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前回に続いて、SIMTにおける変化の話

 前回は、観察するだけでどのように変化していくかということについて書いてみました。
 様々な衝動と戦わなくても、ただ観察していけばいいんだよという風に書いていますが、こういう風に書くと、衝動に任せてなんでもやっていいのか!という疑問をお持ちの方もいると思います。

 もう少しこのテーマについて引っ張ってみて、今日は、何でもやっていいわけじゃないけど、衝動に任せているとどうなるかを自分でわかってしまうと、もう自分は自然と選択するものが変わってくるということを書いてみようと思います。

 僕は、基本的には、衝動に負けてしまっても別にいいと思っています。ただその結果や、状況、自分の感情、感覚など、詳細に観察していきましょうというのは、前回書いた通りです。

 ただ、衝動にまけてしまっても良いと言っても、インパクトの大きすぎることに関しては、その後のリカバーが当然のことながらかなり大変になってしまうので、そういう衝動があっても、そこは止めるべきだと思います。
 具体的に言ったら、自殺を完遂しようとするとか、法を犯すとか、覚醒剤をやるとか。
 実際にやってしまった人も、そこで人生が完全に終わるわけではなく、どんな人にも新に人生をつくっていくチャンスはあると思うでの完全に否定はしませんが、やらない方がいいというのは、普通にこのブログを読んでくださる方なら同意していただけると思います。

 しかし、自分のちいさな悩み程度のことなら、別にやってしまってみてもいいんじゃないでしょうか。 
 一回、無茶食いをしてしまうとか、仕事をちょっとさぼってみるとか、お酒を飲み過ぎる、とかそんなたぐいのことは。
 そんな自分を許したら、どんどん暴走して、自堕落な人間になってしまうのではないかと思うかもしれません。

 でも、そこで大切なのが、「観察、洞察だけは続けていくこと」だと思うのです。
 なぜなら、観察や洞察だけを続けて入れば、自然と自分の選択することが変わってくると思うからです。
 そしてその変化は、外から強要されたり、自分で「こうでなければ」と葛藤を抱えるのではなく、自然と訪れると思うからです。

 例を挙げてみると、前回の食欲で言えば、「食べたい」という欲求があるときは、食べてもいいんですね。
 でも、どういう時に、どれくらい食べるとどうなるかということは、身体や心が正直に返事をしているはずなんですね。
 例えば、仕事が終わって解放されて、ついつい食べ過ぎたとします。それを後悔する必要はないのですが、ちゃんと洞察、観察を、その時だけではなく、日常の何気ない生活に取り入れて勧めていくと、例えば僕の場合なら、夜の食事をとりすぎたときは、翌朝の胃の膨満感がまったく違うことに気がつきます。朝の身体のだるさや、胃にまだ食べ物が残っている感じがあります。
 それは、食べる内容によっても違います。脂っこい物、甘い物など、食べた後、その後しばらくして、と、時間経過とともに身体に表れる兆候、精神的な部分への影響などかなり違うことが分かってきます。
 と同時に、食欲が仕事が忙しく大変な日ほど、終わった後の食欲も強いことが分かってきました。おそらく、食べるということによる充足感、満足感を脳が得ようとしているような印象があります。

 ここで、大切なのは、食べることによる身体の影響をしったのと同時に、ついつい無茶食いしていた「食欲」というのも、自分の中である種の役割をもっていたことが見えてくるのです。
 
 これを、ただ「食べ過ぎはいけない!」とか、「こういったものは食べちゃダメ」と知識のレベルで押さえ込んでいたら、おそらく解放されないストレスが、何らかの違った病気や症状として出てきていたかもしれません。

 もちろん、それは推測の域をでませんが、こういったことに気づいてくると、もう問題は「食欲そのもの」ではなく、その強い食欲を起こす、仕事の取り組み方の方になってくるんですね。じゃあ、仕事自体が悪いかというと、そういうわけではなく、そこも洞察や観察を続けていきます。どんな仕事だとどんな気分になるか、それから解放されるとどう感じるかを丁寧に見ていく、ということをただただ続けていきます。

 また、食べるものによる体調の変化、精神的な影響が見えてくると、自然と食べるものも体調により選べるようになってきます。
食べた結果で自分が不快になると分かっていたら、自然とそういった物は摂らなくなってきますよね。

