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時間は実在するのか?(未来や過去なんて本当にあるの?)


 今日も、ちょっと意味不明なタイトルで書き始めてみたいと思います。
 最近の内容は、直接、マインドフルネスとは関係のないことのようにも思えるかもしれませんが、僕にとっては、マインドフルネスという状態を、きちんと実感、理解していく上では大切かなーと思っていることなので、懲りずに今日も書かせてください。

 前回で、価値や願いを一度捨ててみようというような記事を書いてきました。
 
 今日は、さらに踏み込んで、未来や過去なんて本当にあるの?という事を書いてみようと思います。

 というのも、未来や過去を考えることが絶対的に悪いことだとか、今という時間を刹那的に好きなように生きればいいんだということではなくて、「未来」「過去」そして「時間」という既成概念にとらわれてしまっている場合は、そこから自由になりましょうというお話です。

 僕らは普段の生活の中でも、これら「過去」「未来」「昨日」「明日」など、「時間」という概念を使って生活をしています。
 この概念があるからこそ、カレンダーを使って先々の予定を立てたり、以前のことを振り返って、今日、新たな作業に取り組めるわけです。
 でも、それができるからこそ、「あの時、あんなことをしなかったら」とか、「あの人にあの時にこんな仕打ちを受けたから、今の私はこんな風になっているんだ」という風に、過去を悔んだり、「このままいったら、私の将来はどうなってしまうんんだろう」とか「来週に入っているあの仕事の時に、こんな失敗をしたらどうしよう」など、未来について不安を抱いたりしてしまうことがあります。

 この時、「未来」というのは、「今」ここに存在しているわけではないし、自分の意識が、様々な情報を元に、「今、ここで」、作り出しているただの概念的な想像物であることは、わかっていただけると思います。
 確かに、様々な情報を元にして推測したことであれば、かなり正しいことのように思えるかもしれません。でも、それは、あくまで「今、ここ」の自分が、勝手に作り出した概念ですから、決して、「真実」や「事実」とは違うわけです。
 東日本大震災が起こった日も、あの地震の直前まで、いろいろな人が、いろいろな未来を想像したり、無意識に考えたりして生活していたと思います。でも、その直後に、あれだけの自身や津波がくるなんて想像ができていた人は、ほぼ皆無なんじゃないでしょうか。

 「今、ここ」で、どんな未来を想像したとしても、それは、「今、ここ」の自分自身が勝手に作り出した想像の産物にすぎません。
 なので、「今、ここ」の状況が変化していけば、この未来像も、どんどん変化していってしまいます。
 
 だから、そんな勝手な想像を「確かな事実」と無意識に信じ込んで、あれこれ思い悩むのは、無意味であることを頭で理解するのは、そう難しいことではないと思います。

 SIMTの実践をして、マインドフルネスを身に着けていくとき、決して未来のことを考えない、というわけではありませんが、この「今の自分が無意識に想像してしまう未来」というのに関しては、それが生じたときには、「思考」「想像」と名前を付けて、そこで止めるように訓練していきます。そして、「今、ここ」の状況、感覚、などに意識を戻していきます。
  さらに、実践が進むと、そのような「思考」「想像」が生まれた背景にある自分の本音や価値観に焦点をあてたりしていきますが、それは、一瞬のことです。

 自分の勝手な想像の中で、あれやこれや不安や妄想を膨らませていくより、「今、ここ」の状況や、「今、ここ」でできることに意識をむけていくわけです。 
 なぜなら、「今、ここ」の状況のみが、その「未来」を作っており、実際の「未来」を変えていく方法だからです。
 しかし、その未来が現実にやってくるときには、それは、その時の「今、ここ」になっているわけです。
 だから、常に意識を「今、ここ」に焦点をあてて、「今、ここ」の課題に取り組んでいくわけですね。

 では、過去はどうでしょう。

 過去とは、「記憶」です。

 過去に起こったことは、変えようのない事実で、それは「今、ここ」でどうしようとも、もう変わらない普遍的なものだと考えてしまいがちですよね。

 でも、違うんです。「過去」というのも、やはり「今、ここ」の自分の状態や状況によって、どんどん姿を変えていくんです。

 先ほど、過去はつまり「記憶」だよ、と書きましたが、皆さんんは、自分の記憶にどれくらいの自信をお持ちでしょうか。
 実は、人間の記憶ほどあやふやなものはありません。
  
