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はじめての方はこちらの記事をご覧ください → はじめに (2014/9/21)
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マインドフルネスはなぜにすごいか 自分なりの解釈①(世界と我々の隔たり)

  さて、今日はちょっと理屈っぽいお話しです。

 僕らは、皆、同じ世界の中で生き、お互いコミュニケーションをとって生きていると思っています。
 でも、本当でしょうか。

 今日は、そのあたりの事を理屈っぽく語りつつ、その結果、ではマインドフルネスがどのように作用し、どうして自分を高めるためにどのように作用しているのか、どうして僕自身はマインドフルネスがすごいと思うのか、というようなことについて語ってみようと思います。興味のある方はおつきあいください。

 確かに、僕らの周りには外的環境=世の中、世界があり、同じ時の中で生きています。

 でも、その世界を僕らが皆同じように認識しているかというと、実は違います。
 もちろん、抽象的概念、例えば友情とか愛情とか、善とはという話になったりすると、当然それぞれの中で意味するものは違うと思いますが、実は、この色は茶色とか、味といった割と客観的なことまでも、人により違いがあります。さらにいうと、この世界と、我々には超える事のできない断絶された壁があるんです。そして、その壁は、我々一人一人も隔てているのです。

 では順番に説明していきます。
   
 まず、以前も書いた我々が物事を認識して、行動に移す過程を思い出してください。

   ①(外界から、内界からの)刺激 → ②五感+③認識(言語・思考) → ④感情、⑤身体反応 → ⑥行動

  我々が外界を認識するとき、すべてはこの経路をたどって認識されています。
  ④や⑤、⑥そして、⑥の結果起こった外界での反応などそれぞれが、また①に入り、次の反応の連鎖になっていきます。
 このステップの詳しい解説は、SIMTのアプローチするところ(物事の認識のステップの中で) をご覧ください。ちなみに広くは外界だけでなく、自分のうちで起こった感情や感覚、イメージなども、それが新たな刺激①となり、新たな連鎖のステップが生まれていきます。

  ここで、特に今回大切なのは、②五感と③認識(言語・思考)のステップです。
 我々が物事を認識するためには、かならず、まず②五感(視覚、聴覚、触覚体性感覚、味覚、嗅覚)でそれを感知しなくてはなりません。
 実は、この時点で、すでに世界(外界)と距離ができてしまいます。
 なぜなら我々の五感は、完璧ではないからで、一部の感覚しか認識できないからです。たとえば視覚は、光の成分の中でも限られた領域の波長しか認識しない。紫外線や赤外線と言われる波長のものは、われわれの目では見えないが、世の中にはあふれており、ある種の昆虫などではそれらの波長をとらえていると言われています。また色として感じる領域でも、人間の眼には、赤・緑・青を感じる細胞しかないため、すべての色をそれらの混合としてとらえていますが、他の生き物には4種類、5種類と色を感じる細胞があり、同じ色をみても、我々が見ている色と、他の生き物が見ているいろは全く別の可能性が高いです。
 このように同じ世界に暮らしていても、感知する感覚器の性能により世界をまったく違うものとしてみている可能性が高いということが言えます。ここまでは、違う生き物であればわかりやすい話です。
 では、同じ人間同士なら同じ世界を認識しているのでしょうか。
 確かに同じもの、同じ事柄に対する認識は近い可能性がありますが、同じとは言えません。
 なぜなら、我々の感覚装置は、人それぞれにおいて微妙に違うのですから。だから同じ「茶色」と一般的に呼ばれる色を同時に2人の人が見ていたとしても、Aさんの眼を通って脳内に再現された色と、Bさんの眼を通って脳内に再現された色はおそらく微妙に違うことが考えられるのです。例えば、味で考えてみるとわかりやすいかもしれません。Aさんが「海老の味が大好き」といいます。しかしBさんは「海老の味は大嫌い」といいます。Aさんにとっては、Bさんのことは信じられないでしょうし、BさんにとってもAさんは同様に思うでしょう。「美味しい」「マズイ」というのは、その人の経験から言われている可能性も高いですが、実はAさんが感じている「海老の味」とBさんが感じている「海老の味」は、例え同じものを食べても、異なっているのかもしれません。もし、仮にAさんの意識がBさんの身体を借りることができたら、Bさんの舌を通って、脳で探知される味は、非常に不快に感じる感覚であるかもしれませんし、逆にBさんの意識がAさんの身体を借りることができたら、Bさんの舌を通ってAさんの意識が感じる刺激は、大変心地よいものかもしれません。そういう意味では、本当に海老がもっている味というのは、だれもわからなくて、あくまでその人の味覚細胞が感じ、脳で再現されたものしかその人は認識できないと言えます。
 このように、我々の感覚器は、世界のごく限られた領域しか探知できないだけでなく、さらにそれぞれの個人の間においても差異があり決して同じではないということがわかります。つまり、我々の意識は現実の世界(環境)をそのまま認識できないという点において、すでに世界からは大きく隔絶されおり、、さらにはそれぞれの人間もお互いに越えられない壁で隔てられていると言えるのです。

