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課題の日記の意味

  
 今日は、課題の日記について、少し気づくことがあったので、書いてみたいと思います。

 SIMTでは、セッションごとに課題に取り組み、それを続けることで、少しずつマインドフルネスが身につくようにプログラムされています。

 そして、その課題をする中で、その日の瞑想できた時間や活動内容、課題に取り組んだ回数などを簡単につけ、またその日の出来事、課題に関する事などを3行程度の日記に書いていきます。
 
 この記録表に関しては、マインドフルネス総合研究所のHPの「本を読んで自習なさる方へ」という所にも記録表Aとして出ているので、実物を見ることができると思います。

 僕自身、セッション中はもちろんのこと、セッションが終わってから1年4ヶ月ほどになりますが、だいたい毎日この日記をつけてきました。書き忘れる日もちょいちょいありましたが、だいたい毎日書いていたと思います。課題については、セッション10の課題をそのまま続けたり、生活の中で自分なりの課題が見つかったときにはそれを課題欄に下記、おおよそどのくらい取り組めているかということを書いたりしてきました。

 たまたま、10日前くらいから1週間ほど、日記を書くのを忘れていました。最初二日ほどは、書くのを忘れて就寝してしまったのですが、その後は、「瞑想自体は続けているし、課題もわかっているからまあいいか」といった感じで、この1週間ほどがたってしまっていたのですが、この2~3日になって、明らかに以前にくらべ、洞察の頻度が落ちてきているなという感じに気がつきました。
 この1年は、課題について書くこともないからと、課題と関係ない日記のようなことを書いてある日もあったのですが、それでも、やはり自分自身の生活を振り返るということが、自分の課題をもう一度確認するという意味で、すごく大切なものであったようです。

 もちろん、日記を書くのにその日の出来事を振り返るというのは、思考の中でのできごとで、それ自体はマインドフルネスには直接つながらないのかもしれませんが、ただ、客観的に自分の1日の出来事を振り返り、今の自分の課題を見つめ直すという意味において、とても重要な時間だったんだなということに気がつきました。

 改めて、このSIMTというプログラムは本当によくできているなあと思いました。
 大田先生が自らの体験の中で編み出したということを改めて尊敬するとともに、だからこそ効果があるんだろうなと思った次第です。

 日記自体をうつの治療に使ったりすることもあるようですし、それ自体認知療法的な効果を持つ物ですよね。

 でも、SIMTをやっていく上で、やはりこの日記が持つ効果というのは非常に大きいと思います。

 僕自身、最初の頃は、課題に取り組むのを忘れてしまった日は、日記が書きにくいなーとか、課題に取り組んだ回数も、「何回なんてわかんないよ」とか思ったこともありました。「もう、課題について書くことなんてないよ」という日もありました。
 でも、何でもいいから書こうとすること、課題を思い出すことにすごく意味があったんだと思います。

 今、SIMTをやってらっしゃる方は、本当に何でもいいので、そして、課題に取り組んだ回数というのもだいたいでいいので、継続して書いていかれると回復のスピードを速める意味でも、マインドフルネスを早く身に付ける意味でもすごくいいと思います。

 ではでは今日はこの辺で。

 またおつきあいください。

パターンが見つかるのはあくまで副産物

さてさて新年も明けてしばらくたちましたが、正月ぼけは抜けたでしょうか。
 イベントがおわり一週間をすぎると、ちょうど疲れがでてくるころです。体調でいえば、波がでてくるころですので、今年もあわてず、騒がず、呼吸法で乗り切っていきましょう。

 今日は、いままで、SIMTを続けていると「パターンがみつかる」ということを書いてきましたが、ちょっとそれと矛盾するようなことを書いていきたいと思います。でもとても大切なこと、僕自身も、すぐに陥りがちなポイントについて書いてみようと思います。

 SIMTを続け、自分のマインドフルネスが深まっていく過程で、鬱がよくなってくるとき、それまで気がつかなかった自分の中の様々なパターンや傾向、本音のようなものが見えてきます。その結果、いままでと違う選択をして生活を変えていけたり、調子の波をある程度コントロールできるようになったりします。

 これ自体はとても回復の過程で大切なことで、それは、今までのブログの中でも書いてきたとおりです。

 でも、それが素晴らしいから、回復のキーポイントになるからといって、そのようなパターンや傾向を探しにいこう、見つけ出そうとしてしまうと、間違ってしまいます。ともすると、むしろ体調を崩すきっかけになってしまいます。
 僕自身、SIMTのセッションの中で「自分の本音をみるける」という課題が出てきたとき、ついつい、自分の中の本音はなんだろうといろいろ探すうちに調子が悪くなってしまいました。

  では、なぜ、こういったパターンを「見つけに行く、探す」ことと、「見つかる、見えてくる」ということが違うのかを説明していきたいとおもいます。

 SIMTで目指すマインドフルネスというものは、常に「今、ここ」にいて、「今、ここ」にある状態を認識しつつも、「無評価」でただそのままにしておくことです。そして、その状態をあれこれ考えたりすることなく、すぐに手放し、ただただ続く、「今、ここ」という瞬間瞬間についていくことです。
 しかし、それを繰り返していくうちに、自分の中で繰り返されるパターンや反応の傾向、繰り返し湧き上がる感情や思考、判断基準といったものが、浮き上がるように明らかになっていきます。これが、パターンや傾向は「みつかる、見えてくる」ということです。

 では、パターンを「見つけに行く、探す」とどうなるか。
 われわれは普通、自分で自分の中のパターンをみつけようとすると、「さて、どんなパターンがあるか」とか、「僕はいつもこういうことをしてしまう傾向があるんじゃないか」とか、考えて、そのパターンを見つけ出そうとしてしまいます。
 それは、思考により、見つけようとしてしまいます。その思考は、無意識と意識があるなら、自分の意識の中で行っているものです。
 しかし、マインドフルネスにおいて、あえていうなら避けるべき状態とは、この「思考すること」です。思考とは人間の本能ですが、あえて自分の思考の世界から抜け出て「今ここ」で起こっていることを見つめていくというのがマインドフルネスです。

 だから、この思考によってパターンを探すということ自体が、マインドフルネスの定義から外れてしまうのです。

 さらに、マインドフルネスの中で見つかってくるパターンというのは、無意識の中にあります。つまり自分が普段考えているような、自分で意識できている自分の外にあるからこそ無意識であり、だからこそ、そういったパターンは、しらずしらずのうちに我々の生活を支配してしまっているわけです。だって、すぐに気が付ける、考えがおよぶようなパターンであれば、そもそもすぐに自分で変えられるわけであり、その時点でパターンではないわけです。
  よい例が、癖ですね。自分では気がつかないからこそ、「癖」なわけです。もしそれに気がついていれば、それを止めることができます。知らず知らずにやっているからこそ癖なわけです。

 では、考えても見つからない、自分の意識ではとらえられないなら、外の世界を探せばいいのか?誰かに指摘してもらえばいいのか?

 そうではありません。そのパターンは自分の無意識の世界にあります。確かに他人からみると、その人の振る舞いや反応は、客観的によくみることができます。でも、自分の意識がそのパターンに気がつかないうちに、他人にそのことを指摘されても、その人は決してそれを認めることはないでしょう。むしろ、強く否定したり、怒り出したりしてしまうかも知れません。
 他人がどんなに言葉を尽くして説明しても、自分の欠点とかパターンとかって言うのは、自分でそれに気がつかない限り、それを変えることはできないのです。

 ではどうしたらいいのか。どのように、マインドフルネスではそのパターンが見つかるのか。
 自分の無意識の世界に潜むパターンは、自分自身と外の世界とのやりとりの中にあらわれてきます。
 意識と無意識を合わせた自分自身が、外から様々な刺激を受けて、その反応をするときに、様々な形で表れてくるのです。

  だから、思考を使って探すのではなく、それまでの判断基準、評価、ものの見方などを一度横に置いて、ただただ、自分と外の世界との間に起こる様々な相互作用、やりとりを、評価することなく、洞察していく、ただただ眺めていく、そうすることで、初めて、自分雅思いもよらなかった自分の中のパターンや傾向、判断基準といったものに気がつくことができるのです。

 これが、マインドフルネスを続けていくことでパターンが見えていくる理由です。
 そして、それまでの自分の思考をいくら使っても、その思考の内をいくら探しても答えがでない理由でもあります。

  このように、自分のパターンは無意識にあり、それまでの自分では思いもよらないことだったりするので、そのパターンが見つかったときには、多かれ少なかれ、自分の中にはカタルシス(感情の解放や浄化)といったものが起こるように思います。
 とくに、大きな気づきがあったときには、「俺っていままでこんなことに囚われていたのか」とか、多くはそれまで自分が無意識に隠してきたようなことに気がついたりして、落ち込んでしまったり、怒りの感情がわいてきたり、様々な感情に揺さぶられることがあります。
  でも、それにもとらわれないようにして、気づき自体をそっとしておいてあげると、その感情の波も収まってきて、いままでより自由なものの見方や反応ができるようになってきます。もちろん、長年のパターンは気がついたからといってすぐにかわるわけではありませんが、一度気が付けるようになると、また顔を出した時には、すぐに気がつけるようになり、今までとは違った反応を試してみるチャンスが生まれます。
  だから、もし、そのような気づきがあった際に、自分が思ったより同様してしまったとしても、あわてないでください。そういうものです。時間がたてば、そういう動揺は少しずつ収まっていきます。

 さて、「パターンを見つけよう、探そう」とすることと、「パターンが見えてくる、見つかる」ということの違いはわかっていただけたでしょうか。
 
 僕自身、自戒の意味も込め、このことは決して忘れてはいけないと思っています。
 なぜなら、今でも、瞑想をしているとき、そして、日常生活の中で洞察を繰り返して行こうとするとき、ついつい、この「パターンをみつけよう」ということをしてしまうからです。ついつい、自分で「これだ!」という答えや気づきを探そうとしてしまいます。でも、探そうとした瞬間、意識は「今、ここ」を洞察することから離れ、思考の世界に泳ぎだしてしまいます。
 おそらく、これはもう癖というか、人間の本性なんでしょうね、考えようとしてしまうことは。

 だからこそ、繰り返し「今ここ」に意識を戻し、洞察していくマインドフルネスは、今までにない気づきを与えてくれるものなんでしょうね。

 そして、そのように、日常生活の中での周りの世界と自分とのやり取りを、常に洞察していけるように、今日も、静かに座って、刺激の少ない中で自分の呼吸や感覚に意識を向け、ただ眺めるというトレーニングを重ねるわけです。

 ここまで、長文にお付き合いありがとうございました。

 次回もよろしくお願いします。

身に付けるということ

 マインドフルネスを身に付けていく過程というのは、自転車や水泳を身に付けることににていると思う。

 知識ではなく、実践であるということだ。

 自転車の構造や仕組みを理解していることは大切かもしれないが、それがどんなに詳しくても、自転車を乗れることにはならない。

 泳法について、どんなに詳しくても、様々な泳ぎ方のコツを知識として知っていても、実際に泳ぎを身に付けるためには、水の中に入り、時には苦しい思いをしながらも、泳ぐ練習を、自分自身の身体を使ってしなければ、決して泳げるようにはならない。
 
 泳ぎの名人にいくら話しを聞いたとしても、やはり自分の手足を動かして、自分でコツをのみこまなければ泳げるようにはならないのである。

 SIMTを通じてマインドフルネスを身に付けて行く過程も、本当に同じだと思う。

 いくら、何冊もマインドフルネスに関しての本を読んでいたとしても、いくらマインドフルネスについての知識があったとしても、それは、マインドフルネスを実践できているのとは別の事なのだ。
 マインドフルネスを身に付けて、実生活の中で役立てていくためには、まずは座って、呼吸の観察を開始するところから始めるしかないと思う。それを、うまくできないと思いつつも、毎日毎日繰り返して行く中で、自分なりのコツをつかんでいくしかない。
 もちろん、他の方のやり方や意見は参考になるが、自分にあった泳ぎ方が人それぞれ違うように、自分のマインドフルネスも、自分の特徴を自分なりに発見して磨いていくしか、自分のマインドフルネスを深めていく方法はないと思う。
 とにかく、実践、実践なのだ。

 たとえ、マインドフルネスに関して書いてある本の意味が分からなくても、課題の実践を続けて行けば、かならずマインドフルネスを実践していくことができる日が来る。
 この点も、なんで自転車が走るのか、なんで手で水をかくと泳ぐことができるのか、知らなくても自転車になったり泳いだりができるのと一緒なのと同じだ。

 そして、やはり「知っている」ということと、「できる」ということは、まったく別物なのである。

 マインドフルネスに興味のある友人と話をしていても、本は何冊も読んでいるが実践をしていない方と話す時、いくら言葉を尽くしても、どうしても伝えられない感覚のようなものがあったが、その方が実践を始めてしばらく立ち、自分なりにマインドフルネスを身に付けてからだと、逆に言葉を多くしなくても、「こういった感覚」ということが、伝わっているのがよくわかった。

 だからこそ、僕自身も、自分をごまかすことなく、日々、実践に取り組んでいきたいと思う。

  これから始めようと考えている方がいらっしゃったら、ぜひ、まずやってみて欲しいと思う。そして、考え過ぎず、とにかく少しずつでいいから、課題を続けていきましょうといいたい。とにかく、自分の身をもってやりましょう、つづけましょうと。
 そうすれば、かならずマインドフルネスが掴めてくる時がくるから。

 自転車を乗れるようになるとき、泳ぐのを身に付けるとき、最初は、自分ができているところはまったく想像できないかもしれない。練習していても、教えてもらったり本に書いてあることの意味がまったくわからない時があるかもしれない。でも、それでも訓練を続けて、ふと乗れるようになったり、泳げるようになると、それまで意味不明だったことが、「これか!」とわかる時がある。それまでは、あれこれ考えず、続けるしかない。そして、どんなに頑張ったって、1日で身に付けられる範囲には限界がある。でも、1年かければ身に付けられることがきっとあるはず。見えてくるものがきっとあるはず。
 ぜひ、少しずつで良いので続けることをおすすめします。

 そして、指導者を選ぶのであれば、やはり、日々マインドフルネスの実践、簡単に言えば、瞑想を続けている人を選ぶ方がいいと思います。それは、自分で実践している人ではないと絶対にわからないことがあるから。もちろん、名選手が名監督になれるわけではないので、自分で実践されている方がすべて教えを請うのに適しているとは思いませんが、少なくとも、実践している方でなければ、おしえられないと思うからです。
 野球のことは知っているけど、野球をやったことがない人に野球を教えてもらいたいと思うでしょうか。答えは否だと思います。
 眼に見えないことなので、その人が本当にSIMTを、マインドフルネスを、実践しているのかを判断するのは難しいと思いますが、その方が、実際の課題を今でも続けているかどうかというのは、一つの判断要素になり得るかと思います。

 またそのことを、こういったブログを書いている自分への戒めとして、日々の実践に取り組んでいこうと思います。

 ではでは、新年のあけました。
 今年も、皆さまにとって良い年となりますように。多くの方が、マインドフルネスを通して体調を改善されることをお祈りしています。

 後半、読んでいる方に語りかけるつもりになってきたら、文末が急にですます調になってしまいました。よみずらくすみません。
 
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Author:Ko7

訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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