訪問ありがとうございます

はじめての方はこちらの記事をご覧ください → はじめに (2014/9/21)
記事一覧や目次をご覧になりたい方はこちらをどうぞ → 記事一覧・目次

不安は消えるか?

 今日は、「マインドフルネスを続けていったら、不安や恐怖感はなくなるのか?」という事について、すこし書いてみようと思います。
 というのも、先日、「仕事を休んでいた時や、仕事を再開したときに、不安や恐怖感はありましたか?」という質問を頂いたからです。
 
 仕事を休む前は、もちろん、不安や恐怖心はありました。というか、それしかないというぐらい、心の中、頭の中は、不安や恐怖心で一杯でした。仕事に対しても、まったく自分の自信がなくなっていましたが、瞬間瞬間が恐ろしかったです。悪いイメージしか想像できず、あんな事が起こったらどうしよう、ああしたのはまずかったかな、とかそんな事ばかりが頭を駆け巡っていました。

 休職中も、その不安や恐怖心は続きました。もう、同じ仕事には戻れないだろうと思っていました。
 家に居ても、仕事の事を考えれば、失敗しているところとかしかイメージできず、夜も、夢では昔の職場が出てきたり、どんなに頑張ってもうまくいかない状況の中であせりまく悪夢をみたりしました。

 そして、SIMTをやるようになり、今は、同じ職場ではありませんが、同じ職種の仕事をしています。まだフル勤務ではありませんが、でも、比較的生き生きと仕事ができているように思います。

 では、不安や恐怖心がないかというと、そんな事はありません。

 新に仕事を再開するときは、すごくまよったし、最初の仕事に行く前は、どきどきして、前日には眠れませんでした。
 もちろん、無理して仕事を再開したわけではなく、ちゃんと、SIMTを始めて、症状が改善してきて、これならすこし始められるかなと自分で感じてから、仕事を再開した訳ですが、それでも、やっぱり、最初は凄く不安と恐怖心がありました。

 最初に仕事を再開してから1年以上になりましたが、やはり、この不安感と恐怖心はゼロにはなっていないです。でも、その強さと持続時間は短くなっていると思います。
 マインドフルネスを続けているからといって、不安や恐怖心がなくなることはないと思います。
 でも、その不安や恐怖心を感じている事を自覚でき、それがどの程度自分に影響するのかとらえられてきているから、その不安や恐怖心に大きく振り回されることが少なくなってきているように思います。

 そして、マインドフルネスを続けて行くうちに大きくかわった点というと、今は、不安や恐怖心を完全に消すことなできないということを実感していると同時に、不安や恐怖心を感じても良いのだ、そんな自分でも良いのだと、肯定できるようになったことが、すごく大きいように思います。
 
 以前は、こんな風に不安を感じているようでは仕事なんて再開できないとか、こんな恐怖心があるようでは病気は治らないとか、不安や恐怖心を感じることに焦ってしまっていました。
 でも、今は、初めてのことであれば、緊張したり不安に思ったりするのはあたりまえのこと、とある程度割り切って、その不安を感じながらも、とにかく今、できることをしていく、不安や恐怖心を抱えたままでいいから続けていくという風にとらえられるようになりました。
 もちろん、不安があまり強くなりそうなら、一時的に抗不安薬をのんで対処していた時期もあります。緊張で寝不足になるのが心配な時は、少量の眠剤を必要としたときもあります。でも、それを、不安に耐えられない自分がダメだとか、眠れない自分がダメだとか、すぐに評価したりせずに、そんな自分がいてもいい、そんな自分で今やれることをひとつひとつして行けばいいと、今、ここの生活に集中してやっていくようにしました。ここが、マインドフルネス的な実践の部分だと思います。
 そうして、過ごせていくと、意外と緊張したままの自分でも、不安なままの自分でも、それなりにその日を過ごせてることがわかってくるんです。そうすると、薬を使わなくくても、多少の不安があっても、寝不足があっても、そこそこの日を過ごせるようになってきます。それが続いていくと、もう、薬は使わなくても過ごせる日々が続くようになってきます。
 時に不安が多少ぶり返す日々がありますが、天気と同じように、毎日はかならず違うようにできているいので、調子が優れない日は、調子が優れないなりにできることをやったら、それがその日の100点、ととらえて過ごしています。

 そうすることで、徐々に、自分の中での「不安」とか「恐怖心」とかの重要度は少なくなっているので、それに振り回せされることも少なくなってきて、またその「不安」や「恐怖心」は、固定されたものではなく、来ては去っていくものだと気づいているので、それをふくらませて持続させることなく、結果として、早めに小さくなり消失していくという結果になっています。

 これが、今の現状です。
 おそらく、今後も、状況が変化したり、仕事を増やしたりすれば、多少の波はでてくると思います。
 もし、その波が、少々、自分が受け止めるには大きすぎるなと思えば、すこしへらしたり、休む時間を増やしたりすればいいし、許容範囲だなと思えば、しばらくその波と共に過ごしていけば、またその先に、道が見えてくるかなと考えています。

 以上が、今までと、今現在の、私の「不安」や「恐怖心」とのつきあい方です。
 この辺は、SIMTの実習でいうところの、「不快事象の受容の実践」と非常に関係が深いところかなと思います。
 SIMTやマインフルネスでの2大原則「判断中止と徹底受容」のうちの、「徹底受容」の部分ですね。

 たんなる我慢や、拒否、無視とは違う、この「受容」の仕方を実感できると、マインドフルネスの実践は、一歩、大きく前進できると思います。

 また、別の機会に書いてみますね。
 
 今、苦しんでいる方々、不安や恐怖心で一杯の方々もいると思います。
 不安や恐怖心を感じることは、決して悪い事ではありません。それ自体は自然の反応なんです。
 おつきあいの仕方さえ覚えれば、そして、マインドフルネスの実践を続けて行けば、自然と、振り回されなくなってくるものだと思います。
 ぜひ、あせらずに、実践を重ねていってみてください。
 あなたの調子が、よくなることをお祈りしています。