 さらに、同じ世界を共通に認識しているという点においては、認識のステップ③言語・思考の部分でも、問題があがります。

 ただでさえ、それぞれの感覚器でとらえられた情報は個々に異なるといいうのに、実はその情報さえも、そのまま僕らの意識に認識されることはありません。
 というのも、探知されたすべての感覚は、そのまま意識に上るのではなく、探知され脳にその情報が運ばれた瞬間に、視覚や聴覚など探知情報のセットとして、過去の経験や記憶と照らしあわされて、「言語的」な変換を受けるからです。
 つまり「赤色」の色を見た時、眼を伝わってその「色そのもの」が情報として脳に伝わるが、脳に伝わった途端、自分の記憶や経験を参照し、「赤色」とか「赤い」という言語に置き換わるわけです。「リンゴ」を見たとしても、「その物体の情報」がそのまま脳に伝わり、そこで記憶や経験と照らしあわせて、始めて「リンゴ」と認識されるわけです。
 さっきの味でいうと、Aさんが感じた海老の味も、Bさんが感じた海老の味も、実は味覚細胞がその情報を取得し脳に送った段階では、「味そのもの」であり、そこに良いも悪いもありません。しかし、脳に伝わり過去の経験や記憶と照らしあわされた瞬間、「美味しい味」「まずい味」と認識と同時に評価も付け加えられ、変換されてしまいます。
 もちろん、これは意識されることもある。何かの匂いを感じた時に、ある記憶を思い出したりするように、その変換の過程が、自分で認識・意識できることもありますが、今たとえに挙げた味のように、殆どの場合それは反射的に変換されるものであり、無意識に行われる過程です。しかし、我々の中では、身近なものや事柄になればなるほど、この過程は自動化され、無意識のうちに行なわれています。これがすなわち悪いといっているわけではありません。例えば本を読む場合など、1文字1文字の認識に時間がかかっているようでは、本全体の内容を理解することなど到底できません。文字やそのセットの言葉を瞬間的に認識できるようになり、始めてその内容という物まで理解し考えることができるのです。
 なので、ただ、人間の認識のステップというのはこういうものであるということを理解することが大切です。さらに、我々の日常では、そのような認識を、無意識化過程を「学習」と呼び、むしろ「良いこと」ととらえられている面があります。

 さて、この変換プログラムは、もともと人間などの生物が根本的に持っているものでもありますが(痛みに対しての逃避や恐怖の反応のように)、多くの場合は、成長の過程で教育や経験、文化的背景、言語的背景によって作られてきたものです。
 たとえば、文化によっては、虹を7色ととらえるのか、5色ととらえるのか違いがあります。また太陽を絵に描いたとき、黄色で描くか赤色で描くかは住んでいる国や地域によって違いがあります。
 さらには、女性に対する扱いや認識も時代や文化によってかなり差があり、例えば、痩せている人が美しいとされるか太っている人が美しいとされるかなどもその一例です。
 さらに、同じ日本だとしても、水を桶などに入れてお湯で薄めてぬるくするのを忌諱する人がいます。これは、亡くなった方を拭いたりする水はそのようにしてぬるくするので縁起が悪いと言うものであったと思います。でも、僕も含め、それを知らなかった人、もしくはそれを習慣としていない人にとっては、そこに対して不快の感情などはまったく生まれません。しかし、それを「不快」と感じる人にとっては、それは、理屈などなくその感情が生まれるといっていいでしょう。


 このように考えると、我々は世界や外に拡がった環境や出来事を認識するということは、感覚器からの限られた情報が、ある種のプログラムにて変換された結果のみが、意識というスクリーンに表示されたようなものだと言うことができます。

 感覚器(情報)⇒プログラムによる変換(記憶や経験による言語への変換)⇒意識というスクリーンに表示(認識するということ)

 これらの過程は、ほぼ無意識で起こっており、我々は、この意識のスクリーンに表示されているものを、「実際に外界にあるものそのものだ」と考えて普段生活しています。
 しかし、今まで書いてきたように、「本当にあるであろうもの」と我々が「認識したもの」になるためには、認識ステップの中で、かなりの修飾と変換をうけていることが分かります。

