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マインドフルネスは脱学習の過程

いよいよ年の瀬ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

今日は、人間の意識における「学習」」という観点から、マインドフルネスについて論じてみたいと思います。

以前、マインドフルネスはなぜにすごいか 自分なりの解釈①(世界と我々の隔たり)の記事の中で、「学習」ということについて書きました。

 我々が何かを認識し反応するプロセスは、
   ①(外界から、内界からの)刺激 → ②五感+③認識(言語・思考) → ④感情、⑤身体反応 → ⑥行動
 という経過を必ず通っています。

 そして、生まれてからずっと、この過程を繰り返す中で得られた経験から、学習を繰り返しています。

 例えば、湯気の立ちのぼっている鍋をみたら、僕らは見た瞬間に「熱い」と認識してしまいます。
 でも、まだ小さな子供はそれが熱いということを認識できず、急に手で触ったりしてしまいます。
 僕らは、この小さい子供のころから、湯気が立っているものは熱いという経験を繰り返してきたからこそ、それを見た瞬間に「熱い」という認識が生まれ、危険を察知することができます。これはまさに「学習」のプロセスであり、これにより人間は、危険を察知する能力を進化させてきたわけです。

 たとえば、僕が今書いている文字、これが文字として読めるのも「学習」の成果です。
 ただの線のならびや形を「文字」という形で認識し、意味のある文章として理解できるのは、このプロセスのたまものです。
 子供の様子をみているとよくわかります。文字を学び始めたうちは、今、目の前にある文字が「あ」なのか「お」なのか、理解するのに時間がかかり、ひとつひとつの線の形や本数などをよく見て、その文字を認識していきます。
 しかし、大人になってしまうと、もう「あ」という文字や「お」という文字を、何の意味も持たない線の並びとして認識することはもはやできません。
 これは、学習および、その反復練習や反復した経験により、上記に書いた認識のステップがもはや無意識の過程で行われてしまい、ただの線のならびを瞬間的に「文字」として認識してしまうからです。
 このことはもちろん悪いことではありません。「文字」を瞬間的に理解できるからこそ、「文字」と「文字」のつながりである単語や文章が効率的に理解できるようになったわけです。もし、「文字」の認識に時間がかかっていたら、文章の理解などできません。

 しかし、学習には落とし穴があります。先ほど書いた、すでに文字を「ただの線のつながり」として認識できなくなってしまったという事実です。
 実はこれとまったく同じことが、我々の様々な生活の場面で起こっているのです。それは、自分が幼いころから長い間かけて培われたものであればあるほど、かなり無意識の深い部分で行われており、その変換自体を認識することが難しくなります。
 先ほど文字の例でいえば、HRIKDIKSODというようなアルファベットの羅列は、多くの人が、みたらすぐにアルファベットだとわかるとは思いますが、これを図形として見ろと言われれば、多少苦しいですができないことではないと思います。さらにアラブ文字に関していえば、僕にはどれが一文字なのかすらもわかりません。しかしこれと逆のことが、おそらくアラブの方々には起こります。
 
 ネットで一時話題になった、日本人には読めない文章という記事はまさにこの典型です。
 http://ringosya.jp/yomenaifont-10854
 これは、このフォントでかかれたアルファベットの文章は、日本人には脳内でカタカナとして認識してしまい読めないというものです。もし、カタカナをしらないほかの国の人がみたら多少の困難は伴うもののアルファベットの文章として認識できるでしょう。

 これは、運動の面でも起こります。例えば、サッカーを例にすると、最初にやるときは、ボールをドリブルする、パスする、パスを受けるなどの動作は、ひとつひとつ意識して行わなければできません。でも、これを練習して無意識にできるレベルになると、初めてドリブルしながら敵の動きをみるだとか、戦術を考えるというレベルに行くわけです。
 しかし、ひとたび、この戦術を考えるとかのレベルに達してしまうと、自分が体のどこをどのように使ってパスを受けたかということは気づきにくくなります。

