているわけです。もちろん、細分化すれば「こげ茶」とか「薄茶」とか、さらなる細分化はできますが、それが「言葉」である以上、現実にある色そのものではなく、そんな茶色たちの様々な違いを切り落とし、同じ「茶色」という言葉の枠組みに入れてしまっているわけです。そして、その枠組みに入ってしまった瞬間に、意識の中では同じ「茶色」というものとして、扱われてしまいます。
 ここに、現実と「言葉」「記憶」に大きな隔たりができるわけです。
 これは、音楽を、細かく切り刻み、デジタル情報として録音している今の技術と基本的には同じです。
 そのほうが、加工したり伝えたりするのには便利ですし、必要なデータスペースも少なくて済むからです。省エネですね。

 実際、このようにデジタルである言葉を駆使したからこそ、人間は複雑なこと、抽象的なことも思考をめぐらせ、考えを深められるようになったわけです。

 ですが、「言葉」に変換されてしまった瞬間、現実そのものから、とても多くの情報が失われていることに気を付けなければなりません。

  例えば、朝、食卓にのぼったパンを見ます。「その瞬間に、あー今日もパンかー」と思ったとします。
 その人の目には、今日そのときの「パン」が映ったはずです。しかし、それが意識された瞬間、それは、「パン」という言語情報に変更されます。そして、その瞬間、以前にパンを食べたときの「記憶」が思い起こされ、今みたパンから、「記憶」の中のパンと情報がすり替わり、意識には、もう、「過去の経験から蓄積された自分の中の情報にあるパン」にすり替わってしまいます。

 この過程は瞬間的に起こっているため、ほとんど意識はされません。

 もしかしたら、今日見たパンは味が違うかもしれません。実はパンのように見える作り物かもしれません。
 我々は、毎日、現実を見ているはずなのです。でも、意識がそれを許しません。
 現実を見ているつもりで、言葉や記憶によって作られた映写機から投影された映像を見ながらそれが本物だと思って生活しているようなものです。

 パニック障害なので、不安がよみがえったり、フラッシュバックなどはその典型的な例ですね。
 些細なきっかけから、それが意識された途端、過去の記憶や感情、感覚が一気によみがえり、現実に起こっていることは些細なことなのに、意識の中では、過去に起こった不安の発作や記憶、感情・感覚そのものが、まるで「今、ここ」で起こっているかのようによみがえってしまいます。

 人間関係においても、そうです。「また、この人、こんなこと言って」と、いつものように受け取ってしまいますが、その言葉は、もしかして、「今、ここ」にしかない重要な表現を含んでいるかもしれません。以前、聞いた言葉と、今聞いた言葉は、果たして同じものかはわかりません。でも、ついつい僕らは、自分の解釈、自分の中で自動で行われた変換の結果を、「今ここ」にあてはめようとしてしまいます。

 これは、人間が進化する中で獲得してきた能力ですので、それ自体が悪いものではないですし、それを止められるものではありません。 「あいうえお」という文字を、ただの図形として眺めろと言われても、日本人で文字を学んだひとではそれは不可能ですよね。

 でも、それ自体は止められなくても、こういった変換が行われ、ついつい「今、ここ」の現実を見逃してしまっていることに、「気がつく」ことはできます。

 それが、マインドフルネスです。

 「今、ここ」に意識を向けるトレーニングをする中で、自分の中で行われている様々な変換や勝手な解釈に気づいていく。
 これは、まさにSIMTでやっている実践そのものです。

 そして、こういった自分の解釈や変換の特徴に気づくことができれば、それを止められなくても、その解釈や変換した結果を、手放すことができるようになってきます。
 これが、マインドフルネスのすごいところです。

 そうすることで、自分の思い込みや自動思考から解放されていき、不安や苦しみ、そういったものから自由になっていくことができます。

 今日は、「言葉」「記憶」」というものから、どうやってそれらに人が縛られてしまい、マインドフルネスはそれをどう改善させることができるかということについて、僕なりの視点で書いてみました。

