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価値や願いを一度捨ててみよう!

早いもので、前回のブログよりすでに一か月たってしまいました。

今日は、価値や願いを一度捨ててみよう!というテーマで書いてみたいと思います。
「価値」や「願い」というものは、だれでも持っているもので、決して悪いものではありません。セッション4でも、「価値」と「願い」をしっかりと確認し、実践を続けられるモチベーションを維持することが大切なことが取り上げられています。

しかし、この「価値」と「願い」というのの扱い方を間違えてしまうと、自分自身をどんどん苦しめてしまうことになりかねません。
なので、今回は、この「価値」と「願い」というものとどのように付き合っていくかということを書いてみようと思います。

僕が、この「価値」「願い」について考えていく中で、大きく、実践をやりはじめの初心者と、しばらく続けた実践者、中級者の方とで、「価値や願いを捨ててみよう!」という理由が少し違うように感じました。なので、まずは初心者向けの「価値と願いを捨ててみよう」について書いてみようと思います。

 うつや不安障害を治そうと思ってSIMTに取り組んでいる方々において、この「価値」「願い」というのは、とても重要かと思います。
「早くよくなりたい!」「この体調から抜け出したい!」「早く仕事に戻りたい!」「仕事じゃなくても、まともに生活できるようになりたい!」などなど。
 
 かなり切迫した強い願いをお持ちではないでしょうか。

 しかし、その願いをあまり強く持ちすぎると、自らをどんどん苦しめる結果になってしまいます。
 なぜなら、それはあくまでも、「長期的目標」、目指す先であり、今すぐかなえられるようなものではないからです。
確かに、目的、目標は大切です。これがなかったら、どこに向かえばいいのかわからなくなるし、これがあるからこそ日々頑張れるわけです。だから、この「願い」そして「目標」といったものを持っていること自体は、決して悪いことではありません。
 ただ、それが、今すぐかなえたい目標、つまり短期的目標になってしまうと、何かと不都合が起こってきます。

 なぜなら、その理想像が、今すぐ可能ような状況なら、あなたは今ここで、うつや不安障害などで苦しんでないわけです。
 今までそこから抜け出そうともがいてきたのに、それができないから苦しんでいるわけです。そんな中で、この目標や願いだけが独り歩きしてしまうとどうなるでしょうか。
 「こんな自分でありたい」という理想像がどんどん強くなり、どんどん目標が高くなればなるほど、今の自分とのギャップは大きくなってしまいます。そして、人が落ち込んだり、不安になったりするのは、この「理想像と今の自分とのギャップ」によって引き起こされます。だから、このギャップが大きくなればなるほど、無力感も強くなります。

 そこで、SIMTにおけるマインドフルネスというのの定義を思い出してみましょう。
 マインドフルネスというのは、常に「今、ここ」の自分を独善を排して観察・洞察し、その上で、判断、行動をしていくものです。
 あくまで、観察や洞察の対象は、「今、ここの自分」なんですね。
 「価値や願い」「目標や理想像」というのを持つこと自体は問題ないのですが、そればかりを意識して、自分の思考作用が作り出している幻ばかり追いかけていっても、「今、ここ」を観察するマインドフルネスからはどんどん離れていってしまうばかりです。

 しかし、我々は、幼いころから、今の自分よりもっと高い理想や目標をもって、それに向かって努力することを教育され、しつけられてきました。今の自分に満足することは、おごりや怠慢といった風にすら考えられてしまったりします。
 だから、ついつい、何をやるときにも、この「理想像」や「目標」を作りたがってしまいます。
 
 身近なところで言えば、座って瞑想をやるとき、「~分できなきゃダメだ!」とか「もっと気分が良くなるはずだ!」とか。
 実践を続ける中で、「これだけやっていれば、もっと体調がよくなるはずだ!」、仕事を始めれば、「毎日、朝から夕方までフルで仕事をしなくちゃ」とか。
 ついつい、いろいろと勝手な「価値や願い、目標、理想像」を定め、そうできないことに落ち込んでしまいます。
 そして、それが達成できない自分をダメだと評価して、苦しくなってしまいます。

