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習慣にすること

 先日、マインドフルネスの難しさとは、一瞬であれば誰でもできるものであるが、それを持続し、日常生活の中で常にその状態でいることが難しいということであると、ブログに書きました。

 つまり、逆に言うと、マインドフルネスにおいて大切なことは、いかにして、マインドフルネス的対応や態度を習慣化し、日常の生活においても、その態度や対応を維持していけるかということであると言えると思います。

 しかし、それがなかなか難しい。
 
 この部分は、もう、個々人の生活にどう組み込んでいけるかということなのですが、今回は私自身がどのようにして、生活の中に取り込んでいけたかということを書いてみたいと思います。

 まず、初めのうち、日常生活の中で、「今、考えているのか、いないのか」という洞察のチェックを入れていくという課題がありましたが(セッション1の行動時自己洞察)、これからして、なかなかできませんでした。
 「よし、今日も、生活の中でできるだけ、洞察する瞬間をいれるぞ」と、前日の夜には決心するのですが、気がつけば、また翌日の夜の日記の時間(SIMTの実習では夜、その日の課題のチェックを入れる日記をつけます)。
 ひどいときは、日記も忘れて、気がつけば2~3日たっていて落ち込むといったことも。
 洞察が習慣として身についていない内は、たぶん、こういう体験を皆さんされているのではないでしょうか。

 それでも大丈夫です。おそらく誰もがSIMTを始めると経験することだと思います。少なくとも私はそうでした。

 これを克服するポイントは2つ。

 まずは、座ってやる静的洞察法(呼吸法)をちゃんと時間をとってやること。
 これをしっかり続けていくと、不思議な事に自分の思考にチェックを入れることが習慣付いてきて、自然と洞察の回数が増えていきます。やっぱり、静的洞察法(呼吸法)は大切。
 これをいかに習慣にしていくかは、後でまた書きますね。

 もうひとつは、最初のうちは、タイマーをかけたり、時計を視たときにはかならずチェックするなど、日常の行動に結びつけたりして、無理矢理にでも、生活の中に洞察ができるタイミングを入れていくことです。
 僕も携帯電話で、1時間後にタイマーをかけ、なったら、そのときに今していること、考えていたことを確認していました。可能であれば、そのタイミングで短時間呼吸法を入れるなどして、何とかして生活の中で洞察をするタイミングを作っていきました。
 最初は、無理矢理な感じですが、続けていくと、自然と洞察できる瞬間が増えていきます。その習慣ができるまでは、意識的に、このようにしてでも、洞察のタイミングを作っていくと良いと思います。

 ここまでが、動的洞察、生活の中での洞察を習慣化していくコツです。

 そして、静的洞察法(呼吸法)を習慣化していくコツです。
 僕も、もともと根気がなく、飽きっぽい方で、こう言ったことを地道に続ける事は苦手としている方です。
 以前にも、ヨガやジョギングなど、三日坊主ならまだ良い方で、一日坊主で終わった物もたくさんあります。
 情けないですが。
 でも、なんでSIMTが続いたかといえば、一つには、もう、3回も休職し、こんな生活を何とかしたい!というわらにもすがる気持ちがあったことがあります。
 あと、月に1回、SIMTの講習会があったことで、ちょっとモチベーションが落ちてきた時に、佐藤先生の話を聞いて、「また1ヶ月がんばるぞ」と思えたのも効果が大きいです。

 でも、習慣化には、やっぱり、セッション最初のうちに、いかにして続けて、効果を感じられるところまで行けるかという点が大きいとは思います。
 実感として、マインドフルネスの効果を感じられるようになると、むしろやめる理由がみつからないという風になってくるので。
 続けているお陰で改善を感じられる→さらにやりたくなる、この良循環を作れるところまでいけるかどうかです。

  それには、少なくとも数ヶ月かかるので、今、まだ実感をしていない方は、ご自身のマインドフルネス、洞察を繰り返しながらあせらずやってください。不快の受容、そのままにする、その感覚が掴めれば、いろいろな事が一気に前に進みます。そこまで何とか頑張って下さい。 
 このそのままにする、不快の受容などの感覚については、過去記事でもいろいろと繰り返し取り上げています。ぜひ参考にしてみてください。これが本当に、マインドフルネスの肝となる重要なことだと思うので、今後も、手を変え品を変え、取り上げて解説していきたいと思います。

