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自己洞察瞑想療法の講習会なども始めました! → マインドフルネス@つくば

本質をとらえるということ


 今日は、マインドフルネスだけの話しではなく、一般に技術などを伝えていく、もしくは学ぶ時に大事だなーと感じたことがあったので、それについて書いてみたいと思います。

 それは、本当に伝えたいこと、身に付けたいことは、言葉にはできない、そして形にできないものであるが、それを伝える手段は、言葉や形に頼るしかないということです。

 とても大きな矛盾があるのですが、その矛盾を理解した上で学んでいくことが大切だと思います。

 どういうことかというと、自分でマインドフルネスに日々取り組みながら思うことは、ここでも繰り返し書いておりますが、頭で理解している、知識として持っているというのと、実践できる、体得しているというのとはまったく別の事であるということです。

 SIMTの本の中でも、10に分かれているセッション事に様々な課題があり、それに取り組むことで、SIMTの実践を身に付けて行くわけですが、どんなに繰り返し読んで知識として理解したとしても、課題の実践が伴わないとそれを本当の意味で理解したとは言えないし、改善効果も見込めません。
 当たり前の話しなのですが、逆に言うと、課題の中で、その本質にあるものを実感し、それを身に付けることができれば、課題のやり方にはこだわらなくても良いということです。
 
 もちろん、だから何をやってもいいと言うわけではありません。あくまで「本質を実感できる範囲においては」ということです。
 なので、まったく白も黒も分からない段階においては、課題をその通りやってみることが大切だと思います。
 そして、そこから先、「このような感覚が、この課題が伝えたいものだ」というのがある程度理解できたら、それを多少変更したりするのは、おそらく問題ないのだと思います。

 例えば、呼吸法のところでも、「目を開けてやる」「背筋を伸ばしてやる」などと書いてありますが、これは「目を開けていなければならない」「背筋を常に伸ばしていなければならない」ということを書いているのではないと思います。
 マインドフルネスな状態を導くにあたり、今、ここに意識をおくこと、そのために眠くならないようにすること、呼吸が整ってくることで、意識も体調も整ってきやすいこと、などの理由から、やるんであれば、「目を開けていた方が眠くもならないし、良い姿勢でやったほうが呼吸もしやすく、体調も整ってきやすいよ」ということだと思うんです。
 でも、呼吸法のところに「目を開けてやる」とか「背筋を伸ばしてやる」と書いてあると、ついつい、「目を開けているとうまくできないから、もう呼吸法はできない」とか、「良い姿勢を維持しようとなると苦しくなってしまう」「良い姿勢をとれない」とついつい、「目を開ける」もしくは「良い姿勢」ということにとらわれてしまって、否定的な気持ちになってしまったり、逆にそれにこだわってそれが目的になってしまったりします。
 さらには、「良い姿勢は、腰をこういう風に伸ばして、脚はこういう姿勢が正解で、そうでなければ正しいSIMTの呼吸法ではない!」なんて思い詰めちゃったりする可能性が出てきます。

 大切なのは、「今、ここ」に一番属している「呼吸」というものに意識をむけることで、ふわふわと過去や未来、そして思考の世界を漂いがちな意識を、自分の意思作用を使って「今、ここ」に戻すことを繰り返していくことです。
 それを繰り返していくことで、呼吸と自分の体調との関連が「実感」されてきますし、また自分の意識が無意識に「今、ここ」以外のことに流れてしまっている感覚が実際に体感としてわかるようになり、その状態になったときに気がつけるようになってきます。

 だから、そのような訓練ができて、そういった感覚を実感できるようになれば、かならずしも「目を開けたままで行なう」とか「背筋を伸ばして」とかにこだわらなくても良いのです。

 ただ、実際に、呼吸法や思考への気づきの訓練をして、瞑想などを行なっていくと、自然と目を開けていたほうが眠くなりにくいかなー、思考に流れにくいかな-と思いますし、良い姿勢でやった方が、瞑想もやはり眠くなりにくく、呼吸もしやすいなーと思うわけです。