 これは、たばこ、酒、異性とのつきあい、賭け事、などいろいろ嗜好はありますが、結果として、自分が本当に不快だと感じる物は自然ととらなくなります。もし、それでもとりたい気持ちが出たり、そういった事を繰り返してしまう場合は、その行為により、不快以上に大切な何かを、自分がその行為から得ていることになります。例え、紛らし行動だとしてもです。
 だから、その何かが見えてくるまでは、その行為を無理にやめることは、むしろ予想外のところで自分に害がでる可能性があります。

 たとえ話をしますね。
 ある部屋にいるとします。そこでどんどん床から水があがってきます。それはどうしようもないため、必死に手持ちのバケツで、部屋の水を窓から捨てていくわけです。それでも、どんどん水がたまってくるので、バケツでくみ出す事をやめるわけにはいきません。
 でも、よく見ると、水を捨てている窓は、別の部屋につながっており、そこから自分の部屋に水が流れ込んできていることがわかりました。
 そうしたら、まだその窓から水をすてようとしますか?
 自然と水を捨てる場所を変えますよね。そして、水を捨てるのと同時にどこから水が流れ込んでくるのか、その場所を探し始めると思います。そして、穴を見つけたら、その穴をふさぐことを考えますよね。
 もし、穴をふさぐことができなかったら?
 水を掻き出すのはやめますか?
 きっと、必死に水を掻き出すよりは、例えば流れ込んでくる水を排出するパイプをつくるとか、何らかの対策をとるはずです。
 自分の今いる状況や、その周辺などが見えていくれば、自然と、自分自身がより楽になるような手法を考えていくはずです。

  この水を捨てている行動が、自分が衝動的にとろうとしている行動かもしれません。おぼれるといけないから、とりあえず必死に水を掻き出している。
 それ自体は、生き延びるためにその時は必要な行為なんですね。でも、状況がもっとよく見えてくると、自然ともっと自分が本当に楽になる方法を選択するようになってくると思うんです。

 そうすると、自然と、いわゆる昔から健康的といわれている物を食べ、人をだましたりなどせず、盗みや法を犯すこともしなくなってくると思うんです。大切なのは、「してはいけない」のではなく、「実感として、それをすることは自分の為になっていないとわかっているから、自然とそうしなくなってくる」ということだと思うんですね。

 これはちょっと飛躍した話になるかもしれないのですが、どんな宗教や文化にもだいたい戒律というものがあるように思います。
 「盗みを働くなかれ」とか、そういうやつですね。
 以前、子供がたまたまキリスト教系の幼稚園に行っていたこともあり、牧師さんが書いた本で十戒について解説していたことがありました。疎覚えなので正確ではないかもしれませんが、十戒自体も、原文は、「~していけない」という命令というか禁止の分体で書かれていたのではなく、「~しません」というただの否定の文章だったというようなことが書かれていたように思います。
(間違ってたらすみません)
 おそらく、マインドフルネスな状態が身近になり、仏教で言うところの悟った人や、どの宗教でも精神的に高みに言った人というのは、「~してはいけません」というよりは、自然と「いや、僕はそういうことはしないかな」という感覚になっていくのではないかと思う野です。「いやー、ウソをついてもいいけど、あんまり自分の特にはならないから、僕ならウソはつかないかなー」みたいな。

 そう書いたのは勝手な推測なんですが、SIMTの実践を続けていると、自然と、自分の生活自体もそんなに無茶をしなくなってくるように思います。なぜなら、自分の行為が起こす結果による自分への影響、他者への影響、そしてそれがまた自分に返ってくる結果などが、自然と見えてくるからのように思います。
 そして、自分のパフォーマンスはより発揮できる環境を自分で整えていけるように思います。
 もちろん、それは遅々としたあゆみで、まだまだ悩みも煩悩も多くありますが、そういった形で、自然と生きると言うことがしやすくなってくるように思うのです。

 数回にわたって、マインドフルネスによって起こる変化といものが、どういうものなのか。そして、それは、変化を起こすというよりも、洞察・観察の結果として自然と起こってくるものだということを書いてみました。

 このテーマは、とても奥が深く、僕自身も日々まだ取り組んで行っている課題ですので、また新たな視点や考えが出てきたら、文章にしていこうと思っています。

 本日も長文おつきあいいただきありがとうございました。
 わかりにくい表現や的外れもあると思いますが、読んでいただいた方、それぞれにとって、少しでも参考になるところがあれば幸いです。
 ではでは、年内は最後の更新になるかと思います。皆さん、良いお年を。