 つまり、例えるなら、われわれは、それぞれが、カプセルの中に入って生きているようなものなのです。
 そのカプセルには、窓も無く、限られた計測機器のみが付いていて、それが特殊なプログラムで変換され、その結果のみをみて、我々は、そのカプセルを操縦し、世界(外界)を生きて行かねばなりません。

 このように書くと、いかに心細い状況の中で我々が生きているかがイメージできるのではないかと思います。

 さらに、そのようなカプセルに入った者同士が、同じ認識をもってお互いコミュニケーションをとり、理解し合うなど、不可能に近いと言えることがわかっていただけるかも知れません。

 
 ここまでが、いかにして我々が世界を認識しているか。そして、いかに世界を正確に認識できないかの説明になります。
 良い悪いではなく、このような認識のステップを理解しているというのが、これからの説明に大変重要なことになります。

  今日は、長くなったのでこのあたりにしますが、次回は、では、このような状況の中で、なぜマインドフルネスがその力を発揮できるのか、そして、なぜ私がすごいと感じるのかについて書いていきたいと思います。
 
 ここまでおつきあいいただきありがとうございます。

 よかったらまた見にきてください。
 ではでは。

不眠対策


長文が続いたので今日は軽めの話題で。

 夜、寝つきが悪い時や、夜中目覚めてなかなか眠れない時の対策として、僕がしていることを紹介します。

 もともと眠りが浅い方だったのですが、この病気をやってから、特に眠りが悪くなりました。 
 ちょっと疲れると、夜中に目が覚め、身体が火照ったり、あるいはゾクゾクしたりして1時間ほど眠れなくなります。
 また寝つきが悪い日もあります。
  そういったように、体調の変化やストレスがダイレクトに眠りに出やすくなってしまいました。

 この病気を持っている人は、新型うつでは過眠になるかたもいるようですが、眠れないもしくは目が覚めてしまうといった症状をお持ちの方が多いと思います。
 また、鬱でなくても、現代では睡眠障害を持っている方の数は、かなり多いと言われているので、ちょっとした参考になるかもしれません。

 以前は、目が覚めてしまうと、「どうしたら眠れるだろう」と考えて、そうすればするほど目が覚めてしまい、「明日は寝不足だなあ」と考え、気が滅入るということも多かったです。
 でも、目が覚める事も、眠れない事も、自分の意識で操作できるものではないため、どうしようもないのが正直なところでした。
 もちろん、睡眠薬を使うという方法もあるのですが、本当に中途覚醒が起きる時は少量の睡眠剤ごときではどうしようもありません。もちろん、助けを借りる時もありますし、薬自体が悪だとは僕は考えてはいないので、使う必要のある時は使えばいいと思っていますが、ただ、さらに助けとなる薬以外の方法を探していました。

 マインドフルネスをやり、不快の受容や、評価をせず観察をすることが徐々にではありますができるようになってきて、最近、夜中に目が覚めた時に、「そうか、自分でどうにもならないことなら、何を考えてもしょうがないのだからそのままにしておけばよい」と、目が覚めた後はあれこれ考えず、呼吸を数えつつ、ボディスキャンを続けていました。
 そうすると、それで眠れるわけではないんですが、そうしているうちに知らぬ間に眠ってしまっており、どうやら今までの対処法の中で、一番効果が有る気がしました。
 ちなみに、ボディスキャンとは、自分の意識を、頭のてっぺんから、CTスキャンを受ける様に、または蜂蜜のような液体が、頭の先から足の先に向かって徐々に流れていくのを意識する様に、順に体の感覚に意識を向けて、全身をくまなく探索してあげる方法です。僕の場合、これを頭の先から体幹を通って左の足先、その後、また頭の先から体幹を通って右の足先、また頭の先から肩を通って左手の指先まで、そして、最後に頭の先から右肩を通って右手の指先まで。といったように、順番にゆっくりと意識を向けていきます。その間、意識が向かっている身体の部位の感覚をできるだけありありと感じる様に意識します。
 呼吸法を続けながら、これをゆっくりと丁寧にやっていきます。
 そうすると、まず、これをやることで、余計な思考が回る事を避けられます。思考に意識が向かってしまったら、それに気が付いてすぐにスキャンに意識を戻し再開していきます。
 でも、思考を止められるということ以外にも、身体感覚に意識を向かわせると言う事自体に、眠りをいざなう効果があるように感じています。これは定かではありませんが、そう感じてます。

 なので、これ自体が眠らせてくれるというものを保障するわけではないんですが、考えれば考えるほど目が冴えてきてしまうので、思考から離れて、眠りに落ちる部分は時間と無意識にお任せして、自分の意識をそれまで他に向けてあげるという方法ですね。

