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身体感覚と心(感情)は同じもの

 あけましておめでとうございます。今年も、少しずつではありますが、自分がマインドフルネスを通して気づいたことを、気のままに書いていこうと思います。
 よかったら今年も、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

 さて、今日は、身体感覚と心(感情)は、同じものらしいよ、ということについて書いていこうと思います。

 このことは、以前、ほかのブログ記事でも少し触れたことがあった気がしたのですが、ちょっとどの記事だったのか、自分でも思い打だせませんでした。。。。
 気がつけば、記事もだいぶたまってきていて、自分でどの話の中で書いたのかわからなくなってしまいました。
 まあ、同じ内用もあると思うのですが、自分としては、SIMTの実践においてすごく大きなヒントとなったので、改めて記事にしてみようと思います。

 僕が、この「心(感情)と身体感覚は突き詰めると同じものである」というのを読んだのは、以下の本でした。
 
 

 マインドフルネスの領域ではかなり有名な先生の書いた本ですが、僕自身、普段から身体操法といったような、本来の身体の使い方などに興味をもっていたので、この本をふと手にとったのですが、とても興味深い話がいくつかありました。

 その中のひとつが今回のテーマなのですが、詳細は本を読んでいただきたいのですが、心理現象のもとを突き詰めていくと、最後には感覚にたどり着くということです。
 何を言いたいかというと、ついつい僕らは、頭で認識し、認識したから心が反応し、その結果として身体反応が起こると考えがちで、つまり、認識や感情が主であって、それによって生じる身体感覚は従と考えがちですが、そうではなく、身体感覚があってこその認識や感情というものだということです。もっと言うと、感情=身体感覚ということであり、つまり、身体感覚を伴わない感情はありえないし、身体に反応があるときには、そこにかならず感情や意識の変化があるということです。
 つまり、肩や首のなど出現の仕方には個人差があるかもしれませんが、筋肉の緊張がないところには、精神的な緊張は起こりえない、腹を立てずに怒ることはできない、そういったことです。

 これ自体、心理学の中でも今でも論争のあるところのようですが、僕にはこの考え方がすごくしっくり来たんですね。
 SIMTを実践して、今、自分に起きていることを洞察していくようになると、自分の意識が、自分の感情を認識するまえに、身体感覚に気づくことで自分の感情に気づいたといったことがたびたびあったからです。
 
 具体的に言うと、家族に言われた一言に「そんなことないよ」と答えたとき、その瞬間に自分のお腹の上あたりからのどのあたりにカーッと熱い感覚があり、その感覚に気が付いたときに、「あ、これは怒ったときに僕の身体にでる反応だ!」と気がついて、初めて自分の中の怒りの感情に気がつき、「僕は、この発言を聞いて怒りの感情を起こすんだ」と、ちょっと他人事みたいに、自分の特徴に気づくようなことが何度かありました。
 そして、そのどれもが、自分にとっては非常に貴重な気づきとなりました。