SIMTにおける「変化」の起こり方


  前回の記事では、SIMTの実践では、ある状態を作り出す、強く目指すというより、ただ、今の状態を確認し名づけていくだけで実践内容としてはOKという記事を書きました。
 否定してしまう自分すら否定せず、ただ今の状況がどうであるか、どのようなことが自分の中に起こっているかを確認して名前を付ける、ただそれだけで良いというお話でした。

 では、もっと上達しよう、こんな自分を変えよう、変化させよう、そういったことをしないで、なんで改善していくのでしょう。
 現状を変えようとせずに、どうやって変わっていくというのか。
 そういった点について、今回書いてみようと思います。

 ここが、SIMT、そしてマインドフルネスの大変興味深いところで、ここが実家として理解できたら、おそらくマインドフルネスは一段上達した領域になっているんじゃないかと、勝手に思っているところです。

 ただ「気づく」だけで、もう前と同じではいられないんです。

 いくつか例を挙げて書いていこうと思います。
 
 例えば、自分が「ダイエットしたいと思っているけど、どうしても食べてしまう」「食べないで痩せるなんて無理!」という人がいて、いつも、「そんなに食べるべきではないのに、食べてしまう」という葛藤に陥っているとします。

 僕自身、これをいくら「食べたい、でも食べてはいけない」という我慢と葛藤のレベルで戦っていても、その戦いは決して終わることのない、勝つことのない戦いになってしまうのではないんだろうかと考えています。

 というのは、「食欲」自体は決して「悪」ではなく、人間が身体をもって生まれている以上、かならず存在するものなのですね。
 それを「無くそう」とか「コントロールしよう」としても、それは、大自然を相手に喧嘩を売っているようなものです。
 たとえば、天気が雨だからそれを意志の力で「止めよう」としても、止められないですよね。
 それと同じだと思うんです。
 
 じゃあ、どうしたらいいんだ、という時に大切なのが、「気づくこと」「気づき続けること」そして「知ること」です。

 ダメだと思うのに、無茶食いしてしまう時、後で後悔しますよね。「やってしまった」と落ち込むと思います。頑張ってやろうと思えば思うほど、落ち込みの波も大きいものになります。

 前回の記事で書いたように、ここでやるのは、とにかくこの状況で起こっていることを、徹底的に観察し、名前をつけチェックしてくことです。
 「今回は、ポテチを買って一袋、一気に食べてしまった」
 「その結果、今、後悔や罪悪感という感情が生じている」「その感情を身体は体の重さとだるさという感覚で感じている」
 「食べた結果、胃がもたれて、軽い吐き気という感覚もある」
 「どうしていつもやめられないんだろうという思考が渦巻いている」
 と、その状況を観察していきます。評価してしまっている自分も、ただ観察し、名前をつけていきます。

 この時点では、状況はなんにもかわりません。すでに起こってしまっていることで、起こってしまった状況は、すぐに変えることはできません。こぼれた水を戻せないのと同じです。

 でも、引き続き観察を続けていきます。

 「ポテチを一袋食べると、胃の膨満感は、翌朝まで残るけど、朝を抜くと、昼くらいにはだいぶ改善する」
 「仕事中の昼ご飯は、そこまで食べなくても、仕事があるからそこまで気にならない」
 「仕事終わりのコンビニで強い空腹感を感じる」
 「テレビを見ながら食べてたら、満腹感は感じないうちに、食べきっていた」
 「ポテチだと、胃がもたれる感じがでるけど、パンだとそこまでの感覚はでない。でも、まったくないわけじゃない」
 
 こういったように、日々の食べることも含めた観察をとにかく続けていくことが大切です。
 
 ここの観察で重要なのは、「自分がこれは観察したほうがいいだろう」とか「これは食欲と関係あるのではないか」ということだけでなく、できるだけ、日常生活で何気なくやっていることも、できるだけ徹底的に観察を続けていくということです。もちろん、できる範囲で構いません。

 時には、「ポテチではもたれるから、おでんを買ってみた」ということをしたときに、「結局、食べてしまったら、やっぱり苦しくて、落ち込んだ」ということもあるかもしれません。そして、それが何回かあるかもしれません。でも、「ポテチでも、大きさが小の袋のものは、一袋食べてももたれは軽かった」
 「今日は、帰りのコンビニでも、そこまで空腹感がなかった」
 「そういえば、帰ってくる前に会社で、ゼリーを一つ食べてきた」といった事実がわかるかもしれません。