 実は人間関係、対人関係にもこういうことは起こります。
 
 例えば、人に繰り返し騙され金銭を奪われた人がいるとします。値段の大小はあれど、いつも自分にいい顔をして近寄ってくる人は自分のお金をとっていく人だったとすると、その人は、笑顔で近づいてくる人に対して、無意識的に疑いの目でみるようになってしまいます。
 常に戦争の中に身を置いて育ってきた人にとっては、「相手を倒さなければ自分がやられる」という考えは自然にわいてきて、お互いに争わずともに暮らすということ自体、不可能に思えるかもしれません。

 どんなにがんばってやっても、「もっとがんばらなくちゃ」と育てられた人は、他人にどんなに褒められても、「自分はまだまだ」と思う気持ちが絶えず自分を駆り立てるかもしれません。

 僕らはこういった学習を生まれたときから繰り返し続けて、様々なことを身に着けて大人になっています。
 年をとればとるほど、様々なシチュエーションでの振る舞いを経験することで、様々なパターンの反応や行動を身に着けるようになりますが、一方、自分のもっているパターン以外の反応ができなくなってしまいます。
 こういうときはどうしたらいいんだろうと悩むのが若者です。でも、こういう時はこうしたらいいとわかるようになるのが、年長者です。でも、そうすることで効率よく状況をさばけるようになってくると、現実の状況は一例一例まったく違うのに、その現実のわずかな差異に気がつけず、それに自分のパターンを無理やり当てはめて解決するようになってきます。
 これが進んでいくと、学習の効率化によるメリットよりも、パターン以外の行動や反応がとれないという弊害のほうが大きくなってきます。
 これが、まさに、頭の老化、年をとっていくと頭が固くなるということなのではないかと思います。

 そこに、光を当てるのが、マインドフルネスです。
 マインドフルネスでは、瞬間、瞬間に焦点をあてていきます。瞑想で、自分の中でどのような反応が起こっているのか、そして、今の瞬間に起きていることに焦点を当て続けることを学びます。そして、それを.生活の中に生かすことで、普段、自分が様々な刺激に、どのような反応をしているのかを眺めていきます。そうすると、先ほど言っていたような、パターンが見えてきます。今まで、無意識に行われていた様々なパターンを、再び意識の光で照らすのです。そうすると、無意識に、自動的に行われていた反応に、初めて別の反応を選択できる可能性がでてくるのです。
 もちろんすぐにはできるようにはなりません。でも、自分に起こっていることを知ることで、時間をかけて変わっていける可能性がでてきます。相手のいつもの一言に、「怒り」の反応で、「言い返す」ことを無意識に繰り返していた時に、この「怒り」がなくなるわけではありませんが、「言い返す」という行動を変化させることはできるかもしれません。例えば、「黙って相手を見つめる」とか。
 そうすると、いつもの反応でないことに、相手もいつもの反応ができません。もちろん、その結果、前より悪い結果になることもあり得ます。ただ、少なくとも、いつもの繰り返しではなく、そこに変化を起こせる可能性がでてくるのです。

 ここに、マインドフルネスのすごさがあると僕は思います。
 選択肢が、少しでも広がるということは、自由度が広がるということです。二通りの反応しかできなかった人が、三通りの反応ができるようにあれば、その人はそれだけ自由になったということです。心はそれだけ柔軟になったということです。
 そうやって心を少しずつ自由にしていけば、心が解放されていくのじゃないかと思います。
 少なくとも僕は、以前に比べると、ずっと生きやすくなりました。すべてがうまくいくわけではありませんが、うまくいかない現実に対して、より多くの選択肢をもって反応している自分がいるように思います。

 パターンを身に着ける「学習」の過程があり、そして、そのパターンから抜け出す「脱学習」の過程があります。この「脱学習」を達成する方法こそ、マインドフルネスの力の一端であるのではないかと思います。


 最後に、先ほど、 

どんなにがんばってやっても、「もっとがんばらなくちゃ」と育てられた人は、他人にどんなに褒められても、「自分はまだまだ」と思う気持ちが絶えず自分を駆り立てるかもしれません。