 勝手な持論を展開してみましたが、もし、少しでも面白いなと思っていただければ幸いです。

 ではでは、スローペースですが、今後も少しずつ更新していきたいと思いますので、よかったらまた訪問してください。
 

意志作用の使い方(実践の葛藤や苦しみをなくすために)


 2月も忙しく終わってしまい、更新が1か月空いて、スポンサー広告が載るようになってしまいました。

 これで、諦めずに地道に更新をしていきたいと思います。
 
 今日は、意志作用の使い方という点についてです。
 以前のブログ記事、{否定してしまう自分を否定しないこと」で、結構、皆さんにコメントを頂き、多くの方が同じように悩んでいることを知りました。
 その点について考えて、2月は文章をまとめていまして、今後、ある雑誌に載せてもらえる予定です。そこで考えたことを今日は少し書いてみますね。

  SIMTの実践を始めたときに、皆さん、「願い」というのがあると思うんです。ほかにも実現したい「価値」というのも。
 「早く治りたい」「元のように元気にくらしたい」「今のつらい状況から抜け出したい」
 いろいろあると思うんです。

 SIMTを実践し継続していくために、その願いはすごく大切です。それがモチベーションになるからこそ続けられるわけです。
 でも、その気持ちが強すぎると、それ自体がSIMTを実践し、マインドフルな状態を習慣づけるための障害となってしまいます。
 そこで、ではどのような方向性で、実践をすすめていったらいいのか、その点を書いてみたいと思います。

  まず先ほども書いたように「願い」「価値」といったものは、実践を続けていく上で、すごく大切です。
 だからこそ、セッション4でもこの「価値」「願い」を確認し、実践を続けることを決意するような課題が取り上げられているわけです。
 でも、僕自身、この課題をやるときに、少々苦しかった記憶があります。
 「がんばれ、がんばれ」と自分に喝を入れているようで。
 それまでも、今の自分を「こんなんじゃダメだ」と繰り返し否定して、「もっとがんばらないと」と生きてきた結果が、うつ病であり、どうにもならない体調の不良だったので、それを、もっとがんばれ、やる気を出せ、と言われているようで、自分で課題をするのがちょっと苦痛だったように覚えています。

 皆さんがそう感じるかはわかりませんし、実際、その「願い」を再確認し続けることは、大切だと思うのですが、自分が最初に思っていた「治りたい」とか「早く良くなりたい」といった理想そのものを、そのまま、今すぐの「価値」「願い」にしてしまうと、苦しくなってくるように思います。
 マインドフルネスを身に着けるためには、まず、この「願い」「価値」を持ちつつも、実践をするときは、一度、それを横において、日々の課題を淡々と行っていくようなことが大切です。

 なぜなら、「価値」「願い」にすぐに近づきたいというのは、「今、ここ」にない状況を自分の頭の中で作り出し、それに自分を近づけようとする作業です。それに対し、マインドフルネスとは、本来、「今、ここ」にない頭の中の勝手な思考や妄想、評価や判断から離れ、「今、ここ」の瞬間に、ありのままの注意を向けることです。
 よく解説本では、「することモード(doing mode)」と「あることモード(being mode)」などと書いてあったりします。

 最近では、一般に「マインドフルネス」という言葉が広がっており、「1日5分の実践で負けない心を作る!」とか、「人間関係が改善するマインドフルネス!」などといったキャッチ―なコピーが本屋でも並んでいます。(今の例はあくまで私の想像です)。

 しかし、「~になるための」というのは、まさしく、「することモード」なわけです。
 今の社会では、この「することモード」が良しとされています。
 目標を立て、それを実現するために、努力する。それを実現するために、無駄を見つけ、判断し、効率化していく。
 そういったことが、学校教育から仕事のレベルまで、あらゆるところでよいこととして、実践されています。