  ではでは、今日はこの辺で。
 少しでも参考になることがあれば、幸いです。 よかったらまたのぞきに来てみてください。

飲むべきか、飲まざるべきか、それが問題だ (薬の話)

 今日は、薬の話を書いてみようと思います。

 タイトルにも書いたのですが、治療にあたり、薬を飲みたくない!でも飲まなくちゃ治らないのだろうか、、、とか、飲んでも副作用ばかりで効いている気がしないとか、先生につらさを訴えると薬ばかり増えていく。。。など、鬱などの精神疾患になったとき、こういった悩みと多くの方が直面するのではないかと思います。
 僕も、自身の経験の中で、自分なりに考えてきた薬に対する考え方について、すこし書いてみようと思います。
 今日のポイントは

 ①薬は飲んだ方が良いのか?飲まないほうが良いのか? という疑問について。
 ②薬の作用の仕方と副作用について
 ③主治医の先生の考え方について

  の3点について書いていきます。

 まず、①薬は飲んだ方が良いのか?飲まない方が良いのか?

 もちろん、薬は飲まずにすむならそれが1番です。あたりまえですよね。
 でも、それはわかっていても、自分の体調がつらすぎて、でも、向精神薬なんかに頼りたくなくて、いろいろ悩んじゃう訳です。
 自分の中で、「薬なんかに頼ってちゃだめだ」という考えと、「もう、自分でコントロールできない、薬を飲まなくちゃ無理」という考えが戦っている訳ですね。

 マインドフルネス的に言うと、「どちらでも良い」です。
 これまた、あたりまえに聞こえますね。
でも、なぜ、「どちらでも良い」のかというと、「飲むべきか、飲まざるべきか?」という問い自体に意味がなくなってしまうので、結果として、「必要なら飲めばいいし、必要じゃないなら飲まなくて良い」というふうになっていきます。
 どういうことか、説明しますね。

 これは、前回の「マインドフルネスによる問題の解決のされ方」で説明した、「仕事=ストレス」であったものが、ストレスは、まだあるものの、「仕事=」では、なくなっていく過程とちょっと似ています。

 薬を飲みたくないという背景には、「薬=悪い物」とか、「薬に頼る=だめなこと」という強い概念があることが多いように思います。
 僕自身、最初に調子を崩した時は、精神に効く薬なんて恐ろしく感じていたし、薬全般に対しても否定的な考えが多かったです。そして、向精神薬を飲むということは、自分が頭がおかしいと認めることだと思っていた部分もあったし、向精神薬は副作用ばかりで効かないと思い込んでいたところもあります。どれも、部分的には正しいかもしれませんが、この考え方しかない!と思ってしまっていた時点で、誤りと言えば誤りですね。

 実は、薬といっても、A、B、C、といろいろな薬があります。そして、たとえ同じAという薬だとしても、飲む人の症状は千差万別ですし、薬を飲んだときの効果の出方も、かなり違うわけです。同じ食べ物でもアレルギーがでる人とでない人がいますよね。それと同じです。さらに、同じAという薬を、Zさんという同じ人が飲んだとしても、そのZさんの体調や環境、状況は、その日によってまったく変わります。その状況によって、薬の効果の感じ方もまったく変わってくるわけです。たとえば、「あそこのパスタが凄く美味しかった!と思って、2回目に食べにいったら、思ったほどでもなかった」ということありませんか?もちろん、パスタ自体が変わっている可能性もあるかもしれませんが、工業的に大量生産されているお菓子とか、カップ麺みたいなものでも、こういうことってありますよね。
 つまり、同じ物を同じように食べても、その日の体調とか、誰と食べたか、どんな気分で食べたかで、その味わいはまったく変わってしまう訳です。もちろん、同じように美味しいものもあります。でも、昨日感じたおいしさと、今日、いま感じているおいしさは厳密には、同じではありませんよね。
 薬にも同じ事が言えます。
 薬によって、飲む人によって、そして、飲む人の飲む状況や状態によって、感じ方・効果はまったく違った物になります。
 だから「薬=悪」では、ないんです。
 マインドフルネス的にとらえると、ある薬を飲んだときにも、その薬について、あれこれ考えたりせず、ただ、のんだ状況、飲んだ結果としての、身体の感じ方、その結果として状況になったか。頭で価値判断をせず、ただ、それだけを眺めていきます。
 そうすると、「Aという薬を、こういう症状の時に飲むと、すこし楽になるな」とか、「Aという薬でも、この程度の症状に対しては、飲んでもあまり変化がないな」とか、「Bという薬は、この症状とこの症状などの時に飲んでも、頭がぼーっとするだけで、余計つらいな」とか、情報が集まってくる訳です。
 ただただ、そういったマインドフルネス的な対応、実践を続けて行くと、もう「薬を飲むべきか、飲まざるべきか」という問い自体がなくなっていきます。飲んでみてもいい。飲まないでやってみてもいい。大切なのは、「飲んだ後、自分がどう感じて、どうなっていくかを、常に、今ここの意識で眺めていくこと」なんですね。
 その結果、もし、こういう状況で飲んだら楽だというのがわかってきたら、次の場面では、それを試してみればいいし、飲まない方がうまくいくということであれば、その薬は使わずにやってみればいいんですね。
 そうやってやっていくと、自分なりの薬とのつきあい方ができてきます。そうすると、薬に振り回されるのではなくて、薬を効果的に使えるようになってきて、そんな中で、自分の症状が改善してくれば、自然と、薬を必要としなくなる場面が増えてきます。試しに使わないでやってみて、もし、症状が強くなっても、それは落ち込む必要はなく、一つの結果であって、その結果を踏まえ、まだ自分には、もう少し薬が必要な状態だな、とか、次にいかしていけばいいんだと思います(まあ、それでも減薬がうまくいかないとがっかりはしますけどね)。
 薬の止め方にはいろいろあると思いますが、僕個人としては、「やめなくちゃならない」と身構えて薬をやめる必要はないんじゃないかなと思います。むしろ、そういう風に考えてしまううちは、まだ薬も必要なんじゃないかなと思っています。なぜなら、上記のように、マインドフルネスの実践を通して、薬の効果も眺めていくと、自分の体調の改善にともない、気がついたら最近薬の使用頻度が減っているなとか、自分がくすり飲んでいるのも忘れるくらい調子がいいなという時が出てきて、自然と減薬、断薬の方向に向かえるように思うからです。