 と、書きましたが、多くの自分の反応や行動の習慣を身に着けるのは、幼少期です。
 それゆえ、両親、もしくはそれに相当する人の影響は非常に大きいです。なぜなら、人に接したとき、どのようにふるまうかといったことは、通常であれば、自分の両親と接する、もしくは自分の両親が人と接する姿をみるのが、最も原初的な人と接する経験ですし、もっとも自分がたくさん接した経験をもつのも両親に他ならないからです。
 なので、自分の問題だと思っていることを突き詰めていくと、マインドフルネスで観察し続けいくと、多くは、自分の両親との関係につながっていくことが、多いです。
 僕も、SIMTを習って、マインドフルネスを進めていくうちに、自分の中の多くのパターンに気が付いていく過程の中で、もう忘れていたような、自分の幼少期の経験やその記憶が、数多く自分の中によみがえりました。
 そういった最中には、自分の両親に対する怒りや自分が持ったことがないような(おそらくそれはあったんでしょうが、意識されていなかった)様々な感情があふれてくることもありました。
 おそらく、僕と同じような境遇にあった方がマインドフルネスを実践していると、同様な経験をされる方があるんじゃないかと思います。それは、自然なことなので、決して否定をする必要のあるものではないと思います。そういった感情が思い出されることこそ大切なことです。それが治癒への過程なのだと思います。
 と同時に、その感情にまかせて親を責める必要がないということも、だんだんわかってきました。

 おそらく、両親も、自分と同様に、それぞれの両親とともに育ち成長する過程で、自分が経験したような人との接し方、教育の仕方してきており、それ以外の接し方がわからなかったのだと思います。精一杯、愛を尽くして、その接し方をしていたのだと思いました。ほかに選択肢を持ち合わせてなかったのだろうと。
 そして、そういった中で育った自分が、今の自分のように成長するのも自然なことだったのだと。今の自分があるのは、当然の結果でそれこそが自然だったのだろうと、思うようになりました。
 そうすることで、今の自分自身を許してあげることができるし、同時に、両親を責めるような気持ちは少なくなっていきました。

 それに、先ほど書いたような「がんばらなくちゃいけない」と反応してしまう人は、努力の分だけ、それなりの結果を残していることも多いように、親から譲り受けた自分の性格や反応の仕方は、決して悪い面だけではなく、良い面もたくさんあります。
 大切なのは、一つのパターンだけではなく、いくつかのパターンを持てるようになることであり、そうすれば、必要なときに自分のよい面を発揮することができます。
 自分の両親は、ほかに選択肢がなく、無意識的にそれがベストだと思って僕を育ててきたのでしょう。きっとそこに愛はあったのだと思います。それはそれで素晴らしいことです。それに加えて、自分はマインドフルネスを身に着けていくことにより、より多くの選択肢を持つことができます。
 だから、大切なのは、どんな親に育てられたとか、自分がどんな体験をしてきたということではなくて、より多くの選択肢をもつ、そういった気持ちをもって、前向きに今、この瞬間を洞察し、生きていけるかということなのではと思っています。

 今日も、長文お付き合いいただきありがとうございました。

 皆様も、良いお年をお迎えください。
 来年も、不定期に更新をしていくつもりなので、よかったら遊びにきてくださいね。
 ではでは。

 

調子の波とつきあう方法

 
 今日は、調子の波とつきあう方法について、自分が経験したことを書いてみようと思います。

 鬱の調子が悪い時期は、つらいです。でも、ずっと悪いので、つらいなりに安定しています。そこで安定してほしくはないと思っているのですが、つらいなりの生活ができあがってきます。

 でも、少し改善してくると、調子の良い日ができてくるようになります。それはそれで嬉しいことなのですが、そうすると、調子の波の問題に直面するようになります。
 特に、調子の良い日が数日続くようになってくると、ついつい勘違いをして、自分はもう大丈夫じゃないか、以前のように活動しても問題ないんじゃないかと錯覚してしまうようになります。
 それもしょうがないことです。つらかった時期には、1日でも早く良くなることを夢見てずっと過ごして来たんですから。
 だから、運動をしたり、旅行をしたり、イベントに出てたり、何かの活動をしても、翌日にそれほど疲れた感じがしなかったり、そんなに体調が悪くなかったりすると、「これなら、もう大丈夫!以前のように動ける」と、思ってしまいます。
 しかし、そう思って、続けて活動に参加したり、仕事を増やしたりすると、徐々に疲れが見え始めます。
 「あれ、そんなはずは。。。」「また調子が悪いときにもどっちゃうの」と思っているうちに、体調もくずれ、1週間後くらいには、精神的な落ち込みもガツンとやってきます。
 そして、「やっぱり、僕はダメなんだ。。。」とネガティブモードに舞い戻ってしまう。
 こういった波が繰り返されます。

 僕自身も、マインドフルネスにあう前に、休養である程度回復したあとは、この波におぼれて、以前より体調を崩し、自信をなくし、さらに体調を悪化させてしまい、活動の幅がどんどん狭まるという悪循環に陥っていました。良いときがある分、悪いときの調子がわらに悪く感じて、この波というのは、思った以上につらいものです。

 今回、マインドフルネスを知って、回復してくる途上でも、当然のことながら、この波はありました。でも、SIMTの技法を用いることで、クリアしてきました。

 波が出てくるということは、決して悪い事ではありません。それは、回復の兆しなのです。だからこの波の中でおぼれない方法を身につけましょう。

 コツは、一言でいうと、「良いときにがんばりすぎない、喜びすぎない、悪いときでも考え過ぎたり悪あがきしない」

 という事です。あたりりまえの事ですが、具体的な経験で書いていきたいと思います。
 
 良いときと悪いときの過ごし方でいうと、経験上、この「良いときにがんばりすぎない、喜びすぎない」という方が、調子の悪いときに考えすぎないというより、難しいです。
 なぜなら、悪いときの過ごし方は、この段階になるまでにある程度身に付けていることが多いですし、自覚しやすいので。

 その点、調子が良いときは、自分では「まったく問題ない」と自分の調子について思ってしまっているので、やっかいです。
 なかなか調子の良いときに、セーブするのは人間、難しいですね。

 なので、調子の悪いときから。

 まず、「頭で色々考え過ぎない」ということです。
 ついつい、「また調子が悪くなった」とか「こんなこともできないのか」など、色々考えてしまいます。
 調子が悪いときには、思考がまわりやすく、思考に流れやすくなっています。
 さらに、体調が悪いときは、その思考はかなりネガティブな方向に引っ張られます。この力はかなりつよいので、そのような状況の中で、ポジティブな事を考えようとするのは、経験上、たぶん無理だと思います。「ポジティブに考えよう!」という試み自体がうまくいかず、さらに落ち込む原因になります。
 だから、調子が悪いときは、じたばたせず、呼吸法で呼吸に意識をむけるか、瞑想をやって思考の波に入らないようにして、時間を過ごします。この時間を過ごす、つまり、やり過ごすことが調子が悪い時期には重要です。やらなければいけないことは、がんばることはせず、その日の調子で、できる範囲で、こなします。その日の調子でできること、それがその日の100%です。自分の頭で勝手に『100%力を発揮している自分』は設定せず、その日の体調それ自体が、その日の100%です。あとは、心と身体を瞑想や呼吸法でやすめ、やり過ごします。
 もちろん、これ自体は、調子を上げる方法ではありません。でも、こうやって時間さえやり過ごしてあげれば、数日から1週間程度でかならず体調や精神的な調子がまたあがってきます。これは、そうなる前にどの程度がんばりすぎちゃったかにもよるので、一概には言えませんが、かならずあがってくる時が来ます。だからこそ波なんです。良いときも続かないけど、悪いときも続きません。
 とにかくやり過ごす手段を身に付けましょう。
 でも、ここまで、SIMTの練習をされていた方であれば、ある程度、つらいときのやり過ごし方は身について来ているのではないでしょうか。その技術にさらに磨きをかけていきましょう。やることは呼吸に意識をむけるとか、一緒なんですけどね。

 さて、他に調子が悪くなってきたときについついしてしまうこと、それは、「調子を上げようとしてしまう」ということです。
 良い時期を経験しているので、ついつい、自分の中での設定がその良い時期を基準としてしまい、ついついその基準に調子を上げようとしてしまいます。そうすると、多くの場合、それは悪あがきになり、余計につかれたり、落ち込んだりする原因になります。

 例えば、疲れている時に、「ジムにいったらリフレッシュできるかも」と普段やらないトレーニングをしてしまうとか、「ショッピングにいったら気がはれるかも」と、いつもは出かけない場所に出かけて余計つかれてしまう、などです。前述しましたが、調子が落ちてきたときには、思考に流れやすくなっているため、無意識に、自分の調子を上げる方法を探してしまうんですね。でも、今、ここにない物を求めようとしてやることは多くの場合、失敗に終わります。
 この難しいところは、確かに散歩や運動、ショッピングなどは、気を晴らしたり、リフレッシュできたりすることもあるという点です。
 ここでの見分けるポイントは、「いつもしていないことをしてしまう」ということです。
 SIMTをやっていく過程で、運動や体操を習慣にしていく課題があります。それをある程度こなせている方は、習慣にしていることは、無理のない範囲でやった方がいいと思います。でもそれは、「気分や調子をあげるためではない」というのが、ポイントです。
 ただ、習慣として、それをやって、そこに結果は期待しないでおきます。
 そうして、やり過ごしていけば、かならずまた回復してくる時が来ます。
 だから、やって良いこととやらないほうがよいことのポイントは、「今やろうとしていること、考えていることは、調子をあげることを目的としているか」という点だと思います。
 意外と難しいんですよねー、だって調子の悪いときに、「調子が良くなりたい」と思うのは、もう自然な事ですから。
 だから、普段からの洞察で、自分の思考や行動に対するアンテナを磨いて置くことが大切になります。

 続いて、調子の良いときのポイント。
 調子が良くなっている時のポイントは、「あれもこれも、できそうな気がする」「今までやっていなかったことをやりたくなる」といった点です。
 もし、これが、社会的に逸脱した範囲までいってしまい、「借金してまでお金を使う」とか「人まで急に歌い出す」とかがあった場合は躁うつ病ですので、専門家への相談および援助が必要かと思います。
 でも、躁うつ病とまでは言わないまでも、最近では、双極性障害2型に分類される人が多いようですが、自分の経験上、ただ鬱でも、改善の途中で波が出てくる以上、おおかれ少なかれ、こういった「なんでもやれそうな気がする」とか「もう治った」と勘違いしてしまう感覚はでてくるようです。実際に、僕も、自分が双極性障害2型なのかと心配になり、主治医に相談しましたが、程度の問題ということのようです。
 もし、その感覚が、あまりに自分でコントロールできず、その波がつらいすぎるようであれば、それは一時的にでも、薬の助けを借りた方がいいと思います。
 
 さて、調子が良くなってくると、今までやりたくてもできなかったことをついついやりたくなります。できそうな気がします。
 「仕事も復帰できるんじゃないか、もっと増やしても大丈夫じゃないか」とか、「旅行の計画をたてよう!」とか。
 ここでも、ポイントは「今までの自分ならやるかどうか」という点です。
 この1ヶ月の自分ならそういったことをやろうと思ったかどうか、という観点でもいいかも知れません。
 何せ、自分にはできるんじゃないかと思っている時なので、そのブレーキは難しいのですが、調子が良いときの「やりたい」とか、「できるんじゃないか」というのは、「信用ならん」ということを心に留めて置きましょう。というのも、やったことには、かならず継続性が必要になり、波のある時期には、その「継続性」というのが、すごく難しいからです。
 だから、仕事を増やすだとか復帰するという判断はかなり慎重にしたほうがいいと思います。
 そして、やりたいことをやってもいいけど、そのあと、「かならず、疲れがでたり調子がおちる時期がやってくる」と覚悟をしておくということです。
 調子が良い時期も、「そろそろ疲れがでるかな?、どんな兆候がでてくるかな?」と、心のウェイトの1割くらいでいいので、そういった意識を残しておくようにします。これも、つまりは洞察を常日頃心がけて置くということですね。
 そうして、自分の特徴をつかむようにしていけば、疲れが出てきたときに、悪くなる時の過ごし方の方へ、ギアチェンジができるようになってきます。
 僕の場合でいうと、お出かけをしたり、仕事をいれたりすると、身体の疲れは2~3日で回復します。でも、精神的には割と元気なので、もっといけるかなと思うのですが、だいたい7日から10日した頃に、精神的な疲れというか、やる気が出ない感じとかがやってきます。まずは、普段やっていることが、なんとなくおっくうな感じ、めんどくさい感じがしてきます。なんか朝起きる時に、起きたくないような気がするとか。人に物を頼まれたときにイラッとするとか、イライラや怒りの閾値が下がってくることもサインの一つです。あれ、おかしいな-、いつもやっていることなのにと思っていると、そこから気分が滅入ってくるというサイクルが多かったです。なので、このサインが出たときは、出てきてもなかなかすぐに気がつけないのですが、気がついた時点で無理しないモードに切り替えて、思考に走らないように気を付けていました。
 それと、新しく何かを始めたいとか、仕事を増やしたい、旅行をしたい、という時には、すぐにそれをしないようにします。心の中に留め置いて、しばらく寝かせてみるようにします。そうすると、「あー、まだこれは無理だな」とか、「これならいけそうだな」とか、区別ができてきます。内容にもよりますが、1ヶ月から数ヶ月くらいは寝かせておいていいんじゃないかと思います。それについて、あれこれ考えなくても、できそうなものは、できるタイミングがかならず来ますから。
 その点にも通じるのですが、「よろうかな、どうしようかな」と迷うようなものは、たいてい、まだ早すぎることが多いです。自分ができる事柄に関しては、そういう事を考えるより早く、行動が起こっているものです。「できそうかな、できると思うんだけど」と考えてしまううちは、頭で「できそう」と思っても、まだ身体が「できない」と言っている時期なのだと僕は思いました。
 だから、頭も身体も「できろう」となったときには、考える前に、身体が動いています。だから、少しでも迷いがあるうちは、その気持ちを否定するでもなく、肯定するでもなく、そのまま心にそっとしておくのが良いように思います。

 なので、良いとこの注意点をまとめると、
  「やたら前向きに考えられるときこそ、注意!」
  「そういうときこそ、その後には疲れの波がやってくるのを覚悟して、洞察する!」
  「まよったらやらない」
  こういった感じでしょうか。

 こういったことが、僕が考える調子の波とのつきあい方のポイントです。
 でも、これらの事を、よく観察して、自分の特徴を良くつかんでいくと、自分の体調をコントロールすることはできませんが、自分の体調とつきあっていくことができるようになります。マネージメントできるといいますか。
 そうすると、今の体力でどのようなことができるのか、ペース配分がわかってくるんですね。
 それを続けていけば、気がつけば、以前に近いくらいいろいろな事ができてくるようになります。それには、時間が必要です。

 だから、波を感じている方も、どうか焦らず、悪あがきせず、マイペースに洞察を続けていってください。
 続けていけば、自然と、できることも増えていきますし、落ち込む頻度も少なくなってきます。
 自然とそうなるまで、どうか、焦らずに続けていきましょう。
 
 さて、今日も長文になりました。
 年内にもう1回、更新できるかどうかといったところでしょうか。
 ではでは、また次回。

心と身体のつながりについて補足

 前回、心と身体のつながりについて書き、ボディスキャンをお勧めしておりましたが、ひとつ補足しておきたいことがあり書き足してみます。

 僕の場合、何かと身体症状が表れて、今でも身体反応が自分の状態を知るための良いきっかけになっています。やる気がしないとか、朝、起きたくない感じとか以外にも、首の痛みが出る時、肩や背中のコリが出始めるときは、疲れがたまってきたり少ししんどくなってきている信号なので、生活のペースを少し落として休息時間を増やすように心がけています。
 
 これは僕自身の場合ですが、この身体からのサインと言うのも当然のことながら人によって異なります。
 僕がこのボディスキャンが自分に合っていると感じたのも、僕自身がわりと身体感覚を優位に使うタイプの人間だからかもしれません。

 人には、視覚、聴覚、触覚(体感覚)、嗅覚、味覚といった五感がありますが、主に、視覚タイプ、聴覚タイプ、触覚タイプの人間がいます。もちろんこれは固定ではなく、変化していくこともありますが、その人で優先的に使われる感覚はある程度決まっていることが多いです。これが僕自身は、視覚と身体感覚を良く使うタイプなので、ボディスキャンという方法が自分自身の感性をより高めるのにあっていたのかもしれません。
 でも、例えば、聴覚優位の人は傾向が異なる可能性があります。たとえば、音が大きく聞こえたり不快に聞こえたりするようになるのが、自分の調子悪化のサインの人もいるかもしれません。