  それを証明する様々な心理学上のエビデンスはあると思いますが、ひとつに、TEDで行われた「The fiction of memory」というプレゼンを見ていただくとその一端を知ることができるかもしれません。

 そこでは、車の自己をみて、それを記憶し、その状況対して質問に答えるという課題があったかと思います。
 その時、質問の仕方を、「車が衝突したとき」として聞くのか、「車が激突したとき」と前ふりして聞くのかでは、聞かれた人が答えるスピードの速さが、有意に変化してしまうというものだったと思います。
 
 みんなが同じ映像をみて、それも「しっかりと記憶してください」という前提のもとで覚えたものでも、「今、ここ」の質問の仕方一つで、簡単に内容に変化がみられてしまうわけです。
 
 さらには、このような質問に誘導された本人は、その誘導にはまったく気が付きません。

 そのようにして、目撃証言というような裁判の証拠として使われるようなことでも、簡単に誘導や記憶の改変が行えてしまうわけです。そうして冤罪が作られてしまうわけですね。

 そうじゃなくっても、過去のつらい体験も、「今、ここ」の状況が自分に肯定的に感じられる状況であれば、人は、「あの時があったからこそ、今の自分がある」などとかたります。しかし、「今、ここ」の状況が自分にとってつらいものだと、「あの時、あんなことがなければ」と人は語りたがります。

 確かに、「過去」というものは、僕らが「今、ここ」に生きている以上、確かにあったものかもしれません。
 でも、我々の意識というのは、その「過去」を完全に再現したり、自分の意識の中に「記憶」としてとどめて置けるわけではなく、そのごく一部しか、とらえておくことはできないわけです。
 さらに、その一部も、プリントした写真のように変化しない決まったシーンをとどめておけるのではなく、水の上に浮かべられた絵具の模様のように、どんどん変化する曖昧なものです。

 だから、「過去」というものが実在するわけではなく、「今、ここ」の自分の意識の中に、その「過去」の残さ、すでに原型をとどめていないカスのようなものが、漂っているだけなわけです。

 そうすると、ここでも、「未来」について書いたときと同じように、そんなあやふやな「カス」みないたものを、絶対的な事実として、いつまでも、繰り返し思い出して、考え続けることは、あまり意味のないことだというのがわかるかと思います。
 もう、使い古してボロボロになり字さえ見えないような地図をもちながら、その地図だけをもって、道路を歩いているようなものです。そんなものを見続けるより、「今、ここ」の状況で、落とし穴はないか、危険な車は迫っていないか、まわりをしっかり見なくちゃなりません。
  
 だから、SIMTでは、「過去」に対しての扱い方も、さきほどの「未来」の時と同様です。

 繰り返し、無意識に自分の意識の中に過去の記憶がよみがえって来たりする時も、それに気づき次第、「記憶」とか「映像」とか名前をつけて、そこで中断し、「今、ここ」に意識を戻していきます。
 なぜなら、自分が「過去」と思っているその映像を作り出しているのは、「今、ここ」の自分だからです。「今、ここ」の自分と向き合い、できることをやっていくことで、結果的に、「過去」と思っている自分の記憶、そしてその意味が、変化していってしまうからです。

 以上のような感じで、僕は、「過去」や「未来」というのが、事実ではなくて、「今、ここ」の自分が作り出したものだというのが少しお分かりいただけるかと思います。

 そうやって考えると、「時間」ってなんでしょう?

 僕らは、普段、「時間」という概念を使って、生活しています。
 1時間は、60分で、1分は、60秒で、それは変わることなく、世界を支配しているルールのように思えます。
 そして、過去から未来に向かって、時間はだれにとっても平等に流れているように感じています。

 でも、同時に、同じ1時間や1分であろうとも、それは、すべての人に同じような意味を持つものではないことは、だれもが実感できるところだと思います。
 好きな人と一緒にいるときの1時間はあっという間なのに、嫌いな先生のつまらない授業を受けているときの1時間は、永遠に続くのではないかと思うほど長く感じたりします。
 そんな経験はだれもがお持ちではないでしょうか。

