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SIMTで止める思考とは。

  おまっとさんでした!(キンキンに捧ぐ)
  やっと回復してきたとともに、少し時間ができました。最近、仕事の量を少し増やしていることもあり、なかなかブログにまで手が回らない状態でした。無理をしてもしょうがないので、今後もできるペースで続けていきたいと思います。無理をしないのもまた自己管理。

  今日は、SIMTで止める思考とはということで書いてみたいと思います。
 SIMTでは、呼吸に意識を向けて、思考に気がついたら、「思考」と名前をつけて、また呼吸に意識に戻します。このようにして、「思考」が連綿と続いていくのをいったん止めてあげるわけですね。

 でも、そもそも、日常生活には「思考」が大切な時だってあるじゃないか、何も考えないわけには行かないよと思う人もいるかもしれません。僕も最初のころ思いました。でも、確かに「思考」を止めてあげることが改善に役立っているのも事実です。では、どのような思考を止めるべきなのか。

 鬱では、「自動思考」というのが、悪さをしています。これの言葉は、この病気になったかたなら聞いたことがあるかもしれません。
 ある状況や刺激に対して、ほぼ無意識に自動的に生じてきてしまう思考で、鬱の時にはこれがネガティブな内容であるので、自分に対し、繰り返し繰り返しネガティブな思考の内容が繰り返されてしまうというのが、鬱の時の「自動思考」です。

 例えば、
 仕事を頑張っている人の話を聞く→それに比べ自分は働いてないと考える→そんな自分は価値がない→死んだ方がましだ、
  とか、
 電車にのる→込んできて身動きがとれない→こんな時に発作が起きたら、すぐに降りれない→なんだか苦しくなってきた、発作の始まりかも→このまま悪くなったらやばい、やばい→発作の悪化
 など。
 後者は、パニック発作や不安発作の例ですが、起こっていることは似ています。

 こういった悪循環や始まってしまったネガティブな思考を止められたらいいのですが、事はそう簡単ではありません。
 何せ、自分では無意識に自動的に始まってしまっていますし、気づいたとしても、すぐに思考を止めることなんてできません。

 それに、どれが止めるべき思考で、どれが止めなくても良い思考なのかって難しいですよね。

 そこで、マインドフルネスでは、自分の思考に対し、常に自覚的になり、「今、ここ」に集中して行こうというのが、ポイントです。
 「自覚的になり」というのは、自分の中で起こっている様々な現象に気がついてあげられるようになり、
 「今ここに集中していこう」というのは、思考を止めようと思ってもとまらないから、意識を今に持ってきてあげる
 ということです。

 まず、自分の中に起こっている様々な事に気づけるようにならなくちゃいけません。
 それが、SIMTのセッションの最初の方で身に付けることです。
 まずは、静的瞑想で、呼吸に意識をむけて数えながら、自分中に生じてることにラベルをつけて、また呼吸に意識を戻します。
 この過程を「名前をつけて、捨てる」なんて表現もします。

  まずは、この「名前付け」をトレーニングすることがすごく大切です。
 僕としては、実践が進んでくると、正直なところ自分が「名前付け」をその都度しっかりやっているか、微妙です。
 でも、これは、「名前付け」をやっていないわけではなくて、今あるその事象(感覚とか、思考とか)を、名前をつけなくても、そのままにできるようになってくるからです。
 いきなり、今感じてる痛みや、聞こえているものを、解釈せずに、そのままにしましょうと言ってもできないですよね。意味がわからないかもしれません。
 マインドフルネスでは、「今、ここ」にある状況を、判断評価せず、そのまま受け止めてあげます。
 でも、人間は、入ってきた刺激に対して、何らかの意味づけ、価値評価をして、快に分類されれば執着し、不快に分類されれば拒絶や拒否をして無くそうとし、どちらにも入らないものに関しては、無視をしてしまいます。
 