 さて、では、②の「薬の作用の仕方と副作用」について書いてみたいと思います。
 僕も最初は薬での治療を拒否し、自力で、休養だけで治ってやるという風に考えて、復職したものの、2回目の休職をし、それでも薬を飲みたくなくて、漢方などを色々と試し、その結果、3度目の休職にいたり、最終的には抗うつ薬を飲み現在に至ります。
 でも、そんな中で、一番、今の自分に効果を出しているのは、SIMTを学んだ事、そして実践している事によるなという風に感じています。だからこんな風にブログを書いているわけですが、では、漢方や抗うつ薬に効果がなかったかというとそういうわけでもないと思います。やっぱりそのお陰で楽になっていた部分もありました。
 正確な作用機序ではないかもしれませんが、自分なりに経験した中で感じた薬の効き方と副作用について書いてみたいと思います。
 
 抗うつ薬や、向精神薬、抗不安薬の作用というのは、精神の活動性を落とすのだと思います。車のエンジンでいえば、回転数を無理矢理にでも下げてくれるわけです。
 うつ病や不安障害の時には、表だって何かをしているわけではありませんが、頭の中では、自動思考が延々と繰り返され、脳内でネガティブエンジンが空回りし、フル回転してしまっている訳です。
 ここで、抗うつ薬や抗不安薬は、このフル回転の回転数を強制的に落として、ネガティブな思考や不安を考えにくくしてくれるので、その結果、不安や思考が続きにくくなり、気分的にすこし楽になるのだと思います。
 でも、この効果は、ネガティブな物だけにとどまりません。薬は、脳の一部だけに効くわけではなくて、全身を巡って、頭全体に作用をだすわけですから、いわゆる通常の頭の回転自体を落としてしまうじゃないかなと思います。
 だから、このネガティブ回転がフル回転になっている時は、それが止められてすこし楽になったように感じますが、ネガティブ回転が別にフルではないときには、普通の思考や、さらにはポジティブな考えを巡らせる機能も落としてしまうため、症状自体がつらくないときには、頭がぼーっとしたり、物を考えにくくなったりといった症状が副作用として出てきてしまうのではないかと思います。
 実際に、抗うつ薬の効果を調べる論文でも、重度のうつ病には効果が認められていますが、軽症例では、飲んだ場合と飲まない場合でも改善率はあまり変わりなく、場合によっては、有害であるという報告もあります。それは、上記のような理由からではないかなと、僕自身の体験からは考えています。

 これが、①の説明で書いたように、同じ薬でも状況や症状によって効果に違いがあるということの証明でもあるように思うんです。
 だから、薬が悪いのではありません。薬は、頭の回転を抑えてくれるという効果を常に出しているだけだと思うんです。
 あとは、こちらの病気の状態や症状の性質によって、それを楽に感じる時と、むしろ害と感じる時とあるのではないかと。
 だから、本当に症状がつらくて、飲んで楽になれるような時が多いような状況の中では、飲んでいた方がいいと思います。むしろ、頭がぼーっとなってつらいとか、害の方が多いというように感じているなら、その薬はやめるか、違う薬をトライするか、なしでやってみるか、主治医の先生とよく相談していく必要があるんじゃないかなと思います。
 薬は、効果はありますが、過度に期待しすぎないことが大切です。自分の都合の良いところにだけ効く夢の薬は残念ながらないと思った方がいいと思います。でも、例えるなら、用途に合わせた刃物があり、食材にあった刃物を使うと、調理がしやすいように、うまく症状や状態にあわせた薬を使ってあげたら、それはとても助けになると思います。

