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包み込んで映すための僕なりのコツ

 今日は、SIMTを実践していく中で、僕自身が、自分の中に生じてくる出来事を、「そのままにする」ために工夫しているコツを紹介したいと思います。
 あくまでこれは、僕自身のコツであり、大田先生がおすすめしている方法ではないので、参考程度にお読みください。
 
 でも、ちょっとした工夫ってみんなそれぞれ身に付けて行く上でしていると思うんですよね。「それが絶対的に正しい」と考えちゃうと間違いのもとになりますが、こういう人が、こう考えてこういう工夫をしているという過程を知ることは、SIMTを学ぶ上で参考になるかなーと思って今回、書いてみようと思います。

 上記の「そのままにする」というのは、独善的な評価や価値判断を加えず、起こっていることをまっすぐに観るという事です。
 つまり、SIMTのセッション最初の頃にある、「つつんで映す」という心の使い方の事です。
 SIMTの非常に基本的なテクニックでありつつ、一番奥が深く、難しい部分と言ってもいいかもしれません。僕自身は、これがちゃんとできるようなら、SIMTのかなり大きな部分を身に付けたといっても良いかなと思うくらいの事です。

 でも、この感覚って、感覚だけに伝えるのが非常に難しく、この感覚をつかむのが難しいんですよね。そして、一瞬はそういったことをできても、どんな場面でも、生活の中でもこの心の使い方を実践していくというのは、すごく訓練が必要なことです。
 それだけ、ついつい起こってきたことに独善的な評価や判断を我々はしていってしまうということなのですが。
 
 なので、過去のブログでもこの部分については繰り返し取り上げていると思います。
 今回も、同じ事を取り上げているわけですが、この「そのままにする」ということをより上手にできるようになるために、自分なりに日々工夫をしているので、最近している工夫を書いてみたいと思います。

 座って瞑想、呼吸法をしながら、自分の中に生じてくる現象に、「思考」「感覚」など名前をつけていく作業は、わりとやりやすく、この訓練をやって、「そのままにする」感覚、「包んで映す」感覚を練習していきますが、なかなか難しいのは、実生活の中でもこれをしていくことです。
 特に、「そのままにする」ということをしようと心がけると、ついつい、評価してしまう自分、思考に入ってしまう自分に対して、「ダメだ評価をしてしまった」と考えてしまいがちです。しかし、この「ダメだ、評価をしてしまった」と考えること自体、「評価」なわけです。
 そして、そんな自分を、さらに「ダメだ。。。」と考えてしまい、無限ループに入ってしまいがちです。
そうすると、その「評価」が行なわれた瞬間に、気分が落ち込んだり、身体が重く感じられたり、症状がでてきたり、様々な反応が自動的に出てきてしまいます。これは止められないので、そうして、「評価」を繰り返して調子を崩していったしてしまいます。

 なので、「そのままにする」というのは、評価してしまう自分に対しても、「そのままにする」ことが大切です。
 しかし、「そのままにしよう」と思っても、ついつい「またやっちまった」と考えてしまいます。
 そりゃそうです。できれば、そのままにしよう、思考に入らないようにしよう、とやっているのに、自分が思考や評価をしてしまったら、やっちまったと思うは当然です。

 なので、僕が徐々にできるようになってきた過程として、まずやったこと、工夫したことは、「がんばりすぎない。さらに上を求めすぎない」というものです。
 「良くなりたい、治りたい、もっと上達したい」、この気持ちはすごく大切です。これがなければ、SIMTの実践を続けることはできません。しかし、この気持ちが強くなりすぎてしまうと、逆に自分を苦しめる結果になってしまうわけです。なぜなら、期待が大きくなるほど、うまくいかなかったときに、その反動として、「やっちまった」と評価をしてしまいがちだからです。
 僕が、徐々に自分の思考や評価と距離をとれるようになってきたとき、「もう、できる範囲でいいや。できる範囲のことをやってけば、そのうちわかるだろう。今は、よくわからなくてもそれでいいや」と、ふっきれた後だったように思います。
 洞察がうまくいかない、気づいたら、洞察せずに1日がすぎてしまっている、洞察をしようとしていても、すぐに思考に飲み込まれてしまう。こういったことが続いて、「あーなんてダメなんだ」と思ったりしたのですが、そういうことを考えていることも評価だし、これ以上望んでも今よりすぐうまくはできないと思い、「調子を崩していた期間が7年間あったんだから、治るのに7年間くらいはかかってもしょうがない!」と覚悟を決めて、ただただ、気づいたら「今、ここ」に意識を戻すというのを繰り返していきました。そして、「やっちまった」と思っても、そう思うのも、今のレベルならしょうがないと割り切って、ただただ淡々と実践をやっていきました。
 