 ここで、注目しなくてはならないのは、「~であるはずだ」という理想像の方ではなく、そうてきない自分自身の状態の方なのですね。「今、ここ」の自分自身を観察して、「今の自分は、~分くらい瞑想していると、やめたくなる気持ちが生まれるんだな」とか、「良くなってきていると思っていたけど、こういう日には体調が悪く感じるんだな。こういう部分はまだよくなっていないんだな」とか、「これくらいの仕事ならこなせるけど、このレベル以上に頑張ると、ぶり返しがきて体調が崩れるんだな」とか、そういう観察・洞察が、とても大切になります。

 でも、ついつい「こうありたい」ということが先になって、否定的評価をし、落ち込んでしまいます。これは、もう習慣です。
 だから、思い切って「価値や願いをすててみよう!」というタイトルにしたわけです。

 自分が、「こうありたい」「このほうがいい」などの願いが出てきたら、「いや、そうじゃなくてもいいんだよ」「まずは、今の自分をみていこう」と、次々にわいてくる願いや理想を、一度、横に置いてみる、自分の手から放してみるという事を、習慣づけていくと、実践をするのが楽になってきます。
 今日の自分には、今日の自分があり、明日の自分には明日の自分があります。今、そこにある自分がすべてです。
 頭で作り出す勝手な理想像は、一度横において、実践を続けてみましょう。

 ちょっとたとえ話で、書いてみますね。
 ある人が地方で生活していたとして、「東京に行きたい」という願いがあったとします。東京に行って、華やかな生活をすることを夢見ています。
 テレビドラマのように、「東京に行けば、こんなことができる、あんなこともきっとできる」と夢見ていますが、それを考えれば考えるほど、今の自分の境遇と比較して、気持ちが落ち込んできます。
 
 ここで、東京での生活を想像することは楽しいですが、東京での生活を調べることは夢が膨らみますが、そればかり膨らませていても、「今、ここ」の状況は、まったく変わりません。1㎜も東京には、近づきません。
 もし、真剣にその夢をかなえることを考えるなら、まず、「今の自分」を見つめなければなりません。
 今の自分が、いくら持っているのか、まずはそれが大切かもしれません。そして、今の自分に何ができるのか、生活費を稼ぐことができるのか、生活に必要な家事はできるのか、何を持っているのか、なども大切な要素ですよね。
 まずは、「今の自分の現状」をどこまでも正確に知ることが大切です。

 それが、わかって初めて、では「東京に行くためにどのような方法があるのか」という事が考えられるわけです。
 
 ポケットに500円玉1枚しか入っていないのに、「今日中に東京に新幹線で行きたい!」といくら願ってもかなえられません。
 今の自分が500円しか持っていないのを確認した上で、では、銀行口座にはいくらあるのか、そして、今後どのように、いくらくらい稼げばいいのか、そして、自分はどれくらいの収入を得られるのか、そういったことを現実的に考える必要があるわけです。

 そうすると、1㎜も東京に近づいていなかったのが、「この500円で、まずは、駅を2つ進もう」という判断がつくかもしれません。そこで、少しアルバイトをしてお金をためたら、何日か後には、もう少し進めるはずです。
 もちろん、これが最善の方法とは言えないかしれませんし、最初の駅で、まずは進まずにお金を貯めるという選択しもあるでしょう。
 でも、ただ東京に行くことだけに嘆いて日々落ち込んでいるより、ずっと現実的ですよね。

 このようにSIMTでも、いつかよくなる日を夢見て、その時の生活を思い描くのもいいのですが、そればかりを見てため息をつくのではなく、そのような願いを胸にそっと収めつつ、今の自分がどのような状態なのか、どのようなことが可能なのか、実践をしていく中でどのような変化が起こってきているのか、といったことを偏見のない目で観察しながら、実践を続けていくことが大切です。
 そうすることで、日々の実践の苦しさ自体も和らぎ、少しでも前に進めているという感覚も生まれてきます。それがわかるまでは、理想とのギャップにため息をついてしまう自分も含めて、自分を許してあげましょう。