 そして、③「主治医の先生の考え方」について です。
 「先生に相談すると、どんどん薬が増えて、どんどん症状が悪くなる」なんて話を良く聞きます。
 そういう話を聞くと、どの精神科や心療内科の先生も、おそろしく見えてくるものです。
 お医者さんも人間ですから、いろいろな人がいます。
 だから、どうしても自分がこの先生合わないなと感じたり、相談していくことが難しいと感じるならば、先生や通院先を変えてみることは一つの方法だと思います。
 でも、「ちゃんと薬は飲みましょう」とか「この薬を使ってみましょう」というのも、別に悪意があってというわけではないかもしれません。むしろ、本当に、自分の事を思って、治したいと思っていってくれているのかもしれません。
 自分の職場を振り返ってみても、そうじゃありませんか?
 どこの世界にも、変な人や偏った人はいます。でも、その割合って、ほんの一握りですよね。数%以下じゃありませんか?
 ほとんどの人は、その仕事を、熱意を持ってとまでは言わなくても、悪意は持たず、お客さんの事を考えてやっていますよね。
 そこで、どういう結果になるかは、お客さんの利用の仕方とか、相性の問題でしかありません。
 相性の問題は、絶対にある物だし、こればかりはどちらにも否はありません。これは無理に関係性を続けるよりも、ある程度、割り切って、別のところに行くか、人を変えてもらうかする方がいいと思います。
 あとは、先生の方も、薬を処方したとき、一般的な薬の効果はしっていますが、その薬があなたにとってどうかということは、100%は推測できません。飲んでみた人のフィードバックなければわからないことなので、その部分において、やはりコミュニケーションを良くとっていく必要があるんだと思います。
 また、精神科の先生が持っている武器は、基本的に薬だけだと思います。
 限られた時間の中では、カウンセリングを十分にすることは難しいですし、そもそも、カウンセリングや心理療法についての十分な知識を持ってらっしゃる先生は少ないと思います。これは、先生の資質というより、医療経済や医学教育の問題でもあるように思います。
 そんな中で、患者さんが苦しんでいる姿に対し、先生たちができることといえば、薬を出すことくらいなんですね。
 だから、あなたが苦しみを訴えれば訴えるほど、その症状に対して、この薬ならどうかと、薬を出してくれるという悪循環ができてしまうことがあります。
 僕の経験からいうと、自分としては、このわけのわからない心身の状況をどうすればいいかわからなくて、説明をしてほしい、アドバイスしてほしい、という気持ちが患者としては強いのだけど、先生としては、苦しくて助けてほしいといっているから、自分にできること=何か薬をだしてあげよう、という結果になっているように感じます。
 難しいですね、コミュニケーションて。
 なので、やはり「精神科医=悪」ではなく、その先生ができること、できる範囲を良く理解し、うまく利用していく、相談していくことが大切なのかなと思います。これも、マインドフルネスに通じることですね。

 ③については、すこし説明が迷走したように思いますが、こんな感じです。
 お医者さんにも、薬にも過度に期待はせずに、やはり大切なのは、自分の状態、自分の反応を、よくよく観察していき、自分をよく知ることが大切だと思います。つまり、マインドフルネスの実践が大切だという事ですね。
 でも、つらいときや、調子が悪いときは、くすりは助けになりますし、使うことも大切だと思います。そして、本当に苦しい時は、お医者さんやそのほかの先生も助けてくれると思いますよ。

 今日は、薬を中心に、医療の利用の仕方を僕なりに書いてみました。
 薬を自分なりに調整していくといっても、しばらく飲まないと効果を感じることのできない薬もありますし、急な中止は危険を伴う事もありますから、減薬、断薬は、かならず主治医の先生と相談しながらやってください。
 そのような事ができる主治医の先生との関係性の構築や、そういった相談ができる主治医を見つけていくことが大切だと思います。
 私なりの見解でしたが、何かすこしでもご参考になることがあれば、幸いです。

 今日も、訪問ありがとうございます。励みになりますので、よかったらブログランキングのクリックもお願いします。

 ↓

マインドフルネスによる問題の解決のされ方

 今日は、SIMTを実践していくと、どのように自分の中の問題が解決されていくかということについて書いてみたいと思います。
 
 というのも、SIMTを実践し、マインドフルネスを自分のものにしていくと、確かに自分の中の問題が少なくなっていくのを感じているのですが、その少なくなっていく感じが、いわゆる「問題が解決していく」という言葉を聞いたときの印象と、すこし異なるように感じているからです。
 一言でいうと、問題が解決されるというより、問題が問題でなくなっていく感じといいましょうか。。。。
 すごく微妙な表現で、わかりにくいところなので、いくつか例を挙げて、私が感じているその感覚を解説してみたいと思います。

 今までのところでも書いて来ましたが、SIMT(自己洞察瞑想療法)におけるマインドフルネスでは、物事を解決しようと取り組む訳ではなく、「今、ここ」に起こっている現象、事象を、そのままとらえ、確認して名前をつけ、そこにそれ以上こだわらず、すぐにまた「今、ここ」に起こってくることに意識を向けて行きます。そうすると、その現象の新たな側面が見えてきて、自分の中にある概念や判断基準が見えてくることで、変化が起こっていきます。
 しかし、ここでの変化とは、「解決しよう」、「自分の中にこんな問題があるんじゃないか」「もっとポジティブに考えよう」とか、能動的に自ら変えようと思って起こってくる変化ではありません。「気づいたら変わっていた」「気がついたその瞬間にもう前のようには振る舞えない」というような、どちらかというと受動的な変化です。

