訪問ありがとうございます

はじめての方はこちらの記事をご覧ください → はじめに (2014/9/21)
記事一覧や目次をご覧になりたい方はこちらをどうぞ → 記事一覧・目次
自己洞察瞑想療法の講習会なども始めました! → マインドフルネス@つくば

パターンが見つかるのはあくまで副産物

さてさて新年も明けてしばらくたちましたが、正月ぼけは抜けたでしょうか。
 イベントがおわり一週間をすぎると、ちょうど疲れがでてくるころです。体調でいえば、波がでてくるころですので、今年もあわてず、騒がず、呼吸法で乗り切っていきましょう。

 今日は、いままで、SIMTを続けていると「パターンがみつかる」ということを書いてきましたが、ちょっとそれと矛盾するようなことを書いていきたいと思います。でもとても大切なこと、僕自身も、すぐに陥りがちなポイントについて書いてみようと思います。

 SIMTを続け、自分のマインドフルネスが深まっていく過程で、鬱がよくなってくるとき、それまで気がつかなかった自分の中の様々なパターンや傾向、本音のようなものが見えてきます。その結果、いままでと違う選択をして生活を変えていけたり、調子の波をある程度コントロールできるようになったりします。

 これ自体はとても回復の過程で大切なことで、それは、今までのブログの中でも書いてきたとおりです。

 でも、それが素晴らしいから、回復のキーポイントになるからといって、そのようなパターンや傾向を探しにいこう、見つけ出そうとしてしまうと、間違ってしまいます。ともすると、むしろ体調を崩すきっかけになってしまいます。
 僕自身、SIMTのセッションの中で「自分の本音をみるける」という課題が出てきたとき、ついつい、自分の中の本音はなんだろうといろいろ探すうちに調子が悪くなってしまいました。

  では、なぜ、こういったパターンを「見つけに行く、探す」ことと、「見つかる、見えてくる」ということが違うのかを説明していきたいとおもいます。

 SIMTで目指すマインドフルネスというものは、常に「今、ここ」にいて、「今、ここ」にある状態を認識しつつも、「無評価」でただそのままにしておくことです。そして、その状態をあれこれ考えたりすることなく、すぐに手放し、ただただ続く、「今、ここ」という瞬間瞬間についていくことです。
 しかし、それを繰り返していくうちに、自分の中で繰り返されるパターンや反応の傾向、繰り返し湧き上がる感情や思考、判断基準といったものが、浮き上がるように明らかになっていきます。これが、パターンや傾向は「みつかる、見えてくる」ということです。

 では、パターンを「見つけに行く、探す」とどうなるか。
 われわれは普通、自分で自分の中のパターンをみつけようとすると、「さて、どんなパターンがあるか」とか、「僕はいつもこういうことをしてしまう傾向があるんじゃないか」とか、考えて、そのパターンを見つけ出そうとしてしまいます。
 それは、思考により、見つけようとしてしまいます。その思考は、無意識と意識があるなら、自分の意識の中で行っているものです。
 しかし、マインドフルネスにおいて、あえていうなら避けるべき状態とは、この「思考すること」です。思考とは人間の本能ですが、あえて自分の思考の世界から抜け出て「今ここ」で起こっていることを見つめていくというのがマインドフルネスです。

 だから、この思考によってパターンを探すということ自体が、マインドフルネスの定義から外れてしまうのです。

 さらに、マインドフルネスの中で見つかってくるパターンというのは、無意識の中にあります。つまり自分が普段考えているような、自分で意識できている自分の外にあるからこそ無意識であり、だからこそ、そういったパターンは、しらずしらずのうちに我々の生活を支配してしまっているわけです。だって、すぐに気が付ける、考えがおよぶようなパターンであれば、そもそもすぐに自分で変えられるわけであり、その時点でパターンではないわけです。
  よい例が、癖ですね。自分では気がつかないからこそ、「癖」なわけです。もしそれに気がついていれば、それを止めることができます。知らず知らずにやっているからこそ癖なわけです。

 では、考えても見つからない、自分の意識ではとらえられないなら、外の世界を探せばいいのか?誰かに指摘してもらえばいいのか?