 そして、二つ目の理由があるのですが、SIMTを経験したものとしていえることは、実践を続ける中で、「価値や願い」というもの自体もどんどん変化していってしまいます。だから、苦しい時期に思いつく「価値・願い」といったものに、あまりこだわる必要性自体がないともいえるのです。
 僕自身、うつ病で苦しんで仕事もできず家にいた時期は、本当に苦しかったです。そういった時の自分は、視野自体もすごく狭くなり、思考作用や心の働き自体も落ちているので、その状況で考える「価値や願い、理想像、目標」といったものは、実は自分が本当に思っている価値や願いではなかったりします。もしくは、本来の願いのほんの一側面だけだったり。
 
 例えば、そのつらかった時は、「とにかく家族を養って生きていくために、なんでもいいから仕事して養っていければそれでいい」「そして、そのためには、なんとか常勤で働く正社員のような仕事をしなくては」と考えたりしてました。
 実際に、そのために、早く現場に戻ろうとし、そしてダウンするのを繰り返したわけです。
 そこで、SIMTを実践し始めてみると、そもそも、そんなことができる状態じゃないのが分かってくるわけです。まずは、その段階で、今まで自分が考えていたことと、現状の自分とのギャップに落ち込むわけです。
 しかし、それでも実践を続け、自分を観察していくと、だんだん調子の波もわかってきて、一部、アルバイトのような仕事もできるようになります。そして、どんな仕事でもいいわけではなく、やはり、自分にはやりやすい仕事とストレスがたまりやすい、体調が崩れやすい仕事内容がわかってきます。そして、ある程度、お金を得られて暮らせるようになったら、別に正社員とか常勤とかにこだわらず、自分の体調を維持できる、比較的自分がしたいと思えるような仕事でまずはやっていけるようになりました。そうすると、別に「常勤であることや正社員であること」は、自分がやりたいこととイコールではなくて、それをかなえる手段がそれだけしかないと勝手に思い込んでいたからだなというのもわかってきました。
 そして、今も、ついつい勝手に考えた理想像を膨らませて、やりすぎて調子の波がでてしまうこともまったくなくなったわけではありませんが、仕事と生活のバランスを取りながら、ある程度、自己実現の方向性も見つけ出せつつやれています。

 先ほど、東京に行くというたとえ話をしましたが、現実の世界では、未来まで自分の生き方を示す完全なマップというものやマニュアルがあるわけではありません。
 今、ここから見える山の頂が、目標や価値にあたるようなものです。あんまり遠くの山の頂を目指しても、なかなか近づかずに苦しいだけです。それを遠目に見つつも、まずは、あの山の方向のあの峠を目指そうと、考えながら今いる自分の場所からの道、そして、行く方法を見つめていきます。しかし、その山を目指して日々進んみると、さらに遠くの山が見えてきたりします。
 そして、気づくと、遠くの山もいいけど、自分が求めていた生活は、その途上の村にあったなんてことが出てきます。
 
 「仕事に戻りたい」「結婚さえできたら」「子供がほしい」「あとこれくらいお金があったら」「この病気さえなかったら」いろんな願いがあると思います。でも、今、あなたが頭で描いていることは、あなたが本当に願っていることのほんの一部、ただの一側面なのかもしれません。

 一度、そういったこだわり、「願い」「価値」を横に置いて、「今、ここ」の自分を眺めてみましょう。
 今は、不満ばかりがたまる自分かもしれませんが、きっと時間とともにそんな印象も変化していくはずです。

 今日は、まず、SIMT実践し始めのころに大切と思われる「価値、願いを捨ててみよう!」というテーマで書いてみました。

 できれば、次回は、SIMTを実践し、ある程度改善して、自分の本音をさらに探っていくという段階においても、この「価値や願いを一度捨ててみる」という事が、意味あることなんじゃないかなと思う理由について書いてみたいと思います。