 以前のブログの「SIMTのアプローチするところ(物事の認識のステップの中で)」において、
 外界からの刺激が我々の中でどう処理されるかという模式図の

  ①(外界から、内界からの)刺激 → ②五感+③認識(言語・思考) → ④感情、⑤身体反応 → ⑥行動

 この③の部分ですね
 そとからの刺激は、かならず我々の中で、言語的に変換されて、多くの場合、そこで過去の経験と照らし合わされたりして、何らかの評価(快なのか不快なのか、好きなのか嫌いなのかなど)がつけられ、その後の反応へと続いていきます。

 だから、なんの評価もせず、入ってきた刺激や認識した感覚を、その感覚のまま置いておくのって、実際やってみるとすごく難しいんです。というか、普通に生活している人ではおそらく不可能です。

 そこで、その一歩を歩み出すために、SIMTでは、「名前付け」をするわけです。
 もちろん、今自分の中に入ってきた刺激に対し、「感覚」と名前をつけたらすぐにそこから離れられるわけではないですし、「思考」と名前をつけたから、すぐに思考を止められる訳ではありませんが、「名前をつける」という作業をすることで、連綿と続いて行こうとする、感覚と思考と感情などの連鎖の中に、ひと区切りがつけられるようになってきます。
 この区切りがあることで、「さあ、呼吸に意識を戻そう」というきっかけになるんですね。

 そういうことを、繰り返していくと、思考や感覚などの連鎖のかなり早いうちに、「思考だ」とか「感覚だ」と気づけるようになり、呼吸に意識が戻すのもスムーズになっていきます。もちろん、すごく感情的になったときや調子が悪いときは、普段通りすぐに意識を呼吸に戻せるわけではありません。繰り返し思考や感覚に意識が奪われることもあります。でも、この習慣を繰り返していくことで、自分の中で生じている活動を観察する眼が育ってきて、そうすると、「名付け」をしなくても、起こってくることを起こっているままとして、眺められるようになってきます。この、「自分自身を観察する眼が育ってくる」ということが、その後の進展にすごく大切です。

 ここでの「名付け」における注意点は、以前も書いたかもしれませんが、「名付け」の段階において、「これは、なんて名前をつければいいんだろう、感覚だろうか、症状だろうか」と悩んでいると、それ自体がすでに思考になってしまいます。今という瞬間は、本当に刹那なので、瞬間的にやっていくことが大切です。ある程度の正確さは必要ですが、Aさんにとって症状が、Bさんにとって感覚でも僕はいいと思います。おそらく、とりあえずその名前で繰り返しやっていくと、しっくり来ていないものや、その都度、名付けに迷うものは限られてくるので、そうしたら、その限られた関しては、自分なりに一度考えてルールを決めてあげればいいんじゃないかと思います。

 さて、なので、最初は、「名前付け」をしっかりして、自分の中で生じる「思考」に気がつけるようになることが、自動思考を止められるようになる第一歩だと思います。

 SIMTは実践し、身に付けていくものです。だからそういう点は、算数を勉強したときに似ているかもしれません。
 小学一年生の数を学ぶことを始めたばかりの頃、我々は、「1から3は引けません」とか、「ゼロ以外、1より小さい数はありません」とか、習いますよね。でも、勉強が進んでいくとそんなことはないですよね。分数があり、少数があり、マイナスの数があり、無理数、さらには虚数とかまで習います。
 でも、いきなり一年生に虚数の話をしてもわかるわけありません。
 まずは、自然数を学び、そこで、基本的な四則演算の法則を習い、それを繰り返し練習して身に付けるわけです。その上で、あたらしい知識が積み重なっていくわけですね。

 SIMTでも、基本的なことをまずはしっかりと身に付けることが大切です。その上に、様々なことが積み重なっていきますし、自分が経験した感じだと、一つの課題をしっかりと身に付けクリアできるころになると、自然と次の課題が見えてくるようになるような気がします。
 例えるなら、1から3は引けないってならってたけど、引いてみてもいいじゃないか?、引けるってことにしても、いろいろとできることあるんじゃないか?と思ってたら、次のステップで、マイナスの数を習ったみたいな感じかな。

