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言葉と記憶による制限(進化の代償)

 
 今日は、人間が進化の過程で手に入れてきた能力で、逆に制限されてしまっているということについて、僕なりの考えを書いてみたいと思います。

 人間が、動物と比べ、飛躍的に発展できた一つの理由として、「知性」を手に入れたということが言えると思います。
 では、知性とは何かという事なのですが、「我おもう故に我あり」とは言ったもので、考えることができるようになったという事だと思います。

 では、「考える」上で、非常に大切になるのは何かというと、やはり「言葉」というものが大きいと思います。

 「言葉」というものができるまでは、人に自分の考えを伝えるときにも、物を介さないとできなかったわけです。
 例えば、「熊」ということを伝えたくても、熊そのものがないと伝えられないわけですよね。
 おそらく、そこから、絵をかいたりする中で、それが単純化され、音と結びついて言葉、言語として発展していったのかもしれません。
 その辺の文字や言語の発達については、詳しくないので、あくまで予測の話ですが。

 ただ、言葉をつかえるようになったことで、例えば抽象的な概念、「友情」とか「愛」とか「苦しみ」なんてことも、言葉を使って、人に表現することや、自分の中で思索をめぐらせることができるようになったわけです。

 そして、もう一つ、「記憶」という重要な能力があります。
 これ自体、言語を用いなくても、映像や感覚そのものとしての記憶もあるので、「言葉」とは別の能力かなと思ったのですが、この「記憶」の能力ができたことで、僕らは、危険を予測して回避することができるようになったわけですうね。
 「過去にこういう状況で獣に襲われた」という記憶があるから、同じような状況では、早めに対処することができるわけです。

 この二つは、人類の進化にとって、かけがえのない能力であり、今の大切な能力ではありますが、この能力が高まりすぎて、身近になりすぎて、逆にその能力に縛られて苦しむようなことが起こってきてしまいます。

 というのは、「言葉」はデジタルであり、現実そのものではありませんし、「記憶」ももちろん現実そのものではなく、バーチャルなものなんですね。ただ、それをついつい我々は実体のあるものと勘違いしてしまうんですね。

 例えば、「茶色」という色があったとします。このこの言葉があるから、僕らは、目の前に「茶色」の色がなくても、相手にこの色のことを伝えることができます。
 しかし、「茶色」という色は、現実には、無現にあるはずですよね。明るさ、濃さ、黄色っぽい、赤っぽいなどの色味など、僕らが日常でであう「茶色」は、千差万別で、決してひとつとして同じ色はありません。でも、それをいったら僕が伝えたい「茶色」は永遠に、正確には人に伝えられません。100%同じ色はないのですから。でも、自分の中では、「茶色」という言葉を付け、ある種の色味のものが、「茶色」という言葉と定義づけされて、自分の中に記憶として蓄積されています。それを私自身は「茶色」と名付けているわけです。もちろん、細分化すれば「こげ茶」とか「薄茶」とか、さらなる細分化はできますが、それが「言葉」である以上、現実にある色そのものではなく、そんな茶色たちの様々な違いを切り落とし、同じ「茶色」という言葉の枠組みに入れてしまっているわけです。そして、その枠組みに入ってしまった瞬間に、意識の中では同じ「茶色」というものとして、扱われてしまいます。
 ここに、現実と「言葉」「記憶」に大きな隔たりができるわけです。
 これは、音楽を、細かく切り刻み、デジタル情報として録音している今の技術と基本的には同じです。
 そのほうが、加工したり伝えたりするのには便利ですし、必要なデータスペースも少なくて済むからです。省エネですね。

 実際、このようにデジタルである言葉を駆使したからこそ、人間は複雑なこと、抽象的なことも思考をめぐらせ、考えを深められるようになったわけです。

 ですが、「言葉」に変換されてしまった瞬間、現実そのものから、とても多くの情報が失われていることに気を付けなければなりません。

  例えば、朝、食卓にのぼったパンを見ます。「その瞬間に、あー今日もパンかー」と思ったとします。
 その人の目には、今日そのときの「パン」が映ったはずです。しかし、それが意識された瞬間、それは、「パン」という言語情報に変更されます。そして、その瞬間、以前にパンを食べたときの「記憶」が思い起こされ、今みたパンから、「記憶」の中のパンと情報がすり替わり、意識には、もう、「過去の経験から蓄積された自分の中の情報にあるパン」にすり替わってしまいます。

 この過程は瞬間的に起こっているため、ほとんど意識はされません。

 もしかしたら、今日見たパンは味が違うかもしれません。実はパンのように見える作り物かもしれません。
 我々は、毎日、現実を見ているはずなのです。でも、意識がそれを許しません。
 現実を見ているつもりで、言葉や記憶によって作られた映写機から投影された映像を見ながらそれが本物だと思って生活しているようなものです。