 一口に、身体感覚=感情といっても、なかなかわかりにくいと思いますが、生物が進化してきた道筋を考えると、すごく理解しやすいと思うんです。そこを少し解説してみます。

 まず、この世に生物が細胞と呼べるもので生まれたとき、何より大切なのは、やはり自己保存、つまり生きるということだったと思います。つまり、自己保存のために自己を保存しコピーを作っていかなくちゃならないと。
 そして、そうするために養分として、様々な物質を取り込まなくちゃいけないわけです。
 その物質を取り込むのに、自分がある場所に来たものをただ受動的に取り込んでいくといったスタイルから、徐々に、自分から「動いて」栄養を取り込みにいくものが出てくるわけです。
 前者は植物であり、後者は動物となっていきます。
 動いて栄養物を取り込むために必要なものは、動くための装置と、動いた先にあるものが栄養なのか、それとも危険なものなのかを判別する装置が必要になります。
 動くための装置としては、鞭毛や線毛といったものが発達し、後々、僕らの手足のようなものになっていくわけです。
 そして、栄養なのか危険なのかを見分けるために必要なものとして、感覚器官が発達してきます。
 最初は、そこに物質があるのかないのかを判断するだけの触覚みたいなものであったかもしれません。しかし、命を守るために、危険なものなのかを知るために、ただの触覚から、痛みの刺激や温熱を感じられる感覚、そして味としての味覚なども発達してきたでしょう。
 そして、様々な感覚器官が発達してくるにしたがって、それらの情報を統括し、処理するシステムが必要になるわけです。
 そうやって、末梢の感覚器官に対し、中枢神経、つまり脳が発達してきたと考えられます。
 そして、そういった情報を統合して、ひとつの答え、つまり戦ってでもそれを取り込むのか、それとも排出する、もしくはその場から逃げるのかといった答えを効率よく出すために、感情、つまり「心」、そして「意識」が発達していったと考えられるわけです。

 そう考えると、自分の心や意識の特徴をより良く知るためには、それ自体を生み出してきた、「身体感覚」をよく知ることが近道なんじゃないかと考えられるわけなんですね。

 実際、僕がSIMTをやる前は、自分の身体感覚や身体反応なんかに意識を向けることはあまりありませんでした。
 目で見たり、耳で聞こえたりすることには意識を働かせても、自分の身体が今、どのように感じているのか、どのように反応しているのか、といったことにはあまり注意を払っていなかったように思います。時々、強い痛みを感じたり、体調が悪くなったりしたときだけ、そういった場所に、普段以上に注意が行ってしまうというくらいでした。
 まあ、それが、うつになった後には、身体反応がもう、嵐のように出てきて、訳が分からない反応や症状に、惑わされるばかりだったわけですが。
 そして、SIMTを実践するようになり、最初は、呼吸から、そして、身体の感覚にも、呼吸法を行いながら注意の分配をやっていくようになり、それが、毎日の日課となっていきました。
 そうすると、自分の身体反応や身体感覚に対する感度が、以前より、敏感になってくるのが、わかってきました。だいたい、実践を始めて、数か月はたったくらいからでしょうか。
 そうした、身体感覚に対しての反応が敏感になってくると、自分が怒ったときにどのような身体反応が起こるのか、どういった身体感覚を感じるのか、不安な時はどうか、悲しいときはどうか、調子が悪いときはどうか、気分がいいときはどうか、そういった情報が、多く集まってくるようになりました。
 それを積み上げていっている中で、上述のような、自分の感情に気がつくより早く身体反応に気づいて、自分の身体の反応で、自分の感情や思考、さらには本音、そういったものを教えてもらう機会が増えてきました。
 通常、身体反応は無意識の領域です。
 身体からは、皮膚や筋肉だけでなく、身体の内部、内臓などの状態も含めて、数限りない情報が脳に届いているはずです。
 でも、僕らはそういった情報に気づくことなく、日常を普通に生活できているわけです。これは、無意識の領域で、ちゃんと脳が、それらの情報を適切に処理してくれているからです。
 それに対し、僕らの意識が処理できる情報量はごくわずかです。このブログを読みながら、テレビを見つつ、音楽を聴いてる人はいるかもしれませんが、そこに計算処理や運動が加わったら、正直、こなしきれませんよね。
 意識が認識しているものってごくわずかなわけです。
 でも、無意識の反応の一側面が、そういった身体反応に表れているわけですね。
 その身体反応、身体感覚に注目するだけで、「どうしてだか、こうしてしまう」とか「理由はわからないが気分が落ち込んだ」といったときの、無意識にしてしまっていることに対する、ヒントがもらえるわけです。
  
 僕自身、上述のような身体反応からの気づきを得られたとき、その気づきのほとんどは予想外のものでした。
 「こんなつまらないことで、僕は怒りを感じてるのか」とか、「ここで落ち込む反応が出ているということは、その反応を引き起こした思考が走ったんだ」とか、さらには、「こういう反応がでたということは、僕は、こういう風に普段から判断している(つまりそういう本音をもっている)のか」といったことが分かったんです。

