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マインドフルネスの潮流とSIMTにおける自己の深まり

 5月半ば、初めて開かれたマインドフルネス精神療法研究会第1回大会に参加してきました。
 治療のご経験の豊富な指導者の方々、そして、考案者の大田先生のお話は示唆に富んでおり、とても充実した1日になりました。

 その日のお話と、以前、大田先生が紹介してくださった禅僧の方がかかれたマインドフルネスの論文に、いわゆる欧米からのマインドフルネスの潮流とその危惧についてのお話がありました。
 それは、欧米からのマインドフルネスでは、「今、ここ」が強調されすぎてしまってきており、本来、マインドフルネスの元になった禅においては、重要視されていた自己の深まりといったようなものが、徐々に薄れてきてしまっているのではないかというようなものだったと思います。
 これも、私の受け取りかたなので、この問題定義自体が間違っているかもしれません。
 でも、私としては、このような内容であったと理解しました。
 そして、欧米からのマインドフルネスでは、ストレスの低減などは達成できるかもしれないが、鬱を治すといったレベルの話になると、かなり深い自己に対する洞察が必要であり、SIMTで目指すレベルのマインドフルネスは、そのような深い自己への洞察のレベルのものであるといったことを大田先生が話されていました。

 私の中では、その意味がまだよくわからず、しばらく、自分の中に寝かせておいたのですが、しばらく思索を続けていくうちに、自分なりの解釈ができたので、書いてみたいと思います。あくまで自分なりの解釈ですが。

 今日の内容は、おそらく、かなり理屈っぽい内容になる思うので、今、初期段階の実践をされている方には、むしろ害になる可能性もあるので、ご注意ください。そして理解できないとか、わからない点があっても、まったく気にせずに、自分が今、教わっている先生や、大田先生の本をしっかりと参考にされるのが良いと思います。
 そして、いつものことですが、これはあくまで私自身の解釈なので、ご参考程度に読んでいただければ幸いです。
 でも、借り物の言葉を、借り物のままで使っているよりも、例え自分流であっても、しっかりとその言葉を咀嚼し、自分なりの言葉に言い換えて理解していくことは、(例え、そのときのレベルでの解釈だとしても)とても大切なことだと思うので、書いてみたいと思います。

 「今、ここ」にあることは、マインドフルネスな状態のための、すごく重要な要素であります。「今、ここ」の意識で、価値判断を加えずにものごとをあるがままに見る、マインドフルネスを一言でいうと確かにこのようになります。

 欧米で広まっているマインドフルネスでは、レーズンを食べる方法や呼吸や身体感覚に集中する方法を使いながら、「いま、ここ」の感覚に集中する方法を身に付けていくものが多いです。

 これはSIMTでも同じです。最初の方のステップでは、呼吸や傾注観察法を使いながら、「今、ここ」を意識できるようにし、鬱の悪循環である自動思考を止められるようにします。

 確かにここまでは同じなのですが、ここから先のニュアンスがちょっと違ってくるように思います。

 確かに「今、ここ」を意識して、自分の中の自動思考や悪循環を止められるようになるだけでも、鬱は軽快し、ストレスも軽減されます。
 確かに、これらのことを続けていくことで、自然と深い自己の洞察が得られる方もいるでしょう。
 でも、欧米でのマインドフルネスでは、「今、ここ」に意識をおくようにして、自分の思考や勝手な判断に陥らないようにすることに重点が置かれているように思います。つまり「今、ここ」の状態をキープすることが、目的という感じです。

