このところ、書くことがいつも同じようなことになってしまっているかなーと思いますが、ひとつのことを色々な角度から書くことは、それなりに意味があることかなと思うので、今日も書いてしまいます。
マインドフルネスは、そしてSIMTは、皆さん何かを得たくてやっているんだと思います。何かを変えたくて、うつを治したくてやっているんだと思います。
この「変化したい!」「治したい」という気持ちはすごーく大切です。
この気持ちがあるからこそ、日々の実践を続けていこう!と思うのです。
でも、やればやるほど苦しくなる。
そんなときが、特に実践をし始めてから少し慣れてくるとあるかもしれません。
ここには、誰しもぶつかってしまうSIMTやマインドフルネスのポイントがあるんじゃないかと思います。
そこについて、今日も書いてみますね。
SIMTを実践し始めるのは、この手法の特徴として、うつや不安障害に悩むかたが多いと思います。
一刻も早く、今の自分を変えたい!この状況から抜け出したい!そういう気持ちが強いのではないかと思います。
そうやってSIMTをはじめて見たけれど、呼吸法を続けて、心理現象に名前を付けてとやっていくけど、ネガティブな思考はどんどんわいてくるし、自分で評価もしてしまって、ちっともよくなっている感じがしない!受容なんて無理無理!
そんな状況を経験されている方は多いんじゃありませんか?
この状況、ちっともうまくいっていないように見えますが、マインドフルネスの観点からいうと、すごく上達している、もしくは、きちんとマインドフルネスができている、と言えると思うのです。
こういった相談を受けたりしたとき、僕は、「あー、この方、すごく一生懸命されていて、すごく洞察ができているなー」と思ってしまったりします。
というのも、SIMTにおいて(マインドフルネスにおいて)、大切なことは、「自分を変化させる」ということではないと思うんです。
大切なのは、「今、ここにある自分や状況を、ありのままに観察すること」なのです。
だから、極端にいうと、「思考を膨らませてしまうこと」や「自分を評価してしまうこと」だって、やってしまってもいいんです。
もちろん、それが続くと、自分自身がつらいから、思考を膨らませないことや自分を評価してしまうことを止められたリ、やめられたリできたらそれが一番です。
ただ、実践を続けていらっしゃる方ならだんだんわかってくると思うのですが、「思考を膨らませてしまうこと」や「自分を評価してしまうこと」、そして、そんな自分に対して「落ち込んでしまうこと」、といったものは、どれも自分の力でコントロールなんてできないものなのです。
でも、SIMTの本には、「思考を止める」、「評価をしない」、「受容する」って書いてあるじゃない!と思うかもしれません。
実際、僕も、以前のブログで同様のことを書いてきています。
しかし、こと実践し始めのころ、特に、自分で「受容」とか「評価しない」なんてできないなーと感じている段階のころは、基本的に、上記のことは、「自分の力では変えられない」と思っていたほうがいいように思います。
じゃあ、何のためにやっているのかということなのですが、現実的には、実践を続けていくと、「思考を止められるようになってくる(というか連鎖しにくくなってくる)」、「評価をしなくなってくる」、「受容できるようになってくる」ということは事実なのですが、いずれも、自分の力で思考の連鎖が続いてしまっているものを、起こさなくできるとか、評価をしている自分をやめてしまえる、とか、なんでもかんでも受け止められる!なんてことではないんです。
SIMTの実践を続けていると、自然と、結果として、「自分が思考していることが、自覚できるようになってくる」→「結果として、無意識な連鎖が減る」、「評価をしていた前提自体が消えてしまうため、いつの間にか評価をする必要がなくなった」とか、「受容できているのかどうかわからないが、前ほどそのことについていろいろ考えなくなっているので、受容できているのかな」とか、そんなもんです。結果として、起こりにくくなっているというだけで、自らの力で自分自身を変化させているというよりは、自分の中のどうにもならない部分を悟って、それに対しては無駄な抵抗をしなくなるという感じかもしれません。
ここを勘違いして、「SIMTが上手にできる人、こういったことがスマートにできているはずだ!」「自分の努力が足りないから、需要ができないんだ」とか「自分がへたくそだから、思考が止められないんだ」、「意志の力が足りないんだ!」などと思ってしまうと、それ自体が、評価、思考、感情をどんどん沸き上がらせ、どんどんつらくなってきます。そんなものを続けられるはずがありません。やればやるほど、つらくなってしまいます。
そういった状態の時は、じゃあ何をすればいいかというと、そんな自分自身に起こっていることを、ただ、チェックだけすればいいんです。「あ、また思考に走っちゃったな。」「評価しちゃったな」「つらくなったな」、「また落ち込んだな」とか、これができていれば、SIMTの実践は、まず合格点なんです。
思考に走っても、評価しちゃってもいいんです。それに「気づいてさえ」いれば。
そして、「受容」というのは、「うまくいかない自分、うまくいかない状況を、すべて穏やかな心で、受け入れられること」ではないんですね。マインドフルネス、そしてSIMTにおける「受容」というのは、「否定しない」ということに近いように思います。
どんなことに対しても、できるだけ「否定しない」ということなんです。
