久しぶりの更新になってしまいました。子供達も夏休みになり、何かと休まらない日々を送っています。
今日は、意志的自己と叡智的自己という事について自分の経験を元に考えを書いてみたいと思っています。
というのも、最近、SIMTの実践を続けていく中で、以前にもまして、日々の生活や仕事の中でストレスを感じる頻度が減ってきているように感じているからです。そして、なんでそんなに楽になっているかというと、それは自分の中での葛藤というのがすごく減ってきているからだと考えています。
その葛藤がなぜ減ったのかというのを考えた時に、この意志的自己と叡智的自己というものに考えが至ったわけです。
まず、意志的自己と叡智的自己というものについて簡単に書いてみたいと思います。
SIMTの理論的背景となっている西田幾多郎の哲学では、いわゆる自己、自分とは何かというものについて、段階があると言っているようです。ここからは僕も大田先生の受売りで、西田哲学をしっかり勉強したわけではないので申し訳ないですが、正直、西田先生の文章だけを読んでも、意味はサッパリ分かりません。
大田先生の書かれたマインドフルネス入門という本に叡智的自己について書いてあったりしますが、それも何回読んでもわかりませんでした。
しかし、大田先生に会ってお話を聞いたり、SIMTの実践の中で気づきを積み重ねていくうちに、自分なりにこういうものなのかなというのが分かってきたので、それを踏まえて書いてみたいと思います。
まず、普通、「私とは何か」という事を考えた時に、「今、感じ、考えている私が『私』だ」と思うと思います。
これは、知的自己とか概念的自己、思惟的自己といったものです。
このレベルでは、「私は、どう感じて、どう考えるかによって私というものが決まり、それによって行動している」といった感じだと思います。そして、この思考をしているレベルは、まさに鬱になって抜け出せないでいる時の状態で、様々なネガティブな思考が頭を巡り、「なんてだめな自分なんだ」と自分=ダメだとなっている状態です。
そこで、意志的自己とは何かとう事ですが、様々な思考や感情、感覚を感じつつも、それを眺めて横に置いておけるような状態です。SIMTで訓練をしている意思作用、注意の作用というのは、このレベルの訓練の事になります。
思考や感情など、様々な作用が自分の中で働いていて、そして、意思をもって、自分の注意作用を動かしたり、分配したりして、呼吸法を行なっていったり、洞察を繰り返して行ったりしていきます。
それは、単に思考の波にのまれているより、もう一回り大きな自己であるわけです。
思考や感情、感覚といった作用をつつんでいるというか、内に收めて、それをある程度、意思の作用で止めたり動かしたりしているという意味で、概念的自己、感情的自己、感覚的自己というものより一段階深い自己であると言えます。
大田先生も、この意志的自己を訓練することで、不安障害や鬱は、改善し寛解させることができるとおっしゃっていました。
特に、セッション前半でやるような訓練は、この注意作用をトレーニングし、自分の意思の力をうまく働かせる訓練と言えます。
実際に、セッション前半のスキルを身に付けることで、僕自身も、様々な深いな症状や調子の波自体を抑えることはできませんが、それでも、そのような症状や波を感じながらも、それをくぐり抜けていくことが可能になってきました。
症状や調子の波にパニックにならず、必要な対処を行なっていくことができるようになり、日常生活や仕事への復帰などができるようになっていきました。
確かにこの段階で、症状は軽くなり、大きな問題は解決されます。しかし、自分の症状、調子の波、生活に対する不安など、消えたわけではなく、あくまで共存できるようになってきたとうレベルです。
それが、無くなってきたというのはどういうことかと考えると、そこで、もう一つ深い自己のレベル、叡智的自己というレベルが関係してくるように思いました。
これは、セッション後半の本音をさぐったり、日常生活の中で洞察を繰り返して行く訓練を続けていくことで達成されるように思います。
意志の作用を用いて、自分の中に生じてくる感情的な出来事、怒り、不安などなど、様々な現象を、そのままにしつつ観察して、どうしてそのような感情が生まれたのか観察していくと、その背後に、様々な本音、評価の基準があることが見えてきます。
それは、今までまったくあたりまえで、自然に生じていた感情であっても、よくよく、繰り返し観察していくと、かならずその背後には、その感情が生まれる理由となった評価をしていることに気がつくはずです。
その評価が行なわれているために、感情や気分が生まれ、自分の中に様々な葛藤が生まれ、ストレスを生じさせています。
その評価自体の洞察をさらに繰り返していくと、過去の経験や記憶といったものに気づくようになります。
そういった評価やそれによって生まれる感情は、瞬間的に起こり、自然に起こってきてしまうものなので、自分の意思の力をもってしても、止められるわけではありません。むしろ、それを止めようとしてしまったり、無くそうとしてしまうと、それがさらなる評価や葛藤につながり、感情はむしろ暴れ出します。