 では、その数ヶ月間、習慣にするためにどのようにすればよいか、私自身が気がついたポイントをいくつか。

 まず、動的洞察の似てますが、やる時間やタイミングを決めることです。
 「今日も、できる時間があればやろう」ではなっく、「この時間にとにかくやる」という時を決めましょう。
 「できるときにやる」では、結局、できるときは訪れません。
 寝る前でもいいです。お風呂上がりにいつもすこしでも時間がとれそうなら、そこでもいいです。
 とにかく、毎日の習慣にしたいので、時間が短くても、かならず時間がとれるようなところを決めて、その時にはなんとしてでもやるという風に決めるといいです。
 僕の場合、休職中の時は、朝のもろもろの支度が終わった後、9:30くらいからかならず座り、夕方、お風呂の前にまた座って呼吸法をやってました。
 仕事を始めてからは、仕事の日はこのような時間がとれないので、朝の通勤の電車が30分ほど時間があるので、この時間を呼吸法に当てると決めて、その時間はかならず静的洞察(呼吸法)を行なっています。

 そして、やる時間を決めたら、次のポイントは、
 やる気があるときも、やる気がないときも、良い瞑想ができそうな時も、できなさそうな時も、とりあえず座って決まった時間やってみるということです。
 毎日やっていこうとすると、どうしてもやる気の起きないときがあります。そして、なんか体調もすぐれず、やってもすっきりしない時もあります。でも、とにかく座ってみることです。
 以前にも書きましたが、静的洞察(呼吸法)をやっていると、結構、リラックスできるときが多いです。でも、だからといって、リラックスを目的にやるわけではありません。あくまで、洞察を繰り返して行くことで、洞察の習慣をつけるためなんです。
 また、あるとき、静的洞察(呼吸法)をしているときに、大きな気づきがあったとします。それはそれで、すばらしいんですが、そうすると、今度はそういう大きな気づきを求めてしまって、「今日は、思考にばかり流れてしまい、だめな呼吸法だったな」とか、「今日は大きな気づきがないから、こんな瞑想じゃうまくできてない」とか、ついつい、その日の呼吸法に、良い悪いの判断をしてしまいがちです。確かに、集中しやすい、しにくい日は、体調などにより出てきます。でも、それは、集中できるから良い、できないから悪いではないんですね。静的洞察の目的は、「意識が思考などに逸れたのに気がついたら、名前をつけ、呼吸に意識を戻す」ただ、これだけなんです。
 だから、思考にばかり流れてしまう日は、ただひたすらに、「今、思考に流れたな」と確認して、意識を呼吸に戻すのを繰り返します。
 身体にだるさを感じていて、すっきりしない時でも、そのだるさを自分はどこで感じているのか、どのように感じているのか、確認して、名前をつけ、そして、呼吸に意識を戻せば良いのです。
 「今日は、やりたくないなー」と感じたら、その思考が走ったなと名付け、そのやりたくないという感じを身体のどこで感じているのか、それを確認しながら、呼吸に意識を向けて、その気持ちのまま、静的洞察に入ってあげればいいのです。

 これは、歯磨きや入浴など、他の習慣と同じです。
 寝る前に歯を磨きますよね。その1回の歯磨きで劇的に人生を変えたいと思いますか?
 習慣にはそんなこと求めませんよね。長い目で見れば、身体の衛生に一役買っていると思いますが、1回の歯磨きには、そこまで大きなものを求めないですよね。