 まず、この思い切りというか、良い意味でのあきらめみたいなのが、良かったように思います。そうやって、その日の洞察に結果を求めすぎないで、自分自身の瞑想や洞察のでき自体も、評価をあまりせずにそのままにできるようになるにつれて、日常の生活や他人とのやりとりでも、生じる様々な感情やできごとを、「そのままにする」ことができるようになってきたような気がします。

 最近、考えたのですが、以前から書いているように、僕はSIMTを身に付けることって、言葉を習得したり、自転車をのれるようになったり、筋トレをしたりすることと同じように思うんです。
 いくら筋肉をつけたい、言葉を早く身に付けたいと思っても、1日に10時間、15時間とやり続けても、その日にできるようになるものではないですよね。筋トレにいたっては、早く筋力をつけたいからといっても、2時間も3時間も同じトレーニングをやり続けていたら、筋力がつく前に身体をこわします。
 筋力をつけたいという気持ちは大切だと思うんです。でも、その気持ちが強くなりすぎて、その日のトレーニングに結果を求めすぎるよりも、その気持ちはちょっと横に置いておいて、疲れすぎない程度のトレーニングを、ただ淡々と続けていく方が、1ヶ月、2ヶ月と立ったときに、「あれ、前より頑張らなくても、重い物を持ち上げられるかも」とか「楽になったかも」と気づくことがあると思うんです。

 なので、まずひとつは、「がんばりすぎないこと、多くをもとめないこと」というのは、ひとつポイントかなと思います。

 もうひとつ、工夫をしているのは、自分の中で起こってきた事に対して、「いいんだよ、今はそれでいいんだよ」と一言、投げかけてあげる事です。
 というのも、上記に書いたように、「早くよくなりたい」という気持ちがあるので、洞察がうまくいかなかったり、おもったように症状が改善しないとき、調子に波が出てきたときに、ついつい「またダメだとか」とか「失敗だ」と、ネガティブな評価をしてしまいがちなわけです。特に、鬱になったり、不安障害であったりして、自分のコンディションが悪いときは、自己肯定感が低下してますから、自分に対して、厳しい評価をしてしまいがちです。ベースとして、マイナスの方向に思考や評価が傾きがちなわけですね。
 だから、思考に流れてしまっている自分に気づいたとき、思考に飲み込まれて感情を騒がしてしまったとき、自分についついがっかりしてしまったとき、そんな自分に対して、そして、生まれてしまった感情や症状に対して、「早くなくなれ」とか「こんな風に考えちゃだめだ」と思わずに、「あー、今、ネガティブモードが働いているんだね、いいんだよ、今はそれでいいんだよ。今、ネガティブモードになっているこのに気づけたら、今の時点ではそれで100点だよー」と、自分の中の一見、ネガティブに思える出来事につぶやいてあげるようにしてました。
 そうすることで、すぐにその感情やネガティブモードがなくなるわけではないのですが、そのネガティブモードをさらに評価し、「だめな自分」悪循環に入ることは少なくなったように思います。そうして、自分の「自己評価モード」から距離をとれるようになってくるに従い、前述のように、他の事に対しても「そのままにする」ことができやすくなってきたように思います。