 書き始めると一気に書いてしまうんですが、なかなかそこまでが。。。。
 まあ、マイペースにやっていきたいと思います。皆様も気が向いたときにお付き合いくださいませ。
 
 ではでは今日はこの辺で。

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No title

更新ありがとうございます!!
KO7さんは、いつも具体例や、例えや
ご自分の経験を出して説明してくださる
ので本当にわかりやすい。
目標を持つな、評価をするなということは マインドフルネス本には
書かれています。でも、ピンとは
こないから評価をしている自分にさえ
なかなか気が付けない。 KO7さんのブログを
読むまで、洞察するということ自体も、
雲をつかむような話でした
KO7さんのブログの中で、今まで読んで
きた数多くの本の内容が、消化し始めます。
 うちは、子供がまだ小学生であり受験生です。
つまり時間制限ありなので、無理に無理を
重ねて、子供中心、いや子供のこと以外何も私にはない、、、
という状況です。その焦りとプレッシャーの中
子供への接し方もうまくいかず、空回り。
こんな時こそ洞察!と毎日とにかく、ただ、ただ座ります
、KO7さんにアドバイスいただいた通りに。
なあんにも、まったく進歩していないようですが
自分には、神や仏にに祈るとか以外は、、他に、方法はない
ので。 報告とも、愚痴ともつかない文章ですが、
とにかくKO7さんに感謝を伝えたくて、
メッセージを書きこみました。

更新嬉しいです

いつも月一の更新楽しみにしています!今回の記事を読んで、ふと、そう言えば、最近自分自身についての具体的な価値や願いがないに等しいなと思いました。
でもあるとすれば、ただ1つ!!
心が満たされていること。その時間が長いこと。心乱れてもすぐにその状態に戻れること。です。
精神的な安定こそが一番欲しいものですね。皆さんそうですよね。それさえあれば何も怖くないし、なんでも出来ると思います。
でもそれが一番難しい!!
私は今年で42歳になる小学生2人の母親です。昔はもっと向上心や好奇心があったのにと子供達をみていめ懐かしく思うのです。人生半分終わって、自分の方向性も決まって楽になったんだと思います。でも少し寂しさもあります。

私がこちらのブログに出会ったのは、学校や近所の人間関係の難しさに疲れていて瞑想に心の拠り所を求めていた時でした。

なんだかまとまりのない話になりましたが、こちらのブログをまた参考にさせてもらい、自己観察や瞑想を続けて、私の1番欲しい精神的な安定を貪欲に求めて行きたいと思います!

Re: No title

みどれんじゃーさん、いつもコメントうれしいです。できるだけわかりやすいように、そして読んでくださった方のの生活や実感に合わせて納得しやすいようにというのを心掛けてたとえ話なども書いているので、そういってもらえるととてもうれしく思います。
 お子さんの受験とのことで、大変な中にいるのですね。そういう時こそ洞察のチャンスです。ぜひ焦らず、そして、決めつけず日々の生活の中での洞察を繰り返していってください。
 座ってやる呼吸法や瞑想は、料理に使う包丁の刃を研いでいくようなものです。しっかり研いでおかないと、料理の時に使い物になりませんが、かといって、研ぐばかりで料理に使わないのはもったいないです。料理をしていく中で、より使いやすい包丁の研ぎ方もまたわかってきます。
 みどれんじゃーさんは、繰り返し座る実践はかなりできらっしゃるように感じるので、ぜひその洞察練習を日常生活の中にも取り入れていってみてください。
 そうすると、
「いや子供のこと以外何も私にはない、、、 という状況です。」というのにももう少し違う局面が見えてくるかもしれません。
そうすると、自然とそこから生まれる「その焦りとプレッシャーの中、子供への接し方もうまくいかず、空回り。」
という事態が減ってくるかもしれませんよね。
結局、「子供しかない」と思い詰めてしまう結果、「焦りとプレッシャー」が生まれてしまうわけなんですね。
それは、今回書いた、「価値、理想」が「苦しみ、葛藤」を引き起こしてしまう構図と似ていると思います。