 だから、呼吸法をはじめ、僕がこのブログでは「ボディスキャン」と読んだりしている、身体の感覚への注意の分配などの基本的なスキルは大変大変、重要なスキルだと思います。レッスンの最初のころにやるスキルではありますが、繰り返し磨いていくことで、さまざまな気づきをもたらしてくれます。
 なぜなら、身体感覚を伴わない感情はありえませんし、そして、感情の変化のある時には、かならずそこに思考や本音が隠れているからです。

 今日は、身体感覚と感情は、同じものをみているのだよというところから、洞察のポイントについて書いてみました。
 ご参考になることがあれば幸いです。
 
 今年もこんなペースでぼちぼち進めていきますので、良かったらまたお立ち寄りください。
 ではでは、今日はこの辺で。

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記事とは関係ないのですが・・・

ko7さん、遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

ko7さんにアドバイスをもらい、5分だけでもいいから諦めないで細々と呼吸法と洞察を続けています。

実は11月から遠方の病院へ週1回、社交不安障害に対する認知行動療法を受けにいっています。お陰で社交不安の方は、だいぶ良くなりました。

マインドフルネスも認知行動療法の一手法だと思いますが、社交不安障害に対する認知行動療法のマニュアルを見てもマインドフルネスと重なるところが多々出てきます。

社交不安障害に対する認知行動療法では安全行動(社交不安だと思われないように自分がとっている行動)や自己注目(内側の自分に注意を向けてあれやこれやと考えること、洞察とは違います。)を無くすことが健全であるのですが、これはマインドフルネスの注意の分配、呼吸法に集中することで考えを捨てること、気づくこと、希望、願いの感ずる方向へ行動を選択していくことなどに出て来る手法と似ています。

行動時自己洞察と短時間呼吸法をしていれば自己注目は止まるのでいい方法だと思いました。

双極性障害は薬で安定しています。

このまま、いい方向へ向かってゆきたいと思っています。

Re: 記事とは関係ないのですが・・・

おだやかさん、ありがとうございます。今年もよろしくお願いいたします。5分でも続けていることが素晴らしいです。これからもそんな感じで、できるときにやっていけるといいと思います。

 さて、質問頂いた件ですが、僕の知っている範囲でお答えすると、まず、認知行動療法とマインドフルネスは実はまったく別物です。マインドフルネスのことを、第三世代の行動療法などと言ったりされるのでややこしいのですが、もとは全然別物です。
 マインドフルネスは今、現在、一般的に使われている言葉としての「マインドフルネス」というのは、ジョンカバットジンという医師が、個人的に禅を行っていて(確か道元のことを本に書いていたと思います)、その経験から、セラピー的な効果があるのではないかと、当初は解決不明な慢性疼痛に対して、禅から宗教色を排して8週間のプログラムとしてまとめたものをマインドフルネスストレス低減法(MBSR)と呼び、やり始めたのが最初です。
 その効果が論文として発表されているのを、認知行動療法をやっていた心理学者たちが見て、これは認知行動療法にも取り入れられるのではないかと、MBSRを勉強し、そこから認知行動療法にマインドフルネスのトレーニングを導入したマインドフルネス認知行動療法(MBCT)というものを考案し、その効果などを学会に発表しだしたところから、このMBCTというのができたようです。

 僕が、本で読んだ範囲では、認知行動療法には効果があるのはわかってきたのですが、どうやらうつに対しての効果は、認知の再構成、つまり考え方を変えられるようになるから、ではなく、自分の感情や考えを距離を置いてみることができるようになることから効果がでているということが分かってきていたらしいのですね。これを、「脱中心化」と呼んだりするようなのですが、この脱中心化を促すのに、マインドフルネスの手法が良いのではないかと考えられたようです。

