前回の記事では、SIMTの実践では、ある状態を作り出す、強く目指すというより、ただ、今の状態を確認し名づけていくだけで実践内容としてはOKという記事を書きました。
否定してしまう自分すら否定せず、ただ今の状況がどうであるか、どのようなことが自分の中に起こっているかを確認して名前を付ける、ただそれだけで良いというお話でした。
では、もっと上達しよう、こんな自分を変えよう、変化させよう、そういったことをしないで、なんで改善していくのでしょう。
現状を変えようとせずに、どうやって変わっていくというのか。
そういった点について、今回書いてみようと思います。
ここが、SIMT、そしてマインドフルネスの大変興味深いところで、ここが実家として理解できたら、おそらくマインドフルネスは一段上達した領域になっているんじゃないかと、勝手に思っているところです。
ただ「気づく」だけで、もう前と同じではいられないんです。
いくつか例を挙げて書いていこうと思います。
例えば、自分が「ダイエットしたいと思っているけど、どうしても食べてしまう」「食べないで痩せるなんて無理!」という人がいて、いつも、「そんなに食べるべきではないのに、食べてしまう」という葛藤に陥っているとします。
僕自身、これをいくら「食べたい、でも食べてはいけない」という我慢と葛藤のレベルで戦っていても、その戦いは決して終わることのない、勝つことのない戦いになってしまうのではないんだろうかと考えています。
というのは、「食欲」自体は決して「悪」ではなく、人間が身体をもって生まれている以上、かならず存在するものなのですね。
それを「無くそう」とか「コントロールしよう」としても、それは、大自然を相手に喧嘩を売っているようなものです。
たとえば、天気が雨だからそれを意志の力で「止めよう」としても、止められないですよね。
それと同じだと思うんです。
じゃあ、どうしたらいいんだ、という時に大切なのが、「気づくこと」「気づき続けること」そして「知ること」です。
ダメだと思うのに、無茶食いしてしまう時、後で後悔しますよね。「やってしまった」と落ち込むと思います。頑張ってやろうと思えば思うほど、落ち込みの波も大きいものになります。
前回の記事で書いたように、ここでやるのは、とにかくこの状況で起こっていることを、徹底的に観察し、名前をつけチェックしてくことです。
「今回は、ポテチを買って一袋、一気に食べてしまった」
「その結果、今、後悔や罪悪感という感情が生じている」「その感情を身体は体の重さとだるさという感覚で感じている」
「食べた結果、胃がもたれて、軽い吐き気という感覚もある」
「どうしていつもやめられないんだろうという思考が渦巻いている」
と、その状況を観察していきます。評価してしまっている自分も、ただ観察し、名前をつけていきます。
この時点では、状況はなんにもかわりません。すでに起こってしまっていることで、起こってしまった状況は、すぐに変えることはできません。こぼれた水を戻せないのと同じです。
でも、引き続き観察を続けていきます。
「ポテチを一袋食べると、胃の膨満感は、翌朝まで残るけど、朝を抜くと、昼くらいにはだいぶ改善する」
「仕事中の昼ご飯は、そこまで食べなくても、仕事があるからそこまで気にならない」
「仕事終わりのコンビニで強い空腹感を感じる」
「テレビを見ながら食べてたら、満腹感は感じないうちに、食べきっていた」
「ポテチだと、胃がもたれる感じがでるけど、パンだとそこまでの感覚はでない。でも、まったくないわけじゃない」
こういったように、日々の食べることも含めた観察をとにかく続けていくことが大切です。
ここの観察で重要なのは、「自分がこれは観察したほうがいいだろう」とか「これは食欲と関係あるのではないか」ということだけでなく、できるだけ、日常生活で何気なくやっていることも、できるだけ徹底的に観察を続けていくということです。もちろん、できる範囲で構いません。
時には、「ポテチではもたれるから、おでんを買ってみた」ということをしたときに、「結局、食べてしまったら、やっぱり苦しくて、落ち込んだ」ということもあるかもしれません。そして、それが何回かあるかもしれません。でも、「ポテチでも、大きさが小の袋のものは、一袋食べてももたれは軽かった」
「今日は、帰りのコンビニでも、そこまで空腹感がなかった」
「そういえば、帰ってくる前に会社で、ゼリーを一つ食べてきた」といった事実がわかるかもしれません。
そういったように、自分が食べること、食欲に関連することが、だんだん観察を続けているうちに自然と浮かびあがってくるんですね。