 なぜなら、「時間」というもののもつ価値や意味も、「今、ここ」の自分の状況や価値によっていくらでも変化してしまうものだからです。

 アインシュタインがいうまでもなく、時間は「絶対的なもの」ではなく、「相対的なもの」なんですね。

 それは、まるで、「国境」や「お金」のようなものかもしれません。

 確かに「国境」や「お金」という概念は、僕らが生活していく上では便利なものです。

 しかし、地球のどこを眺めても、「国境」という名の絶対的な線は存在しないわけです。僕らが勝手に決めて、フェンスを立ててみたり、検問を設けたりしています。「~人」といのも、勝手に人間が作り出した概念にすぎません。

 お金だってそうです。1万円札そのものには、1万円の価値はまったくありません。あれは、あの紙幣を国が保証して、その価値を認めているからこそ、みんなその1万円札をほしがるわけですが、その前提は絶対的なものではありませんから、国が崩れてしまえば、紙幣なんて、なんの意味もないものになってしまいます。
 日本にいると、ついつい忘れてしまいそうですが、そういう視点で、1万円札の束をもってニコニコしている姿は、滑稽に見えるかもしれません。それでも、ぼくらは、その1万年札に1万円の価値があると思って、ときに殺人さえ起こったりしてしまうわけです。

 「時間」というのも、そのようなものの一つだと思います。もう、無意識に絶対的なものだと思いがちですが、時計のない時代から、この世や続いているわけです。
 そんな時代も、みんな生きていたわけです。との時は、「今」という時間しかありません。
 その「今」をどう生きるかということに集中していたはずです。
 そういう視点で言うと、「過去」も「未来」も、「今、ここ」の自分が作り出した妄想なんですね。

 僕らには、常に「今、ここ」という時間のみが存在しています。

 だからこそ、意識の焦点を「今、ここ」に合わせて、生きていきましょう。

 今日は、「過去」「未来」ということから、絶対的な「時間」というものはあるのか?という事について書いてみました。

 マインドフルネスの実践において、「今、ここ」に焦点をあてる理由みたいなのが、よく理解できるかなと思って書いてみました。
 だからこそ、マインドフルネスでは、問題を解決していくのに、原因とか結果とかにはあまりこだわらず、「今、ここ」に焦点を当てていくのではないかなーと思ったわけです。

 しばらくちょっと抽象的なお話が続いていますが、少しでも参考になったなーと思ってくれる方がいたら幸いです。

 ではでは、今日はこの辺で。
 また、時間のある時に書きたいと思います。

 最後まで読んでいただいてありがとうございました! 

※ あくまで「過去」の記憶や「未来」の不安などが悪いといっているわけではありませし、その記憶は嘘だとか間違いだとか言っているわけではありません。
  そういったものは、無意識にぼくらの意識に浮かんできますし、繰り返しでてくるそれらを完全に抑え込むことは不可能でし、抑え込もうとすれば、逆にとらわれます。
  しかし、それらを無意識に「事実」だと思い込んしまって、とらわれていることに「気づく」のが大切なのではないかということを提案したいだけです。

 自分の記憶や思い出を呼び起こしたり、それをついつい考えてしまうことを、悪いことだと自分を責める方向に行ってしまわないように、念のため、追記させていただきました。
 

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いま、ここ

いつも、あたまをフル回転させて読ませて頂いてます。
難しいことは、よくわからないのですが、読ませて頂いて思ったことは

いま、ここ、が快適であるために自分の体調管理をしっかりして行きたいなと言うことです。

少し前に、夏風邪を引いてしまいそのため、ずーっと機嫌が悪くて、イライラしてたんです。普段では起こらないことにかーっときて、家族にイヤミを言ってしまいました。そして、終わったことをぐちぐち説教したり、これからある楽しいはずのイベントも楽しみと思えずに、全てに悲観していました。

その時思いました。私のような凡人は、なるべく体調管理をしないと!と。普段病気をしないので、ちょっとした夏風邪でもダメージが大きく、不幸を1人で背負っているかのようでした。今思うと(笑)。

いま、ここ、が最悪な体調だったので、何にも感じられず感謝できなかったです。

つくづく思いました。健康って本当に大事。基本ですね。今日もごはんしっかり食べてよく寝て元気に過ごしたいと思います。

そうすれば、過去も未来もフラットな気持ちで希望が持てそうです。

まだ梅雨が明けずに、体調も崩しやすいですが、ご自愛下さい。

では、また更新お願い致します!