 僕自身、認知行動療法は少し勉強したことがあるのですが、社交不安障害のために再構成された認知行動療法はあまりくわしくありません。ただ、問題や感情、思考などから距離を置くという点については、すごく似ている部分や共通する部分はあると思います。
 SIMTで実践されていることが、役立つようであれば、おだやかさんがやられている認知行動療法にもどんどん取り入れていってみてもよいのではないでしょうか?一応、セラピーの提供者の方には一言相談してもよいかもしれませんが。

 ちなみに、マインドフルネスと同様、弁証論的行動療法(DBT)やアクセプタンス&コミットメントセラピー(ACT)なども第3世代の行動療法などと言われていますが、これらもマインドフルネス的な要素はいろいろあるものの、その成り立ちは、まったく別のところから出来上がってきているようです。あまり僕自身、そちらは詳しくありませんが。

 自己洞察瞑想法(SIMT)も、これらとまったく別のところからできており、大田先生が、自身のうつを禅を手法をもとに改善させた経験から、それをプログラム化して提供したところから始まった純国産のマインドフルネスになります。
 最初は、仏教用語を使わずに、説明をするのに苦心されたようですが、ジョンカバットジン氏の本などで、「マインドフルネス」という言葉を知り、その言葉を使わせていただくこととしたようです。

 日本には、もともとインドを発祥として中国を伝わってきた禅がありますし、インドから東南アジアに伝わって発展した初期仏教系のものでも、ヴィパッサナー瞑想などもあります。

 同じマインドフルネスという状態を目指す(仏教などでは悟りのためのあくまで一要素という位置づけですが)といっても、さまざまな流れがあるんですね。

 まあ、それを知っていても知らなくても、日々の実践でもっと多くのことが学べるんじゃないかと思います。
 参考までに書いてみました。

 今後も、病状がいい方向に行くといいですね。より良い年になることをお祈りしております。

再起

12月、インフルで寝込み洞察を休んだら、それっきりすっかり座ることが億劫になり、自然消滅しかけて1か月たちました。 ある程度続いてしまえば持続は簡単なのですが、逆にいったんリズムが崩れるとそれっきりになるというパターンです。 でも、今回の私には、KO7さんのブログという場があるので(同志の方々も含み)なんとかおとといから再起できました。 なんだか座っても、まーったく洞察できませんが、そういう自分をも評価なしで見つめます。 というわけで、今年もお世話になります。

Re: Re: 記事とは関係ないのですが・・・

Ko7さんの圧倒的な知識量に敬服しています。更に、開発者の太田先生のブログはもう訳が分かりません。それでも実践は積むことが出来るので、その中で徐々に知識のほうも勉強できたらと思っています。

Re: 再起

みどれんじゃーさん、コメントありがとうございます。インフルエンザ大変でしたね。風邪で寝込んだりした後は、やはり体調も万全じゃありませんし、やる気も落ちやすく、気分の波も起こりやすいです。洞察もやる気がしないですよね。
 しかし、それも長く続くわけではなくて、よく見ていくと体調の回復とともに、やる気なども回復してきたりします。そこであきらめてしまわないことがやっぱり大切なのだと思います。
 また、そういったときの自分の体調ややる気の程度を観察しておくことで、やる気が出ない状態から自分の体調を知ることもできるようになってきますよ。
 今年もお互いマインドフルネスな一年になるよう、少しずつ頑張りすぎずやっていきましょう。またいつでも訪問指定くださいね。

Re: Re: Re: 記事とは関係ないのですが・・・

おだやかさん、ありがとうございます。知識量では、大田先生の知識の量は圧倒的ですね。一体、どれほどの本を読んだのだろうと僕も敬服しています。さらには30年近く、マインドフルネスの実践も併せて続けられていらっしゃることは本当にすごいことだと思います。
 僕の役割としては、大田先生から聞いたお話や本で学んだことを、できるだけわかりやすい形で、実践者の方に提供していくことができたらなと思っております。今後ともよろしくお願いいたします。
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Ko7

Author:Ko7

訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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