 だから、経験者の人からにまだ未体験者、未経験者の人が、「どのようにしたら、SIMTを実践、体得できますか?その時の呼吸法はどのようにやったらいいですか?」と聞かれれば、「目を開けてやった方が、いいと思うよ、背筋は伸ばしてやったほうが良いと思うよ」という事になるわけですね。

 これが、僕が最初の部分で書いた、伝えたいこと、本質は、言葉や形にできないものであるが、それを伝えるには、言葉やある形を通してでしかできない、といった事です。

 SIMTにおいて、マインドフルネスにおいて、身に付けるもの、本質とは、まさに「ある状態」というか、「感覚」です。
 それは、本来、言葉では完全には表せない、決まった形としては表現できないものだと思います。
 でも、それを身に付けた人の実践には、共通点があるのも事実だし、ある種の共通した表現、あらわれがあるのも事実です。

 だから、たぶん、それを学ぶ場合は、常に、「その表現する言葉や型の意味するところはどのような感覚か」というのを、常に意識して取り組んで行かねばならないように思います。
 そして、「その意味するところ」というのは、常に実践において、理解される物であるはずです。
 その言葉を、繰り返し唱えて、思考のなかで、「こういう意味なんじゃないか、いや、こうじゃないか」と考えて考えてひねり出すというものではなく、実際の実践を繰り返すなかで、「どうやらこういう感覚のようだ」と気づいてくるもののように思います。

 なぜなら、思考でひねり出した答えには、常に、自分の独善的な評価というものが入ってくるからです。
 もしSIMTやマインドフルネスの実践の中で、その意味するところ、答えのような物が見えてくるとしたら、そういった評価を徹底的に排除して言った結果として、残ってくる形のないもののように思うからです。

 僕自身、今、身体の動きにも興味をもち、研究会にたまに顔を出したりしているのですが、武道の世界には、「体認」という言葉があります。頭で、「このように動かせばよい」と理解するのではなく、「身体で実感し、認識し体得する」という事です。

 マインドフルネスにおいても、この「体認」というのがすごく大切なように思います。

 僕も、今現在も、実践中の実であり、様々な先生方の話を聞いたり、本を読んだりする機会があります。
 そういったときに、それぞれの先生の話の中には、一見、矛盾したり意味不明なものもあるかもしれません。
 でも、それをすぐ「正解、間違い」といった視点で見るのではなく、その意味するもの、伝えようとするものを意識しつつ、実践の中で、自らその伝えようとしていた感覚をつかみ取って行くことが大切なんではないかと思っています。

 SIMTの実践をし始めると、「鑑に映す、包んでうつす」という意味がわからなかったり、「本音をさぐる」の本音とはなんなのかという疑問が浮かんだり、悩むことが結構あります。でも、そんなとき、すぐに「正しい、間違い」などの判断をせずに、そのもやもやとした気持ちがることも許容してあげながら、一つひとつの課題を丁寧にやっていくことが大切だと思います。
 そうすると、その実践の中で、「あ、この感覚が、あの言葉の意味だったのか」と気づく時が、きっと出てくるのではないでしょうか。

 結局、マインドフルネス中心のお話になってしまいましたが、同じような事は古来よりいろいろな方がおっしゃっているようです。
 ある人は、その言葉や型にとらわれてしまうことを、
 「アレを見ろと指をさしているのに、指の指し示す先はみないで、指先の爪の部分を見つめているようなものだ」と形容しているとういう話しをどこかで聞いたことがあります。うまい言い方だなと思います。

 直接、実践の助けにはならないかもしれませんが、マインドフルネスを学んでいく上で、大切なことじゃないかなと思い、書かせていただきました。
 今回も、おつきあいありがとうございます。またよかったら次回も読んでください。
 ではでは。

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Author:Ko7

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鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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