 それともう一つ、「評価モード」から自分を抜け出すために、「観察モード」に切り替えるということも工夫としてやってました。
 自分自身で、負の感情が浮かんだり、体調がわるくなったり、思考に流れやすいときに、「良い、悪い」といった評価をしなくても、lすむように、観察日記をつけるように、「今日のネガティブモードレベルは、10点満点で6点だな」とか、「この落ち込み具合は、80点くらい!結構、つらいかも」というように、数値化してみたりしていくと、自然と、単純に善悪、良い悪いといった評価の間で苦しまなくて済むようになってきました。また、こういった点数にしたり、レベルにしたり、ゲームに例えて、「レベル3。これならクリアできる」といったようにしていくと、自分の中でどの程度の反応であったら、普通に収まるのか、それぞれのレベルの反応に対して、どのような対策を立てられるのかといった部分でも参考になりました。

 本当に不思議なことなのですが、こういったことを繰り返して行き、自分の中のネガティブな反応や部分に対しても、許容できる範囲が広がるにつれて、不思議と、日常生活においても洞察やそのままにする感じができてくるようになり、また、鬱の症状や気分の波も起きにくくなっていきました。

 今思えば、最初のうちは、「評価しない」、「そのままにする」といいつつも、自分がやりたいと思ったことだけ、そうしようとしていて、本当にどんなことに対しても、その態度をやろうということをできていなかったんだと思います。頭ではわかっていても、実は、生活の隅々まで、自分の思考パターンの隅々まで、この「良い悪い、善悪評価モード」は入り込んでいるんだと思うんですね。だから、「そのままにする」「包み込んで映す」という態度を身に付けて行くためには、繰り返し、繰り返し、どんな状況でも、どんな条件でも、今、ここに起こっている事に対して、それをトライしていくことが大切なんだと思います。

 とは言っても、今も僕も試行錯誤の最中です。また、何か自分なりの工夫ができてきたらここに書いて見たいと思います。

 蛇足ではありますが、「評価をしない」といっても、生活をして、仕事をして、何かを判断していく過程では、評価もしますし、決断もします。ただ、そういったとき、繰り返しでてくる「善し悪し評価パターン」とも呼べる癖がかならず潜んでいるんですね。だから、そういった「善し悪し評価パターン」を見極めるためにも、まずは、すべての評価に対して、一瞬でもいいから「そのままにする」瞬間、習慣を作っていこうというのが、SIMTの基本的スキルである「包み込んで映す」という事なんだと思います。

 本日も長文におつきあいありがとうございました。
 何かご参考になることがあったら幸いです。

意志的自己と叡智的自己(意思作用の訓練と心の葛藤)

 
 久しぶりの更新になってしまいました。子供達も夏休みになり、何かと休まらない日々を送っています。

 今日は、意志的自己と叡智的自己という事について自分の経験を元に考えを書いてみたいと思っています。
 というのも、最近、SIMTの実践を続けていく中で、以前にもまして、日々の生活や仕事の中でストレスを感じる頻度が減ってきているように感じているからです。そして、なんでそんなに楽になっているかというと、それは自分の中での葛藤というのがすごく減ってきているからだと考えています。
 その葛藤がなぜ減ったのかというのを考えた時に、この意志的自己と叡智的自己というものに考えが至ったわけです。

 まず、意志的自己と叡智的自己というものについて簡単に書いてみたいと思います。
 SIMTの理論的背景となっている西田幾多郎の哲学では、いわゆる自己、自分とは何かというものについて、段階があると言っているようです。ここからは僕も大田先生の受売りで、西田哲学をしっかり勉強したわけではないので申し訳ないですが、正直、西田先生の文章だけを読んでも、意味はサッパリ分かりません。
 大田先生の書かれたマインドフルネス入門という本に叡智的自己について書いてあったりしますが、それも何回読んでもわかりませんでした。
 しかし、大田先生に会ってお話を聞いたり、SIMTの実践の中で気づきを積み重ねていくうちに、自分なりにこういうものなのかなというのが分かってきたので、それを踏まえて書いてみたいと思います。