 いくつか例を挙げてこの経過を説明してみうようと思います。

 たとえば、仕事がストレスでつらくてしょうがないという場合を考えてみます。こういう方、僕も含めて多いと思うんです。今回は、極端に、仕事がストレスで、つらくて、仕事に行けなくなってきているという状況だとします。
 このとき、自分の中では、「仕事=ストレス」の状態です。仕事の事を考えようものなら、頭痛、冷汗など身体反応が起き、できるだけ仕事から離れたい、もう、この仕事は続けられないと考えています。
 このとき、SIMTにおけるマインドフルネスは、どうやったら仕事に行けるかとか、どうしたら仕事に対するストレスがなくなるかとかを考えることはしません。なぜなら、「仕事=ストレス」と感じている今現在の思考状態の中で、いくら解決方法を考えても、今までとは違う新たな「解決策」は生まれようがないからです。
 SIMTでは、ただ、その時に起こっていることを観察し、名前をつけ、そのままにし、また「今、ここ」に意識を戻します。
 なので、仕事に対するつらさがすぐに変化するわけではありません。
 だから、ある日も、「会社が近づくと頭痛がして、不安がたかまり、色々悪いことを考えてしまう」という状況の中にいます。
 その時にも、「通勤の電車の中で、身体反応(頭痛)がして、感情(不安)が働き、思考・想起(悪い事を考える)が連鎖するんだな」と確認するだけです。そして、会社についても、「身体反応(頭痛)に加えて、身体反応(冷汗)、今日の仕事の確認しながら、思考が働いているな、よし呼吸に意識を向けよう」、そして、「気がついたら、身体反応(頭痛)はすこし軽くなったな。感情(不安)も、もうそれほどでもない」、しばらく時間がしたら、「うわ、なんか頭痛が強くなってきた、そうすると感情(不安)もまたぶり返した。思考が働いた。呼吸に意識をむけて。。。」と、とにかく、この名前つけ、すてる(そのままにする)、呼吸に意識を戻す。を繰り返して、その日を乗り切ります。
 と、これでは、一向に問題が解決しないように感じます。
 でも、とにかくこれを繰り返し、一日、一日と、乗り切りつつ、これを続けていきます。
 そうすると、ある日、「ん、仕事に来るときに身体反応(頭痛)は同じだと思ってきたけど、日によって意外に違うぞ」とか、「1日の仕事のうちでも、感情(不安)が強くなる時間とそうでもない時間があるぞ」ということに気がついてきます。
 それでも、それ以上は深くさぐらず、とにかく、名前をつけ、すてて、今に意識を戻すということを繰り返していくと、
 「どうも、外回りの仕事が入ってきた時に、身体症状や感情が大きくなるな」という事や、「A部長に、話しかけられたときに、感情が大きく揺さぶられる」という事に気がついてきたりします。
 さて、この段階になると、以前は、「仕事=ストレス」だったものが、「外回りの仕事=ストレス」であったり、「A部長との関係=ストレス」に変化しています。
 もちろん、ストレスそのものがなくなったわけではありません。でも、仕事のすべてがストレスではなかったことに気がつき始めています。 この段階では、仕事に行くのが楽しくなっている訳ではありませんが、仕事に行くことができるようになってきます。なぜなら、仕事のすべてがストレスではないということに気がついてきたから。
 さらに観察していくと、「外回りの仕事の中でも、B社やC社に関わった時に、いつも同じ思考が働く」という事に気がついたり、「A部長と話した時でも、締め切りが関係した仕事の時に、いつもこういった思考が働く」という事がわかってきたりと、どんどん、自分のストレス自体が、クリアーになってきて、「仕事=ストレス」だったものが、「特定の状況→特定の思考=ストレス」となってきて、さらに洞察を深めていくと、「特定の思考」が働く時にその考えを生じさせる「自分の中の判断基準」が明らかになってきたりします。
 もう、この段階になると、「仕事がストレス」という考え方自体がなくなっています。それどころか、洞察をより深めていくためには、自分がストレスを感じる状況が必要になってきます。そうすると、もうこの段階では、仕事に対する姿勢が「避けたい、もう無理」という後ろ向きの姿勢から、「どんな時に?どのように?」と自ら迎える姿勢に変化しているのですね。
 なので、この時点では、「どうやったら仕事がストレスにならないか」といった問い自体がなくなっています。なぜなら「仕事=ストレス」だと思っていたその前提自体がなくなってしまったからですね。
 
 これが、SIMTにおけるマインドフルネスにおいての変化の仕方であり、問題の解消のされ方です。
 普通は、どうやったら悩みを克服できるのかとか、問題だと思っているものを解決できるのかと悩むことがほとんどですが、その問題の前提自体が意味をなさなくなってしまうので、問題自体が、気がついたら薄くなっていくというか、徐々に消失していくような感じです。

 大切なのは、この途上において、決して「仕事=ストレス」と感じることを、無理に変えようとしているわけではないということです。ここで繰り返されているのは、とにかく、洞察し、現象に名前をつけ、そしてそれを捨てる(そのままにする)という作業のみです。
 もちろん、たとえば部長とのやりとりがストレスだと感じたら、そのやりとりの仕方を変えてみるという手段をとってみることもあります。でも、それは、それによりすぐそのストレスを解消させようというよりは、違った手段をとったときに、また自分の中で起こる現象や感じ方がどのように変化していくかを洞察していくための方法として行なっているといった感じです。

 僕がセッションに参加していた時には、佐藤先生が、「とにかく、名前をつけて、そのままにする。それを繰り返していくと、いろいろな事がよく見えてくる。」とおっしゃっていました。
 セッション中には、その事が完全に理解できたわけではありませんでしたが、今、こうやって実践を続けていると、やっとその意味というか、どういう事をおっしゃっていたのかが、自分なりに掴めてきました。

 SIMTではこういうことが良くあります。

 今は、意味がわからないことでも、課題を丁寧に続けていくことで、課題の意味が腑に落ちる瞬間が訪れるものです。
 そして、その理解も、1回で終わりではなく、そういう腑に落ちる瞬間が繰り返されて、さらに深く理解できていきます。
 この経過は、どのくらいかかるかというのは、本当にその人次第だと思いますが、とにかく焦らず、無理に理解しようとか、変化させようとかせず、愚直に課題の実践を続けることだと思います。時間がかかることは、決して悪い事ではありません。自分が苦しんだ末に身に付けたこと、出した答えは、ものすごく価値があるもので、つらいときにこそ、その効果が力を発揮するものです。

 今日も長文におつきあいありがとうございました。
 ぜひ、また気が向いたときに、読みに来て下さい。

  ではでは、今日はこの辺で。

現象や作用に名前をつける事

 前回、自己洞察瞑想療法(SIMT)では、「今、ここ」にあろうとすることを通じて、自分自身の特徴をよく理解し自己を深めていくことができるということについて書きました。