 さてさて、SIMTで止める思考とは、について書いていたら、まだまだ入り口で、かなりの量を書いてしまいました。

 どうも、僕は文章が長くなっていけません。わかりやすく、わかりやすくと思うと、ついつい長くなってしまうんですよね。

 今日のところは、一度、これで終わりにして、「名付け」ができるようになって、意識を呼吸に戻すことを覚えたら、次は、どのような思考を止めていくようにするのかについて書いてみようと思います。やっと本題ですね。

 ではでは、次はいつになるのか確約はできませんが、気長におつきあい下さい。


もうしばらくおまちください。

 すっかり更新が遅れております。

 できれば、週に1回のペースは守っていきたいと考えていたのですが、夏の忙しさで書きためておいた記事もはき出してしまい、書きかけの記事がいくつかあるのですが、まだ更新できていない状態です。

 夏の疲れがでたようで、8月末から立て続けに2回ほど風邪をひいて寝込んだりしてしまい、復活に時間を必要としています。
 とはいっても、ひどく落ち込んだりしているわけではなく、自分なりに状況を受け入れてやっております。ただ、ブログにまわるまでのエネルギーがないときは、自分なりに無理をせずやっています。こういう自己マネージメントができるのもマインドフルネスのお陰かなと思っております。

 夏前にちょうど一度薬をやめてみるタイミングが来まして、それと夏の忙しさとで、少し体調の波が大きくなっている印象があります。今はそれをじっくり観察しながらやっているところです。

 記事を楽しみにして下さる方がいらっしゃったら、申し訳ありません。しばらくお待ち下さい。

 最近の発見というか確認できたことの一つに、風邪で熱があり関節痛がひどいときに、不快を乗り越える呼吸をしながら、ボディスキャンをやってみたところ、身体に意識を向けると、より関節痛や身体のだるさを強く感じてしまい無理でした。すぐに呼吸の方に意識を向けて乗り切りました。そして、鎮痛薬などを使ったときも薬を飲むと、何がどれくらい変化して行くかを観察し、風邪の状態によって、自分の症状がどのように変化して行くかを、とにかく観察し続けました。
 そうすると、これくらいの熱だと、こんな症状があるとか、どれくらい楽になってきたとか、あたらしい症状がでてきたとか、いろいろわかることも多く、大変参考になりました。

  また機会があったら、詳しくご報告したいと思います。、

 マインドフルネスは、日々、実践です。1冊の本より、1時間の瞑想、観察。とにかく答えは自分の中にすべてあるのだと思います。その観察をこれからも続けていきたいと思います。

 先日、そんな中、拍手コメントで、以前、実習の時、同じコースにいらっしゃったYさんよりコメントを頂きました。Yさんも今でも実践を続けられているようで、こちらも励まされました。お互いにこれからも頑張っていきましょう。

  ではでは、また書きたいと思います。しばしお待ち下さい。

最近、はまっていること(食事中の観察)

 最近、マインドフルネスについて取り組んでいたことで、思わぬ発見があったので書いてみようと思います。

 何を取り組んでいたかというと、「食事中の傾注観察法」ということです。
 なぜこれに取り組もうと思ったかというと、きっかけは、日中、活動時の洞察の機会を増やしたいなと考えたからでした。
 静的洞察、つまり座っての瞑想はほぼ毎日、どこかで時間をとって続けていたのですが、この洞察を日中にもっと持ち込んで、日中の生活の中での気づきを増やしていきたいと最近考えていました。なぜなら、日中の生活の中でこそ、自分のさまざまな本音や隠れた判断基準が見えてきて、より自分というものを深く理解できるようになるからです。
 でも、日中の活動時の洞察って難しくて、何かやっているときは、ついついそれに夢中になっていたりして、自分の中の洞察モードのスイッチが切れていることが多いからです。一息ついたときに、「そうだ、洞察をしよう」と思い出したりするんですが、何か活動をしている最中にそのモードをオンにしておくってなかなか難しいんです。もちろん、静的洞察を習慣として続けていくと、自分の中に洞察モードの意識が少しずつ根付いてきていて、SIMTをやり始める前と比べたら、かなり日中にも洞察の機会を入れられるようになったのですが、自分としては、さらに長い時間、どんな時でもそのモードをオンにしておくために、どのようにしていったらと考えていたところだったのです。
 でも、以前に「習慣にすること」のところでも書いたのですが、「洞察は、やれるときにやるぞ!」では、いつまでたってもできるようにならない、習慣にならないんですね。習慣にするためには、「決まった時に、わすれずに、ただやること、そしてそれをただただ続けること」なんですね。
 そこで、「毎日かならずやっていて、瞑想をやるときの呼吸のように、一つのことに意識を向けやすいこと」という観点で考えていったときに、「3度の飯があるじゃないか」という考えに至ったわけです。もちろん、お風呂でも、歯磨きでも、排便などでも良かったのですが、今回は食事に注目してやってみることとしました。