 そういったように、自分が食べること、食欲に関連することが、だんだん観察を続けているうちに自然と浮かびあがってくるんですね。
 
 「同じ夜食でも、油が控えめのものがそこまででなそうだ」とか「翌日が休みの場合は、多少食べてもそこまで影響はない。でも、ポテチでいったらこの量まで、おでんなら、この程度までの話」とか、「どうやら、仕事で締め切りが近くなった時の方が、食欲は強いかもしれない」「そういう日は、我慢しようとしても、どうしても負けてしまう」

 といった、情報が集まってきます。
 
 この段階になると、食欲自体の存在は、以前と大きく変わりはありません。強い空腹感に負けて食べてしまう日もあるかもしれません。 でも、その食欲と付き合う方法が見えてきます。自分が関与できるポイントと、そうでないポイントが少しずつ分かってくるんですね。
 そうすると、食欲がたとえあっても、それ自体怖いものではなくなってきて、戦う相手ではなくなってくるんです。
 同じ「食べたい」といっても、それが常に同じではなく、強いとき、弱いとき、我慢できる程度の時、そういったことが分かってくるんですね。
 以前は、「食欲」という得体のしてない塊と戦っていたものが、「食欲」といっても、日々の自分の状態、環境、など様々な影響で変化しているものの一部ということが分かってくるんです。

 そうすると、前ほど食欲に振り回されることがなくなります。
 この段階になると、自分の食欲をある程度、破滅的な結果をもたらさず満たす方法も分かってくるので、前ほど、そのことで落ち込むような結果を招くことが少なくなってきます。
 
 これは、部屋で、いくら「どうやったら食べないですむか」「食欲に勝つ方法はあるか」といったことを考え続けても決してでてくる方法ではありません。誰かが書いた本をいくら探しても、載っていないものです。

 でも、むしろ自分の生活にとって、一番やりやすい方法が、ただ観察をするだけで見えてくるのです。

 結果として、本当に不思議なのですが、そのころには、食欲自体も落ち着いてくることが多いです。たぶん、「食欲」を無理に止める必要もなく、戦わなくても付き合っていけばいいとわかって、自分の中でその存在の重要度が下がってくるからかもしれません。

 なんとなく、観察を続けるだけで、変化してくるのが分かっていただけたでしょうか。

 大切なのは、「変えてやるために観察してやろう」、「ポイントを見つけだしてやろう」という強い姿勢でやるというより、ただただ、起こってきたことにそっと名前を付けて、あとは忘れちゃうくらいのつもりでやることが大切です。

 なぜなら、自分の中で重要なことは、かならず繰り返されており、どんなに忘れようと思っても、同じような局面が10回、20回、続いていくと、自然と「あれ、そういえば、この状況前にあったなー」と、気づくときがやってきます。
 そのうえで、また同じような状況があれば、「もしかしてこの状況は、、、、」と思って、予想した結果がおこり、「やっぱり」ということが必ず起こってきます。
 
 そうすると、その結果が、自分にとって好ましくないものであれば、自然と「じゃあ、こう対処したらどうなるだろう」と、ほかの方法をとろうとしてくるものなのですね。だって、好ましくないというのは、もう気づいたときにわかっちゃうわけだから。
 その対処が、うまくいっても、うまくいかなくても、それを何十回とやっていると、その中で、多少効果があるものが、また自然と残ってくるんです。だって、明らかにうまくいかないものをそう何度も繰り返す人はいないじゃないですか。ただ、この時も、何回か同じ失敗(と思われる結果)を体験するのは自分に許してあげましょうね。それも、ひとつの貴重な経験です。

 そして、概して、この気づきで得られる情報は、それまでまったく思いもしなかった関連や事実であることがほとんどです。
 無意識にっていうのはそういうことです。もし、今の時点で思いつくような事柄、アイデアは、すでに意識の中にあるものです。
 無意識は、意識できないからこそ、無意識なのです。

 そして、その無意識の中から、必要な情報を浮かび上がらせてしまうというのが、このマインドフルネスの、SIMTのすごいところだと思います。

 いくつか例を書こうかと思っていたのですが、すっかり長くなってしまったので、今日はここで終わりにしたいと思います。

 また、何か他のわかりやすい例を見つけたときは、改めて書いてみたいと思います。

 ではでは、今日はこの辺で。巷ではノロウイルスやインフルエンザが流行ってきているようですね。
 お互いに気を付けましょう。

 今日もお付き合いありがとうございました。次回もよかったら読んでください。

 
 
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プロフィール

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Author:Ko7

訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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