 それ自体が悪いことではないんですが、結局、ストレスとか葛藤というのは、その目標、ゴールと「今ここの自分」の差によって生まれます。目標が高ければ高いほど、「今の自分」からの距離が遠くなり、努力によって埋めなければいけない差も大きいですから、そこに苦しみが生まれます。さらに、今の自分は、ゴールから遠いところにいるわけですから、自己評価も低くなり、常に「自分はまだまだだめだ」という意識が生まれます。
 僕自身も、そういう生き方が良いと思っていたし、それを達成できないのは、自分が弱いからだと思っていました。

 うつや不安障害になる人は、基本的にこういう思考になりやすいと思います。
 その結果として、病気になっているわけですから、同じ方向性で問題を解こうとしても、より問題が大きくなること、複雑かすることはあっても、解決することは期待できないように思います。

 あることモードとは、「今、ここ」の自分を、そのままとして、見つめてあげることです。一度、自分自身の評価や、なりたい自分というのを横において、「ありのままの自分」をみてあげることです。この時、以前のブログにも書いたように、「自分を否定したり評価してしまう自分も、否定しない」ということが大切です。「今は自分はこのレベルなんだ、それが精いっぱいなんだ」と認めて、では、その中でできることはなんだろうと考えると、「淡々と課題を実行していく」ことになるわけです。
 そうすると、何にも変わらないように感じてしまいますが、「今、ここ」の自分を丁寧に洞察していくことで、今まで気が付かなかった自分のいろんな特徴が見えていきます。
 今まで「することモード」で、目標を目指すという生き方では、無駄と思われていたり、評価されなかったこと自分の特徴に、気づくことができるようになってきます。それは、考えることでわかるものではなく、ただただ実践を続けていくうちに、ふっと向こうから語り掛けてくるように、ある時、突然気が付けるものです。

 その方向性が大切なんですね。

  SIMTでは、意志作用を機能的に働かせられるようにトレーニングすることで、うつ病や不安障害からの改善を目指します。
 この時、意志作用のトレーニングというと、ついつい「強い意志をもって、断固として実践を続ける」「何事にも負けないように、意志を鍛える」と勘違いしてしまいますが、そうではありません。
 意志の力を、「今ここにないものを目指し、そちらに自分を合わせる」という方向に使うのではなく、常に「今、ここ」にあるものをただ観察、洞察するという方向へ働かせてあげます。
 感情が動いても、「あ、今、どんな風に動いたかな」「どの程度、動いたかな」、体調が悪くても「それをどこでどんな風に感じているかな」という風に。

 ただ、もし、体調の波が来たり、発作が出たりで、「今、ここ」の観察がつらいときがありますよね。
 そんな時は、どうするか。
 この時に、「なんでこうなってしまったんだろう」とか思考をめぐらすと、かならず体調は悪化してしまいます。
 その時は、観察が難しければ、「今、ここ」の呼吸や身体感覚、目に見えるもの、傾注観察などの方向に意志作用を働かせ、波が去るのを待ってあげるのが良いです。セッション1、2くらいで学ぶ、基本的なスキルをうまく使うわけです。

 観察するときのポイントは、常にHOW(どのように)とかWHAT(何が)、WHERE(どこで)とかの視点が大切です。
 WHY(どうして、なぜ)というのは、理由を考えるために思考のどつぼにはまっていくので、おすすめできません。
 HOWとWHYは似ているのでややこしいですが、あくまで視点は「今、どのように作用しているのか」を見ていくのが大切だと思います。WHYを用いて過去の理由を深く探ってもあまりいいことはないように思います。

 意志作用を、どのように使っていくか。これが、葛藤や苦しみを低減させるために、結構大切だと思うんですよね。
 今日は、簡単にそこを解説してみました。

 あることモードとすることモードの違いや、マインドフルネスではなぜあることモードが大切なのかということについては、背景にある仏教的な哲学を掘り下げていくと、よくわかるのですが、それは少し難しい話になるので、次回にしたいと思います。

 では、今日はこの辺で。またちょくちょく更新していきたいと思うので、ぜひお時間のある時にお立ち寄りください。
 ではでは。
  
 

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Author:Ko7

訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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