そんな私も、日々、理想と葛藤の間で揺れ動いていますが、そんな動きの中にこそ学びはあるのかなと思います。

マイペースに進めていきますので、またぜひ訪問してご意見をお聞かせくださいね。ではでは。

Re: 更新嬉しいです

みこさん、コメントありがとうございます。最近、すっかり月1回更新になっており、できれば2回くらい目指したいなとは思いつつ、無理のない範囲でやっていこうと思います。

みこさんの書いていらした「心が満たされていること。その時間が長いこと。心乱れてもすぐにその状態に戻れること」というのは、まさに「価値、願い」そのものだと思います。確かに具体的ではなく、即物できてはない、どちらかというと深いレベルの願いだと思います。そして、それは人間がそもそも持っている普遍的な願いじゃないでしょうか。僕らは、ついつい「快」、つまり心が満たされていると感じる状態を求め、それを維持したいと思い、それを乱そうとするものを拒否してしまいたくなります。これは、根本的な欲求と言えると思います。
 しかし、世界を眺めてみるとどうでしょう。ぼくらの生きている世界では、すべてのものは変化しており、常にその様相を変えています。変わらないように思えても変化し続け、一つとして同じ状態でいるものはありません。そして、自分もそうです。昨日の自分、今日の自分、これもどんどん変化しています。自分自身も変わってしまっているので、昨日「快」と思っていたものが、今日はもう「快」とは感じないかもしれません。

 僕も以前は、心の強さというのは、何事にも動じない、常に平穏を保っていられる心なのだと思い、そのようにできない、日々あれこれ迷い乱される自分の心を弱虫と感じていました。そして、どうしたらそのような強さを手に入れられるのかと葛藤していました。

 しかし、マインドフルネスを実践し始めてから、少し考え方が変わってきました。
 マインドフルネスを実践していくと、確かに以前ほど心は乱れることは少なくなり平穏な状態を保ちやすくなっていきます。しかし、それは、乱れることがないわけではないんですね。むしろ、状況に応じて自分の心は日々変化するということを、実感として学んでいるので、心の様相が日々変化していくことについても、それは当たり前のことだと眺められるようになってきます。だから苦しいときもあるし、泣きたいとき、泣いてしまう時もありますが、そんなときがあってもいいんだなと思えるので、そこまで大きくそれに対し反応する必要がなくなっているといった感じです。

 例えるなら、安定した晴れが続くことを願っているのが、以前の僕で、雨が降ったり風が吹いたりするのに一喜一憂していたのですが、今は、雨が降るのも自然なこと、曇る日があるのも自然なことで、雨によって植物が育ったり、洪水で逆に土が肥えることがあったり、それぞれの日にそれぞれの意味があり、役割があり、それに対応した生き方をすれば別にそれを憂うことはないんだなという感じです。

 年を取っていくと、求めるものも変化していって当然です。むしろそれが自然なのでしょう。
 おそらく、形あるもの、お金といったものの価値から、もっと深いレベルの問に、価値や求めるものが変化していくのは自然なことだと思います。
 
 これからも、不定期に更新は続けていきたいなと思うので、もしよろしかったらまたお付き合いくださいね。

 ではでは、これからもよろしくお願いいたします。

願いや価値がありました

コメントありがとうございます。自分では、願いも価値も無くなってしまったと思ってましたが、すごく大きな願いがありました。
明日、授業参観とPTA総会があり、そのことですでに数日前から憂鬱な気持ちになってました。仲の良いお母さんもいるのですがその人が殆ど授業参観に来ないため、話すこともなく時間が長く感じられます。
一時期、自分からどんどん話して友達を作ろうと試みたのですが、上手くいかずに半分諦めていますが、孤独感は慣れません。人と上手く交われない自分にがっかりしてしまいます。
ですがコメントを頂いて、はっとしました。わたし願いをしっかり持ってる!孤独感に苛まれたくない、という強い願い。
ですからその願いを横に置いて、孤独でもいい、寂しくてもいい、そんな自分でもいいんだと緩めてみようと思います。
気が楽になりました。孤独感を持つことがいけないことだと決めつけていたのです。
明日は実験だと思うと楽しみになりました。やってみます。
こんなやり方は合っていますか?