 まず、普通、「私とは何か」という事を考えた時に、「今、感じ、考えている私が『私』だ」と思うと思います。
 これは、知的自己とか概念的自己、思惟的自己といったものです。
 このレベルでは、「私は、どう感じて、どう考えるかによって私というものが決まり、それによって行動している」といった感じだと思います。そして、この思考をしているレベルは、まさに鬱になって抜け出せないでいる時の状態で、様々なネガティブな思考が頭を巡り、「なんてだめな自分なんだ」と自分=ダメだとなっている状態です。

 そこで、意志的自己とは何かとう事ですが、様々な思考や感情、感覚を感じつつも、それを眺めて横に置いておけるような状態です。SIMTで訓練をしている意思作用、注意の作用というのは、このレベルの訓練の事になります。
 思考や感情など、様々な作用が自分の中で働いていて、そして、意思をもって、自分の注意作用を動かしたり、分配したりして、呼吸法を行なっていったり、洞察を繰り返して行ったりしていきます。
 それは、単に思考の波にのまれているより、もう一回り大きな自己であるわけです。
 思考や感情、感覚といった作用をつつんでいるというか、内に收めて、それをある程度、意思の作用で止めたり動かしたりしているという意味で、概念的自己、感情的自己、感覚的自己というものより一段階深い自己であると言えます。
 
 大田先生も、この意志的自己を訓練することで、不安障害や鬱は、改善し寛解させることができるとおっしゃっていました。
 特に、セッション前半でやるような訓練は、この注意作用をトレーニングし、自分の意思の力をうまく働かせる訓練と言えます。
 実際に、セッション前半のスキルを身に付けることで、僕自身も、様々な深いな症状や調子の波自体を抑えることはできませんが、それでも、そのような症状や波を感じながらも、それをくぐり抜けていくことが可能になってきました。
 症状や調子の波にパニックにならず、必要な対処を行なっていくことができるようになり、日常生活や仕事への復帰などができるようになっていきました。

 確かにこの段階で、症状は軽くなり、大きな問題は解決されます。しかし、自分の症状、調子の波、生活に対する不安など、消えたわけではなく、あくまで共存できるようになってきたとうレベルです。

 それが、無くなってきたというのはどういうことかと考えると、そこで、もう一つ深い自己のレベル、叡智的自己というレベルが関係してくるように思いました。
 これは、セッション後半の本音をさぐったり、日常生活の中で洞察を繰り返して行く訓練を続けていくことで達成されるように思います。
 意志の作用を用いて、自分の中に生じてくる感情的な出来事、怒り、不安などなど、様々な現象を、そのままにしつつ観察して、どうしてそのような感情が生まれたのか観察していくと、その背後に、様々な本音、評価の基準があることが見えてきます。
 それは、今までまったくあたりまえで、自然に生じていた感情であっても、よくよく、繰り返し観察していくと、かならずその背後には、その感情が生まれる理由となった評価をしていることに気がつくはずです。
 その評価が行なわれているために、感情や気分が生まれ、自分の中に様々な葛藤が生まれ、ストレスを生じさせています。
 その評価自体の洞察をさらに繰り返していくと、過去の経験や記憶といったものに気づくようになります。
 そういった評価やそれによって生まれる感情は、瞬間的に起こり、自然に起こってきてしまうものなので、自分の意思の力をもってしても、止められるわけではありません。むしろ、それを止めようとしてしまったり、無くそうとしてしまうと、それがさらなる評価や葛藤につながり、感情はむしろ暴れ出します。
 ただ、そう評価したり、その結果、葛藤や感情が生まれたことに気づいてあげるだけでいいんです。
 日常の様々な事の中で、生まれては消えて行く、そういった葛藤や感情、その元になる評価に気づいてあげるだけでいいんです。
 そうして、その評価基準が生まれるもととなった記憶や過去の経験までたどりつくと、一時的に感情が大きく揺さぶられることはあるんですが、しばらくすると、その評価自体が自分のある経験から生まれた独善的なものだと理解できてくるのか、自然と、感情の動揺や葛藤は少なくなっていきます。自分の勝手な評価に気づいて、それを横に置いておいてあげることができるからです。