 そうしたところ、とても得るものがありました。それもいくつも学ぶことがありました。

 やり方としては、ごく単純で、食事の時、ただ、今、食べているもの、そして食べているということに意識を向け、それ以外のことに思考や注意が流れてしまったら、また食事に意識を戻す、という、ただこれだけのことです。
 瞑想中に、呼吸に意識を向け、それ以外に意識がそれたらすぐに呼吸に意識を戻すということを繰り返すのとまったく同じです。
 これを、どの食事でもできるだけやるようにしていきます。
 いうなれば、マインドフルネスに食事をするわけですね。
 
 私自身、もともと「ながら食い」をよくしてしまうほうでした。一人で食べているときはほぼ100%、テレビをみたり、新聞読んだり、行儀が悪いとは思いながらも、「ながら食い」をしてしまうたちでした。
 このマインドフルネスな食事を始めてみると、「ながら食い」はもちろんできませんが、普段、家族とする食事や「ながら食い」をしないときでも、どれだけ自分の意識が食事から離れていたのかということを、思い知らされました。正直、驚きました。これほど、食事に意識がいってなかったとは。
 これは、瞑想を始めた頃、「どれだけ自分が何も考えないつもりでも、こんなに連綿と思考を無意識に続けてしまとは!」と、気づいて驚いたときにすごく似ています。

 今、あるものを食べているのに、意識はすでに次に食べるものを考えていたり、手がすでに次に食べるものに動いていたり。
 さらには、まったく食事と関係のない、仕事のこと、テレビのこと、さっきまでやっていたことなどなど、食事のたった10~20分程度の時間に、ほとんど自分の食事・食べているものに意識が言っていないことに気が付きました。

 もちろん、家族と食事をしているときに、100%、意識を向け続けることはできません。会話をするときもありますし。
 でも、会話以外の時に、気が付いたらできるだけ、食べているものに意識を向け、しっかり味わうことをしていきました。

 そうするとですね、上記のことに気が付いたほかに、思わぬ副次効果があったんです。
 ひとつは、食事に対する満足感がまったく変わってきたという事です。
 というより、1回の食事というものに、これほどの充実感があったことに、今までまったく気が付いてなかったという方がいいかもしれません。
 私は太っているというわけではないのですが、特に夕食後に、ついつい、甘いものをつまんでしまう癖があり、自分では治したいなーと思ってました。デザートを食べるくらいならいいんですが、夕食後30分から1時間くらいすると、なんだか甘いものを食べたいような気分になり、口淋しくてどうしても食べてしまうんですよね。夕食をしっかりと満腹に食べていたとしてもです。
 夕食で満腹なので、その甘いものをつまむと、どうしても食べすぎた感になり、かならず軽い後悔があることが多かったので、できるならやめたいなーと思いつつ、どうしても口淋しくてたべてしまうということが続いていました。
 マインドフルネス的に観察し、しばらくその欲求を我慢しても、我慢だとどうしてもそのあと、イライラしたり、我慢しているというストレスを感じたりして、ある日、バクバクっと食べてしまうということがありました。

 ところが、このマインドフルネス食事法(となずけてみました)を始めてから、不思議と、夕食後の「甘いものが食べたい!」という、欲求自体が、以前、比べ少なくなってきていることに気が付いたのです。もちろん、まったくなくなったわけではなく、食べたくなる日もあります。でも、その口寂しい感じが起こる強さや頻度が大幅に低下しました。
 自分としては、まったく無理をしてないので、甘い物を食べなくても全くストレスがありません。食べたいという気持ちが起こってこないのです。
 僕が思うに、今までの自分は、夕食を食べていても、意識が食べ物自体に向かっていない時間が多かったので、お腹の満腹具合で満足はしても、意識というか心というか、内面は満足をしていなかったんだと思います。だから、満腹に食べた後にもかかわらず、また何か食べたいという気持ちが残っていたのではないかと。それが、食事自体に丁寧に意識を向けることで、心も身体も同時に満たされ、結果、食後は満足してそれ以上食べたいという気持ちがわきにくくなったのではないかと思いました。

 同時に、そこまで満腹に食べなくても、満足という充実感が味わえるようになったので、食べ過ぎでお腹を壊すということも少なくなったように思います。元々お腹が強い方ではないのですが、ついつい食べ過ぎてお腹を下すということが良くあったのですが、それがなくなってきました。

 ただ、食べるときに食べているものに意識を向けるというだけで、こんなに食事に対する印象や充実感が変わるとは思ってもいませんでした。

 確かに、マインドフルに今食べているものに意識を向けていけば、食べ物を噛む回数も増えると思い増すし、食べる時間もゆっくりになるので、満腹感が少ない量で得られるのは当たり前かもしれません。
 ただ、ここで、僕自身がやっていたのは、「今、食べているものに意識を向けてあげる」ということだけです。
 別に、意識的に、噛む回数を増やそうとか、ゆっくりたべなくちゃいけないとやっていたわけではなく、ただ、今食べているものに意識を向けておこうとしただけです。
 そうすることで、自然に副次的に噛む回数が増えていたり、食べるのがゆっくりになっているということなんですね。

 今回の経験で、おそらくこの方法は、ダイエットに向くんじゃないかと思いました。
 別に、食べるのを我慢するとか、こうしなくちゃならないというものではなく、ただ、食べているものに意識を向けて、それ以外の事を考えたり、注意がそれたりしたら、また元に戻す。この過程を繰り返していくことで、おそらく自然にダイエットが成功するんじゃないかと思います。
 1点だけ、ついつい食事を使用としたときに、テレビをつけようとしたり、新聞を読もうとしたりする点だけ、我慢する必要がありますが、ぜひ、どなたか、このマインドフルネスダイエット法を試してみて、結果をご報告いただけたらrと思います。

 食事の時間が充実したことで、体調もよくなっているように思います。

 さらに、他の事にも適応していくことで、自分が普段何気なくしていることに意識を向けてあげることで、どれだけ目の前のことから違う事を考えていたのかということに気がつきました。歯磨き、仕事、入浴などなど。。
 そうやって、日常の事に丁寧に意識を向けていくと、1日の充実度があがってきます。そして、将来や先々への不安が少なくなってきているように思うのです。食事に意識を注ぐと、それで十分満足をして食べたいという気持ちがそれ以上わいてこないように、その日の一日の変哲もないことたちを、丁寧に意識を向けて生活すると、1日を終える頃には、その日ができることはやったなというか、1日を過ごした満足があり、もっとこうだったらとか、こうすればよかったとか、こうでありたいという欲求が少なくなってきているように思うからです。
 ついつい我々は、こうだったらもっと幸せになれるとか、ああなったらどうしようとか、死ぬまでにこれとコレとこれはしないと絶対後悔するとか、いろいろ考えてしまいがちですよね。でも、後悔のない最後というのは、決して何かがあれば、とか、何かを達成すれば起こる物ではなく、今という時間に意識をそそぎ、この瞬間を悔いなく過ごせていれば、たとえどんな日に命が終わろうとも、充実した人生だったと実感しながら終えられるんじゃないかと、そんな事さえ考えています。

 まだまだマインドフルネスの入り口にたったばかりですが、これからも、マインドフルネスを通して、自分を磨き、学びを続けていきたいと考えています。

 ぜひ、マインドフルネスダイエットを含め、トライされた方がいましたら、感想をご報告ください。

 ではでは、今日はこの辺で。


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プロフィール

Ko7

Author:Ko7

訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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