Re: 願いや価値がありました

みこさん、コメントありがとうございます。

まさに、みこさんが感じられたのが、日常生活の中の洞察であり、価値、願いを一度捨ててみる、横においてみるということをやったときの効果だと思います。

 願いや価値は、ほんの些細なものも入れると、日常生活のあらゆる場面に入り込んでます。「~でありたい」と思ったときに、もしくは、「~でありたくない」と思った時に、「本当にそれが必要?」とか、「別にそうじゃなくても大丈夫じゃない?」というツッコミを自分に入れてみると、急に方の力が抜けて楽になることがあります。もちろん、その願いがすぐになくなるわけじゃないし、だからと言って気分が変わらないときもありますが、今まで当たり前のように無意識に「~でありたい」と思っているときと、ツッコミを入れた後では、意識の持ち方がすでに違っているんですよね。
 ぼくの経験上、そういったツッコミを入れたりして、捨てようとしても捨てられない願い、最後まで残ってくる願いというのは、より自分の中の根本的な願いや価値に近いものなような気がします。

 今回、みこさんが書かれた願いや価値はかなり深いレベルのものになってきていると思いますが、こういったレベルになると、「価値」「願い」なのか、SIMTの後半のセッションで洞察する「独善的な本音」なのか、境目がなくなってきます。
  意外と自分の価値や願いだと思っていたものが、独善的な本音に過ぎなかったと愕然とすることもあります。
 そして、繰り返し出てくるその独善的な本音を観察していくと、さらに深い本音があったりします。

 僕もそういった観察はまだまだですが、でも、そのうような観察、洞察を続けていくと、自然といろいろな物事に対する不必要なこだわりがなくなり、肩の力が抜けてきて、ストレスが減ってくる実感がありますよ。もちろんそんな風に思っているのは僕だけの勘違いかもしれませんんが。。。(笑)

 その「価値」「願い」と本音との関係については、また次回のブログで詳しく書こうかなと思っているところなので、よかったら、またぜひ訪問しにきてください。

 ではでは、今後ともよろしくお願いいたします。

No title

いつも拝見させていただいています。
自分自身に置き換えて「価値や願い」が最近、よく湧き出てきます。
湧き出ては欲求が起き、衝動行動(飲酒や無駄な浪費)を
するの繰り返しで「後悔」や「自己嫌悪」の連続です。
仕事はほぼ普通にこなしていますが、最近仕事以外に
何も出来ていないなと思いつつも寂しさを紛らわすために
衝動行動をついついしがちです。
プライベートでいろいろやりたいことがあるので呼吸法
をしながら自分にとって本当の「価値、願い」はなんなのか
観察していきたいと思います。
そうすることで自分のやりたいことが整理されていく気がします。

Re: No title

とおりすがりさん、コメントありがとうございます。お返事遅くなりました。ごめんなさい。
とおりすがりさんのコメントをみると、洞察がとてもしっかりできていて、すごいと思います。
名前付けも完璧ですね。
やっぱり、いろいろな衝動はありますよね。特に自分の「価値や願い」が抑えられたときに出てくる衝動は強いものです。
でも、その「衝動」=悪ではなく、「衝動」にもそれなりの理由があり、それらが満たしたいと思っている欲求を観察していくと、意外と自分自身にとって必要なことを満たそうとしてくれていたりすることに気づくことがあります。
そうしたときに、その「衝動」を抑え込もうとすると余計反発して大きくなったりするので、その「衝動」の根本にある欲求や本音に気が付いて、それを理解してあげると、意外とその衝動自体が和らいでくることがあります。
このあたりは、まだまだ僕も検討課題で、いろいろ試行錯誤しているところです。今日もついついアプリのゲームにはまってしまいました。。。。
また、とおりすがりさんの経験談を聞かせてください。
ではでは、今後ともよろしくお願いいたします。
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プロフィール

Ko7

Author:Ko7

訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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