 パニック障害なので、不安がよみがえったり、フラッシュバックなどはその典型的な例ですね。
 些細なきっかけから、それが意識された途端、過去の記憶や感情、感覚が一気によみがえり、現実に起こっていることは些細なことなのに、意識の中では、過去に起こった不安の発作や記憶、感情・感覚そのものが、まるで「今、ここ」で起こっているかのようによみがえってしまいます。

 人間関係においても、そうです。「また、この人、こんなこと言って」と、いつものように受け取ってしまいますが、その言葉は、もしかして、「今、ここ」にしかない重要な表現を含んでいるかもしれません。以前、聞いた言葉と、今聞いた言葉は、果たして同じものかはわかりません。でも、ついつい僕らは、自分の解釈、自分の中で自動で行われた変換の結果を、「今ここ」にあてはめようとしてしまいます。

 これは、人間が進化する中で獲得してきた能力ですので、それ自体が悪いものではないですし、それを止められるものではありません。 「あいうえお」という文字を、ただの図形として眺めろと言われても、日本人で文字を学んだひとではそれは不可能ですよね。

 でも、それ自体は止められなくても、こういった変換が行われ、ついつい「今、ここ」の現実を見逃してしまっていることに、「気がつく」ことはできます。

 それが、マインドフルネスです。

 「今、ここ」に意識を向けるトレーニングをする中で、自分の中で行われている様々な変換や勝手な解釈に気づいていく。
 これは、まさにSIMTでやっている実践そのものです。

 そして、こういった自分の解釈や変換の特徴に気づくことができれば、それを止められなくても、その解釈や変換した結果を、手放すことができるようになってきます。
 これが、マインドフルネスのすごいところです。

 そうすることで、自分の思い込みや自動思考から解放されていき、不安や苦しみ、そういったものから自由になっていくことができます。

 今日は、「言葉」「記憶」」というものから、どうやってそれらに人が縛られてしまい、マインドフルネスはそれをどう改善させることができるかということについて、僕なりの視点で書いてみました。

 勝手な持論を展開してみましたが、もし、少しでも面白いなと思っていただければ幸いです。

 ではでは、スローペースですが、今後も少しずつ更新していきたいと思いますので、よかったらまた訪問してください。
 

意志作用の使い方(実践の葛藤や苦しみをなくすために)


 2月も忙しく終わってしまい、更新が1か月空いて、スポンサー広告が載るようになってしまいました。

 これで、諦めずに地道に更新をしていきたいと思います。
 
 今日は、意志作用の使い方という点についてです。
 以前のブログ記事、{否定してしまう自分を否定しないこと」で、結構、皆さんにコメントを頂き、多くの方が同じように悩んでいることを知りました。
 その点について考えて、2月は文章をまとめていまして、今後、ある雑誌に載せてもらえる予定です。そこで考えたことを今日は少し書いてみますね。

  SIMTの実践を始めたときに、皆さん、「願い」というのがあると思うんです。ほかにも実現したい「価値」というのも。
 「早く治りたい」「元のように元気にくらしたい」「今のつらい状況から抜け出したい」
 いろいろあると思うんです。

 SIMTを実践し継続していくために、その願いはすごく大切です。それがモチベーションになるからこそ続けられるわけです。
 でも、その気持ちが強すぎると、それ自体がSIMTを実践し、マインドフルな状態を習慣づけるための障害となってしまいます。
 そこで、ではどのような方向性で、実践をすすめていったらいいのか、その点を書いてみたいと思います。

  まず先ほども書いたように「願い」「価値」といったものは、実践を続けていく上で、すごく大切です。
 だからこそ、セッション4でもこの「価値」「願い」を確認し、実践を続けることを決意するような課題が取り上げられているわけです。
 でも、僕自身、この課題をやるときに、少々苦しかった記憶があります。
 「がんばれ、がんばれ」と自分に喝を入れているようで。
 それまでも、今の自分を「こんなんじゃダメだ」と繰り返し否定して、「もっとがんばらないと」と生きてきた結果が、うつ病であり、どうにもならない体調の不良だったので、それを、もっとがんばれ、やる気を出せ、と言われているようで、自分で課題をするのがちょっと苦痛だったように覚えています。

 皆さんがそう感じるかはわかりませんし、実際、その「願い」を再確認し続けることは、大切だと思うのですが、自分が最初に思っていた「治りたい」とか「早く良くなりたい」といった理想そのものを、そのまま、今すぐの「価値」「願い」にしてしまうと、苦しくなってくるように思います。
 マインドフルネスを身に着けるためには、まず、この「願い」「価値」を持ちつつも、実践をするときは、一度、それを横において、日々の課題を淡々と行っていくようなことが大切です。

 なぜなら、「価値」「願い」にすぐに近づきたいというのは、「今、ここ」にない状況を自分の頭の中で作り出し、それに自分を近づけようとする作業です。それに対し、マインドフルネスとは、本来、「今、ここ」にない頭の中の勝手な思考や妄想、評価や判断から離れ、「今、ここ」の瞬間に、ありのままの注意を向けることです。
 よく解説本では、「することモード(doing mode)」と「あることモード(being mode)」などと書いてあったりします。