ただ、そう評価したり、その結果、葛藤や感情が生まれたことに気づいてあげるだけでいいんです。
日常の様々な事の中で、生まれては消えて行く、そういった葛藤や感情、その元になる評価に気づいてあげるだけでいいんです。
そうして、その評価基準が生まれるもととなった記憶や過去の経験までたどりつくと、一時的に感情が大きく揺さぶられることはあるんですが、しばらくすると、その評価自体が自分のある経験から生まれた独善的なものだと理解できてくるのか、自然と、感情の動揺や葛藤は少なくなっていきます。自分の勝手な評価に気づいて、それを横に置いておいてあげることができるからです。
しかし、生活の様々な場面では、常に決断を迫られ、行動をしています。そうすると、意思作用を使って、自分の中の勝手な評価やそれによって生じる感情を、横においておくように繰り返していっても、この状況であるなら、自分はこのように行動しようという選択肢がかならず浮かんできます。それは自分の中からでてくるものではありますが、感情や勝手な思い込みではなく、その状況をきちんとみつめた上で、フッとわき上がってくるように、決断や行動が内から生まれてくる感覚です。
その結果が良いにつけ、悪いにつけ、それ自体にも評価をせずに受け止めるのですが、またそこでも感情や評価は横においておきながら、次の瞬間の状況にあった行動や選択が自然と生まれてきます。
このように、意思作用を常に働かせて洞察を続けていくと、その先に、「行動する自分」というのが、自然とでてくるのです。
その行動には、不安や迷いというものがあまりなく、「こういう状況ならこうしよう」というのが、すっと自然と出てくる状態です。
この「行動している自分」というのが、まさに叡智的自己です。
このような自己を頻繁に経験するようになってくると、この「行動する自己」の状況においては、迷いや不安が限りなく少なくなっているので、葛藤もなく、結果としてすごくストレスの少ない生き方をできるようになります。
僕自身、常にこの状態になれているわけでは決してありませんが、自分の感情や思考の働きを常に洞察していると、その感情や思考、自分自身の勝手な評価に気づき、それに惑わされずに行動できる頻度が増えてきているので、日常で感じるストレスがすごく減ってきているんじゃないかと考えています。
この叡智的自己に至るためのスキルは、セッション後半で学んではいて、そのための基本的なスキルはセッション前半で学んだ、注意の分配や心理現象への名前付けといったものになるのですが、おそらく、セッション10までの10ヶ月で完全に身に付けることは不可能かと思います。僕自身も、セッション開始後、もう3年くらいになりますが、やっと最近、このあたりのことが自分なりの考えではありますが、掴めてきているかなといった感じです。
でも、実践を丁寧にやり続けていれば、絶対にこういった状況になっていけます。
感情や症状、体調、ストレス、そういったものを自分の力で押さえこむことは不可能ですが、実践を続けることで、自然とそういった問題が生じにくくなってくるのです。
確かに、意志的自己、意思作用の訓練だけで、体調は劇的に改善はします。
しかし、生きて行くと言うことは、本当に様々なできごとが起こります。今までに予想しなかった挫折や困難、ストレスも襲いかかって来るわけです。僕自身、まだまだそういったものすべてに立ち向かえると自信をもって言える状態ではありませんが、自分を深くみつめ、洞察し、叡智的自己のレベルまで自分を深めていくと、そういったことが来ても、自分なりに対処していけるのではないかという自信が少しずつですが育ってきます。
そして、ストレスが減り、葛藤がなくなることで、生きていくのがすごく楽になり、日々の生活に幸せを感じることができるようになってきました。つらい時には、自分の子供ですらも負担に感じ、自分の子供をかわいいと思えない自分はなんと残酷な親なんだと自分を責めたときもありましたが、子供をかわいいと思える感情も、自然とわいてくるようになりました。
僕は、SIMTには、本当にうつや不安障害を始め、様々な問題、状況を解決する力があると思っています。
ぜひ、今、苦しい中にいる方も、あきらめず、希望をもって実践を続けていただけたらなと思います。
時間はかかります。一歩一歩のあゆみはゆっくりですが、でも、着実に前に進めます。
ぜひ、あきらめず頑張ってください。
今日は、僕自身が考える意志的自己、叡智的自己について、そして、それによりどのように自分の中のストレスや葛藤が減っていくかを書いてみました。ちょっと理屈っぽい話しになったかと思いますが、わからなくてもまったく問題はありません。
実践を続けて、体験を通して感じれば、自然と分かってくるものです。決して頭だけで理解するものではないと思います。
ではでは、長文おつきあいありがとうございました。
また、何か気づいたことがあったら、更新をしていきたいと思います。