 そうではありません。そのパターンは自分の無意識の世界にあります。確かに他人からみると、その人の振る舞いや反応は、客観的によくみることができます。でも、自分の意識がそのパターンに気がつかないうちに、他人にそのことを指摘されても、その人は決してそれを認めることはないでしょう。むしろ、強く否定したり、怒り出したりしてしまうかも知れません。
 他人がどんなに言葉を尽くして説明しても、自分の欠点とかパターンとかって言うのは、自分でそれに気がつかない限り、それを変えることはできないのです。

 ではどうしたらいいのか。どのように、マインドフルネスではそのパターンが見つかるのか。
 自分の無意識の世界に潜むパターンは、自分自身と外の世界とのやりとりの中にあらわれてきます。
 意識と無意識を合わせた自分自身が、外から様々な刺激を受けて、その反応をするときに、様々な形で表れてくるのです。

  だから、思考を使って探すのではなく、それまでの判断基準、評価、ものの見方などを一度横に置いて、ただただ、自分と外の世界との間に起こる様々な相互作用、やりとりを、評価することなく、洞察していく、ただただ眺めていく、そうすることで、初めて、自分雅思いもよらなかった自分の中のパターンや傾向、判断基準といったものに気がつくことができるのです。

 これが、マインドフルネスを続けていくことでパターンが見えていくる理由です。
 そして、それまでの自分の思考をいくら使っても、その思考の内をいくら探しても答えがでない理由でもあります。

  このように、自分のパターンは無意識にあり、それまでの自分では思いもよらないことだったりするので、そのパターンが見つかったときには、多かれ少なかれ、自分の中にはカタルシス(感情の解放や浄化)といったものが起こるように思います。
 とくに、大きな気づきがあったときには、「俺っていままでこんなことに囚われていたのか」とか、多くはそれまで自分が無意識に隠してきたようなことに気がついたりして、落ち込んでしまったり、怒りの感情がわいてきたり、様々な感情に揺さぶられることがあります。
  でも、それにもとらわれないようにして、気づき自体をそっとしておいてあげると、その感情の波も収まってきて、いままでより自由なものの見方や反応ができるようになってきます。もちろん、長年のパターンは気がついたからといってすぐにかわるわけではありませんが、一度気が付けるようになると、また顔を出した時には、すぐに気がつけるようになり、今までとは違った反応を試してみるチャンスが生まれます。
  だから、もし、そのような気づきがあった際に、自分が思ったより同様してしまったとしても、あわてないでください。そういうものです。時間がたてば、そういう動揺は少しずつ収まっていきます。

 さて、「パターンを見つけよう、探そう」とすることと、「パターンが見えてくる、見つかる」ということの違いはわかっていただけたでしょうか。
 
 僕自身、自戒の意味も込め、このことは決して忘れてはいけないと思っています。
 なぜなら、今でも、瞑想をしているとき、そして、日常生活の中で洞察を繰り返して行こうとするとき、ついつい、この「パターンをみつけよう」ということをしてしまうからです。ついつい、自分で「これだ!」という答えや気づきを探そうとしてしまいます。でも、探そうとした瞬間、意識は「今、ここ」を洞察することから離れ、思考の世界に泳ぎだしてしまいます。
 おそらく、これはもう癖というか、人間の本性なんでしょうね、考えようとしてしまうことは。

 だからこそ、繰り返し「今ここ」に意識を戻し、洞察していくマインドフルネスは、今までにない気づきを与えてくれるものなんでしょうね。

 そして、そのように、日常生活の中での周りの世界と自分とのやり取りを、常に洞察していけるように、今日も、静かに座って、刺激の少ない中で自分の呼吸や感覚に意識を向け、ただ眺めるというトレーニングを重ねるわけです。

 ここまで、長文にお付き合いありがとうございました。

 次回もよろしくお願いします。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

これまでの訪問者数
ブログランキング
ブログランキングに参加しております。応援していただける方は下記バナーをクリックお願い致します!
プロフィール

Ko7

Author:Ko7

訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

カテゴリ
カレンダー
05 | 2018/06 | 07
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
ブログ内の記事から探す
入力した語句が含まれる記事を探せます
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR