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SIMTを学ぶ過程で、状況により重点をおくポイントについての考察


 いよいよ蒸し暑い日が増えてきましたね。
 寝苦しい日も多くなり、体調を崩しがちな季節です。十分に気をつけながら日々生活していきましょう。

 今日は、SIMTを習い学んでく過程において、こういう状況、自分のマインドフルネスの進展具合で、どのようなところに重点を置いて学ぶと良いかという点について、考察してみたので、よかったら参考にしてみてください。

 SIMTを学んでいく過程って、結構大変ですよね。
 やること自体は、そんなに大変な課題はないのですが、でも調子の悪いときに課題をやっていくってやっぱり大変だと思います。
 欧米のマインドフルネスや認知行動療法が、いわゆる再発予防に力を入れられてるのも、そういった理由があるのではないでしょうか。課題を遂行していくって、調子が悪くてダウンしている時は、中々できないと思うからです。

 でも、SIMTも、そのように体調が改善し、ある程度良くなってから始めなくちゃならないのかというと、そういうわけではないように思います。
 
 僕が経験した感じからは、調子が悪い人こそ取り組んで欲しい、始めて欲しいと思う部分もあるからです。
 だって、良くなってから始めるんだったら、一番必要としている人の所には、助け船が出せないということじゃないですか。
 それでは、あまり意味がないと思うんです。やはり、つらい人にこそ活用して欲しい。そういうものこそ、本物だと思うし、それが大切だと思うんです。まあ、そんな個人的な思いは置いといて。

 でも、そういった調子が悪いときに、SIMTのステップを全部やろうとすると、さすがに無理だし、しんどくなってむしろ調子を崩してしまう可能性が高いと思うので、僕なりに体調により重要なポイントをピックアップしてみたいと思います。

 鬱や不安障害の改善のステップをまず分けてみると、、、
   ① 気分の落ち込みや体調が悪すぎて、日常生活もうまくおくれていない状態。
   ② 日常生活は、ほぼ問題なくなったが、まだ仕事など社会的生活は難しい状態。
   ③ 仕事など社会的生活はできるようになってきたが、まだ症状に波があり、時につらくなる状態。
   ④ 仕事や家庭生活、社会生活をおくれており、多少の体調の変化では問題ないという状態。いわゆる寛解状態。
 
 という感じに分けられるかなと思います。
 僕が再発を繰り返していたときは、①、②、③の間を行ったり来たりしていましたね。③の状態になったといっても、自分としては、どうして調子悪くなっているのか、どうやったら良い状態を維持できるのか、全く分からず不安が一杯でした。

 ではでは、まず① 気分の落ち込みや体調が悪すぎて、日常生活もうまくおくれていない状態。 においての、重点ポイント。

 この状態では、前頭葉のワーキングメモリもかなり低下していることも多い状態です。
 おそらく、ちゃんと本を読んで、理解するということ自体、難しい人は多いのではないでしょうか。
 この段階では、あまり難しい洞察までやることは困難だと思うので、まずは、呼吸法をしっかり学んで、身に付けていくことが大切だと思います。それをやるだけで、かなり体調自体が改善されることが多く、それだけで②の状態になれる事も多いのではないでしょうか。
 呼吸法でも、特に、セッション①でやる「ゆっくり呼吸法」をしっかり身に付けていくのが大切です。
 ほんの気持ちでいいので、吐く息を細く長くします。この時、大切なのは、5秒と10秒とか時間を決めて、無理にその時間にあわせようとしないこと。それをやると、時間を達成させるために、無理をして頑張る事となり、結果的に交感神経を活発にして余計つらくなってしまいます。
 ほんの気持ちだけでもいいので、吐く息を長めにとって呼吸をしていくと、少しずつ少しずつ、身体のリラックスの状態にあわせて、呼気の時間もゆっくり長くなってくるので、自分のペースでやっていけばいいです。
 ここで大切なことは、その時に、なるべく呼吸に意識をむけて、あれこれ考えないように、ネガティブ思考の悪循環をまわさないようにするということが大切です。
 調子が悪すぎて、どうしてもネガティブな思考に引っ張られてしまうという人は、呼吸を数えながらやるなど意識を無理矢理にでも、呼吸にむけるといいと思います。「ひとーつ、(と数えながら息を吐き、『つ』が終わったら、速やかに息をすう)、ふたーつ、みーっつ」と数え、「とーう(10)」までいったら、また「ひとーつ」に戻ります。

 これを10分から15分くらいは続けていると、副交感神経が刺激され、不思議と身体の緊張や症状、不安感が楽になってきます。もちろん、症状や発作の強さにはよりますが、繰り返し繰り返し続けていると、呼吸法をやれば、症状がやわらぐようになってきます。また、症状が悪くなりかけて来た時に、すぐこの呼吸法をする習慣をつけることで、思考と症状悪化の悪循環をある程度、止めたり和らげたりできるようになり、大きく体調を崩す事が少なくなってきます。つまり、②の日常生活は送れる状態に改善するわけですね。

 ここで、パニック発作をもっている人、不安障害の人の中には、呼吸自体に意識をむけることがつらい人がいるようです。
 そういう人は、「吐く息はゆっくりしたほうがいいんだな」という意識だけ持っておきながら、意識をむけるのを、例えば歩く瞑想を利用して、一歩一歩の足の裏に集中するようにするとか、ただ見る訓練のように、目の前の物の輪郭を目で置くことに意識をむけるとかしてもらえばいいと思います。その時に、「ひとーつ、ふたーつ、」という呼気を長めにとるカウントさえしてもらえば、だんだん自然と呼気が長いゆっくり呼吸法が呼吸に意識をむけずにできます。

 SIMTのセッション1の段階でも、その後必要になる、活動中の洞察の訓練は始まっています。また包んで映すなど、その後の洞察の基礎となる技術も盛り込まれていますが、あまり調子の悪い段階では、活動時の洞察や包んで映すを頭で理解しようとするのは難しいと思うので、つらい状況の方は、まずは、ゆっくり呼吸法とそれに意識をむけて、思考の悪循環を止めることから始めればいいと思います。
 そして、体調が改善してきて、できるようなら、活動時の傾注観察、思考をしているかのチェック、包んで映すなどの理解に取り組んでいくといいでしょう。

 では、②の「日常生活は、ほぼ問題なくなったが、まだ仕事など社会的生活は難しい状態。」では、どうしてったらいいか。
 この状態でも、呼吸法の習慣と実践は、ぜひ続けていください。その実践を続けることで、脳や身体自体が、悪い症状やネガティブな思考ループを起こしにくくなっていきます。
 そういった呼吸法がある程度身について来たら、いよいよ洞察の訓練の開始です。
 セッション1,2,3といったところで取り上げられている、傾注観察法、思考のチェック、心理現象の名前付け、感情の連鎖、など、その後の活動中の洞察の基本となるようなスキルを重点的に、練習するのがいいと思います。いずれも、日常生活の中の場面でできるものです。これが社会活動の中での洞察となると、一気に難しくなるので、家庭での生活の時に、こういったスキルをしっかり練習しておくと良いです。それをしっかりしていると、不思議と、忙しい社会生活の中でも、ふとしたときに、洞察モードが働いてくれるようになります。
 そして、この練習の段階でも、家庭生活自体が、社会活動の縮小版みたいなものですから、親や配偶者、子供との関係を、この洞察の基本的なスキルを使いながら見ていくだけでも、様々な気づきが得られます。この状態のうちに、セッション後半に入ってきたら、本音の観察などもどんどんやれる範囲でやっていった方が、その後の為になります。

 では、そういったことを続けて、③ 仕事など社会的生活はできるようになってきたが、まだ症状に波があり、時につらくなる状態。
 この状態は、良くなってきたように見えて、結構つらいですよね。だいたい、体調というのは、たとえ悪くても悪いなりに落ち着いている時の方が、意外とやり過ごせます。よくなったり悪くなったりすると、その波の中で、ついつい波に飲み込まれて自分を見失いそうになってしまい、意外と精神的にはつらい時であったりします。
  
 ここで、今まで培ってきた、呼吸法や傾注観察など、つらい症状に対応する手段が力を発揮します。
 まずは、波に飲み込まれずに、乗りきっていくのが大切なので、こういった方法を駆使して、なんとか波をやり過ごせるようになりましょう。やり過ごせるようになりさえすれば、いろいろと対策の打ち方が見えてきます。そのためにも、今までのセッションで学んだ事を駆使して、また、自分なりの問題点・症状の特徴とその対策をいくつも持っておくことが大切です。あまり先のことを考え過ぎたり、活動範囲を広げることを頑張りすぎずに、まずは、波に対処していくことが大切になるように思います。セッション7~10くらいの事は、このために大切な課題が多くあります。

 そして、ある程度、自分なりに波に対する対処法が分かってきたら、さらに洞察を深めるチャンスです。
 というのも、家庭での生活より、社会活動を開始していくと、様々な場面に出くわすようになります。ストレスフルな状況に合うことも多くなるわけです。だからこそ、様々な症状や調子の波がでてくるわけですが、実は、こういった場面こそ、自分の本音や自分の中の評価基準を洞察するチャンスなのです。自分の感情が動き、身体反応が出現するような場面というのは、自分の中にかならず何らかの「評価」が働いていることが多いです。だから、その「評価」に気がついた時には、その「評価」の後ろにある「評価基準」というのを、一瞬でいいので意識してみると良いです。そうすると、思わぬ気づきが得られたりします。
 意外と、それまで当たり前に思っていたり、当たり前と思って反応していた事が、かなり独善的な判断であったと気づくきっかになったりしますよ。

 それでも、活動中、社会生活の中では、今自分がやっている仕事に没頭していることが多く、こういった観察、洞察はかなり難しいと言わざるをえません。僕も未だに良くできているとは言い難い部分もあります。だから、無理にこういった洞察までしようとせず、ちょっとつらい状況になってきたなと思ったら、洞察までは考えず、その波をやり過ごすことに焦点を当てて、その時を過ごしてもいいと思います。
 やり過ごせば、また少し調子の良い時期もかならずでてきますから。

 こういった波がある程度、やり過ごすことができるようになってきたら、いわゆる体力をつけていくのも大切な事のように思います。日常生活の中で、運動を取り入れて行くことは、鬱や不安障害において、変化してしまって過敏になっている脳内のネガティブ回路を抑制し、むしろ前頭前野といった部分を活性化してくれる作用が分かっています。ですから、SIMTの本でも、初期から運動を課題として取り入れるように書かれています。
 しかし、僕自身の体験では、初期にあまり無理に運動をしようとすると、どうしてもやりすぎてしまったり、運動後に生じる体調の悪化がつらくて、うまく続かなかったりしました。だから、回復初期の頃、今回の①、②のあたりでは、運動というより、体操やヨガといったくらいの方が続くかもしれません。僕自身も、簡単なヨガを生活に取り入れるようになってから、体調の調子も整いました。

 でも、やはり、「元気があればなんでもできる」という名言?があるように、やはり体力というのは、精神力にもつながる部分があり、非常に重要だと思います。
 ③の段階になり、自分なりに体調の波をやり過ごせるようになってきたら、運動を積極的に取り入れて、体力をつけていくことは、体調の波自体が少なくし、安定した状態を作っていくためにすごく大切だと思います。

 こういった事を続けて、④の段階になれば、もう、病気は寛解(一時的に状態が改善し、健常時とかわらない状態になっていること)といえる状態です。
 しかし、ここで気を抜いて、実践をやめてしまうと、再発の影が忍び寄ってくることになります。
 実践をやめると、洞察の習慣がどうしてもなくなっていき、感情的な出来事、ストレスフルな出来事が起こってきた時に、その感情やストレスと距離を置いて見つめることが難しくなってしまいます。そうすると、影を潜めていた悪循環を起こす反応、対応の仕方が出現するようになり、いわゆる再発を起こしてしまいます。

 人生の中では、ストレスはさけては通れません。自分がそれまでに感じた事のないつらい状況になることも考えられます。
 そういった場合でも、価値崩壊の行動ではなく、価値実現の行動をとっていくためには、やはり、日々、SIMTを実践し、マインドフルネスな態度を身に付けて行くことが大切です。

 さて、今日は、体調や状況に応じたSIMTの学習の重点ポイントを僕なりにまとめてみました。

 特に①の部分は今日、書きたかったことです。
 すごくつらい状況の人でも、今日から、開始できることがSIMTにはあります。そして、難しいと感じる課題があっても、決してあきらめないでください。ステップを踏んで、状況が改善してくれば、少しずつできることも増えていきます。

 少しでも、読んでくださった方の参考になれば幸いです。
 今日も長文に、おつきあいありがとうございました。
 ぜひぜひ、気が向いたときにまたこのブログにお立ち寄りください。

本質をとらえるということ


 今日は、マインドフルネスだけの話しではなく、一般に技術などを伝えていく、もしくは学ぶ時に大事だなーと感じたことがあったので、それについて書いてみたいと思います。

 それは、本当に伝えたいこと、身に付けたいことは、言葉にはできない、そして形にできないものであるが、それを伝える手段は、言葉や形に頼るしかないということです。

 とても大きな矛盾があるのですが、その矛盾を理解した上で学んでいくことが大切だと思います。

 どういうことかというと、自分でマインドフルネスに日々取り組みながら思うことは、ここでも繰り返し書いておりますが、頭で理解している、知識として持っているというのと、実践できる、体得しているというのとはまったく別の事であるということです。

 SIMTの本の中でも、10に分かれているセッション事に様々な課題があり、それに取り組むことで、SIMTの実践を身に付けて行くわけですが、どんなに繰り返し読んで知識として理解したとしても、課題の実践が伴わないとそれを本当の意味で理解したとは言えないし、改善効果も見込めません。
 当たり前の話しなのですが、逆に言うと、課題の中で、その本質にあるものを実感し、それを身に付けることができれば、課題のやり方にはこだわらなくても良いということです。
 
 もちろん、だから何をやってもいいと言うわけではありません。あくまで「本質を実感できる範囲においては」ということです。
 なので、まったく白も黒も分からない段階においては、課題をその通りやってみることが大切だと思います。
 そして、そこから先、「このような感覚が、この課題が伝えたいものだ」というのがある程度理解できたら、それを多少変更したりするのは、おそらく問題ないのだと思います。

 例えば、呼吸法のところでも、「目を開けてやる」「背筋を伸ばしてやる」などと書いてありますが、これは「目を開けていなければならない」「背筋を常に伸ばしていなければならない」ということを書いているのではないと思います。
 マインドフルネスな状態を導くにあたり、今、ここに意識をおくこと、そのために眠くならないようにすること、呼吸が整ってくることで、意識も体調も整ってきやすいこと、などの理由から、やるんであれば、「目を開けていた方が眠くもならないし、良い姿勢でやったほうが呼吸もしやすく、体調も整ってきやすいよ」ということだと思うんです。
 でも、呼吸法のところに「目を開けてやる」とか「背筋を伸ばしてやる」と書いてあると、ついつい、「目を開けているとうまくできないから、もう呼吸法はできない」とか、「良い姿勢を維持しようとなると苦しくなってしまう」「良い姿勢をとれない」とついつい、「目を開ける」もしくは「良い姿勢」ということにとらわれてしまって、否定的な気持ちになってしまったり、逆にそれにこだわってそれが目的になってしまったりします。
 さらには、「良い姿勢は、腰をこういう風に伸ばして、脚はこういう姿勢が正解で、そうでなければ正しいSIMTの呼吸法ではない!」なんて思い詰めちゃったりする可能性が出てきます。

 大切なのは、「今、ここ」に一番属している「呼吸」というものに意識をむけることで、ふわふわと過去や未来、そして思考の世界を漂いがちな意識を、自分の意思作用を使って「今、ここ」に戻すことを繰り返していくことです。
 それを繰り返していくことで、呼吸と自分の体調との関連が「実感」されてきますし、また自分の意識が無意識に「今、ここ」以外のことに流れてしまっている感覚が実際に体感としてわかるようになり、その状態になったときに気がつけるようになってきます。

 だから、そのような訓練ができて、そういった感覚を実感できるようになれば、かならずしも「目を開けたままで行なう」とか「背筋を伸ばして」とかにこだわらなくても良いのです。

 ただ、実際に、呼吸法や思考への気づきの訓練をして、瞑想などを行なっていくと、自然と目を開けていたほうが眠くなりにくいかなー、思考に流れにくいかな-と思いますし、良い姿勢でやった方が、瞑想もやはり眠くなりにくく、呼吸もしやすいなーと思うわけです。

 だから、経験者の人からにまだ未体験者、未経験者の人が、「どのようにしたら、SIMTを実践、体得できますか?その時の呼吸法はどのようにやったらいいですか?」と聞かれれば、「目を開けてやった方が、いいと思うよ、背筋は伸ばしてやったほうが良いと思うよ」という事になるわけですね。

 これが、僕が最初の部分で書いた、伝えたいこと、本質は、言葉や形にできないものであるが、それを伝えるには、言葉やある形を通してでしかできない、といった事です。

 SIMTにおいて、マインドフルネスにおいて、身に付けるもの、本質とは、まさに「ある状態」というか、「感覚」です。
 それは、本来、言葉では完全には表せない、決まった形としては表現できないものだと思います。
 でも、それを身に付けた人の実践には、共通点があるのも事実だし、ある種の共通した表現、あらわれがあるのも事実です。

 だから、たぶん、それを学ぶ場合は、常に、「その表現する言葉や型の意味するところはどのような感覚か」というのを、常に意識して取り組んで行かねばならないように思います。
 そして、「その意味するところ」というのは、常に実践において、理解される物であるはずです。
 その言葉を、繰り返し唱えて、思考のなかで、「こういう意味なんじゃないか、いや、こうじゃないか」と考えて考えてひねり出すというものではなく、実際の実践を繰り返すなかで、「どうやらこういう感覚のようだ」と気づいてくるもののように思います。

 なぜなら、思考でひねり出した答えには、常に、自分の独善的な評価というものが入ってくるからです。
 もしSIMTやマインドフルネスの実践の中で、その意味するところ、答えのような物が見えてくるとしたら、そういった評価を徹底的に排除して言った結果として、残ってくる形のないもののように思うからです。

 僕自身、今、身体の動きにも興味をもち、研究会にたまに顔を出したりしているのですが、武道の世界には、「体認」という言葉があります。頭で、「このように動かせばよい」と理解するのではなく、「身体で実感し、認識し体得する」という事です。

 マインドフルネスにおいても、この「体認」というのがすごく大切なように思います。

 僕も、今現在も、実践中の実であり、様々な先生方の話を聞いたり、本を読んだりする機会があります。
 そういったときに、それぞれの先生の話の中には、一見、矛盾したり意味不明なものもあるかもしれません。
 でも、それをすぐ「正解、間違い」といった視点で見るのではなく、その意味するもの、伝えようとするものを意識しつつ、実践の中で、自らその伝えようとしていた感覚をつかみ取って行くことが大切なんではないかと思っています。

 SIMTの実践をし始めると、「鑑に映す、包んでうつす」という意味がわからなかったり、「本音をさぐる」の本音とはなんなのかという疑問が浮かんだり、悩むことが結構あります。でも、そんなとき、すぐに「正しい、間違い」などの判断をせずに、そのもやもやとした気持ちがることも許容してあげながら、一つひとつの課題を丁寧にやっていくことが大切だと思います。
 そうすると、その実践の中で、「あ、この感覚が、あの言葉の意味だったのか」と気づく時が、きっと出てくるのではないでしょうか。

 結局、マインドフルネス中心のお話になってしまいましたが、同じような事は古来よりいろいろな方がおっしゃっているようです。
 ある人は、その言葉や型にとらわれてしまうことを、
 「アレを見ろと指をさしているのに、指の指し示す先はみないで、指先の爪の部分を見つめているようなものだ」と形容しているとういう話しをどこかで聞いたことがあります。うまい言い方だなと思います。

 直接、実践の助けにはならないかもしれませんが、マインドフルネスを学んでいく上で、大切なことじゃないかなと思い、書かせていただきました。
 今回も、おつきあいありがとうございます。またよかったら次回も読んでください。
 ではでは。

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訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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