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マインドフルネスは脱学習の過程

いよいよ年の瀬ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

今日は、人間の意識における「学習」」という観点から、マインドフルネスについて論じてみたいと思います。

以前、マインドフルネスはなぜにすごいか 自分なりの解釈①(世界と我々の隔たり)の記事の中で、「学習」ということについて書きました。

 我々が何かを認識し反応するプロセスは、
   ①(外界から、内界からの)刺激 → ②五感+③認識(言語・思考) → ④感情、⑤身体反応 → ⑥行動
 という経過を必ず通っています。

 そして、生まれてからずっと、この過程を繰り返す中で得られた経験から、学習を繰り返しています。

 例えば、湯気の立ちのぼっている鍋をみたら、僕らは見た瞬間に「熱い」と認識してしまいます。
 でも、まだ小さな子供はそれが熱いということを認識できず、急に手で触ったりしてしまいます。
 僕らは、この小さい子供のころから、湯気が立っているものは熱いという経験を繰り返してきたからこそ、それを見た瞬間に「熱い」という認識が生まれ、危険を察知することができます。これはまさに「学習」のプロセスであり、これにより人間は、危険を察知する能力を進化させてきたわけです。

 たとえば、僕が今書いている文字、これが文字として読めるのも「学習」の成果です。
 ただの線のならびや形を「文字」という形で認識し、意味のある文章として理解できるのは、このプロセスのたまものです。
 子供の様子をみているとよくわかります。文字を学び始めたうちは、今、目の前にある文字が「あ」なのか「お」なのか、理解するのに時間がかかり、ひとつひとつの線の形や本数などをよく見て、その文字を認識していきます。
 しかし、大人になってしまうと、もう「あ」という文字や「お」という文字を、何の意味も持たない線の並びとして認識することはもはやできません。
 これは、学習および、その反復練習や反復した経験により、上記に書いた認識のステップがもはや無意識の過程で行われてしまい、ただの線のならびを瞬間的に「文字」として認識してしまうからです。
 このことはもちろん悪いことではありません。「文字」を瞬間的に理解できるからこそ、「文字」と「文字」のつながりである単語や文章が効率的に理解できるようになったわけです。もし、「文字」の認識に時間がかかっていたら、文章の理解などできません。

 しかし、学習には落とし穴があります。先ほど書いた、すでに文字を「ただの線のつながり」として認識できなくなってしまったという事実です。
 実はこれとまったく同じことが、我々の様々な生活の場面で起こっているのです。それは、自分が幼いころから長い間かけて培われたものであればあるほど、かなり無意識の深い部分で行われており、その変換自体を認識することが難しくなります。
 先ほど文字の例でいえば、HRIKDIKSODというようなアルファベットの羅列は、多くの人が、みたらすぐにアルファベットだとわかるとは思いますが、これを図形として見ろと言われれば、多少苦しいですができないことではないと思います。さらにアラブ文字に関していえば、僕にはどれが一文字なのかすらもわかりません。しかしこれと逆のことが、おそらくアラブの方々には起こります。
 
 ネットで一時話題になった、日本人には読めない文章という記事はまさにこの典型です。
 http://ringosya.jp/yomenaifont-10854
 これは、このフォントでかかれたアルファベットの文章は、日本人には脳内でカタカナとして認識してしまい読めないというものです。もし、カタカナをしらないほかの国の人がみたら多少の困難は伴うもののアルファベットの文章として認識できるでしょう。

 これは、運動の面でも起こります。例えば、サッカーを例にすると、最初にやるときは、ボールをドリブルする、パスする、パスを受けるなどの動作は、ひとつひとつ意識して行わなければできません。でも、これを練習して無意識にできるレベルになると、初めてドリブルしながら敵の動きをみるだとか、戦術を考えるというレベルに行くわけです。
 しかし、ひとたび、この戦術を考えるとかのレベルに達してしまうと、自分が体のどこをどのように使ってパスを受けたかということは気づきにくくなります。

 実は人間関係、対人関係にもこういうことは起こります。
 
 例えば、人に繰り返し騙され金銭を奪われた人がいるとします。値段の大小はあれど、いつも自分にいい顔をして近寄ってくる人は自分のお金をとっていく人だったとすると、その人は、笑顔で近づいてくる人に対して、無意識的に疑いの目でみるようになってしまいます。
 常に戦争の中に身を置いて育ってきた人にとっては、「相手を倒さなければ自分がやられる」という考えは自然にわいてきて、お互いに争わずともに暮らすということ自体、不可能に思えるかもしれません。

 どんなにがんばってやっても、「もっとがんばらなくちゃ」と育てられた人は、他人にどんなに褒められても、「自分はまだまだ」と思う気持ちが絶えず自分を駆り立てるかもしれません。

 僕らはこういった学習を生まれたときから繰り返し続けて、様々なことを身に着けて大人になっています。
 年をとればとるほど、様々なシチュエーションでの振る舞いを経験することで、様々なパターンの反応や行動を身に着けるようになりますが、一方、自分のもっているパターン以外の反応ができなくなってしまいます。
 こういうときはどうしたらいいんだろうと悩むのが若者です。でも、こういう時はこうしたらいいとわかるようになるのが、年長者です。でも、そうすることで効率よく状況をさばけるようになってくると、現実の状況は一例一例まったく違うのに、その現実のわずかな差異に気がつけず、それに自分のパターンを無理やり当てはめて解決するようになってきます。
 これが進んでいくと、学習の効率化によるメリットよりも、パターン以外の行動や反応がとれないという弊害のほうが大きくなってきます。
 これが、まさに、頭の老化、年をとっていくと頭が固くなるということなのではないかと思います。