 これをやってから、途中で目が覚めても、比較的、再び眠りに落ちるまでの時間が早くなっているように感じます。少なくとも夜中に悶々としている時間はなくなりました。

 カバットジンさんの本でも、ボディスキャンのことは載っているのですが、そこでも、やはり睡眠障害の方に評判がよかったということが、書かれていたように思います。

 カバットジンさんの本はこちら↓
 アメリカでマインドフルネスが広く知られるきっかけとなった本です。

 


 
 もし、眠りのことでお悩みの方がいたら、ぜひ試してみてください。
 そして、経験談を教えてください。

 ではでは、今日はこの辺で。

 
 

ネガティブな思考や連鎖がなくなるわけ(SIMTで止める思考とは③)

前回は、自分の思考やパターンを繰り返し観察していくことで、自分の中のパターンに気づき始め、さらには、そのパターンの中にわずかな違いがあることが見えてくるというお話をしました。

 この感覚が自然とでてくるようになるのには、経験上、かなりの実践の繰り返しを必要とするように思います。もちろん、一度パターン見えてきたと思っても、さらに続けていると、もう一段階深いレベルや、あるパターンとパターンの連鎖などにも気がついてきたりするし、違うと思っていたパターンが一つの価値評価基準からの表現の違いであることがわかったりと、気づき自体も深まっていくので、ここから先は終わりなき作業になっていくのですが、僕自身、実践を頑張って順調に進んだ方だと思いますが、それでもこういったことが見え始めてくるまでには1年くらいはかかっていたように思います。
 もちろん、ある日突然できるようになったわけではないので、その1年の間にも薄皮が剥がれていくように徐々に体調も改善を実感していましたし、かといって、上記のことができるようになり始めたからと言って、まったく症状やつらさがなくなったという訳でもありません。
 ただ、やはり身に付けることですし、繰り返しの中で発見できることなので、それ相応の時間が必要であることは知っておいた方が良いと思います。とにかくあせらずに、一つ一つの課題を丁寧にやっていくことだと思います。

 では、そうやって、自分の中のパターン、自分自身の特徴に気がついていくと、どうやって改善するのか、ネガティブな思考が連鎖しなくなっていくのか、症状が出にくくなっていくのかと言うことについて、僕なりの考えを書いてみようと思います。

 ここまでのことが身についたからと言って、出てきた思考を自分の力ですぐに止められるとか、症状を意思の力で押さえ込めるという訳ではないんですね。おそらく、それは、どんなにマインドフルネスを身に付けてもできることではないと思います。

 というよりは、症状やネガティブな思考や連鎖の特徴を知ることで、それ自体とつきあっていけるようになってくると共に、早めに気づけるようになって、どうにもならないほど大きくなってしまうのを防げるようになってくるといった方が正しいかもしれません。

 自分の中では、今でも疲れやすさとか、疲労の時の睡眠障害、体調の変化、やる気の低下というのはあるのですが、それにそれなりに対処できるようになってきて、自分の内でおさめられているので、周りの人からみると、ずいぶん良くなっているねと感じるようです。

 例えば、夏休みにいろいろ出かけたりすると、一週間後くらいに疲れがでて、体調が今ひとつになったり、気分が何となく落ち込み気味になったりするのですが、僕自身は、イベントの一週間後くらいにそういうものが出てくるというパターンをつかんでいるために、そこであまり慌てることがなくなりました。かといって、それをすぐに解消することもできないのですが、もうイベントは済んだことで、その結果として出てしまっていることなので、その時点で解消しようとしても、ペースを少し落として時間を稼ぐしか良くならないことも分かっている状態です。無理に解消しようとするいろいろな行為は、結果よくならずがっかりしたり、余計に疲れをもたらすことも分かっています。そういう時期は、あまり気分は良くなく、思考もネガティブに走りがちになりますが、そのことも分かっているので、思考に走りそうになったら、すぐ呼吸法を行ないそちらに意識をむけます。そうやって、必要なことは、頑張らずその日にできる範囲でこなしていき、数日過ごしていくと、徐々に体調や気分が回復してくるのが分かってきます。
 こんな感じです。
 でも、こうやって数ヶ月、やっていくと、特別にがんばろうとしなくても、徐々にですが以前より活動の幅が広がったり、疲れにくくなってきていることにも気づいてくるんですね。

 くりかえしになってしまいますが、
 症状自体を止めることはできません。気分が落ち気味になるのを変えることはできません。
 でも、その乗り切り方のコツをつかんでいることで、対処ができています。大きく騒ぐほど症状や不安を増大させるまで行かないので、自分の中で処理できています。その結果、周りから見ると、多少疲れているけど、最近はわりと落ち着いているなと見えるようになってくるようです。

 こう言ったとき、よく僕自身が自分にしてあげていることがあります。疲れがでたり、体調が少しおちて症状が出てくると、「まだよくならないのか」とか、「またネガティブなこと考えている」といった思考がどうしても走りがちになります。そのときに、「いいんだよー、イベントを乗り切ったんだから今疲れがでるのはしょうがないんだよ-、乗り切っただけでもすごいよー」と一瞬自分に対してつぶやいてあげて、ネガティブな思考が走ったときも、「こんなこと考えたらダメだ!」ではなく、「いいんだよー、今は疲れてるからネガティブに行きやすいんだよー、そのネガティブな思考に今、気づいただけでも合格点だよー」と自分自身に呼びかけて、呼吸だったり今ここでしていることに意識を戻します。

 どうしても鬱でいるときには、自己評価が下がり、さらに自分への評価も厳しくなります。さらには、こういう病気になりやすい人は、基本的に自己への採点が厳しい傾向があると思います。そうすると、自分の中で起こった思考や症状、感情などに対しても、厳しく評価しがちだと思います。「マインドフルネスをやっているのに、良くならないなんてダメだ」とか「こんな思考をしてちゃ、上達しないダメだ」とか。
 でも、マインドフルネスで大切なのは、「評価せず、そのままにして観察する」ことです。
 だから、この「いいんだよー、それが起こっても、今、それに気づければそれで合格点だよー」という作戦は結構いいように思います。

 なぜなら、「こんな思考しちゃダメだ」とか評価する思考の後には、かならず落ち込みや失望といった感情が続き、そうなると症状も悪化するからです。そんな時、「いいんだよー、今は、評価しちゃってもいいんだよー、評価した自分に気がつけたら合格点」とつぶやくと、評価の後につづく落ち込みや症状の悪化が少し緩和されるように思います。

 そうやって、どんな事が起こっても、自分の中の出来事を肯定し、観察していくことが大切です。

  なんかですね、こういったように、自分の特徴を観察していくと、自然に起こってしまい自分の力ではどうにもできない部分や展開と、自分次第で少し変化が可能な部分や状況が、よりよく見えてくるというか分かってくるんですね。

 そして、その段階まで来ると、自然と、その後の状況が悪くならない方向へ自然と意識や身体が対応していくような気がします。

 実際、自分の経験では、そうやって自分の特徴を観察していくと、自分の力で変更できる事って、思っている以上に少ない気がつきました。以前は、誰がやっても自分の力ではどうにもならないことを何とかしようと必死になっていた気がします。出ている症状を押さえ込むだとか、落ち込んでいる気分を何とか持ち上げようとするとか、症状や疲れで動けない日に何とか動こうとするとか。そういうことを必死でやってさらにエネルギーを消耗していました。 
 それらは、待っていれば自然に回復してくるものですが、自分の力で回復させることはできないんですよね。それに気がつけたとき、そこから症状や病気とのつきあい方が少しずつ見えて気がします。

 でも、自分の力で回復できないといっても、自分でできることもあるんです。一つは、無理なことを無理にやろうとしてエネルギーを消耗したりせず、回復を待ってあげること。この無駄なことをやらないというのも自分にできる選択です。
 そうやって、自分の特徴を見ていくと、多くは自然に起こってしまい自力で変化させることができないものですが、その中の一部には自分が変化させることが可能な要素もあります。
 出かけるのか出かけないのかとか、薬を飲むのか飲まないのかとか、呼吸法をするとかしないとか、テレビやパソコンを見ないでおくとか。

 観察を続けて行くと、自分の体調の変化や状態の変化、思考の連鎖にも敏感になってきます。
 そうすると、早い段階で変化に気がつけるようになってきます。
 「あー、少し疲れがでてきたな」とか、「この考え方でいくと、また落ち込むな」とか。
 そうすると、症状として自分が自覚でき苦しむよりかなり手前の段階で、自分の変化に気がつけます。
 その時点では、「身体が疲れているから、今日はこのくらいにしておこう」とか、調整ができるようになってきます。
 さらには、しっかりと自分を観察していると、改めて調整をしよう!と思わなくても、「今はこういう状態だから、こうする」というように、「今、ここ」の自分に合わせた生活ができるようになってくるように思います。
 そうすると、無理をしなくなってくるし、早い段階で症状や体調の変化の芽を摘めるようになってくるので、大きな体調の変化を経験する頻度が減ってきます。
 思考にしても、自分を傷つける程の自己否定まで行く前に、「このまま進んだら悪い考え方が悪循環に入るな」ということが早めにわかるので、その時点で別のことに意識をむけられます。
 早い時点でわかるほど、対処もしやすいのです。
 