お久しぶりです。

久々にコメントさせて頂きます。

ko7さんのブログのテーマが、最近難しく、「私には理解できるのか?」と、一瞬読むのをたじろぐのですが・・・、
読みだしてみると、「成程なぁ~」と思います。
やはり、マインドフルネスを継続している人にしか分からない、
変化や気づきなどが書かれていて大変、参考になります。

さて、私についてですが、セッションを卒業してから毎日なんとか課題を継続して続けようと頑張っております。
しかし、やはり、月日が経つと呼吸法へ対する雑さ?!というのでしょうか、呼吸に意識を、決めた時間だけ向けることが、丁寧にできなくて、気がそぞろになることが多いです。
「簡単なようで難しいなぁ」とこの期に及んで感じています。
新たな壁とでも言うのでしょうか・・・。

どのように、気持ちで、これからの呼吸法をやっていけば良いのか、アドバイス頂けたら有難いです。

Re: いま、ここ

みこさん、コメントありがとうございます。
みこさんのおっしゃる通り、体調管理はすごく大切です。なぜなら、身体の体調、そして感覚と意識や感情、心理状態などは密接につながっているからです。つながっているというより、そもそも一つなんですね。
だから、体調が悪いときや疲労がたまっているときは、思考も当然ネガティブな方向に行きがちです。
そんな自分の身体の変化を洞察し、そういった変化の兆候に敏感になっていくと、自分の心の変化にも気づきが増して、ささいな心境の変化、感情の起こりにも反応できるようになってくるように思います。

自分の体調自体は、自然そのものなので、お天気などと一緒でコントロールをすることはできませんが、些細な兆候から体調の変化を知ることで、早めに休みを入れてあげられたり、食べる量をセーブしたりと、ひどく体調が悪化することを、ひいては精神状態も悪化していくことをある程度防げるようになったりもします。

夏場は、消化器官の機能も落ちやすいときなうえに、冷たいものの誘惑もあり、体調を崩しやすい季節かと思います。
身体を通して心をしり、心を通して体を知るのは、とても大切なことだと思いますので、ぜひその調子で、ご自身の洞察をお続けください。
また、体験談を聞かせていただけると嬉しいです。

ではでは、今後ともよろしくお願いいたします。

Re: お久しぶりです。

soraさん、コメントありがとうございます。
最近、抽象的な内容が多くてわかりにくいかなーとは思っているのですが、自分の中でかきたいなと思ったことを思いつくままに書いてしまっています。
内容は、そんなに難しいことではないつもりで、「すべて自分の中で起こっていることなんだよ」ということを書きたいのですが、なかなか僕の伝える技術が十分ではないのでしょうねえ。難しい。
でも、言葉だと難しく感じてしまうのですが、体験してしまえばきっと誰もが実感できることなのではないかと思っているのですが、それも僕の幻想かもしれません。

呼吸法、洞察を続けるコツというのは、なかなかにこれ!といった答えのない永遠のテーマなのですが、、、
僕自身の経験からのお話をさせてもらうと、マインドフルネスの上達というか、自分の体調の改善と自己の深まりって、右肩上がりに改善していくものではなくて、階段状というか、なんなら少し右肩下がりの時期があり、その後に、ポンッと気づきがあって上達するような感じです。
 具体的にいうと、自分なりにわかったつもりで瞑想や呼吸法、洞察を続けていると、なんだかすっきりしないもやもやとした時期があってわからなくなったりしてくるんですが、しばらく続けていくと、何かをきっかけに「そっか」というような気づきがあって、また洞察や瞑想がしやすくなるという感じです。しかし、そうするとまたもやもやとした時期がやってきて。。。。
という繰り返しの印象です。
 このあたりのこともブログのどこかで書いたか、過去のコメントのお返事で書いたような気もして振り返ってみたのですが、自分でもわからずじまいでした。ご紹介できずごめんなさい。

 この上達の仕方って、以前、自分が語学を学んだときに感じたような上達の仕方で、少ししゃべれるようになると、自分ではすごく上達したなって思うんですけど、しばらくすると、「こういう場合はどうなんだろう、この文法は正しいのか」とか、疑問が浮かんできてうまく喋れてないような気になるんですが、そういったもやもやした時期がしばらく続くと、「あれ、前より上手にしゃべれるようになってるかも」と上達した自分に気づいて自信を取り戻せる瞬間がありました。そして、また疑問がうずまく時期にとの繰り返しでした。