 最近では、一般に「マインドフルネス」という言葉が広がっており、「1日5分の実践で負けない心を作る!」とか、「人間関係が改善するマインドフルネス!」などといったキャッチ―なコピーが本屋でも並んでいます。(今の例はあくまで私の想像です)。

 しかし、「~になるための」というのは、まさしく、「することモード」なわけです。
 今の社会では、この「することモード」が良しとされています。
 目標を立て、それを実現するために、努力する。それを実現するために、無駄を見つけ、判断し、効率化していく。
 そういったことが、学校教育から仕事のレベルまで、あらゆるところでよいこととして、実践されています。

 それ自体が悪いことではないんですが、結局、ストレスとか葛藤というのは、その目標、ゴールと「今ここの自分」の差によって生まれます。目標が高ければ高いほど、「今の自分」からの距離が遠くなり、努力によって埋めなければいけない差も大きいですから、そこに苦しみが生まれます。さらに、今の自分は、ゴールから遠いところにいるわけですから、自己評価も低くなり、常に「自分はまだまだだめだ」という意識が生まれます。
 僕自身も、そういう生き方が良いと思っていたし、それを達成できないのは、自分が弱いからだと思っていました。

 うつや不安障害になる人は、基本的にこういう思考になりやすいと思います。
 その結果として、病気になっているわけですから、同じ方向性で問題を解こうとしても、より問題が大きくなること、複雑かすることはあっても、解決することは期待できないように思います。

 あることモードとは、「今、ここ」の自分を、そのままとして、見つめてあげることです。一度、自分自身の評価や、なりたい自分というのを横において、「ありのままの自分」をみてあげることです。この時、以前のブログにも書いたように、「自分を否定したり評価してしまう自分も、否定しない」ということが大切です。「今は自分はこのレベルなんだ、それが精いっぱいなんだ」と認めて、では、その中でできることはなんだろうと考えると、「淡々と課題を実行していく」ことになるわけです。
 そうすると、何にも変わらないように感じてしまいますが、「今、ここ」の自分を丁寧に洞察していくことで、今まで気が付かなかった自分のいろんな特徴が見えていきます。
 今まで「することモード」で、目標を目指すという生き方では、無駄と思われていたり、評価されなかったこと自分の特徴に、気づくことができるようになってきます。それは、考えることでわかるものではなく、ただただ実践を続けていくうちに、ふっと向こうから語り掛けてくるように、ある時、突然気が付けるものです。

 その方向性が大切なんですね。

  SIMTでは、意志作用を機能的に働かせられるようにトレーニングすることで、うつ病や不安障害からの改善を目指します。
 この時、意志作用のトレーニングというと、ついつい「強い意志をもって、断固として実践を続ける」「何事にも負けないように、意志を鍛える」と勘違いしてしまいますが、そうではありません。
 意志の力を、「今ここにないものを目指し、そちらに自分を合わせる」という方向に使うのではなく、常に「今、ここ」にあるものをただ観察、洞察するという方向へ働かせてあげます。
 感情が動いても、「あ、今、どんな風に動いたかな」「どの程度、動いたかな」、体調が悪くても「それをどこでどんな風に感じているかな」という風に。

 ただ、もし、体調の波が来たり、発作が出たりで、「今、ここ」の観察がつらいときがありますよね。
 そんな時は、どうするか。
 この時に、「なんでこうなってしまったんだろう」とか思考をめぐらすと、かならず体調は悪化してしまいます。
 その時は、観察が難しければ、「今、ここ」の呼吸や身体感覚、目に見えるもの、傾注観察などの方向に意志作用を働かせ、波が去るのを待ってあげるのが良いです。セッション1、2くらいで学ぶ、基本的なスキルをうまく使うわけです。

 観察するときのポイントは、常にHOW(どのように)とかWHAT(何が)、WHERE(どこで)とかの視点が大切です。
 WHY(どうして、なぜ)というのは、理由を考えるために思考のどつぼにはまっていくので、おすすめできません。
 HOWとWHYは似ているのでややこしいですが、あくまで視点は「今、どのように作用しているのか」を見ていくのが大切だと思います。WHYを用いて過去の理由を深く探ってもあまりいいことはないように思います。

 意志作用を、どのように使っていくか。これが、葛藤や苦しみを低減させるために、結構大切だと思うんですよね。
 今日は、簡単にそこを解説してみました。

 あることモードとすることモードの違いや、マインドフルネスではなぜあることモードが大切なのかということについては、背景にある仏教的な哲学を掘り下げていくと、よくわかるのですが、それは少し難しい話になるので、次回にしたいと思います。

 では、今日はこの辺で。またちょくちょく更新していきたいと思うので、ぜひお時間のある時にお立ち寄りください。
 ではでは。
  
 

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鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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