 この自分自身の特徴を知るために、繰り返しやっていく手法である「自分の中で起こる現象や作用に名前をつけていくこと」について今日は書こうと思います。

 SIMTのセッションで言うと、セッション2~4の所で身に付ける基本的なテクニックです。

 どういうものか簡単に言うと、呼吸に意識をしていたのに、「そういえば・・・」と何かを考えてしまったときには、「いま、思考作用が働いたな」とか、気分が重く感じたら「気分を味わっているな」とか、それを胸のあたりに重く感じたら「胸の所に重さという感覚があるな」とか、「思考」とか「気分」とか「感覚」とか自分の中に起こっていることに名前をつけてあげて、それについて、それをそれ以上掘り下げないようにする方法です。

 ここで大切なのは、今、自分の中で起こっている事象に、瞬間的に名前をつけるように訓練していき、それ以上、その内容に引きずられないようにすることです。
 
 ついつい、今、自分の中で起こっている事象に名前をつけるというと、「今、起こったのは、感情?気分? どちらがただしいんだろう・・・」と考えていってしまうという落とし穴に嵌りがちですが、大切なのは、自分で法則を決めて瞬間的に名前をつけられるようにトレーニングすることです。その翻訳の正確さを競っているわけではありません。

 SIMTの目的を思い出してみましょう。

 今、ここで生じていることをありのまま観察しようとすることを通して、自分の中で、それを妨害しようとしている様々な価値判断や評価など、自分の特徴に気づくことです。

 今、ここで、自分の中で生じている事の特徴をつかもうとしているときに、瞬間的に起こってくる現象に対して、「この気持ちは感情なのかな。でも落ち込んでいるから気分かも。。。」と考えていたら、そのときにはもう、次の事が起こってきていますし、目の前の状況、今の呼吸などからすでに意識を離れていってしまいます。それでは、この現象の連鎖を観察することはできません。

 現象にすぐ名前をつけて、その内容についてあれこれ考えずに、すぐ次の現象にも名前をつけて、という風にやっていって初めて、個々の現象につながりが見えてくるのですね。

 だから、「テレビを見てたら、胸の中に重く感じて、気分が落ち込んだ」ということが起こったら、感覚(見る)が起こって、さらに感覚(重い)が起こって、感情(落ち込んだ)が起こっただな、と割り切ったら、その内容(カッコの中)については、それ以上考えません。
 大田先生の本でも、セッション2の心理現象に名前をつけようというところでは、「感覚、思考、想起、感情、身体反応、気分、抑うつ気分、意思作用、行動」などなどいろいろな現象の名前が挙げられていますが、大切なのは、どれに当てはめるのがより正確かではなく、自分なりのルールを作っていくことだと思います。
 もちろん、正確さもある程度は必要ですが、それを正しいか正しくないか考えているくらいなら、自分なりのルールで、まずはやっていけば大丈夫です。おそらく自分なりにしっくりいかないものは、続けている内に、いい翻訳方法が見つかっていくものです。

 僕も自分なりにルールを作っています。例を挙げてみると、
 ・ 頭の中で何か考えた時は、「思考」と名前をつけます。基本的に考えるときは、言語で考えるので、心の中であっても、言語で働いたものはすべて「思考」と名付けます。
 ・ 映像で浮かんだものは、すべて「想起」にしてました。思考と悩む時もあったのですが、言葉で生じているのは「思考」、映像で浮かんでいるものは「想起」としました。単純化するために、過去の記憶でも、未来の妄想でも、映像で浮かぶ物はすべて「想起」にまとめています。あえていうなら作用を想起、内容を過去とか未来とし、「今のは、想起(未来)だな」とか、名前をつけてました。
 ・身体で感じているものは、すべて感覚としました。細かくみると、感覚の中には視覚とは、聴覚とか、いろいろあるんですが、うまく分別できなくても、感じているものは、すべて「感覚」ですませました。
 ・自分が特に苦しんでいる特徴的な症状に関しては、「症状」と名前をつけることもありました。これも、時によっては「感覚」で片付けてしまうこともあります。
 ・どきどきしたり、冷汗がでたり、反応が出たときは、「身体反応」と名付けました。
 ・あと、思考にいれてもいいのですが、明らかに自分の中で善し悪しをつけてしまったと言うときは「評価」と名前をつけました。
 ・気持ちが動いた時は、それが落ち込みであっても何であっても「感情」としました。自分の場合は「気分」と「感情」の住み分けが難しかったので、それは、「感情」にまとめてしまいました。

 これはあくまで一例ですが、繰り返し名前をつけていく中で、自分なりにルールをまとめてみたということです。

 そして、この名前付けをして、それ以上内容に深入りせず、「今、ここ」でしていること(たとえば呼吸法とか、傾注観察とか)に、すぐに戻るようにすることを徹底して続けます。

 そうすると、この作用に一連の流れ、連鎖があることがわかってきます。そして、さらにその連鎖の後ろで働いている本音や価値判断基準が見えてくるのです。

 これもあくまで、名前付けを繰り返していると、無意識に連鎖などに気づくようになるというもので、自分で「この感情につづく連鎖はなんだろう」などと探しにいかないことが大切です。そうすると、思考の悪循環に嵌ってしまって、逆に症状を悪化させてしまうことがあります。
 実際、セッション6くらいから、自分の中の本音や価値判断基準をみつける訓練があるのですが、僕自身、「この感情の背後にはこんな本音があるかもしれない、いや、この反応の原因はこういうことか」などと考えているうちに、それまで改善してきた体調を崩しかけました。
 「いや、この反応の原因は・・・」などと考えている時点で、それはもう思考の罠にはまっています。
 そんな時は、「あ、思考した」と気がついて、また「今、ここ」にもどれば良いのです。
 その瞬間には、理由や原因がわからなくてもいいです。
 とにかく、その瞬間に生じた現象を、「感情」とか、「思考」とか名前をつけ、また「今、ここ」に戻るようにしていきます。