「同じ夜食でも、油が控えめのものがそこまででなそうだ」とか「翌日が休みの場合は、多少食べてもそこまで影響はない。でも、ポテチでいったらこの量まで、おでんなら、この程度までの話」とか、「どうやら、仕事で締め切りが近くなった時の方が、食欲は強いかもしれない」「そういう日は、我慢しようとしても、どうしても負けてしまう」
といった、情報が集まってきます。
この段階になると、食欲自体の存在は、以前と大きく変わりはありません。強い空腹感に負けて食べてしまう日もあるかもしれません。 でも、その食欲と付き合う方法が見えてきます。自分が関与できるポイントと、そうでないポイントが少しずつ分かってくるんですね。
そうすると、食欲がたとえあっても、それ自体怖いものではなくなってきて、戦う相手ではなくなってくるんです。
同じ「食べたい」といっても、それが常に同じではなく、強いとき、弱いとき、我慢できる程度の時、そういったことが分かってくるんですね。
以前は、「食欲」という得体のしてない塊と戦っていたものが、「食欲」といっても、日々の自分の状態、環境、など様々な影響で変化しているものの一部ということが分かってくるんです。
そうすると、前ほど食欲に振り回されることがなくなります。
この段階になると、自分の食欲をある程度、破滅的な結果をもたらさず満たす方法も分かってくるので、前ほど、そのことで落ち込むような結果を招くことが少なくなってきます。
これは、部屋で、いくら「どうやったら食べないですむか」「食欲に勝つ方法はあるか」といったことを考え続けても決してでてくる方法ではありません。誰かが書いた本をいくら探しても、載っていないものです。
でも、むしろ自分の生活にとって、一番やりやすい方法が、ただ観察をするだけで見えてくるのです。
結果として、本当に不思議なのですが、そのころには、食欲自体も落ち着いてくることが多いです。たぶん、「食欲」を無理に止める必要もなく、戦わなくても付き合っていけばいいとわかって、自分の中でその存在の重要度が下がってくるからかもしれません。
なんとなく、観察を続けるだけで、変化してくるのが分かっていただけたでしょうか。
大切なのは、「変えてやるために観察してやろう」、「ポイントを見つけだしてやろう」という強い姿勢でやるというより、ただただ、起こってきたことにそっと名前を付けて、あとは忘れちゃうくらいのつもりでやることが大切です。
なぜなら、自分の中で重要なことは、かならず繰り返されており、どんなに忘れようと思っても、同じような局面が10回、20回、続いていくと、自然と「あれ、そういえば、この状況前にあったなー」と、気づくときがやってきます。
そのうえで、また同じような状況があれば、「もしかしてこの状況は、、、、」と思って、予想した結果がおこり、「やっぱり」ということが必ず起こってきます。
そうすると、その結果が、自分にとって好ましくないものであれば、自然と「じゃあ、こう対処したらどうなるだろう」と、ほかの方法をとろうとしてくるものなのですね。だって、好ましくないというのは、もう気づいたときにわかっちゃうわけだから。
その対処が、うまくいっても、うまくいかなくても、それを何十回とやっていると、その中で、多少効果があるものが、また自然と残ってくるんです。だって、明らかにうまくいかないものをそう何度も繰り返す人はいないじゃないですか。ただ、この時も、何回か同じ失敗(と思われる結果)を体験するのは自分に許してあげましょうね。それも、ひとつの貴重な経験です。
そして、概して、この気づきで得られる情報は、それまでまったく思いもしなかった関連や事実であることがほとんどです。
無意識にっていうのはそういうことです。もし、今の時点で思いつくような事柄、アイデアは、すでに意識の中にあるものです。
無意識は、意識できないからこそ、無意識なのです。
そして、その無意識の中から、必要な情報を浮かび上がらせてしまうというのが、このマインドフルネスの、SIMTのすごいところだと思います。
いくつか例を書こうかと思っていたのですが、すっかり長くなってしまったので、今日はここで終わりにしたいと思います。
また、何か他のわかりやすい例を見つけたときは、改めて書いてみたいと思います。
ではでは、今日はこの辺で。巷ではノロウイルスやインフルエンザが流行ってきているようですね。
お互いに気を付けましょう。
今日もお付き合いありがとうございました。次回もよかったら読んでください。