 ここがポイントです。
 早く良くなりたい、なんとかして鬱を治したい。その気持ちは、SIMTを実践していく上ですごく大切です。
 でも、早く結果を出したいという気持ちが強くなりすぎると、1回の洞察や呼吸法に、多くを求めてしまい、結果、続けるのがしんどくなってしまいがちです。「こんなことやっても、意味がない」とか、1回の洞察に意味を求めてしまいがちです。
 大切なのは、習慣にして、続けていくこと。
 そして、1回1回の静的洞察(呼吸法)を丁寧にやっていくこと。これが大切です。
 この「丁寧に」という部分については、習慣になると、今度は「慣れ」が生じてきて、決まった時間に座っているが、「ただ座っているだけ」になってしまいがちなので、「丁寧に」という言葉を入れています。まあ、これは習慣にした後の話なので、今回のテーマからはズレますが、習慣にできたら、今度は1回1回の瞑想を丁寧にやっていくことが大切です。

 これができるようになると、SIMT以外のことも、続けるこつがわかってきました。
 なんでも、初めてやったときは新鮮でわくわくして、驚きや発見があります。
 でも、続けていくと、そんな時ばかりではありません。
 今までの自分は、最初に感じたその驚きやわくわくを追いかけて、結果として、途中で投げ出すということが多かったように思います。
 でも、本当の発見は、1回の経験ではわからず、それを積み重ねて言ったときに、後になって初めてわかるものなんだと思います。

 だから、続けると決めた物は、良いも悪いも1回の経験に求めず、ただ淡々と、丁寧に進めていくことが継続のコツなんだとわかりました。この感覚も、価値判断を中止し、そのままにする、マインドフルネスの感覚とすごく似ています。
 こんな所にも、マインドフルネスの思わぬ効果がありました。

  以上、今日は、習慣にしていくことのコツを書いてみました。

 途中、脱線したところもありますが、少しでも何かの参考になれば嬉しいです。

 ではでは、また来週。
 
 

ネガティブ思考と鬱との関係

  今日は、ネガティブな思考と鬱病の関係を書いてみることで、 そこで、マインドフルネスの担う役割を明らかにしてみたいと思います。

 鬱の人の特徴として、ネガティブ思考、マイナス思考があると思います。
 特徴というか、鬱の人といえば、気分が落ち込んでいて、マイナス思考に陥っていてと、誰もが考えると思います。

 確かに、鬱の時には、気分が沈み、考え方はネガティブになります。
 悪い考えが頭を巡ります。自己否定の思考の連続です。
 このネガティブな思考を、もっとポジティブに変えられたら鬱も治るんじゃないか、誰もが思います。
 でも、どうしたらポジティブになれるのか、いくら考えてもまったくわかりません。そうやって、ポジティブになれない自分にさらに気分は落ち込んでいきます。
 僕もそのドツボに嵌っていました。

 しかし、どうやら、ネガティブな思考やマイナス思考、それ自体が鬱の原因ではないようです。

 ここで、おもしろい研究結果があります。

 欝状態に陥ってしまっている人においては、このネガティブ思考やマイナス思考の割合が多くなっているのは、研究でも確認にされているようです。しかし、欝状態が改善し、普通に生活を送れるくらいに回復した状態な人と鬱でない一般の人を比べると、このネガティブ思考などの頻度は大きな違いはないようです。

 これは、改善したから変わりなのは当たり前じゃないかと思われるかもしれませんが、鬱病は、再発をしやすいということが、大きな病気の特徴でもあります。しかし、再発する人も、一般の人も、いわゆる普通の状態では、ネガティブ思考の割合においては、大きな違いがないということです。
 つまり、このネガティブ思考、マイナス思考そのものは、鬱の発症、再発において、明らかな原因としての役割をしていないと言えます。 どういうことかと言うと、

 うつ状態になってしまったときは、「俺ってダメだ」思考がひどいですが、「俺ってダメだ」思考をしているからといって、それが必ずしも鬱につながるという訳ではない
 
 ということです。

  なので、もともとマイナス思考だとか、ネガティブだとか言うことは、あまり鬱になるかならないかにおいて重要ではないということですね。 あなたの周りでもいませんか? 見るからに陰気で、ネガティブな人だけど、意外と逆境には強い人とか。


 でも、欝状態になっている人では、確実に、ネガティブ思考の割合は増えているわけで、このネガティブ思考に苦しめられていることに間違いはありません。ネガティブな思考それ自体が、鬱の原因ではないとしても、ネガティブ思考と鬱の間には、明らかになんらかの関連がありそうです。
 では、どういった関連があるのか。
 それは、鬱病を経験している患者においては、ネガティブな思考と気分や感情の変化との結びつきが、鬱になっていない一般の方より強いということがわかっているみたいです。さらに再発を繰り返すほど、この感情や気分の変化とネガティブな思考との結びつきが強くなっているとのことでした。

 具体例を挙げてみると、「俺ってだめなやつ」という思考自体は、鬱になったかたも、ならない方も、考える頻度は変わらないわけですね。でも、朝起きて、なんだか身体がだるくて仕事に行きたくないとします。その場合に、鬱になった方だと、「仕事に行きたくないなんて、俺はダメだ」と、だるい、気分がすぐれないといった刺激により、「俺ってダメだ、こんなんじゃ仕事を続けてなんていられない」とネガティブに考える頻度やその強さ、鬱になっていない人と比べると、急に増えてしまうということです。
 つまり、わずかな気分や体調、感情の変化に、ネガティブな思考が大きく影響される、ということですね。

 鬱病になったことがない方でも、直前に経験しているできごとによって、直面した状況の解釈がある程度影響をうけるそうです。
 例えば、差出人のない封書が届いていた時に、その直前に、上司に怒られていやな気分の時だと、「解雇通知か?」とか「嫌がらせの手紙か?」とかネガティブな思考でとらえてしまうところ、直前にくじに当たって喜んでいると、「ラブレターかな?」とか「誰かからのサプライズかな」とか、前向きな解釈になるようです。
 しかし、鬱を経験している方だと、このネガティブな結びつきが特に強くなってしまうということですね。
 些細な変化でも、ネガティブに結びついてしまうという事です。

 なので、ついつい我々は、鬱にならないためには、再発しないためには、ネガティブ思考をポジティブに変える必要、考える内容をポジティブに変える必要があると、考えてしまいがちですが、実は大切なのはそうではなく、ちょっとした気分や調子の変化とネガティブな思考の結びつき、関係性を変えてあげる必要があるということです。

 一見、おなじような事を言っているように思えますが、違います。
 前者では、何かを経験したときの思考の「内容」を変えよう、つまり、もっとポジティブな思考をしようとしているのに対し、後者は、何か経験したときの「アプローチの仕方、対応の仕方」という構造を変化させようとしている、つまり、思考の内容自体は変えなくても、その思考が引き起こす様々な現象に注目使用としている点が異なります。
 
 
 ここにマインドフルネスが鬱を改善し、再発を防げるキーポイントがあると思います。

  もうひとつ研究の例をあげてみると、最近の鬱病治療で注目されている認知行動療法があると思います。
 認知行動療法は、鬱に効果があり、再発予防の点でも薬にまさっているという数々の研究結果がでていますが、従来、認知行動療法では、このネガティブな思考の内容を変化させられるために、効果があると考えられてきました。
 確かに、認知行動療法では、ある状況において、自分の中に生じたネガティブな思考をピックアップして、その思考自体を改めて吟味し、他の考え方はないか、ネガティブに考える根拠は本当にあるかなど、思考の内容に検討を加え、どういった行動がとれるか、選択肢をあげていきます。
 つまり、考え方を変えて、違う行動をとれるように訓練するわけです。
 でも、実際に認知行動療法を続け、再発を予防できている方を分析すると、考えの内容を変えられているということより、自分の思考というものに対して、従来と違った態度をとれるようになっているという点が最も大切であったようです。

 この事実も、マインドフルネスが、なぜ、鬱に効果があり、再発予防、結果として治癒を目指せるかという点をよく表せていると思います。

 マインドフルネスの原則では、「判断中止」「徹底受容」です。
 つまり、思考の内容を、「これがいい、これがわるい」と判断せず、また「こう考えちゃいけない」と否定したりもしないわけです。
 ただ、そこに起こることを観察し、名前をつけて捨てていきます。
 身体が重くて調子が悪い日があって、「あーなんで、今日は身体が重いんだ」と思っても、その後に、「こんな風に考えちゃいけない」とか、「身体が重いって調子がわるくなる前兆では。。。」とか、考え続けること、考えを否定するこはせず、「今日は、身体が思い感覚があるな」「それをいやがる感情があるな」「それに対して、一瞬思考をしたな」と、とらえ、静かに呼吸に意識を向けます。