 そこに、光を当てるのが、マインドフルネスです。
 マインドフルネスでは、瞬間、瞬間に焦点をあてていきます。瞑想で、自分の中でどのような反応が起こっているのか、そして、今の瞬間に起きていることに焦点を当て続けることを学びます。そして、それを.生活の中に生かすことで、普段、自分が様々な刺激に、どのような反応をしているのかを眺めていきます。そうすると、先ほど言っていたような、パターンが見えてきます。今まで、無意識に行われていた様々なパターンを、再び意識の光で照らすのです。そうすると、無意識に、自動的に行われていた反応に、初めて別の反応を選択できる可能性がでてくるのです。
 もちろんすぐにはできるようにはなりません。でも、自分に起こっていることを知ることで、時間をかけて変わっていける可能性がでてきます。相手のいつもの一言に、「怒り」の反応で、「言い返す」ことを無意識に繰り返していた時に、この「怒り」がなくなるわけではありませんが、「言い返す」という行動を変化させることはできるかもしれません。例えば、「黙って相手を見つめる」とか。
 そうすると、いつもの反応でないことに、相手もいつもの反応ができません。もちろん、その結果、前より悪い結果になることもあり得ます。ただ、少なくとも、いつもの繰り返しではなく、そこに変化を起こせる可能性がでてくるのです。

 ここに、マインドフルネスのすごさがあると僕は思います。
 選択肢が、少しでも広がるということは、自由度が広がるということです。二通りの反応しかできなかった人が、三通りの反応ができるようにあれば、その人はそれだけ自由になったということです。心はそれだけ柔軟になったということです。
 そうやって心を少しずつ自由にしていけば、心が解放されていくのじゃないかと思います。
 少なくとも僕は、以前に比べると、ずっと生きやすくなりました。すべてがうまくいくわけではありませんが、うまくいかない現実に対して、より多くの選択肢をもって反応している自分がいるように思います。

 パターンを身に着ける「学習」の過程があり、そして、そのパターンから抜け出す「脱学習」の過程があります。この「脱学習」を達成する方法こそ、マインドフルネスの力の一端であるのではないかと思います。


 最後に、先ほど、 

どんなにがんばってやっても、「もっとがんばらなくちゃ」と育てられた人は、他人にどんなに褒められても、「自分はまだまだ」と思う気持ちが絶えず自分を駆り立てるかもしれません。

 と、書きましたが、多くの自分の反応や行動の習慣を身に着けるのは、幼少期です。
 それゆえ、両親、もしくはそれに相当する人の影響は非常に大きいです。なぜなら、人に接したとき、どのようにふるまうかといったことは、通常であれば、自分の両親と接する、もしくは自分の両親が人と接する姿をみるのが、最も原初的な人と接する経験ですし、もっとも自分がたくさん接した経験をもつのも両親に他ならないからです。
 なので、自分の問題だと思っていることを突き詰めていくと、マインドフルネスで観察し続けいくと、多くは、自分の両親との関係につながっていくことが、多いです。
 僕も、SIMTを習って、マインドフルネスを進めていくうちに、自分の中の多くのパターンに気が付いていく過程の中で、もう忘れていたような、自分の幼少期の経験やその記憶が、数多く自分の中によみがえりました。
 そういった最中には、自分の両親に対する怒りや自分が持ったことがないような(おそらくそれはあったんでしょうが、意識されていなかった)様々な感情があふれてくることもありました。
 おそらく、僕と同じような境遇にあった方がマインドフルネスを実践していると、同様な経験をされる方があるんじゃないかと思います。それは、自然なことなので、決して否定をする必要のあるものではないと思います。そういった感情が思い出されることこそ大切なことです。それが治癒への過程なのだと思います。
 と同時に、その感情にまかせて親を責める必要がないということも、だんだんわかってきました。

 おそらく、両親も、自分と同様に、それぞれの両親とともに育ち成長する過程で、自分が経験したような人との接し方、教育の仕方してきており、それ以外の接し方がわからなかったのだと思います。精一杯、愛を尽くして、その接し方をしていたのだと思いました。ほかに選択肢を持ち合わせてなかったのだろうと。
 そして、そういった中で育った自分が、今の自分のように成長するのも自然なことだったのだと。今の自分があるのは、当然の結果でそれこそが自然だったのだろうと、思うようになりました。
 そうすることで、今の自分自身を許してあげることができるし、同時に、両親を責めるような気持ちは少なくなっていきました。

 それに、先ほど書いたような「がんばらなくちゃいけない」と反応してしまう人は、努力の分だけ、それなりの結果を残していることも多いように、親から譲り受けた自分の性格や反応の仕方は、決して悪い面だけではなく、良い面もたくさんあります。
 大切なのは、一つのパターンだけではなく、いくつかのパターンを持てるようになることであり、そうすれば、必要なときに自分のよい面を発揮することができます。
 自分の両親は、ほかに選択肢がなく、無意識的にそれがベストだと思って僕を育ててきたのでしょう。きっとそこに愛はあったのだと思います。それはそれで素晴らしいことです。それに加えて、自分はマインドフルネスを身に着けていくことにより、より多くの選択肢を持つことができます。
 だから、大切なのは、どんな親に育てられたとか、自分がどんな体験をしてきたということではなくて、より多くの選択肢をもつ、そういった気持ちをもって、前向きに今、この瞬間を洞察し、生きていけるかということなのではと思っています。

 今日も、長文お付き合いいただきありがとうございました。

 皆様も、良いお年をお迎えください。
 来年も、不定期に更新をしていくつもりなので、よかったら遊びにきてくださいね。
 ではでは。

 

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鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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