 SIMTや日本において深まった禅において、「今、ここ」にある状態は、目的のようにも思えますが、それは、自己の深い洞察を導くための手段と言っていいかもしれません。

 やることが違うわけではありません。
 でも、重視するところがちょっと違う感じです。

 確かに、SIMTでも、「今、ここ」に意識を向かわせます。今、自分の中で起こっている現象、見ている物など、できる限り自分の解釈を加えず、その作用や対象をそのままに扱うことを繰り返していきます。
 でも、「そのまま」に扱うことが上達することは、非常に重要なことですが、それができるようになることが目的ではありません。
 人間はそもそも、「今、ここ」の状態に常にいるという事は不可能に近いです。
 「今、ここ」にいて、見た物、感じた物に何の解釈を加えずにおいておくというのは、簡単にできることではありません。
 でも、それをやろうとしていると、逆に、それを邪魔しようとしているものの存在に気がつく訳です。
 それは、自分の中の、思考、欲求、願い、経験、記憶。
 そういったものが、見た物、感じた物、にいちいち解釈を付けたり、価値を付与したりしてしまうわけです。
 どうしたって、そういうものが邪魔してしまいます。
 でも、SIMTの目的は、まさにこの邪魔しているものが見えてくるという事なんです。
 「今、ここ」にあろうとしようといすることを手段として、それを妨げている、自分の中の価値観や思い込み、そういったものが、浮かび上がってくるのです。
 そして、今まで、疑問の余地なく自分の中で行なわれていた価値判断に、意識の光が当てられ、違った判断の選択肢が持てるようになります。もちろん習慣化していた反応はすぐに消えることはありませんが、少なくとも、その価値判断が自分の中で行なわれているとわかることで、変えられる可能性が出てきます。
 このような、「今、ここ」にあろうとする事を妨害する様々な価値判断基準は、生まれていままで成長する過程で学習されてきた経験そのものであり、我々が、これこそ「自分、自己」と思っているものです。
 でも、SIMTを通して、この思い込みに光が当てられると、それが単なる思い込みであり、真理ではないことがわかってきます。
 そのようにして、どこまでが「思い込み」であり、どこまでが「自己」と呼べるものなのか、すこしずつ見えてくるようになるのです。
 これが、SIMTにおいての、「今、ここ」にあろうとすることを通して得られる自己への洞察であり、こうして、どこまでも「自己」を深めていけることこそが、SIMTの目的であり、すごさなのだと私は思っています。
 だからこそ、SIMTは鬱を治癒させることができ、さらに生き方を変えてしまうほどのすごさがあるのではないかと思うのです。

 「今、ここ」を目的としてしまう事、もしくは「今、ここ」にあることが、マインドフルネスだと強調されることで、自己に対する洞察が深まらず、マインドフルネスの可能性を狭めてしまう可能性があるというのは、こういうことなのだと考えました。

 抽象的な話しが続いたので、うまくいくかわかりませんが、一つ例を挙げてみたいと思います。
 
 たとえば、ある主婦の方が居るとします。
 洗い残しの食器を見ます。気分が重くなります。ただ、食器がそこにあるだけと見ようとしますが、気分はすでに反応しており、胸のあたりが重くなります。あ-、自分がめんどくさがっているのだなと思います。また別の時に、部屋の隅が汚れているのに気がつきます。同じように、胸のあたりが重くなります。やっぱり自分は掃除するのをめんどくさがっているのかなと思います。今度は、旦那さんが床に落ちていた服を持ち上げて、ぱんぱんと手ではたきました。このときも同じように胸がおもくなりました。さらには、テレビで家事がうまくできるコツの紹介がやっていました。同じように胸が重くなります。
 ただただ、ありのままを見ようとしているのに、身体は、感情は、反応してしまいます。なぜか、胸がおもくなり、その後、「私はダメだ」という思考をしています。
 ここで、「今、ここ」にあることを重視して、「あ、思考をしているからまだダメだな、もっと今ここに集中しなくちゃ」ということを繰り返して行くと、「自分がダメだな」と思う思考は止められて、洗い残しの食器などを見たときのストレスは低減されるかもしれません。でも、ストレス自体は変わりません。

 でも、「今、ここ」に集中しようとしても妨げようとする自分の中の反応に注目しておくと、ふと気が気づくときが来ます。テレビの中の家事の画像を見ただけで、同じ気分になるのかと。自分がめんどくさがりでダメなんだと思っていたけど、その前に、「働いていない自分は、すべて家事をうまくこなさなくちゃいけない」という思い込みが自分の中にあったと。
 そうすると、その価値判断自体が自分の勝手な思い込み(正確には、勝手な思い込みというより、成長する過程で学習で身に付けてきた価値観)であり、すべからく適応できる基準ではないということに気がつき始めます。
 もちろん、すぐに胸が重くなったりする反応はすぐには止められませんが、ストレス自体は低減されますし、今後、このストレス自体はなくなる可能性すらあります。
 これは、一例でしたが、実際、私自身、このような過程を繰り返すことで、今までストレスに感じていたことが、ストレスではなくなってしまったことがあるように思います。

 これは、あくまで今回、自分なりに考えた解釈ですが、欧米のマインドフルネスと比較することで、より深くSIMTについて考えるよい機会になったと思います。

 ただ、経験上感じるのは、「今、ここ」にいることを、あまりに厳格に目的としなければ、SIMTで起こるような自己への深まりは、自然と起こってくることのようにも思います。
 実際、最初のステップでやっていることはそんなにかわりませんし。
 なので、今回の記事が意味不明だったかたも心配しないでください。
 やっぱり、SIMTは実践あるのみです。実践を続けていけば、洞察自体が、自然と進むべき道に自分を導いてくれると思もいます。

 ではでは、ちょっと長くなってしまいましたが今日はこの辺で。

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