 それを続けて行くうちに、フッと気がつく瞬間があるんです。
 それは、
 「あ、仕事の話しをすると、落ち込みという感情が働くと思っていけど、感覚(仕事の話しを聞く)→感情(落ち込む)の間に、瞬間的に思考(自分なんて)が入っていた」
  というものかもしれないし、
 「自分は、どうも、感覚(視る)ということから、感情(おちこむ)というパターンが多いな」
  という事だったり
 「感覚(ある言葉を聞く)→思考(こんなはずじゃなかった)→感情(落ち込む)→身体反応{身体が重い)という連鎖の後ろに、「ミスをしてはいけない」「休んではいけない」という自分の中の隠れた基準があった」
 と、気がついたり
 いろんな事が見えてきます。

 大切なのは、生じていることの内容に引きずられず、その瞬間に起こることに名前をつけてすぐに捨てられることです。
 例えるなら、次々と投げられてくるボール(次々と生じてくる現象)を一瞬つかんで(名前をつけて)すぐに離す(内容に引きずられずに今ここに戻る)ことを繰り返しているような状態です。
 つかんだ瞬間にそのボールにとらわれていては、次のボールはとれません。

 大切なのは、自分の中で繰り返し取り組むことでルールを構築し、実践していくことです。

 これも、わりと初期の段階でつまずきやすいポイントかなと思い取り上げてみました。

 何かの参考になれば幸いです。

 おかげさまで、ブログランキングでも、すこしづつ上がってきています。
 ランキングをあげるために書いているわけではありませんが、やっぱり励まされますね。

 では、また書きます。 

マインドフルネスの潮流とSIMTにおける自己の深まり

 5月半ば、初めて開かれたマインドフルネス精神療法研究会第1回大会に参加してきました。
 治療のご経験の豊富な指導者の方々、そして、考案者の大田先生のお話は示唆に富んでおり、とても充実した1日になりました。

 その日のお話と、以前、大田先生が紹介してくださった禅僧の方がかかれたマインドフルネスの論文に、いわゆる欧米からのマインドフルネスの潮流とその危惧についてのお話がありました。
 それは、欧米からのマインドフルネスでは、「今、ここ」が強調されすぎてしまってきており、本来、マインドフルネスの元になった禅においては、重要視されていた自己の深まりといったようなものが、徐々に薄れてきてしまっているのではないかというようなものだったと思います。
 これも、私の受け取りかたなので、この問題定義自体が間違っているかもしれません。
 でも、私としては、このような内容であったと理解しました。
 そして、欧米からのマインドフルネスでは、ストレスの低減などは達成できるかもしれないが、鬱を治すといったレベルの話になると、かなり深い自己に対する洞察が必要であり、SIMTで目指すレベルのマインドフルネスは、そのような深い自己への洞察のレベルのものであるといったことを大田先生が話されていました。

 私の中では、その意味がまだよくわからず、しばらく、自分の中に寝かせておいたのですが、しばらく思索を続けていくうちに、自分なりの解釈ができたので、書いてみたいと思います。あくまで自分なりの解釈ですが。

 今日の内容は、おそらく、かなり理屈っぽい内容になる思うので、今、初期段階の実践をされている方には、むしろ害になる可能性もあるので、ご注意ください。そして理解できないとか、わからない点があっても、まったく気にせずに、自分が今、教わっている先生や、大田先生の本をしっかりと参考にされるのが良いと思います。
 そして、いつものことですが、これはあくまで私自身の解釈なので、ご参考程度に読んでいただければ幸いです。
 でも、借り物の言葉を、借り物のままで使っているよりも、例え自分流であっても、しっかりとその言葉を咀嚼し、自分なりの言葉に言い換えて理解していくことは、(例え、そのときのレベルでの解釈だとしても)とても大切なことだと思うので、書いてみたいと思います。

 「今、ここ」にあることは、マインドフルネスな状態のための、すごく重要な要素であります。「今、ここ」の意識で、価値判断を加えずにものごとをあるがままに見る、マインドフルネスを一言でいうと確かにこのようになります。

 欧米で広まっているマインドフルネスでは、レーズンを食べる方法や呼吸や身体感覚に集中する方法を使いながら、「いま、ここ」の感覚に集中する方法を身に付けていくものが多いです。

 これはSIMTでも同じです。最初の方のステップでは、呼吸や傾注観察法を使いながら、「今、ここ」を意識できるようにし、鬱の悪循環である自動思考を止められるようにします。

 確かにここまでは同じなのですが、ここから先のニュアンスがちょっと違ってくるように思います。

 確かに「今、ここ」を意識して、自分の中の自動思考や悪循環を止められるようになるだけでも、鬱は軽快し、ストレスも軽減されます。
 確かに、これらのことを続けていくことで、自然と深い自己の洞察が得られる方もいるでしょう。
 でも、欧米でのマインドフルネスでは、「今、ここ」に意識をおくようにして、自分の思考や勝手な判断に陥らないようにすることに重点が置かれているように思います。つまり「今、ここ」の状態をキープすることが、目的という感じです。