 例えば、怒り心頭したまらなくなってしまったら、その怒りが収まるのには相当時間がかかってしまいます。
 もしかしたら、人や物に当たらないと気が済まないかもしれません。

 でも、ちょっと「イラッ」とした時点で、その場から離れるという選択肢がとれたら、わりと短い時間で忘れて他のことに意識がいってしまうと思います。その場から離れるというのは、一つの例にすぎませんが、早い段階で対処ができると、意識を他の事にむけることで、思考の流れをある程度コントロールすることが可能になります。
 でも、もう限界まで自己否定の思考がまわってしまい、感情の波や症状の波が大きく乱れるところまで来てしまうと、意思の力だけでそれを変えるのは至難の業です。
 そうなったら、それ以上悪化させないように、呼吸に意識を無理矢理むけ続けて乗り切るしかありません。

 このように、マインドフルネスの実践が進み、観察の眼が鋭くなってくると、おそらくかなり早い段階で様々な変化対処ができているんだと思います。
 思いますというのも、おそらく自分でもはっきりとわからないくらい早い段階で、落ち込みやネガティブ思考につながるよりかなり早い段階で、手をうてているので、自分にはそれを止めているという意識はないんですね。自分としては、「今、ここ」の自分を丁寧に観察していくよう努め、そのときの自分自身に対応していってあげているというだけなんです。
 ただ、おそらくその結果、その後につながるであろう落ち込みや症状の悪化、ネガティブ思考が止められているんじゃないかと推測しています。

  これが、マインドフルネスをやっていると、治そうとしていないのに治っていく。気がついたら改善してきているとか、良くしようとしていないんだけど良くなってくるよということの、理由だと僕は思います。

 このあたりの感覚がすごく伝えるのが難しくて、ブログを開始していらい、あの手この手で説明を試みています。
 マインドフルネスで改善した方であれば、わかっていただける感覚かもしれません。
 僕自身もそうだったですが、自分で経験するまでは、その感覚はなかなか理解しがたいものでした。
  気づこうとするわけではなく、気づきがやってくるとか、変化させようとするわけではないのですが、変化してしまうとか。
 なかなか言葉にするのは難しいです。
 でも、実践を丁寧に続けていけば、かならずできるようになる、わかってくる感覚かと僕は思います。

 わかりやすいかどうかわかりませんが、たとえをあげるなら、
 座っている状態で、全身の不必要な力を抜こうとしたとき、力を抜こうと努力すればするほど、それは緊張に結びつくかと思います。力を抜くことを目指そうとすればするほど、力の抜いている状態が分からなくなってきて、力を抜いているという状態を無理に作ろうとするような感じになってきてしまいます。

 でも、どこに力が残っているか、全身を観察モードでただ眺めていきます。「このあたりが緊張しているな-、このあたりもまだ抜けてないかー」と、全身を丁寧にただ観察をしていき、それをゆっくり続けていくと、いつの間にか、自然と脱力状態になっていかないでしょうか?
 
 マインドフルネスもそのような感じに近い気がします。
 変化をさせよう、治そう、気づこう、とがんばりすぎてしまうと、それらに意識がいきすぎて、それにより余計な緊張を生み出したり、余計な思考に嵌っていったり。
 以前書いたマインドフルネス認知療法の本では、そのような傾向を「することモード」と名付けています。
 今ある状態とは違う別の状態になろう、そのような状態を作りだそうとしてしまうモードです。
 
 マインドフルネスで大切なのは、「あることモード」です。
 ただ「そこにある」状態を観察し、それが自分の好き嫌いにかかわらず、ただ「そこにある自分」の状態を観察し、それを許してあげる。そのような体勢でいることです。

 「することモード」が能動的なのに対し、「あることモード」は受容的というか、センサーを働かせいる感じといえると思います。

 さて、SIMTで止める思考とはというところからスタートして、SIMTが進んでいったときにどのように変化が起こるのか、悪い思考を止められるのかということの自分なりの解釈を書いて見ました。

 中々言葉で表すのは難しいですが、この「することモード」から「あることモード」の違いに気がつくことが、最初はすごく大変な事だし、これを自分なりに掴めると、マインドフルネスもグッと進むような気がします。