 しかし、生活の様々な場面では、常に決断を迫られ、行動をしています。そうすると、意思作用を使って、自分の中の勝手な評価やそれによって生じる感情を、横においておくように繰り返していっても、この状況であるなら、自分はこのように行動しようという選択肢がかならず浮かんできます。それは自分の中からでてくるものではありますが、感情や勝手な思い込みではなく、その状況をきちんとみつめた上で、フッとわき上がってくるように、決断や行動が内から生まれてくる感覚です。
 その結果が良いにつけ、悪いにつけ、それ自体にも評価をせずに受け止めるのですが、またそこでも感情や評価は横においておきながら、次の瞬間の状況にあった行動や選択が自然と生まれてきます。
 このように、意思作用を常に働かせて洞察を続けていくと、その先に、「行動する自分」というのが、自然とでてくるのです。
 その行動には、不安や迷いというものがあまりなく、「こういう状況ならこうしよう」というのが、すっと自然と出てくる状態です。
 この「行動している自分」というのが、まさに叡智的自己です。
 このような自己を頻繁に経験するようになってくると、この「行動する自己」の状況においては、迷いや不安が限りなく少なくなっているので、葛藤もなく、結果としてすごくストレスの少ない生き方をできるようになります。

 僕自身、常にこの状態になれているわけでは決してありませんが、自分の感情や思考の働きを常に洞察していると、その感情や思考、自分自身の勝手な評価に気づき、それに惑わされずに行動できる頻度が増えてきているので、日常で感じるストレスがすごく減ってきているんじゃないかと考えています。

 この叡智的自己に至るためのスキルは、セッション後半で学んではいて、そのための基本的なスキルはセッション前半で学んだ、注意の分配や心理現象への名前付けといったものになるのですが、おそらく、セッション10までの10ヶ月で完全に身に付けることは不可能かと思います。僕自身も、セッション開始後、もう3年くらいになりますが、やっと最近、このあたりのことが自分なりの考えではありますが、掴めてきているかなといった感じです。

 でも、実践を丁寧にやり続けていれば、絶対にこういった状況になっていけます。
 感情や症状、体調、ストレス、そういったものを自分の力で押さえこむことは不可能ですが、実践を続けることで、自然とそういった問題が生じにくくなってくるのです。
 確かに、意志的自己、意思作用の訓練だけで、体調は劇的に改善はします。
 しかし、生きて行くと言うことは、本当に様々なできごとが起こります。今までに予想しなかった挫折や困難、ストレスも襲いかかって来るわけです。僕自身、まだまだそういったものすべてに立ち向かえると自信をもって言える状態ではありませんが、自分を深くみつめ、洞察し、叡智的自己のレベルまで自分を深めていくと、そういったことが来ても、自分なりに対処していけるのではないかという自信が少しずつですが育ってきます。
 そして、ストレスが減り、葛藤がなくなることで、生きていくのがすごく楽になり、日々の生活に幸せを感じることができるようになってきました。つらい時には、自分の子供ですらも負担に感じ、自分の子供をかわいいと思えない自分はなんと残酷な親なんだと自分を責めたときもありましたが、子供をかわいいと思える感情も、自然とわいてくるようになりました。

 僕は、SIMTには、本当にうつや不安障害を始め、様々な問題、状況を解決する力があると思っています。
 ぜひ、今、苦しい中にいる方も、あきらめず、希望をもって実践を続けていただけたらなと思います。
 
 時間はかかります。一歩一歩のあゆみはゆっくりですが、でも、着実に前に進めます。
 ぜひ、あきらめず頑張ってください。

 今日は、僕自身が考える意志的自己、叡智的自己について、そして、それによりどのように自分の中のストレスや葛藤が減っていくかを書いてみました。ちょっと理屈っぽい話しになったかと思いますが、わからなくてもまったく問題はありません。
 実践を続けて、体験を通して感じれば、自然と分かってくるものです。決して頭だけで理解するものではないと思います。

 ではでは、長文おつきあいありがとうございました。
 また、何か気づいたことがあったら、更新をしていきたいと思います。

 
 
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プロフィール

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訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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