 それを繰り返して、習慣化していく(ここが大切)ことで、ちょっとした気分の変化や体調の変化、ショックな出来事、ネガティブな思考が、自分の中に起こっても、それを客観的に見つめ、対応していくことができるようになります。
 まさに、その内容を変化させるのではなくて、その対応の仕方、アプローチの仕方が変わっているわけです。
 結果として、ネガティブな思考がぐるぐるまわるのが減っていき、ネガティブ思考の頻度も減っていくわけですが、決して、それを無理に止めようとか、ポジティブになろうとしているわけではありません。
 ただただ、自分の中に生じる出来事に対し、マインドフルネス的対応を身に付け、実践していっているだけです。

 ついつい、マインドフルネスの実践や練習をしていても、ネガティブな思考や反応があると、「こんな考え方じゃだめだ」とか「こんな風にとらえてしまう自分はダメだ」とか考えがちですよね。
 調子が悪いときであれば、なおさらです。
 でも、無理にポジティブになる必要はないんです。
 ただただ、観察し、名前をつけ、捨てる・呼吸に意識を向ける。それを、やっていきましょう。
 続けていくことが大切だと思います。ぜひ、あきらめずにやってみてください。
 
 でも、この続けること、習慣にすることって難しいですよね。
 その習慣にすることについて、次回は書いてみようと思います。

今日の内容は、「マインドフルネス認知療法  北大路書房」という本の前半部分の内容を基に書きました。
 やや専門的な内容の本なので、難しいところが結構あります。
 なので、今回の話しの内容も、すこし難しくなってしまったかもしれません。でも、理論で納得して動くタイプの人もいるので、参考になるといいのですが。
 意味がわからなかった方も、マインドフルネスでは実践が命です。実践し、自らの実感として理解していくことが何より大切です。
 ぜひ、実践をお続けになってください。

 今回の記事でも、何か少しでもヒントになることがあれば、幸いです。 

 

質を高めることと数を重ねること

 前回、マインドフルネスを続けていく中での難しさについて書きました。
 今日は、その延長ともいえる内容ですが、「1回の質を高めること」と「数を重ねること」とでは、どちらがより大切かということについて書いてみようと思います。
 
 悩ましい事ですよね。日常生活でも、質をとるのか量をとるのかって、いろいろな局面で生じてくる疑問だと思います。

 どちらも大切です。

 と言ってしまえば、それまでですが(笑)、それはあたりまえの話で、それができたら苦労はありません。
 
 というわけで、実際のところどうなの、ということについて感じた事を書いてみます。

 私自身、SIMTを実践していく中で、過去の記事にも書いたように、まずはとにかくやってみることが大切、そして、少しでもいいからやり続けていくことが大切だと思っています。
 あまりに理想的な条件や状態で瞑想や呼吸法ができることを考えて、やる前にハードルが上がってしまいやる気が失せてしまうよりは、思い出したその瞬間に、その場でいいから少しでもやっていった方がいいと以前も書きました。

 確かに、それはその通りだと思います。
 いつでも、どこでも、やる気があっても無くても、体調が良くても悪くても、まわりがうるさくても静かでも、歯を磨くように、息をするように、そのままの状態を持って、とにかく呼吸に一度意識を向けて始めてみることが大切です。習慣にするということですね。
 だからそういう意味では、回数を重ねていくというのは、まず、大切なことだと思います。

 では、なぜ私自身がわざわざ時間をとってまで、座って静かなところで瞑想するかというと、その方が簡単だからです。
 日中に活動をしている中で洞察を実行できて、日々、洞察をどんどん取り入れていけたら、それはもちろんその方がすばらしいですが、実は何かをしながら呼吸法をやるとか、洞察を繰り返していくというのは、マインドフルネスにおいて、結構、高度な技術を要することだと思います。
 前回の記事でも書いたように、マインドフルネスの状態を一瞬作り出すことは、誰にでもできることですが、それを、常に、そして持続的に実現するのは至難の業です。
 それを継続してできるようにするために、トレーニングとして、普段から瞑想や呼吸法をやっていくんですね。
 
 トレーニングというのは、呼吸などひとつの事に意識を向けることで、それ以外の事に意識が動いたり、思考が働いたりした時にそれに気づけるように訓練していくわけです。
 その時に、いきなり意識があちこち動いている生活の中で、それを訓練しようとしても、なかなか難しいわけです。
 静かなところで落ち着いて、呼吸に意識を向ける時間を作った方が、より呼吸に集中しやすいですし、その結果、瞑想中に洞察をできる頻度や精度が高まっているのがわかります。
 例えば野球の練習をするのに、いきなりプロ野球なみのボールを打つ練習をするより、先ずはゆっくとした球からちゃんとミートして球を打つ練習をした方が、打つことができて楽しいし、練習の効果も上がってきます。

 「わざわざ」時間を取って瞑想をしているのではなく、瞑想するうえでその方が簡単であり、効率も良いと感じるから、瞑想の時間をとって、静かに瞑想をするわけですね。

  ここにおいて、質の問題が出てきます。

 いろんな状況において瞑想や呼吸法を実践していくと、どういう状況だと、どんな洞察ができるのかという自分の中の瞑想経験値が上がっていくわけです。
 そうすると、どういったときに効果的な瞑想ができるかも当然ながら分かってくるので、自然と瞑想の質にもこだわりたくなってきます。そうすると、自然と、静かに座ってやる瞑想の重要性がわかってくるんですね。
 ただ、ここで注意しなくちゃいけないのは、SIMTの瞑想の目的は、洞察を繰り返し、洞察の質を高めることであり、決してリラックスや集中力の向上が目的ではないということです。

 また、例え長時間座っていても、その時間中まったく「気づく」ことなく、ずっと考え事をしていては、いくら長時間やってもあまり意味がないと思います。ただ静かに座っていればいいというわけではないんですね。
 日中の生活の中でも、自分の感情や思考の作用に「気づく」ことがなければ、洞察しているとは言えないのと同じことです。

 この段階において、やはり、1回1回の瞑想の質が大切になってきます。

 ここまでの話を野球の練習でたとえると、
 第一段階として、野球場じゃなきゃ野球はできない、とか、道具がそろわないと野球ができない、と言っていたら、一向に野球はうまくなりません。まずは、空き地であろうと、ゴムボールと棒切れであろうと、野球をやってみることが大切です。
 とにかく、数をやってみた方がいいという段階ですね。
 ただ、この段階では、あまり急に難しいことに取り組もうとしても、野球自体がつまらなくなってしまうので、やはり、やはり野球というもの自体に良く親しみ、楽しむことが大切だと思います。
 なので、あまり最初から高度な洞察に取り組まず、できることから数を積み重ねていくことがまずは大切です。

 第二段階として、そうやって野球に親しんでいくと、野球をもっと上達させたい、うまくなりたいという欲求が自然とわいてきます。そうすると、まずは、しっかり時間をとって、基本的な練習をするようになります。そして、あのグラウンドの方がやりやすいなとか、やっぱりグラブとボールがしっかりしていた方が野球が楽しいなとか、こういうバッドの方が打ちやすいといった事も分かってきて、今度は、徐々に野球の質にもこだわるようになってくるんですね。
 これが、わざわざ時間をとって基本的瞑想をやるようになり、瞑想の質にもこだわるようになってくる段階です。自分なりに洞察が上手く行っている時、うまくいかない時などが分かる様になってきます。

 さらに第3段階
 野球で、同じ練習をしていても、上達の程度がかわってきます。どうやったらもっと上達するのかと考える様になってきます。
 ルーティーンをなんとなくこなしているだけでは、上達に壁が見えてきます。
  そうすると、ついつい、何か特別な特訓をしたくなったり、特別な仕掛けを考えたくなったりします。
  でも、実際には、1回1回の打席、守備を丁寧に実践していくことが、上達の近道になります。
  同じ1回の練習でも、密度が濃くなるわけですね。
  瞑想でも、同じです。ある程度やっていくと、それ以上、瞑想を続けても意味がない感じがしてきます。
 そういう時に、ついつい、特別なやり方をすると洞察が深まるとか、リラックスにその答えを求めたりとかしたくなります。
 でも、大切なのは、1回1回の基本的な瞑想を丁寧にやっていき、洞察の室を高めていくことなんだと思います。

 以上が、マインドフルネスの実践において、私が感じている数と質の関係のように思います。
 やはり、初めは数をこなしてみて、実際にやってみて、経験を積んでいく中で質を上げていくといった感じでしょうか。

 僕自身、1回1回の瞑想の質をすごくあげられているわけではありません。
 でも、座って呼吸に意識を向けて数えているのになれてくると、数を数えながらも考え事ができるようになってきてしまいました。
 そうすると、考え事をし始めてから「気づく」までに結構時間がかかるようになり、なかなか洞察の回数も増えなくなってくるように感じていました。
 そこで、最近では、呼吸を数えながら、意識を体の表面にスキャンする様に向けていく、「ボディスキャン」というのを取り入れて、意識がそこから外れた時にすぐわかるようにしてみたり、ヨガや太極拳の動きを取り入れて、動きに意識を向ける様にして、別の事に意識が行ったときにすぐ気づくような練習をしてみたりしています。
 歩きながらのマインドフルネスもいいかもしれません。

 もしかしたら、これは正しいやり方でもないのかもしれません。型にこだわっているのかもしれません。
 でも、自分なりに「意識が別の所にいくなど、何か作用が働いたときにすぐにそれに気づくことができるよう」、つまり、洞察を繰り返していけるという基本を外さないように、工夫をしてやっています。
 ヨガとか太極拳が生まれた背景にも、呼吸だけでなく身体の動きも加えていくと、意識をそこに向けやすいという理由があったのではないかなあと考えたりもしています。
 もちろん、静かに座って呼吸に意識をむける瞑想も続けていますけども。

 今日は、量と質ということについて、書いてみました。
 実践している方は一度は生じる疑問なんじゃないかと思います。

  いつも、読んで下さりありがとうございます。コメントくださる方もありがとうございます。励まされております。
  ではでは。今日はこの辺で。

マインドフルネスの難しさ

 今日は、あーこういうとこって、難しいなという部分について書こうと思います。

 以前にも書いたりしているのですが、マインドフルネス自体は、まったく難しい概念ではありません。
 マインドフルネスを達成するための手法である自己洞察瞑想法(SIMT)もまったく難しいことはやりません。

 呼吸をしていること、自分が呼吸しているとわかる意識があること。

 この2点をクリアしていれば、誰でもできるようになります。
 つまり、今、これを読んでいる方は、誰でもできるということです。

 では、何が難しいと感じるのか。
 それについて、書いてみようと思います。

 というのは、ふとした瞬間に、たとえば、疲れたりして体調が今一つの時、または、何となく気分が落ち込み元気が出ないとき、

 「あー、なんでマインドフルネスにがんばって取り組んでいるのに、体調が良くないんだろう」とか
 「マインドフルネスをやってるのに、なんで気分が落ち込むんだろう。。。」
 
 と、無意識に考えていることが、結構あるんです。
 こんだけ、ブログで偉そうに書いてますが、そうは言っても、ふと気がつくと、こういう思考をしているときがあるんですよね。