 今後も、いろんな角度からこのことは説明してきたいと思います。

 長文におつきあいいただきありがとうございました。

 またよろしくお願い致します。


SIMTで止める思考とは②


さてさて、前回の続きです。
 徐々に、自分の中で生じることに「名付け」ができるようになってくると、なんと様々な事が起こっているのかと驚きを感じる時があるのではないでしょうか。
 自分が考えているという自覚を持つまでに、ほんのわずかな音や見た物、ちょっとよぎった思考などをきっかけに、次から次へと気がつかぬうちに連想がつながっている事に気がつくことがあるのではないかと思います。
 それは、まるで夜見る夢の中でなんの脈絡もないストーリーが展開していくように、我々が起きている間も、そのような思考や感覚の連鎖が連綿と我々の無意識で続いているんです。

 そこで、どのような思考を止めるかということですが、確かに我々の生活の中では、思考をしなければ生活をこなしていけません。
 「今日の晩ご飯は何にしようか」 「次の営業先は。。。」など、考えなくちゃいけないことがたくさんです。
 私なりに、経験の中で考えてみたのですが、少なくともマインドフルネスの練習をしているときは、「今、ここ」でやっている事と直接関係のないことに思考が流れてしまっていったら、それは早く気がついて、「名付け」をして、また「今、ここ」に意識を戻した方がいいです。
 この、「今、ここで取り組んでいることと別のこと」というのがポイントです。

 たとえば、晩ご飯を作っている時、
 「次に卵を割っておいて、醤油を入れて、その前にボウルを用意しておかなくちゃ」と考えるのは、
 今、料理をしているのなら、それは直接関係のあることですから、その思考はまったく問題ありません。むしろしっかり思考能力を駆使した方がいいでしょう。

 でも、「あ、卵がもう少しでなくなるな」まではいいとして、
 「そういえば、最近卵が値上げしたってニュースで言ってたな」とか、「値上げと言えば、うちももう少し節約しなくちゃな」とか
 「野菜もこの前の大雨で値段が高止まりしているって言ってたな」とかになってしまったら、
 これはもう、目の前の料理とは関係のない思考、連鎖に入ってしまった思考なので、早めに思考していることに気がつき
 「思考」と名付け、また目の前の料理に意識を戻した方が練習になるでしょう。
 
 いわゆる、セッションの最初の方でならう、活動時の傾注観察法は、まさにこのやり方でやっているということです。

 もし、明日の旅行の計画を立てようという時に、
 「まず、~駅から、~線にのって、」と考えるのは、「今、ここ」にないですが、「今、ここで、旅行についての計画を立てよう」としているのだから、進めても良い思考です。
 でも、「そういえば、~駅の近くにマンションが新しくたってたなあ、いくらぐらいするんだろう」となってたら、それは思考の連鎖に入っているので、気づいてあげるべき思考だと思います。

 もちろん「名付け」をした時点で、無理にその思考を止める必要はありません。考えたいなら考えればいいんです。でも、マインドフルネスの訓練をしている時なら、そこで、一度、「今、ここ」でやっていたことに意識を戻すと良いと思います。そこで気づけて、意識を戻すことをできるということが大切です。これで、気づきの感度を磨く訓練と注意を自分の意思で動かす訓練ができていることになります。

 そうやってやっていくと、どこからが、いわゆる「思考の連鎖」に入っていくかがわかるようになってきます。
 そして、より繊細に、自分の中の「思考」や「感情」の連鎖に気がつくようになってきます。
 時には、思いも寄らなかった連鎖に気がつくことがあるかもしれません。

  まずは、静的洞察、座ってやる呼吸法で、この「名付け」と気づきを練習し、さらに生活の中で、傾注観察法や感情が動いたときの一次、二次、三次の区別などをやっていく過程で、訓練と実践を重ねていくと、様々な気づきが得られてくると思います。

 私の場合、この気づきの訓練をやっていった時、最初に気がついてきたのは、自分の中で繰り返されているパターンがあるなと言うことだったように思います。
 様々な場面で気づきを繰り返して行くうちに、場面は違うけど、自分が調子を崩す時にはどうやらパターンがあるなとか、症状が強くなるときには、起こりやすいパターンがいくつかあるなーという、それぞれの事象の中に隠れている共通点が見えてきたように思います。
 具体的には、様々な事をきっかけとして、気持ちが落ち込んでいたけど、見た刺激から、気分が落ち込むまでには、どうやら一瞬、同じような思考が入る気がすると、気づいてきました。仕事をしている人のテレビを見て落ち込み、新聞を読んで落ち込み、友人の話を聞いて落ち込み。
 この時点では、どんな思考かは明確になっていませんでしたが、なんか同じようなパターンで思考をして、その結果、同じような落ち込み方をしてるんじゃないかなーということがうっすらと見えてきたんです。

