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間が大切!!

 お盆も過ぎ、夏の疲れが出る頃です。
 私自身の特徴としては、身体の疲れ(筋肉痛や身体疲労)は、イベント後、2日目にピークし、数日で改善。精神的な疲れ、疲労感は、イベント後一週間後にピークに達して、その後数日で改善するという印象があります。身体の疲れと精神的な疲れ、やる気のなさが出てくるのって少しずれるんですよね。なんか、やる気がでなかったり、「調子がいまいちだなー、なんでだろうなー」と思っていると、1週間くらい前に慣れないことをやっていたり、大きなイベントがあったりすることが多かったです。もちろん、イベントの大きさや疲労の程度で、回復の時間も変わってくるのですが、自分自身のこの特徴を、この2年の洞察の中で学んできました。
 こういったことが分かってくるだけでも、今の調子の低下が何によるものであるが、そしてどのような経過をとる可能性が高いのか、ある程度予測がきくようになって、それだけでも、調子を大きくは崩しにくくなります。
 洞察と日記を続けて行くと、こういう気づきも出てくるので、ぜひ、実践中の皆さんも、ご自身の特徴をいろいろと発見してみてください。誰に言わなくても、自分だけがわかっていればいいですし、自分の事について理解することが何より大切なことかと思います。

 さて、今日は、セッションとセッションの間の過ごし方というか、日本独特の文化でもあるこの「間」(ま)にも思いをはせつつ書いてみようと思います。

 SIMTのセッションをやっていると、いろいろな疑問がわいてきます。「本当にこれでやり方はあってるのか」、「自分の瞑想や洞察はうまくいっているのか」、「私は本当に良くなっているのだろうか」などなど。
 この疑問が浮かぶという状態は、なんだかふわふわとしているような、頼りないような、正直なところあまり居心地のいい状態ではないと思います。何か、確信や確固たるものが欲しくなります。
 私の場合、そんな状態でセッションの日を迎え、そこで先生の話を聞いて、「ああ、自分は間違ってなかった」とか、「次はこういう風にやっていけばいいんだ」と方針を見つけたりして、次の1ヶ月間の実習をがんばってきました。そして、また1ヶ月実習をやっていると、新たな疑問や課題が見つかってきて、不安になったりして。。。。という事を繰り返して来たように思います。

 こう書くと、「なんてセッションて大切なんだ」、「セッションにでることが意味のあることだ」と感じますが、果たしてそうでしょうか。
 確かに、セッションで得るものは大きく、そのセッションの中で大きな気づきが得られると、心もすかっとして気分がいいです。なので、セッション自体の大切さを否定するつもりはありません。

 でも、セッション自体もとても大切なのですが、もし私が、「セッションが大切で、セッションに参加したときに学んでくればいい」と、ただ1ヶ月間、何もせずに、セッションだけを繰り返し受けていたとしたら、同じような気づきが得られたでしょうか?
 私自身、今になって考えた時に、そうは思わないんですね。
 結局、セッションでどれだけのものが得られるか、というのは、セッションとセッションの間の1ヶ月に、どれだけ真摯に実践をし、自分に向かい合ったかというということによるように思えるんです。
 やってる方としては、ついつい、セッションに行くといろいろ学べた気がして、そちらに方が大切に思えるんですけどね。
 セッションとセッションの間の悶々としている時にくらべたら、きっと、そういうセッションで大きな気づきを得られたときは、周囲から見ても、表情も明るくなり、新たな目的もみつかったりして、おそらく大きく変化しているのがわかるくらいなんじゃないでしょうか。
 でもその変化をもたらしたのは、まさに、その気づきまでにどれだけ試行錯誤したかということだと思うんです。

 これは、まるで、バネが大きく弾む前に、ぐーっと小さく縮まる時が必要なようなものだと思うんです。
 そとから見ると大きな変化はないかもしれません。むしろ窮屈そうに縮こまっているように見えるかもしれません。自分がバネだとすると、高みを目指して上を見ているのに、バネが縮む時には、むしろ自分が下がっていってしまっているような気がします。後退しているのではないかと不安になります。でも、その時があるから、タイミングが来た時に、大きなジャンプにつながるわけです。ジャンプが大きいから、ついついジャンプの高さばかりに眼が行きがちですが、そのジャンプの高さを決めているのは、その前の縮まり具合による訳です。

 何が言いたいかというと、セッションとセッションの間に、自分の中で疑問が見つかって、自分なりに実践の中で試行錯誤したからこそ、その答えやヒントが与えられたときに、「それだ!」という気づきが得られるのではないかと思います。セッション直後は、すべて理解した気がします。でも、実際に実践していこうとすると、細かい点で疑問がわいてくるものなんですね。姿勢をどうするの?とか、瞑想の時間はこれくらいで足りてるの?とか、洞察はうまくいっているのだろうか?とか。でも、実践をしていないと、分かった気になっているだけで、自信はあるかもしれませんが、そこに前進はありません。
 延びきったままのバネでは、それ以上、いくら押しても跳べるわけないのと同じですね。
 そう考えると、セッションも大切だけど、むしろ、セッションとセッションの「間の時間」にこそ、その本質があるとも言えると思うんです。
 この「間が大切」という考え方は、古来から日本人が大切にしてきた考え方だと思います。
 
 点と点があったら、その点に大きな意味があるというより、その点と点の間の空間が、その点を「たらしめている」、その点に「意味を与えている」といったような考え方だと思います。
 
 そこには、何もないからこそ、眼に見える形がないからこそ、多くのものが含まれている、その中にこそ、本質がある。

 すばらしい考え方ではないでしょうか。

 SIMTで瞑想をしたり、マインドフルネスに過ごしたりしているうちに、そんな事を考えました。
 私たちは、ついつい眼に見える結果とか、形になるもの数えられるに、ついつい価値を見いだしてしまいがちです。
 でも、セッションとセッションの間のもやもやとした時間のように、我々が「意味がない」とか、ネガティブにとらえてしまいがちなところにこそ、大切なものが含まれているのかもしれません。

 今日は、すこしマインドフルネスと離れた話になったかもしれません。
 でも、SIMTが、日本で熟成された禅の思想の中から生まれていることや、日本文化に深く根ざした、より深いマインドフルネスを目指すときに、こういうことは決して無関係な話しではないように、私は思います。

 実践されている方の中には、そんなこと知ってると思っている方も多々いるとは思いますが、おもしろいなと思ってくれる方がいらっしゃったら、何よりの喜びです。

 ではでは、また次回。

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Ko7

Author:Ko7

訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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