 しばらく考えたのち、
 「いやいや、マインドフルネス自体は、体調を良くしたり、気分を落ち込まなくさせるものではないんだ」と気づき、
 
 「マインドフルネスは、無評価といってるのに、こんな風に考えてダメだな俺。。。」と、言ったそばから自分に対して
 評価をしてしまったりしています。

 まあ、それを長く考えている訳ではなく、早いうちに、「マインドフルネスでは、無評価、徹底受容」と気がついて、
 体調が悪いときの自分もそのまま、気分がなんだか落ち込む時の自分もそのまま、という風にするようにしています。
 そして、無意識に評価してしまい、すこし気分が落ち込んだとしても、そう感じること自体も、ただ「感情」とか「気分が落ち込んだ」
と名前をつけて、そのままにする。「今は、これでいいんだ。こうやって気づきを続けて行くことが大切なんだ」と自分を励まして、ただ、そのままにしていくようにしています。

 なんでしょうね、この繰り返し。
 たぶん、生まれてからこの方、ずーっと繰り返されてきた考え方であり、評価の仕方であり、人間が本能的に持っている情報処理の仕方なんでしょうね。
 だから、ちょっと無意識になると、すごく自然に、そういう考え方(評価したり、マインドフルネスなんだから良くなるとか)をしたりしてしまうのですよね。
 本当に、これは人間の習性だと思います。
 だから、人間はほっとくとこういう考え方になってしまうので、だからこそ、普段から時間をとって、静的洞察や呼吸法をやることで、マインドフルネス的な心の使い方を練習する必要があるんだと思います。
 自分の経験でも、数日でも、静的洞察や日記をやめていると、この「気づく」という感度が鈍くなっていくような気がします。
 だから、SIMTもセッションが終わったら終わり、ではなく、洞察や呼吸法をやり続けることが大切なんだと思います。

 あと、陥りがちな失敗というと、ついつい、自分流のマインドフルネスとかを作って、それをクリアすることが目標になってしまう場合があります。
 SIMTでは、ただただ、自分の意識を呼吸など一つに向けて、そこからはずれたら、名前をつけて、呼吸などに意識を戻す、ただこれだけを繰り返します。
 これ以上でも、これ以下でもありません。
 でも、自分でやっていると、ついつい「リラックスをできた方が良い」とか、こういう姿勢で、とか、呼吸の仕方をこうした方が、もっと洞察が深まる、とか、そのやり方にこだわってきたくなります。
 自分なりのやり方を見つけること自体は悪くないのですが、あんまり、そこにこだわってしまうと、そうできないときは、マインドフルネスがうまくいってないとか、SIMTがうまくいってないと勘違いしてしまい、日常で洞察や呼吸法をするハードルを自分であげることになってしまいます。
 以前にも書きましたが、べつにリラックスしなくてもいいんです。考えがあっちこっち飛んでしまっても良いし、体調が悪い日があってもいいんです。大切なのは、そんな状況を否定せず、ただ、その状況を観察し、名前をつけ、そのままにすること、それがマインドフルネス的な姿勢であり、SIMTに必要なことです。
 ついつい、自分なりの型を作りたくなってしまうのも人間の本性ですね。
 自分流の流派を作りたくなってしまうといいますか。
 おそらく、大事な物はもっと単純で、型では計り知れないものなんだと思います。
 自分なりの型を持つのは大切なんですけどね。その型にはこだわらない方が良いのでしょう。
 武道にしても、宗教にしても、結局、いろいろな分派ができてしまうのもそういう事によるのではないでしょうか。
 そういう性行が人間にはあるんだと思います。
 この前、NHKのプロフェッショナルでも、白鵬が言ってました。「型を持って、型にこだわらない人間がプロフェッショナルじゃないか」と。
 だから、そうなりそうになったときには、そんな自分に気がついて、名前をつけて、そのままにして、意識を洞察するほうに戻してあげる。それが、マインドフルネス的な対応だと思います。

  ちょっと話が逸れてきましたが、
 この瞬間、一瞬、マインドフルネスな状態でいることはたやすいことなのだと思います。
 でも、それを繰り返し、できれば常に、そしてどんな状況においても、マインドフルネスを忘れずにいる。
 これが、本当に難しいことなんだと思います。

 そして、それにたどり着く道は、やはり、日々の実践。これのみなのでしょう。
 長い道ですが、これからも、焦らず歩んでいきたいと思います。

 今日も、読んでくださってありがとうございます。
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Ko7

Author:Ko7

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鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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