 この優先的に使われる感覚のタイプというのは、どういうことかと言うと、自分が考えたり、情報を入手するときにどのような感覚を主に使っているかということです。
 
 たとえば、「氷」という文字をみたり、言葉を聞いたときにどのようなことがあなたの中に生じますか?
  それは、かき氷の映像だったり、かき氷屋さんの赤い「氷」という文字でしょうか?
  それとも、ただ、「氷」という文字や音が頭の中に浮かんだり、氷がコップの中でカランとなる音が響いたりしますか?
  それとも、冷たい感じや、飲みこんだときの頭のキーンとする感じが生じるでしょうか?
 
 映像がすぐに浮かんでくる人は、視覚優位タイプかもしれません。文字や音が生じる人は聴覚タイプかもしれません。冷たい感じなど体感覚が生じる人は、触覚優位かもしれません。
 僕は、「●●さん」という言葉を聞いたときに、まず顔の映像が浮かびます。そして人の顔は良く覚えているですが、名前を覚えるのはすごく苦手です。これも視覚優位の特徴かもしれません。

 自分のそういった特徴を知っておくと、それを有効に使うことができます。
 また人のそういう特徴を知っていると、その人に自分の伝えたいことをうまく伝えることができます。
 たとえば、「りんご」というものを相手に説明するのに、自分が触覚優位だからと言って、いくら味や食感などを説明しても視覚優位の相手にはピンとこないかもしれません。それより写真でとったように見た目を説明すると、すぐに理解してくれる可能性があります。また聴覚優位の人には、綴りを説明したり、言葉によるうんちくみたいなことを話した方がよく理解されるかもしれません。

 僕はこういったことをNLP(神経言語プログラミング)という知識を勉強してしりました。

 自分がマインドフルネスをやっていると、そういった自分の特徴が大変良くみえてくるようになります。
 そして、そういった自分の特徴をよく知り、それとうまく共生し、活用することがとても大切なのです。

 どのような特徴があるか、それは、自分自身にしかわかりません。
 言葉づかいや身振り手振りなどである程度は他人からも認識できますが、何より大切なことは、自分自身で自分のさまざまな特徴に気が付いていくことです。

 だから、前回ブログに書いたボディスキャンがどうもうまくいかないと言う人もがっかりしないでください。
 たぶん、僕とは優先される感覚が違うのかもしれません。
 大切なのは、瞑想や日々の洞察を通して自分と向かい合い、自分の特徴を、良いとかダメだとか決めつけずに、そのままに受け止め知っていくことです。別に直したり変えたりする必要は有りません。あなた自身の特徴は、あなたの財産であり、武器にもなります。大切なのは、どのような時にどのような働きかたをしているのか、それを良く知ることです。
 
 そのように、人によって特徴はかなり差があることをご理解の上で、ブログを読んでいただけたらと思います。
 そういう意味で、様々な人が自分の体験をつづることは、違った角度でのマインドフルネスを知ることができ、すばらしいことなんではないかと思います。

 ではでは、今日はこの辺で。
 またお時間有る時におつきあいください。

こころと身体のつながり(心=身体であるということ)

 前々回の記事をもう少しひっぱるつもりでいたのですが、今日は予定を変更して、書いてみます。

 今日は、こころと身体のつながりということについて、ボディスキャンを通して自分が感じてることを書いてみたいと思います。

 このボディスキャンという方法は、過去にも記事にちょくちょく出てきている方法なのですが、以前、不眠対策のところで書いた、眠りに対する効果以外にも、洞察を深めて行く、マインドフルネスをさらに上達させていく上でも、すごく役に立っている気がするので、あらためて書いてみようと思います。

 ボディスキャンをしている間は、身体の感覚に意識をむけていきます。それを続けることで、自分の身体に対する感覚がより繊細に、より鋭くなっていく気がします。自分の身体のどこに力が入っているか、緊張している部位はどこか、重く感じているところはないか、どきどきしているのか、うずうずしているのか、それはどの部位か。
 そういったことをより敏感に感じられるようになっていきます。

 そうしているうちに、あることに気がついたんです。
 何か、嫌なことがあったり、嬉しいことがあったり、誰からの話をきいたり、テレビでみたりしたときに、意識の方が認識するのと同時に、いやむしろ、意識が認識するよりも早く、身体の部位が反応しているということに。
 肩がこっているというとか、腰が痛いとか慢性的に感じるものだけではなく、怒りという感情がわくと同時にというか、感情に気がつくよりも早いくらいの瞬間、お腹の中を熱い物が胸から顔にサッと動いたことに気がついたりしました。
 時に、自分で、なんかお腹あたりに重たい感じがあるなー、と感覚に気がついてから、「あー、少し気分が落ち込んでいるんだ」と感情に気がついたりすることもありました。

 こころが動いた時には、必ず身体に反応が出ています。
 このように書くと、心がまずあって、それに従うように身体反応(感覚出現)のように思いますが、おそらくそれは、同時です。身体=心なのだと思います。
 僕も以前は、「心」があり、「身体」があり、それが相互に影響をしあっているようなものだと理解していました。もちろん、「心」は見えないものなので、それを「ある」と定義すること自体、難しいのですが、なんとなくイメージとして、そう思っていました。

 でも、どうやら、自分の心の動きと、身体の反応や感覚を見つめていくと、心=身体なのです。つまり、自分が身体の一部だと思っている、その腕が、足が、お腹が、それ自体が心の一部なのです。脳があって、心が生じているわけではなく、この身体そのものが、こころを構成していると思います。

 そして、心=身体なのであればこそ、ボディスキャンで身体の隅々まで意識を動かし、丁寧に見つめていくことは、自分の心を丁寧に見つめていくことに他ならないからです。
 自分の身体の反応をより繊細にキャッチできるようになればなるほど、ちょっとした心の反応も繊細にキャッチできるようになります。そして、そういった心の反応があったところにこそ、自分の意識の奥にある「本音」だったり「価値基準」といったものが隠れています。自分があたりまえだと思っていて、根深く意識のそこに横たわっているものこそ、その反応はごくわずかです。だからこそ、その繊細な感覚こそが、それらを見つける手がかりになります。
 そうすることで、自分のマインドフルネスがより深くなっていっているように思います。

 だから、自分は鬱を治したいんだ、別に身体のことじゃなくて、心の問題をどうにかしたいんだと言う方も、ぜひ、ボディスキャンを取り入れてやってみてください。やり方は一つじゃありません。自分の身体の感覚を丁寧に隅々まで順番に意識を移動させていくこと、それを習慣的に繰り返していくこと、きっと、そこから得るものがあるんじゃないかと思います。

 僕が調子を崩した時、きっかけは、身体症状でした。不眠、偏頭痛、発熱、下痢、様々な症状が代わる代わるにやってきて、すっかりグロッキーになってしまいました。当時は、わけがわからず、「なんで、僕の身体はこんなに弱いんだ。こういう症状がなければ、もっと頑張れるのに!」とそう思い、身体症状がなければ、気分も落ち込むことはないと思っていました。
 でも、実は、その症状そのものが、僕の心の叫びだったんですね。必死に僕自身が、叫んでいたんだと思います。
 今でも、自分の意識が疲れたとか、調子悪いとか、察知する前に、身体が僕の方に教えてくれます。
 そして、ちょっとした胃の重さとか、肩の張りとか、そういった反応をキャッチできると、早めに少しペースを落として休むようにするなど対処をできて、自分自身をマネージメントしていく重要な情報になっています。
 身体は本当に正直です。ストレートに表現してくるので、僕の意識が勝手に作り出している理想や想像とは関係なく、今、ここでの状態を表現してくれます。
 だからこそ、自分自身を知るのに大変役に立ちます。
 そのセンサーを鍛えてくれるのに、ボディスキャンはすごく役に立っているなと感じます。

 これはあくまで僕自身の傾向ですが、鬱になるまで頑張ってしまう方は多くの方が同じような傾向を持っているのではないでしょうか。よかったら参考にしてみてください。

 ではでは、今日はこの辺で。


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Author:Ko7

訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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