 その時に、だれかに言われたのか、自分で考えたのか忘れましたが、この、上達を感じられずもやもやした時期というのは、っ自分としてはなかなか嫌な感じで、自分自身の実感としては、上達よりむしろ下手になっていると感じてしまような時期なのですが、おそらく、下手になっているのではなく、知識や技術が深まったために視野が以前より広がり、それまでなら疑問に感じることすらできなかったことに意識が届くようになり、新たな課題や疑問を感じは始めたということなのだと思います。つまりわからなかったことをわかるようになっているという意味でそれも上達なのです。
 だから、気持ちはもやもやして気持ちの悪い時期ですが、それもまた上達の過程だと思って、淡々とできる課題を続けることが大切です。

 あと2点。
 まずは、自分のやっている瞑想や洞察に自信が持てなくなったら、基本に立ち返ることが大切です。セッション後半やその後では、様々な日常生活の洞察が入ってきて複雑になっているように見えますが、やっていることは、初期のセッションで学んだことを続けているだけなのです。
 なので、もう一度、注意の分配とか、日常生活の中での感情の一次~三次とか、呼吸に意識を向けることと、鏡に映していく、などの課題を、丁寧にやってみることが大切です。

 ここで、もう1点のこととかかわってくるのですが、しばらく瞑想や呼吸法、洞察法を続けていると、当然のことながら自分のスタイルが出来上がっていきます。それは、続けていれば当然のことですし、それがあるから深まっていく、続けていくこともできるのですが、どうしても、その一方で、「このやり方が正しい」というのを自分の中で作りすぎてしまうことがあります。
 そうすると、その「正しい」と思っていた通りにやっても、すっきりしない感じがするのを、「間違い」とか「うまくいっていない」ととらえてしまったりします。
 これも、最近のブログで書いていた「価値、願い」にも通じるところなのですが、ついつい、自分の中の理想像を作り出してしまいがちになり、それ以外のものが目に入らなくなっていたり、「悪いこと」「うまくいってないこと」と認識されるようになってしまうんですね。

 そういう時は、やはり基本に立ち返り、一つ一つのスキルをまたおさらいし、そこを丁寧にやってみることで、思わぬ気づきや、自分が「こうあるべし」という事にはまっていたことに気づくことがあります。
 また、あらためて大田先生の本やマインドフルネスに関する本、瞑想に関する本などを読んでみると思わぬ発見や気づきがあることもあります。その結果、モチベーションが回復したり。

 決定的な答えがなくて申し訳ないですが、上記のようなことを踏まえつつ、結局は日々の瞑想を、あまり早急に結果を求めず、その人の瞑想を丁寧に味わいながら、その日の調子にあわせ気長にやっていくことだと思います。
 そうしているうちに、何かきっかけが見つかるかもしれませんし、見つからないかもしれません(笑)。

 なんだかちょっとしたブログ記事レベルの長文になってしまいましたが、あんまり決定的なことをかけなくてすみません。
 ぜひ、また気づきがありましたら、soraさんの体験も聞かせてください。

 ではでは、今後ともよろしくお願いいたします。

No title

ko7さん。アドバイス有難うございます。

私の質問は、ko7さんが以前書かれていたことや、過去の他の方の質問と、重複してしまっていたかもしれません。お手数おかけしてスミマセン。

ただ、私にとっては、今、正にそのことについて悩んでいることなので、マインドフルネスを実践している先輩に、アドバイスをして頂けたらと思い質問させて頂きました。

語学の例え、凄くわかりやすかったです。
マインドフルネスを始めて月日が経ち、上達してきているのは確かだと思います。ただ、そこで、新たに壁にぶち当たるのも、語学の例でよくわかりました。
実践して理解して、少しずつ出来てくるようになると、その分、新たな疑問がわいてくる。
それは、ステップアップした後の、疑問なんですよね。それが、停滞している風に感じてしまう。もしくは、本当に停滞中なのかもしれないですが・・・。
でも、その壁にぶちあっている時こそが、そこからが、新たにもう一歩、前進できるチャンスなのかもしれないなと思いました。

あと、悩んだら基本に戻るのは、大切ですね。
それを繰り返しながら、マインドフルネスを継続していくことが大事なのだなと思いました。

御多忙中の中、丁寧なアドバイス有難うございました。
ko7さんの、ブログの内容は、高度なところもありますが、実体験に基づく例を書いてくださっているので、とてもためになります。

これからも、ブログの更新楽しみにしています♪
また、壁にぶちあたったら、もしくは気づきや成長がありましたら、コメントさせて頂きます!