でも、注意してくださいね。「うまくいかなかった」と自分を否定したら、そんな自分も「否定しない」ことなんです。
矛盾しているようですが、「否定してしまう自分をも、否定しない」ということです。
だから、「気づけてさえ」いれば、OKなんです。自分が否定した、思考した、評価した、落ち込んだ、そういった事実に「気が付いて」さえいれば、それが、受容したということなんだと思うんです。
だから、そういう風に僕は思っているので、相談なんかを受けると、「今、自分が思考や評価をしてしまっている」ということがわかっているだけで、「あー、この人は、しっかり実践をしているじゃないですか」と思ってしまうのです。
問題があるというか、もし変えたほうがいいものがあるとすれば、「思考をしてしまう自分」とか「評価してしまう自分」の方ではなくて、「もっと理想的な状態があるはずだ」、「こういう良い状態に早くなりたい、なれるはずだ」という妄想の方だと思います。
なので、自分がSIMTの実践で、「うまくいかないなー」と思ってしまったときは、すぐに「うまくいくって、何?」、「今の自分は、こんなもんだ、このしょうもない自分と感じるけど、これが今の僕の姿だ」と確認して、それができればOKとしています。
そして、「今は、この程度でも、合格点」と自分に一度いいきかせ、また観察にもどるようにしています。
評価をすれば、落ち込みます。思考を連鎖すれば、落ち込みます。でも、そうなっちゃったら、もうそれは自分の力では消せません。あとは、「今の自分は、こんなもんだ」と思って、今、その瞬間に自分に起こっていること、その状況を観察して、ただ「名前をつけて、意識を今(呼吸など)に戻す」ということをしていきます。どこまでも、どこまでも、この「きづくこと」「観察すること」を続けていきます。
たとえ、「こんな状況で、またおちこんじゃったよ」とか、「またダメかも」と思っても、100%同じ状況というのは、決してありません。その落ち込み具合はどの程度なのか、身体のどこでそれを感じているのか、その時、目の前の状況はどんなか、そういったとを、その落ち込んでいる自分とともに、ただ観察してください。少しでもその状況に「気づけて」、名前を付けられていればそれで合格です。
でも、そうやって繰り返していくと、だんだん、自分の特徴が見えてくるんです。どういった思考が繰り返されているのか、状況と思っていたものの中でも、特にどんな要素が影響しているのか、自分の中のどんな評価が繰り返し働くのか、そして、その評価は本当に機能しているのか。そういったものが、自然と見えてきます。
ここで強調しておきたいのは、こういったことは、ただただ、観察、洞察を積み重ねていった結果、自然と見えてくるものです。
決っして、「自分にはどんな特徴があるだろう」「自分の中のどんな評価が悪さしているだろうか」と、座って考えていて見つかるものではありません。それは、さらに自分の中に、自分の思い込みを作る作業であり、自分をどんどん追い詰めてしまいます。
理想像をつくって、自分を苦しめてしまうのと同じですね。
だから、実践を始めると、いろいろなことが見えてきて、そして、自分の思い通りにならなくて、苦しい時期がかならず来ます。
でも、それは普通のことなんです。みんなが、体験していることです。
だからこそ、思い切って、「自分なんて思い通りにならないもの」と割り切っちゃいましょう。
そして、自分にできること=呼吸法、名前付け、洞察
そういったことを、ただただ、息をするがごとく、ただただ繰り返していきましょう。かならずその先に、見えるものができていますし、
そういう風に、割りきっちゃうと、続けることも少し楽になりますよ。
実際、僕がこうやっていえるようになるにも、SIMTの開始から2年すぎくらいからでしょうか。今、3年間ほどになりましたが、そんなもんです。もちろん、そこまでいくまでにも小さな気づきはいっぱいあったし、体調も少しづつ回復はしましたけどね。
前々回のブログでも書いたように、たとえ洞察や呼吸法をやり始めて、やり方を覚えても、脳が変わるのには時間が必要です。
その時間を待てずに、すぐの「変化」を期待するのは、今日、腕立て伏せを10回やって、「いつになったら、100㎏のバーベルを持ち上げられるかな」って毎日考えていくようなものです。
それを目指すことは、すごくいいこと、続ける力かもしれませんが、その結果を期待しすぎてしまうと、トレーニングがつらくなっちゃいますよね。でも、ただただ、そういった実践を続ける先に、100㎏のバーベルを持ち上げられる日がくるかもしれません。
さて、今日は、実践をやり始めて誰しもがぶつかりやすい問題について書いてみました。問題といいつつも、このことに気づくということ自体、成長なんですけどね。
初心者の方向けという感じですが、これと同じようなことは、状況を変えて繰り返し自分に起こってきます。僕も、いまだに今回書いたような方法で、自分の中の「評価」や「どうにもならない感情や思考」と対応しています。
ぜひ、何かと困難を感じている方も、あきらめずに実践をお続けください。おそらくあなたが思っている以上に、実践自体はうまくいっているのだと思いますよ。あとは、肩のちからを抜いて、今やっている実践を、無理なく続けていくことが大切です。
ではでは、今日はこの辺で。今回も、お付き合いいただきありがとうございました!
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