 ここで、「自分にはこういうパターンがある!」と気がつくのは大事なのですが、「このパターンしかない!」と決めつけてしまうのには注意が必要です。
 なぜなら、「このパターンしかない!」と決めつけた瞬間に、観察するのをやめてしまい、起こったことを「パターンに入るのかそうではないのか」の二者択一の判断しかしなくなってしまうからです。そこで気づきや観察が止まってしまいます。

 あくまで、「どうも、こういうパターンを繰り返している気がする」というところで止めておき、さらに注意深く、生じてくることを観察していくことが大切です。

 なぜなら、同じパターンが見えてきて、いつも同じだとおもって観察していると、次には、今度は、同じだと思っていたパターンの中に、微妙に違いが在るときに気がつくようになるからです。

 まずは、同じような共通点が見えてくるのですが、それを続けて行くと、その共通点の中に、微妙な違いが見つかってくるんです。

 例えば、いつも、仕事に関連したことを見ると、落ち込んでいたが、どうも、仕事に関連したことでも、仕事の人間関係に関係したことの方が、落ち込みの度合いが大きい気がするとか。
 この間、Aさんと仕事について話した時は、あまり落ち込みがなかったなあ。 などなど。

 そうして、注意深く観察していくと、より良く、自分の特徴が見えてきます。
 自分が落ち込むきっかけになるのは、どんなことなのか、そのときにどんな思考が働いているのかとか、さらにそんな思考を繰り返してしまっているのは、自分がどんな判断基準をもっているかとか。
 ほんの些細な生活の中での変化や自分の中で生じる事を見ていくと、より、自分自身や自分の病気の特徴が見えてくるのです。
 
 この特徴が見えてくることが本当に大切なのです。

  これくらいの頃になってくると、「名付け」はしていますが、「名付け」そのものというよりも、同じ「名付け」をしていても、内容は様々であることが観察されてきます。それ自体が、観察できるようになると、生じてくる現象そのものを、そのままとして、扱えることが徐々になってくるように思います。この段階になれば、「名付け」そのものにはあまりこだわる必要がないと思いますが、この段階に到達するには、かならず最初の段階では、「名付け」の訓練とその実践が必要なように私は思います。
 
 また、観察を続けていくと、様々なパターンや、自分の特徴が見えてくると書きましたが、この「気づき」は、ただただ、評価や判断をせずに、観察や気づきを続けていくと、あるとき、フッと浮かび上がってくるような、「そういえば、こんな感じかも」と、気づきような、そんな感じで見えてくるものです。
 決して、ある事象ひとつを捕まえて、それについて「こんなパターンがあるんじゃなか」「いやいや、こう考えてしまうのは、きっとこういうことに原因があるんだ」とか、考えた末に見つけ出すような、気づきではありません。
 なぜなら、その見つけ出そうと頑張っている時には、すでに思考の罠、連鎖の罠に捕らわれてしまっているからです。
 ひどいときには、「自分はこうであるはずだ!」と、あらたな概念や状態を自分の意識の中で作り出し、現実に起こってくることを、「こうであるはずだ」と、自分が作り出したものに当てはめるようになってしまいます。
 これでは、「今、ここ」の現実を重視し、それを無評価で観察するマインドフルネスとは反対のものになってしまいます。
 
 大切な気づきとは、「今、ここ」で起こっていることに、ただ名前をつけ、そしてそれをすぐ捨て、常に「今、ここ」を、観察していくことで、繰り返し、自分の中にその経験が蓄積されていくことで、あるとき、その中からフッと見えてくるものなのです。

 それは、同じような写真をいくつも見ていく中で、その経験をずっと続けていると、ちょっとした違いがあったときに、自然にそこにフッと眼がいってしまうような、そんな感じなんだと思います。
 または、様々な写真を見ているうちに、フッと共通点に気づき、「この写真を撮っている人は、こういう景色がすきなんだなー」と気づいたり。
 
 さてさて、「名付け」から、思考の止め方の話が、だいぶ違う方向へそれてきた感じがします。
 まず、基本的な段階での、止めるべき思考は、「今、ここ」と直接関係ない思考ということでいいと思います。

  ここから、もう少し話をすすめていくと、なぜ、ネガティブな思考が止められるのか、実際には、止められるというか、そのネガティブな連鎖自体が生じなくなってくるといった感じなのですが、次回はそのあたりの事を書こうと思います。

 いつも書いていることなのですが、これらは、あくまで、僕自身が自分の経験の試行錯誤の中で、こういうものなんじゃないかなーというのをまとめて見ている作業です。
 なので、的外れのものがあるかと思いますし、そうは思わないという人がいても当然と思います。
 その程度のつもりで、気軽にお読み下さい。

  気軽にというには、長文にいつもなってしまいますが。。

 ではでは、今日はこの辺で。



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Author:Ko7

訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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