Re: No title

soraさん、お返事ありがとうございます。

過去記事をちょっと見返してみたところ、どストライクの内容ではないかもしれませんが、こちらの記事も参考になるかもしれません。よかったらご覧になってみてください。

「習慣にすること」
http://tsukubamindfulness.blog.fc2.com/blog-entry-33.html

また何かあったらいつでもコメントくださいねー。

No title

こんばんは。
ko7さんが記事を書き終え掛けの時にブラウザを閉じて、
別な事をして記事を再度、書いた同様に私も日記や
セッションで受けた内容を書いた紙を誤って捨ててしまいました。
「落ち込んだ気分」を感じましたが、仕方がないので今まで学んできた内容を再び整理することにしました。
幸い、毎日の呼吸法で湧き上がってくる「思考」や「感情」
に特定のパターンがあり、、衝動行動をした後の「感情」にも
パターンが分かっています。
欲求にもパターンがあり、例としては飲酒欲求が起きるのは結局は
「さびしいから」という本音があることが最近分かりました。
これだけで進歩があるのかなと最近、思います。
「さびしい」という感情はどうしても消えないので飲酒をしないで
たとえば、勉強したり趣味をしたりと友好的に時間を使える代替手段を考えるようになりました。
これだけでも進歩かもしれません。

さて、呼吸法を毎日していますが以前と比べて自分自身を
客観的に見れるような気がします。
マインドフルネスを実践してて矛盾していると思いますが
過度にマインドフルネスに期待しないでとにかく繰り返す
事が大事かなと最近、思います。
マインドフルネスは多くのエビデンスが証明しているように
うつ病や不安障害に効果あることが証明されていますが
人によって良くなっていく期間と過程にばらつきがあります。
一度、良くなっても再び階段を転げ落ちるようにまた体調が
悪くなってしまいます。
佐藤先生がおっしゃっているように「とにかく焦らず、繰り返し
出来ることをやる。それが体調が悪くなる兆しが分かるように
なり、事前に対策を講じることができる」
この言葉を胸に今は呼吸法をしつつ日記をまた書いていきたいと
思います。

Re: No title

 とおりすがりさん、コメントありがとうございます。

 とおりすがりさんのおっしゃる通り、書いたブログを消してしまったり、日記を捨ててしまったりすると、それはショックが大きく、それ自体をなくすことはできないのですが、それ以上、思考を膨らませないように「今ここ」に意識を向けて洞察をしていくと、再度書き直したり、まとめ直したりしたことでの新たな発見があったり、思いのほかショックが長引かないことや、自分の感情の変化に気が付くきっかけになったりとすることがあります。もちろん、毎回そのような発見があるわけではないですが、そういったことを経験していくことで、自然といろいろな見方があることを身に着けてられていくように思います。

 そして、とおりすがりさんのご自身に対する洞察は素晴らしいと思います。マインドフルネスによる洞察の効果と体調の改善の仕方をとてもよく表していると思います。

 僕自身も前々回のブログで「価値や願いを捨ててみよう」というところで書いたのですが、マインドフルネスの上達のためには、とおりすがりさんのおっしゃる「マインドフルネスに過度に期待しないこと」というのが本当に大切だと思います。
 もちろん、治りたい、上達したいという気持ちは向上心につながるので大切なのですが、そういった気持ちを一度横に置いて、淡々と洞察や呼吸法を繰り返していくことが本当に大切です。

 その肩の力の抜き具合ができるようになると、すごくマインドフルネスの実践自体も楽になるし、洞察も進みやすいです。
 とはいっても、最初からそのような見方ができるわけではなく、ある程度は、試行錯誤したり葛藤したりした結果として、ちょうどよい力の抜き具合がわかるようになるのかもしれませんが。

 大変参考になりました。また機会がありましたら、ぜひとおりすがりさんの体験を教えてくださいね。
 ありがとうございました。
 (KO7)
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プロフィール

Ko7

Author:Ko7

訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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