 SIMTや日本において深まった禅において、「今、ここ」にある状態は、目的のようにも思えますが、それは、自己の深い洞察を導くための手段と言っていいかもしれません。

 やることが違うわけではありません。
 でも、重視するところがちょっと違う感じです。

 確かに、SIMTでも、「今、ここ」に意識を向かわせます。今、自分の中で起こっている現象、見ている物など、できる限り自分の解釈を加えず、その作用や対象をそのままに扱うことを繰り返していきます。
 でも、「そのまま」に扱うことが上達することは、非常に重要なことですが、それができるようになることが目的ではありません。
 人間はそもそも、「今、ここ」の状態に常にいるという事は不可能に近いです。
 「今、ここ」にいて、見た物、感じた物に何の解釈を加えずにおいておくというのは、簡単にできることではありません。
 でも、それをやろうとしていると、逆に、それを邪魔しようとしているものの存在に気がつく訳です。
 それは、自分の中の、思考、欲求、願い、経験、記憶。
 そういったものが、見た物、感じた物、にいちいち解釈を付けたり、価値を付与したりしてしまうわけです。
 どうしたって、そういうものが邪魔してしまいます。
 でも、SIMTの目的は、まさにこの邪魔しているものが見えてくるという事なんです。
 「今、ここ」にあろうとしようといすることを手段として、それを妨げている、自分の中の価値観や思い込み、そういったものが、浮かび上がってくるのです。
 そして、今まで、疑問の余地なく自分の中で行なわれていた価値判断に、意識の光が当てられ、違った判断の選択肢が持てるようになります。もちろん習慣化していた反応はすぐに消えることはありませんが、少なくとも、その価値判断が自分の中で行なわれているとわかることで、変えられる可能性が出てきます。
 このような、「今、ここ」にあろうとする事を妨害する様々な価値判断基準は、生まれていままで成長する過程で学習されてきた経験そのものであり、我々が、これこそ「自分、自己」と思っているものです。
 でも、SIMTを通して、この思い込みに光が当てられると、それが単なる思い込みであり、真理ではないことがわかってきます。
 そのようにして、どこまでが「思い込み」であり、どこまでが「自己」と呼べるものなのか、すこしずつ見えてくるようになるのです。
 これが、SIMTにおいての、「今、ここ」にあろうとすることを通して得られる自己への洞察であり、こうして、どこまでも「自己」を深めていけることこそが、SIMTの目的であり、すごさなのだと私は思っています。
 だからこそ、SIMTは鬱を治癒させることができ、さらに生き方を変えてしまうほどのすごさがあるのではないかと思うのです。

 「今、ここ」を目的としてしまう事、もしくは「今、ここ」にあることが、マインドフルネスだと強調されることで、自己に対する洞察が深まらず、マインドフルネスの可能性を狭めてしまう可能性があるというのは、こういうことなのだと考えました。

 抽象的な話しが続いたので、うまくいくかわかりませんが、一つ例を挙げてみたいと思います。
 
 たとえば、ある主婦の方が居るとします。
 洗い残しの食器を見ます。気分が重くなります。ただ、食器がそこにあるだけと見ようとしますが、気分はすでに反応しており、胸のあたりが重くなります。あ-、自分がめんどくさがっているのだなと思います。また別の時に、部屋の隅が汚れているのに気がつきます。同じように、胸のあたりが重くなります。やっぱり自分は掃除するのをめんどくさがっているのかなと思います。今度は、旦那さんが床に落ちていた服を持ち上げて、ぱんぱんと手ではたきました。このときも同じように胸がおもくなりました。さらには、テレビで家事がうまくできるコツの紹介がやっていました。同じように胸が重くなります。
 ただただ、ありのままを見ようとしているのに、身体は、感情は、反応してしまいます。なぜか、胸がおもくなり、その後、「私はダメだ」という思考をしています。
 ここで、「今、ここ」にあることを重視して、「あ、思考をしているからまだダメだな、もっと今ここに集中しなくちゃ」ということを繰り返して行くと、「自分がダメだな」と思う思考は止められて、洗い残しの食器などを見たときのストレスは低減されるかもしれません。でも、ストレス自体は変わりません。

 でも、「今、ここ」に集中しようとしても妨げようとする自分の中の反応に注目しておくと、ふと気が気づくときが来ます。テレビの中の家事の画像を見ただけで、同じ気分になるのかと。自分がめんどくさがりでダメなんだと思っていたけど、その前に、「働いていない自分は、すべて家事をうまくこなさなくちゃいけない」という思い込みが自分の中にあったと。
 そうすると、その価値判断自体が自分の勝手な思い込み(正確には、勝手な思い込みというより、成長する過程で学習で身に付けてきた価値観)であり、すべからく適応できる基準ではないということに気がつき始めます。
 もちろん、すぐに胸が重くなったりする反応はすぐには止められませんが、ストレス自体は低減されますし、今後、このストレス自体はなくなる可能性すらあります。
 これは、一例でしたが、実際、私自身、このような過程を繰り返すことで、今までストレスに感じていたことが、ストレスではなくなってしまったことがあるように思います。

 これは、あくまで今回、自分なりに考えた解釈ですが、欧米のマインドフルネスと比較することで、より深くSIMTについて考えるよい機会になったと思います。

 ただ、経験上感じるのは、「今、ここ」にいることを、あまりに厳格に目的としなければ、SIMTで起こるような自己への深まりは、自然と起こってくることのようにも思います。
 実際、最初のステップでやっていることはそんなにかわりませんし。
 なので、今回の記事が意味不明だったかたも心配しないでください。
 やっぱり、SIMTは実践あるのみです。実践を続けていけば、洞察自体が、自然と進むべき道に自分を導いてくれると思もいます。

 ではでは、ちょっと長くなってしまいましたが今日はこの辺で。

 最近、拍手のクリックとともにコメントを残して下さる方が何人かいらっしゃって、いつも励まされています。
 このブログを通して、誰かを励ましたいと思っていましたが、実際は、自分の方が励まされているなーと日々感じています。
 日々、感謝です。

 
これまでの訪問者数
ブログランキング
ブログランキングに参加しております。応援していただける方は下記バナーをクリックお願い致します!
プロフィール

Ko7

Author:Ko7

訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

カテゴリ
カレンダー
05 | 2015/06 | 07
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
ブログ内の記事から探す
入力した語句が含まれる記事を探せます
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR