訪問ありがとうございます

はじめての方はこちらの記事をご覧ください → はじめに (2014/9/21)
記事一覧や目次をご覧になりたい方はこちらをどうぞ → 記事一覧・目次

ストレスの原因

ストレスの原因てなんでしょう。
今の世の中、ストレスになるものなんてあふれていますよね。

仕事がストレス、人間関係がストレス、学校がストレスなどなど。
数え上げたらきりがないです。

でも、ストレスって、ものすごく個人差があります。
というのも、同じ事柄、同じものでも、人によってストレスと感じるかどうかには、かなり差があります。

マインドフルネスは、アメリカではまずストレス低減に役立つとしてひろまってきました。
私自身も、日々、実践するなかで、日々のストレスはかなり減ったように思います。
そんな中で自分なりに、なぜストレスが無くなったのか、ストレスを感じる仕組みはなんなのか、考えたことを書いてみたいと思います。

 同じ事柄が起こっても、Aさんにはすっごくストレスなのに、Bさんにはまったくストレスと感じないなんてことが結構あります。これは、その事柄がストレスにおいて重要なのではなく、ストレスは、それを経験する人の内的体験に依存しているということを表しています。
 簡単に言えば、「その人の考え方次第」ということですが、それでは元も子もないので、物事に対してのどのようなアプローチがストレスを生み出しやすく、逆にどういうアプローチがストレスを生み出しにくいかを説明してみます。
 
 それは、常に何か自分の外に理想とかゴールとか前提をおいている場合、それと今の自分の状況が比較されて、そのギャップが大きいほどストレスも大きくなるということです。でも、我々は多くの場合、この理想を持つとか、目標・ゴールを設定するとか、前提を設けることを良いと思ってやっています。目標を持つことはいいことだとか、理想は大きく持てとか。
 確かに、目標があるからこそ、理想があるからこそ、今の自分との差を埋めるために、みんな必死でがんばることができるという面はあります。社会的に大きな結果を残しているかたの多くは、実際にこういう傾向が強いです。それ自体は大変いいことだと思うのですが、理想の自分と現在の自分にギャップがあるということは、常に不全感を感じながら生きなきゃいけないわけです。常に何か満たしてくれるものを探さなくてはならないわけです。それは、幸せを感じられない生き方です。周りからはすごいとか、社会的にも認められていたりしても、本人の中では常に「自分は足りない」という意識なので、自己評価はびっくりするほど低かったりします。
 あなたのまわりにも、学校で優秀な成績をとってる人とか、仕事でもがんばり屋さんとかにこういうタイプの人はいませんか?
 でも、まわりがどんなに評価しても、自分自身が自分にOKをだせないわけなので、いつまでたっても、自己評価は高くなりません。たりません。多くの場合、そのような人が目指している理想や目標、前提は、あくまで理想上の産物であり、決してこの世の中では実現できないような設定であることが多いからです。一つのことを達成して一瞬満足したように感じてるかもしれませんが、基本的にはその人の理想は今の自分の外にあるので、すぐにまた不全感に襲われ、何かを追いかけることになります。一生がんばりつづけなければなりません。
 たぶん、鬱になるタイプの人には、特に繰り返すタイプの人にはこの手の人が多いかもしれません。
 私自身も、そんな生き方をしてきた人間です。
 
 「私は、そんな高い理想や目標なんて持ってないよ」という人でも、無意識のうちに、そのような生き方をしていることがあります。
 例えば、「約束の時間に遅刻しそう」なんて状況はどうでしょうか? 
 多くの人がストレスを感じる場面ですよね。
 電車がもうすぐ出発の時間なのに、車やバスが渋滞していて、なかなか進まない!
 かなりイライラする場面ですよね。
 こんな時も、実は、自分の中の理想や目標、前提が働きだしているんです。
 どういうことかというと、あなたが遅刻しようと決めて遅刻しているなら話は別ですが、そもそもそういうことなら、こんな状況でもストレスは感じないはずです。
 たとえば、朝起きたら、いつもより起きる時間が遅かったとか、朝ごはんの時にアクシデントがあったとか、自分の意図しないことで、そんな状況になっているはずです(たとえ二度寝だとしても、遅刻をしようとしたわけではないですよね)。
 そうすると、「いつもなら、この時間には駅にいるはずなのに」とか、「あと5分早く起きてたら、こんな遅くならなかったのに」とか、頭で考えているはずです。
 でも、ちょっと待ってください。「いつもなら」というのは、仮定の事です。「あと5分起きてたら」というのも、仮定の話ですよね。
 たとえ時間が遅くなったとしても、今日についていえば、今日の状態が100%なんです。
 全力でがんばった結果が、今の状態なんです。
 この100%というのを、他に仮定として、設定してしまうから、今日のこの状態が「ストレス」になってしまうんですね。
 精一杯急いだうえで、この状況なら、それ以上は存在しないんです。
 今という瞬間は、それ自体で完全なんです。それ以上、上も下も横も存在しないんです。
 別に、遅刻しても良いといっているわけではありません。でも、今という瞬間は、その瞬間、瞬間が精いっぱいなんだから、「たら」とか「れば」で作られる仮定や前提は実際には存在しないんです。
 こういうと、「精一杯やれば、もっと急げてた」とか考えてしまうんですが、それ自体が、「精一杯」の理想を勝手につくってしまっていますよね。
 このように、我々は、常に「今、ここ」以外のものを設定したり、仮定したりして生きています。
 それは、生活の隅々まで、忍び込んでいます。
 「今、ここ」を生きているつもりでも、知らず知らずに、決まっていない未来を勝手に想像したり、もう過ぎ去った過去を思い起こして、後悔してみたり、常に「今、ここではない何処か」の中で生きています。
 

 ここに、マインドフルネスが力を発揮するポイントがあるんです。

 マインドフルネスでは、常に、今を観察していきます。呼吸を始めとして、その観察の対象を広げていきます。
  過去の記事 「マインドフルネスにおける集中」 でも少し書きましたが、注意力を全体にいきわたらせ、そこで生じていることを観察し、そして、すべてのものにとらわれず、ただ眺めていきます。
 例えば、どこかで音がして、注意がそちらに向いたとしても、すぐに「音」と名前を付けて、注意を全体に戻します。「今」の呼吸に意識をむけつつ、「今」に注意をいきわたらせます。
 厳密にいうと、「音がしたな」と認識した時点では、すでに、「今」から意識は離れています。
 なぜなら、「音」それ自体がした瞬間と、「音だ」と認識する間には、瞬間ですが、時間が経過しているからです。
 だから、究極のマインドフルネスにおいては、「音」を「音だ」と認識するということからも離れて、「音」自体を、「音」そのものとして体験するのみになっていくはずです。
 まあ、そのあたりのことはややこしくなるので詳しくはまたの機会にしますが、
 マインドフルネスでは、ただ、「今、ここ」にいる状態が、すべてで、その瞬間に起こっていることを、ただただ観察していきます。そうすると、「今、ここ」の状態以外のすべてのことは、自分で作り出している妄想にすぎないということが分かってきます。
 「今、ここ」にあるリアルな現実にともなって、自分の中に生じる思考や妄想、想起といったものが、その後の感情を生み出していることに気が付いてくるのです。

 そうすると、「今、ここ」で、駅に向かって信号待ちをしている車の中にいるとしたら、その状況から、イライラするという感情には、直接的に関係はなく、自分の中に起こってくる思考や妄想の中で作られる前提などが、その感情を引き起こしている様を、ありありと観察できるようになります。
 そうすると、「今、ここ」の状況を、その状況のみとして、受け止められるようになるので、徐々に、イライラなどの感情に結びつくことが少なくなり、また、多少、そういう感情を感じたとしても、それ自体は、自分が作り出してしまったもので、絶対的なものではなく、時間共に変化するものだとわかるので、それに左右されることがなくなってきます。
 普段、運転している時に、信号で車が止まっても、別になんとも思いませんよね。
 たとえ、遅刻しそうな時でも、それに近い感覚、状態を維持できるようになってきます。

 日常生活の中で、マインドフルネスな状態を少しずつ取り入れて、そのような観察を続けていくことで、ストレスを感じにくいようになっていきます。

 これが、マインドフルネスが、ストレス低減に効果がある理由であり、我々が日常の場面でストレスを感じる仕組みだと思います。

 うつの状態では、体もしんどいですし、気持ちも最悪です。今の自分の状況は、自分には受け入れがたいものです。
 こんなの本当の自分ではないと常に思っています。
だからこそ、SIMTをやって、治りたい、良くなりたい、今の自分を抜け出したいという気持ちが強いです。

 SIMTを根気よく続けていくためには、治りたいという気持ちは本当に大切です。

 でも、SIMTでマインドフルネスな状態を達成するためには、今の自分から抜け出したい、変わりたいという気持ちを、ちょっと横に置いておいてあげる必要があります。
 なぜなら、マインドフルネスな状態は、ある特別な理想的な状態になることによって達成されるというよりは、ここに書いてあるように、今、その時の状態自体に意識をフォーカスさせてあげる必要があります。
 だから、「治っている」とか「リラックスできている」という、仮定の姿を目指してしまうと、どんどんマインドフルネスからは遠ざかっていきます。
 ただ、淡々と、「今、ここ」の呼吸の状態、自分の状態、起こってくる現象を見つめ、名前をつけて捨てる、を繰り返していくことが、大切で、それのみが達成への道です。

 結果的には、上記に書いたように、ストレスにも強くなってきて、症状やいろいろなものが良くなっていきます。
でも、それは、「変えよう」と思って変わっているものではなく、あくまで結果的に、副次的に達成されるものです。

 特に、SIMTをはじめて最初のころ、つらいければ、つらいほど、この部分を勘違いし、「私は良くならない」と深みにはまってしまいがちです。

 今回の記事で、そういった方に少しでもヒントになればと思っています。

 ではでは、今日はこの辺で。

 いつも読んで下さりありがとうございます。応援して頂ける方は、クリックいただけたら嬉しいです。

そのままにすること、横においておくこと 「徹底受容」と「判断中止」

 さて、今日は、前回の記事でも最後にちょっと触れたのですが、「徹底受容」と「判断中止」について、書いてみようと思います。

 マインドフルネスには、二つの大原則があります。
 それがこの、「徹底受容」と「判断中止」です。

 ひとことでいうと「そのままにする」、「横に置いておく」という事なんですが、このままだと中々意味がわかりませんよね。

 でも、この「そのままにする」ということがわかってできるようになると、マインドフルネスに対する理解もぐっと深まりますし、自分の症状や日々の出来事に対応するのもグッとらくになります。
 
 しかし、なかなかこの概念を言葉で伝えるのは難しく、実感として自分で理解するまでにはすこし時間がかかるかもしれません。SIMTを習い始めたとき、最初にぶつかる壁かもしれません。

 今回は、無理を承知でこのことについて説明してみたいと思います。

 SIMTでは、自分の中で起こってきたことを、ひたすら観察します。
 観察とはいっても、それについてあれこれ思案するのではなく、起こってくる現象に、名前をつけ、そして、そのままにして、呼吸に意識を戻します。
 それが、「そのままにする」ということなのですが、これがなかなかできません。

 なぜなら、私たちは、自分の中に現象が起こったり、外界から刺激を受けると、瞬時に、それを自分にとって、「良い」か「悪い」か判断し、それに対して「良い」ものであれば、執着し持続させようとし、「悪い」ものであれば、解消したり、離れたいと何らかの変化を起こさせようと取り組んでしまうからです。

 例を挙げると、
 まず、自分の足に「痛み」を感じるとします。そうすると、その痛みに対して、瞬時に「嫌だな」という気持ちが生まれます。そして、「この痛みの原因は。。。」と考え出します。そして、そこから「昨日、あんなことしたら痛いんだ」とさらなる考えが浮かんだり、「痛みがなくなるように足を動かす」と行動を起こしたりします。そして、さらに、「あんなことしなければよかった」とか、「まだ痛みがある、何かの病気か?」とか、この反応は、連綿と限りなく続いていきます。

 ここでは、「痛み」【感覚】→「嫌だな」【感情】→「原因は?」【思考】→「何であんな」【さらなる思考】、「足を動かす」【行動】
 という風に現象が展開がされています。
  通常、これらの現象は、瞬時に無意識で行なわれ、自分が判断していたり、思考していたりということにさえ、気がついてないかもしれません。
 
 しかし、SIMTでは、この展開を観察します。

 そして、生じている作用に名前を付け(【】内に書いてあったこと)、そして、それを「良い」とか「悪い」とか判断せず、すぐに呼吸に意識を向けます。これを、「名前をつけて、捨てて呼吸に意識を向ける」なんて言ったりもします。
 それが、「そのままにする」、「横においておく」という事です。

 「痛み」それ自体には、「良い」も「悪い」もありません。ただの【感覚】です。
 それに意味づけをしてしまっているのは、私たちの【判断】です。そして、その判断に基づいて、その現象に対し執着したり、変化させようとしたりしてしまいます。
 その判断をせずに(判断中止)、その現象をあるがままにおいておく(徹底受容)が、大切です。
 でも、それが簡単にはできません。すぐに考えてしまって、そして、とらわれてしまいます。
 だから、そうならないために、呼吸があるのです。
 その現象に名前を付けて、確認したら、自分の意思で呼吸に意識を向けるのです。
 そうすることで、その現象にそれ以上関わることなく、そのままにすることができます。

 「痛み」があったら、「痛みがあるだな、痛みという【感覚】があるんだなー」そして、意識を呼吸に向ける。
 でも、痛みが消えないうちは、すぐにまた意識が痛みに向かいます。それに気がついたらすぐ、「痛みに意識が向いていたな、【感覚】だな」として、呼吸に意識を向けます。それを徹底的に繰り返して行きます。

 ここで気を付けたいのは、「痛み」に対して、「嫌だな」という【感情】が起こったり、「胸がどきどきする」とか「背筋がぞくぞくする」とか、「身体が重たい」とかの【身体反応・症状】というものは、反射的におこるもので、自分にはコントロールできません。止めることはできません。
 だから、それらが生まれても、「嫌だなという【感情】があるな」と名前をつけたら、呼吸に意識を向けます。
 実は、その感情や症状は、結果なのです。何らかの事が起こってしまって続いて生じる結果なので、それを、今更どうかしようとしたり、変えようとしても、むしろ悪循環になり、悪化させてしまうだけです。
 だからこそ、できることは、それをふくらめずに、ただ名前をつけて、それ以上、意識がとらわれないように呼吸に意識を向けるということなのです。
 
 無意味なように思えますが、こうして名前をつけて、そのままにして、呼吸に意識を向けることを繰り返していくと、その【感覚】だったり、【症状】だったり、【感情】といったものが、決して一定ではないことがわかってきます。
 そして、どのように変化していくのかといったことが、すこしずつ見えてくるのです。
 決して、「変化させよう」ではなく、そのままにして、ただ眺めていることで、時間の経過とともに「変化している」ことがわかるようになってくるのです。

 これが、「そのままにする」、「横においておく」ということであり、「判断中止」「徹底受容」という事です。

 「徹底受容」については、もうひとつ、注意しておくことがあります。
 「徹底受容」と書くと、ついつい、「受け入れなきゃいけないんだ」と思って、いまのつらい症状や、気持ちを、受け入れられていない自分を「ダメだ」と判断してしまったり、そういった症状や気持ちを無視したり我慢しようとしてしまいます。

 でも、「徹底受容」は、「我慢」や「無視」とは違います。ましてや、受け入れることができないからダメだと「判断」することも違います。「ダメだ」というのは、すでに「良し」「悪し」の判断をしています。
 さっきも書いたように、生じている【感覚】も【感情】も、【身体反応】も、否定してはいけません。
 そこにただ、あると思って、「嫌だ」と思う【感情】も、あることを許してあげましょう。
 最初のうちは、瞬時に「ダメだ」という判断をしてしまう自分も認めてあげましょう。ただ、「ダメだ」と【判断】、【思考】をしたなと名前をつけて、また呼吸に意識を向ければいいのです。

 この感覚は、人との関係でいったら、「自分の中に生じた現象」を、「出会った人」に例えたら、その人を好きになったり、抱きしめたり、おしゃべりしたりするのではなく、また、嫌ったり、どっかにいってくれと追いやったり、離れたりするのではなく、ただただ、挨拶をしたら(現象に名前をつけたら)、となりにそっと座ってずっとそこにいるような感覚です。
 となりにいるとついつい話しかけたくなりますが、その気持ちにも名前をつけ、そこは、ただただ呼吸に意識をむけながら横に座っているような感じです。

 なかなか説明が難しいですが、すこしはヒントになったでしょうか?

 人によっては、「名前をつけて、捨てる」感覚を、イメージを使って、葉っぱの上にそっと乗せて川に流すつもりでやるとうまくいくという方もいるようです。

 大切なのは、ここで書いたような感覚を、自分なりのやり方でいいのでつかんで実践することです。

 これはスキルなので、練習すればかならずできるようになります。そして、磨いていくことが大切です。
 だから静かなところでやる静的洞察法が大切なのです。
 そして、「そのまま」にするために、呼吸がどれほど大切かというのもわかると思います。

  私も、かれこれSIMTを続けて1年以上になりますが、この「そのままにする」感覚は、日々、すこしずつ進化していると思います。そして、「そのままにする」感覚が上達すればするほど、日々の生活の中での様々なことに対する対処の仕方が上手になっているように感じます。

 ぜひ、実践して、練習して、この感覚をつかんでください。
 まずは、ひたすら、名前をつけ、そのままにし、呼吸に意識を向ける、これを徹底してやってください。
 そうすれば、きっと何か見えてくるものがあると思います。

 ではでは、今日はこの辺で。

 励みになります。よかったら、ポチッとお願いします。

瞑想、呼吸法を続けるコツ

 今回は、日常生活で瞑想を続けるコツについて書いてみたいと思います。

 一言でいうと、「がんばらないこと」、「理想像を追わない」「変化を求めないこと」になると思います。(三言になっている。。。。)

  呼吸法、めんどくさいですよね。
  瞑想、毎日やれないんですよね。

  そうですよねー。なかなか続けるということが難しいですよねー。
 SIMTを始めると、皆さん、こういう壁にぶつかる人は多いんじゃないでしょうか。

 私も、かれこれSIMTを始めてから1年以上経ちますが、一応、毎日、瞑想は続けています。
 時間は短めになったときもありますが、それでも、たとえ少しでも毎日つづけています。

 なんで続くのか? 意志の力が強いから?
 
 一つには、必死だったということはあると思います。
 本当に苦しくて、わらにもすがりたいという気持ちで、とにかくやれることを少しでも!と必死でやっていたというのもあります。そのうち、呼吸法を少し続けていると(10分以上くらい)、症状も少し楽になったり、さらに洞察がすすんできて自分が変わっていっているのが分かってくると、やることが苦じゃなくなってきました。

 でも、こんな私でも、「今日は、めんどくさいなー。」とか思う日もあります。「気分がのらないなー」と感じる日もあります。
 そりゃ、あります。別にすごく意思が強いとかいうことはまったくありません。どちらかというと飽きっぽい方です。

 でも、なぜ続けられているのはなんでかなーと考えたとき、いくつか思い当たることがあるので、書いてみたいと思います。

 一つは「がんばらないこと」
 皆さん、SIMTを始めた当初は、「がんばろう!」って思ったと思います。「よし、呼吸法やるぞ」、「30分を目指すぞ」とか。
 でも、それが、自分の静的洞察法(呼吸法や瞑想)に対するハードルを上げてしまっているんですよね。
 そして、無意識に「がんばってやれないのなら、やる資格なんてない」みたいに思ってしまっているんですよ。
 長くできたらよいですが、決して長くなくてもいいんです。
 今そこでちょっとした時間があったら、とにかく、始めてみればいいんです。
 やる気がでない日には、やる気がでないときなりの洞察をすればいいんです。そんな自分の心を眺めながら、呼吸に意識をむければいいんです。「今日は、やる気がないな」とか「何だか身体が重い感じがするな」とか、観察対象にして、名前をつけて捨てながら、呼吸に意識を向けて、また観察して、といった感じに。
5分、10分、どんなに忙しくても、そんな時間も絶対とれないなんて人はなかなかいないと思います。
 それが無理なら、会社への行きかえりの電車とかでやってもいいです。とにかく、なんでもいいからやることです。
 「そうは言っても、忙しくてねー」と思ったら、その思いを感じながら、そう思考してるんだなーと、観察しつつ、呼吸に意識を向ければ、もう、静的洞察は始まってます。
 とにかく、ハードルを上げず、気がついたときには、ちょっとでもすぐに始めてみることだと思います。

 二つ目、三つ目は「理想像を追わない」「変化を求めない」です。
 一つ目ともかかわるんですが、ついつい取り組むべき課題がでていたり、日記を書かなくてはという意志が働くこともあって、静的洞察をやる以上は「こんな風にやりたい」とか、そこまで意識してなくても、「瞑想はリラックスできて」とか「呼吸法をやると楽になるってみんな言ってるし」とか、ついつい、「静的洞察(瞑想、呼吸法)は、こういうものだ」というものを自分の中で勝手に作り出して、それに達しないと「ダメだ」と判断しがちです。
 マインドフルネスは、「今、ここ」に徹底して意識を向けることをします。「今、ここ」に対しては、とにかく

「徹底受容」、「判断中止」 が原則です。

 その日の、状態には、その日の瞑想があるんです。
 たとえ、すぐ思考に流れてしまって、呼吸に意識を向けることが難しい日があっても、「今日は、そんな日なんだな」でいいんです。そういう自分がいることも、許してあげましょう。
 私もそうですが、経験者の話は、ついつい成功体験を語りがちです。
 「呼吸法をすると楽になる」といっても、それもいろいろです。思ったようによくならない日もあります。
 でも、それでいいんです。そんな日があることも、また、許してあげましょう。徹底受容です。

 結果をあせると、改善はどんどん遠ざかっていきます。
 マインドフルネスでもたらされる変化は、決して「変えよう」ではなく、気づいたら「変わっていた」という変化です。
 「ああなりたい」が強すぎると、「ああなれない」自分に対して、評価をしてしまいます。
 今には、今の自分がいるので、それを認めてあげましょう。
 うまくできないからダメ、できたら良いではないのです。うまくできなくても、それでも良し、うまくできた日があっても良し。
 そもそも、うまくできるできないといった時点から、ある基準を作ってます。
  体調が日々異なるように、季節がめぐるように、瞑想・呼吸法も日々異なります。
  春芽吹く植物にとって、冬もまた意味があるように、今日という日には、今日の瞑想・呼吸法があります。
 ただただ、気がついたときに、そのときの気持ちも体調も受け止めつつ、瞑想・呼吸法をやってみればいいんです。

  気負わず、期待せず、「めんどくさい」「やりたくない」という気持ちも一緒に、座って意識を呼吸に向けていけばいいんです。

  そういう風に考えると、すこし、瞑想や呼吸法を続けることに対しての抵抗感が少なくなりせんか?

  次回は、「徹底受容」と「判断中止」について、もう少し書いてみようと思います。
  「徹底受容」といっても、今の自分を無理矢理受け入れる、我慢するとは違うんです。
  そのあたりの事を次回は書いてみますね。

  ではでは、今日はこの辺で。

  ↓ 応援してくれる方は、ぜひポチッと。 

マインドフルネスにおける集中

 今日は、「マインドフルネスにおける集中とは」という事について、マインドフルネスを達成するために、私が実践しているSIMT(自己洞察瞑想法)の中で感じたことを書こうと思います。

 マインドフルネスを日本語に翻訳することはなかな難しいのですが、本によっては「注意集中」と訳されているものもあります。英語では、mindが動詞形では、「気にする、注意する」といった意味があり、mindfulでは、「気にしている、注意している」と訳されたりします。そういう意味では、mindfunessとは、「注意をしている事」「気にしている様」とも訳されると思いますし、「Mind」が「ful」なのですがから、「注意集中」と訳されても間違いではないように思います。
 
 また、マインドフルネスを到達するための瞑想法では、よく呼吸を観察します。そういう意味では、「呼吸に意識を集中する」なんて言ったりもします。

 でも、私の印象だと、「注意を集中する」という言葉から受ける感じと、自分が瞑想をしている時の実感とでは、ちょっと隔たりがあるように感じています。

 日本語の「集中」って、一点に集まるという印象がありませんか?
 「呼吸に集中する」というと、「呼吸だけに意識を集め、他の事は一切気にならない、わき目もふらない」といった印象が強くなると思います。
 でも、マインドフルネスに必要な「集中」とか「意識を向ける」っていうのは、一点集中ではない、むしろ対局にあるもののように思います。
 
 イメージとしては、一点集中というより、注意や意識がすべての空間を満たしているような、言ってみれば、「注意充溢」というような感じ。

 マインドフルネスにおいて、呼吸に意識を集中するというと、呼吸以外のことはすべて頭に入ってこないくらい没頭するというよりも、呼吸をただ眺めているような感じで、同時に、周囲の音や目で見えるものなども意識されますが、それらに心奪われることもなく、ただただ通り過ぎていくような感じです。

 視野でいうなら、中心視野、一点を凝視しているのが、一般的な集中ですが、マインドフルネスにおける集中とは、周辺視野を使い、視野全体に注意をいきわたらして、全体を均一に眺めている感じです。
 
 体の感覚でいうなら、体の有る一点の感覚に集中して、その感覚をより細かく分析するするのが一般的な注意集中だとすると、身体の表面全体に均一に注意をいきわたらせて、どこで何かの感覚(かゆみとか痛み)が出現しても、すぐに気が付くことができるような状態が、マインドフルネスにおける集中と言えると思います。

 そして、その注意がいきわたっている状態を持続するのが大切です。
 一瞬はこの状態になることができても、どこかで音がしたりすると、すぐ意識がそっちに向かってしまい、全体への意識がおろそかになってしまうということが、通常おきてくるからです。
 その時は、また呼吸に意識を中心として全体に意識をいきわたらせます。
 そうすることで、自分の中で様々な現象(感覚、思考、感情などなど)が起こって来た時に、すぐそれに「気がつく」ことができるのです。

 SIMTにおける静的洞察では、静かな場所で、じっとして瞑想するとき、この状態を維持するようにします。そして、ひたすら自分の中に起こってくる現象を観察します。そして、何かが生じても、それに意識を奪われることなく、現象に名前だけを付けて、すぐ手放し、また意識を全体にいきわたらせた状態を維持し観察を続けます。

 繰り返し繰り返しこのトレーニングをすることで、その観察モードであるマインドフルネスの状態に楽に入れるようになってきます。といっても、私も瞑想を続けて1年以上になりますが、30分瞑想をしていても、本当に良い状態でいれるのは、まだ数分から10分程度だと思います。日々の体調にもよりますし。でも、調子がわるい時は悪い時なりの瞑想があり、洞察があります。

 ここで、呼吸は、「今」と言う瞬間に自分をつなぎとめるアンカー(碇)の役割をします。
 自分では、意識をいきわたらせているつもりでも、知らないうちに、意識は思考に流れたり、何かの音に気を奪われたりします。そんなとき、呼吸に意識を向けていることを思い出すことで、さまよいだした意識に気付き、今に戻ってこれるのです。
 人は、生きている以上、呼吸をやめるわけにはいきません。だから、呼吸は「今」と最もつよく結びついているものです。
 そして、人である以上、どのような状態にいても呼吸はありますから、どのような状況でも、マインドフルネスを思い出すことができるこの上ないツールとなります。

 こういった、静的洞察にて、マインドフルネス的な意識の使い方を覚えると、日常の生活の中に、少しずつ、本当に少しずつですが、その状態を取り入れて、日常生活の中で、自分に起こってくる現象を観察できるようになってきます。

 そのようにして、前回までの記事で書いた、Step③、④と言った段階が達成されていきます。

 私は、これが、マインドフルネスにおける集中、意識の使い方だと思っています。
 最初に学んだとき、この点は、意外と勘違いしやすく、わかりにくい点だと思ったので、今回取り上げてみました。
 ではでは、今日は、これにて。

↓ ランキングに参加してます。励みになりますのでよかったらポチッとお願いします。

SIMTにおけるうつ病の回復過程 まとめと注意事項

 さてさて、これまで4回にわたって、SIMTにおけるうつ病の回復過程と題して書いてきたわけですが、今回は、まとめとして、そして注意事項として、全ステップに共通する事を記してみたいと思います。

 ポイントは大きく二つ。

 1、マインドフルネスは実践あるのみ。
 2、決して、変えようとしない、探しにいかない。

 ではでは、まず、1、から。

 1.マインドフルネスは実践あるのみ。
 今回、回復過程ということで、あえて4段階に分けて説明してみましたが、これはあくまでも便宜上の分け方です。
 人により、もっと細かいステップに分けることも可能だろうし、まとめる事も可能だと思います。
 大切なのは、今回書いたような内容を、自分で実感し、自分なりのコツをつかんでいくことだと思います。

 このブログを始める時点でも少し悩んだのが、ブログに書いてある内容をみただけでわかった気になってしまったりする人が出たり、逆に自分のつたない説明のせいで、拒否的になってしまう人がでたりすることについてでした。
 でも、自分は、実践していく中で、やり方について悩んだりしたときに、書籍や他の人のブログなどを見て、自分の立ち位置や方法がまちがってないだろうという事を確認したり、突破口をみつけるきっかけになったりしていたので、自分も少しでも他の方の助けになればと、ブログを始める決心をしました。

 知識は大切なものですが、ときに知識が、進歩を妨げることがあります。
 それは、自分がこれから体験しようとすることを、その知識に当てはめてしまおうとするときです。
 知識があるがゆえに、大切な、純粋な体験を味わう機会を失ってしまうことがあります。

 たとえば、あの店のラーメンは美味しいという情報を得ていたとします。
 そうすると実際に食べにいったときに、食べてみても思った程じゃないなと思うことがあります。
 まったく情報がなく、食べに行っていたら、美味しいと思ったかもしれません。
 情報により、自分の中の美味しいと感じるレベルを上げてしまっていたのかもしれません。

 そうして、自分の中に、「あの店は思ったほど美味しくない」という知識ができてしまうと、次に行く機会を失うこともあります。自分の体調によって、味の感じ方も変わります。本来は、一回、一回の、食事は独立した出来事であり、同じラーメンを食べたとしても、感じ方、体験は、その都度異なるはずです。
 それが、「美味しいらしい」という知識とか、「まずかった」という過去の体験で、実際の体験を純粋に味わう機会を失ってしまうことがあります。

 ちょっと話しが横道にそれた感じになりましたが、マインドフルネスも、100%、純粋な体験によるものです。
 Aさんが、マインドフルネスとはこういっていた、Bさんがこう言っていた、という事より何より大切なのは、本人自身が、マインドフルネスを実践した中で、どう感じていくかということです。

 なので、まずは、座って、呼吸法を用いた瞑想をやること。それが大切なんです。
 どんなに、マインドフルネスに対しての知識があっても、その人自身が実践していないのであれば、その知識には、ほとんど価値はありません。僕のブログをいくら読んでもらったとしても、それだけでは決してマインドフルネスを理解はできないし、うつも良くなりません。
 逆に、例え、マインドフルネスに対しての知識がまったく無いとしても、正しいやり方で、呼吸法と瞑想、洞察をつつけるならば、この4段階など知らなくても、自然と上達し、洞察が進み、同じような学びが起こってくるのです。
 これは、瞑想法、洞察に熟達してくると、まったく自然に起こってくることです。一つのステージでの熟練度が増すと、自然と次のステージに導かれるのです。

 僕が、講習会でセッションをやっていたころ、大田先生の本を、自分が課題を実践しているセッションより先は読んでいませんでした。体調もそこまで良くなかったため、課題をこなしながら、先まで読むような気力も無かったせいもあります。
 でも、自分の課題となっているセッションをしっかり実践していくと、自然と次のセッションでの課題になっているような内容に、体験が導いてくれました。
 たとえば、自分の中での現象に対して名前を付け、それを捨てる、そのままにしておく、ということを繰り返していると、とにかくそれを繰り返して行くと、自然と、「なんか、こういうパターンが自分の中にあるなー」という思いが自然と生じてくるのです。そして、次のセッションに入ってみると、「自分の中の連鎖、パターンを見つけてみよう」という課題があって、驚いた事を覚えています。自分の方向性が間違って無かったと喜ぶと同時に、このプログラムを作った大田先生はやっぱりすごいなと感じました。
 そして、自分の中のパターンが、見えてきて、ひたすらそれを観察していくと、「ん?このパターンの中では、いつも、おなじ思考が働いてない?」と感じてくると、次のセッションで、本音や前提の観察の課題が出てくるというように。

 なので、とにかく実践あるのみです。

 上達も、決して一足飛びに進むものでもありません。いきなり自分のパターンがわかり、変えられるといったものでは決してないのです。Step①の後には、②のレベルに到達し、その上で、③、④と到達するものなのです。
Step①に熟達するのにどれくらいかかるかは、その人の様々な経験やスキルなどにより、様々だと思います。
ですが、いきなりStep①から④にすすんで、②にもどるというようなことはできません(経験上の話しですが、たぶん無理です)。
たとえば、SIMTを始めて見ると、まず、日中の洞察自体が最初はできません。
 「よし、自分の中の前提に気づくために、今日は日常生活の中でも気づきを得よう!」と決めても、気がついたら、普通に1日を過ごし、洞察の事なんてまったく忘れていたということが起こります。
 実際に、最初の頃の課題に、自分が今考えているかいないか、日中の生活の中でチェックを入れるという課題があるのですが、最初の頃はそれが、全然できませんでした。チェックを入れようと、朝は心に決めるのですが、気づけばまったくそんな事を考えることもなく夕方になっていて、愕然としたということが、何度もありました。
 いったいどうやったら、洞察の回数を増やせるんだろうと、いきなり壁にぶつかったと思い増したが、でも、本当に不思議なのですが、座って、呼吸法をしながら瞑想し、自分の中に浮かんでくる現象にチェックをいれて、呼吸に意識を戻すことを繰り返しやっていると、徐々に、日常生活の中でも、「あ、今、思考に意識がいっていた!」という事に、気がつける瞬間が増えてくるのです。徐々にですが、自然とでてくるのです。

 だから、まだ本音なんてわからない、前提なんてわからない、という人も、あきらめずに実践してください。
  そして、だからこそ、ある程度時間ととって、座って瞑想するという時間はとても大切だと思います。
 落ち着いてやる瞑想で、できていない洞察は、日中でもできるわけはないのです。
 スポーツに例えるなら、静的洞察(静かに瞑想する)は、基礎練習。動的洞察(日中の生活の中での洞察)は、試合みたいなものだと思います。練習の中で繰り返し行なうことで、試合でもできるようになるんです。逆に練習でできなかったことは、試合では決してできません。

 次々と、マインドフルネスに関する本を読むより、まずは、5分でも10分でもいいですから、座って、呼吸法を使った観察の瞑想をしてください。そしてそれを続けてみましょう。

 ではでは、続いて、
 2、決して変えようとしない、探しにいかない。

 これは、マインドフルネスでは、決して、自分から変えようとか、見つけよう、とかしないということです。
 1,の内容とも絡んでくるのですが、マインドフルネスとはこういうものであるとか、こういうステップがあると知っていまうと、ついつい、その内容を、自分の体験の中で探しにいってしまうんです。
 でも、それは、マインドフルネスの進歩をむしろ妨げてしまいます。うつの人では、調子を崩してしまったりしてしまいます。
 実際、僕も、セッション6あたりで、「本音の観察」という課題があり、「本音って何?いったい、自分の中にどんな本音があるだろう」と、「こういう考えが浮かんだと言うことは、自分に怠けたい気持ちがあるんじゃないか」とか「この考えの裏にも、何か本音が隠れているんじゃないか」とやっているうちに、あれこれ考えを巡らしてしまい、調子を落としかけました。
 思考にとらわれて、ぐるぐると頭に考えが巡ってしまうのは、マインドフルネスとは真逆のことです。
 でも、ついつい、「パターンの後ろには本音が隠れているよ」とか、「このステージでは、この感覚を得るよ」なんて言われると、それを求めていってしまうんですよね。
 でも、マインドフルネスでの進歩やステップは、やっていくうちに、フッと自然と浮かび上がってくるものであり、決して掘り起こして探すものではないんです。
 上記の1.のところでも書いたように、続けていけば、自然と見えてきて、自然とそのステージにいってしまうものなのです。
 佐藤先生も、やはり、特にこの「本音」を探すという課題のところでは、そうやって調子を崩す人が多いと話してました。僕は、僕なりに「本音」を「前提」とか「判断基準」と言い換えた方が、とらえやすかったです。そうやって、自分の実践の中で、自分なりのコツを見つけ出していくことが大切だと思います。

 最後に、改善している人は多いみたいだけど、自分はできないんじゃないかと思う人もいるかと思います。
 その心配は、まったくありません。かならずできるようになります。
 あきらめずに、とにかく繰り返し、繰り返し、呼吸法と洞察をやっていくこと。そうすれば、かならずできるようになります。
 マインドフルネスには、ここで、終わりという終点がないと思っています。
 上達すれば、上達するほど、より繊細なことが洞察できるようになり、その道には終わりはありません。あるとしたら、解脱ということでしょう。
 でも、同じように、終わりはありませんが、でも、できない人もいないのです。
 これは、言語習得に似ていると思います。
 僕ら日本人(日本で生まれ生活している人)は、文法を知らなくても、文字をしらなくても、日本語に囲まれて生活をしている中で、自然と日本語を話せるようになりますよね。
 耳が聞こえないとか、特殊な事情があれば、別ですが、赤ちゃんのうちから、日本語を聞いて、しゃべってみて、また聞いて、しゃべってを繰り返すうちに自然と日本語を身に付け、上達していきます。

 マインドフルネスも同じです。
 呼吸をしていない人はいないですよね。そして、自分が息をしていると自覚できる人であれば、他に知識や道具は何もいりません。ただ、自分の呼吸に意識を向け、自分の中で起こる現象をただただ観察していけば、いいのです。

 いま、取り組んでいるけど、うまくできないと感じている方、どうか、あきらめないでください。
 そして、うつで、苦しんでいる方、どうか、あきらめないでください。
 自分自身を見捨てないでください。

 かならず良くなりますから。


 ではでは、これにてSIMTにおけるうつ病の回復過程の話は、いったん終わりにしたいと思います。

 書きたいネタは、いっぱいあるので、またマインドフルネスについて、気づいたことを次回も書いていきたいと思います。

 でも、伝えるために、伝えたいことをシンプルに書くって本当に難しいなあ。これも気づきですね。


 
 

SIMTにおけるうつ病の回復過程 Step④

 さてさて、いよいよ最終ステップ ステップ④です。

 ④それを繰り返すことで、今までと違ったパターンの中で生活していける段階。

 これは、自分自身がどんどん自由になっていく段階です。
 たぶん、この段階では、うつ病だとか、健康だとか関係なく、自分自身の心が、意思が、いろいろな制約から解き放たれて、本当の自由を徐々に手に入れていく段階だと思います。

 ステップ③の最後の方でも書いたのですが、ステップ③の中で、洞察を繰り返していると、自分のパターンの背後にある「本音」、「判断基準や前提」といったものが見えてきます。
 その「本音」や「価値基準、前提」と言ったものに気がつくと、自分がいかに、そういったものに縛られて、制約されて、そして、コントロールされて生きてているのかということを思いしってきます。

 これはうつ病ではない健康な人にも共通することだと思うのですが、まだ学生とかで、両親など自分の家族としか暮らした経験がないと、生活のちょっとしたルールみたいなものが当たり前になっていたりするじゃないですか。
 たとえば、ものすごく身近な例で言えば、目玉焼きには醤油をかける、とか、バスタオルは2日間使ってから洗う、とか。
 たぶん、共同生活をしたことのある人とか、結婚して家族を持ったことのある人はわかると思うのですが、他の人と暮らしてみると、自分の中で常識になっていて、意識にすら留めなかった生活習慣を、他の人に驚かれて、逆に自分がびっくりするってことがあると思います。
 これは、生活習慣での例ですが、僕らの思考、考え方の部分にも、こういった無意識化された基準や前提のようなものが山のようにあるのです。気がついていないだけで、なにせ無意識ですから。
 おそらく、これは、子供の頃の両親や学校での教育、自分自身の体験から作られ、繰り返し繰り返し刷り込まれることで、無意識化してしまったのだろうと思います。
 これには、良い面と悪い面があります。良い面は、無意識化されて、つまり自動化されていることで、その判断や思考が、ほとんど心のエネルギーを使わずに行なうことができているという事です。生きている中で直面するすべての事に、その都度、どちらにしようと考えていたら、時間どれだけあっても足りないし、それだけで疲れ切ってしまいます。
 自動化することで、日常生活を生きやすくなるようにできているのです。

 でも、悪い面もあります。無意識の中で自動化されているので、そこに選択肢はありません。「Aを見たらBと考える」という事に、「Cを考える」という選択肢はないわけです。選択肢がないことにすら気がつかなくなっています。
 生きるために都合良く自動化したのに、気がついたら、その自動化に苦しめられていたという事になるのです。
 経路をプログラミングされたロボットが、思わぬ障害物に遮られても、それにぶつかり続けているようなものです。

 そこで、洞察による気づきで、無意識の中にあるパターンに気がつき、また意識の中にその「前提」を引き戻してあげることで、新たな選択肢ができるようになるんです。

 たとえば、「目玉焼きには醤油」としか思ってなかった人が、目玉焼きに砂糖をかけている人を見ます。最初は、「ゲゲッ、そんなのありえない」って思います。でも、他のやり方があると気がついたことで、次に目玉焼きを食べるときに、ふと、「そういえば、砂糖をかけている人がいたな」って思い出します。でも、その日は、醤油をかけて食べます。
 何度か、そんな事を繰り返しているうちに、「砂糖をかけて食べるって本当に美味しいのかな?」って思います。そして、ある日、砂糖をかけて食べてみます。結果は、、、、わかりません。それが、美味しくても、まずくて醤油に戻っても、それはそれでOKなんです。大切なのは、その人の中に新たな選択肢が生まれたこと。それが大切なんです。
 醤油以外は考えられない状態であったときに比べたら、いろいろ選択肢があるなかでも、自分は醤油を選ぶんだとわかって選んだときには、周りからみると変わらなくても、その人の心はずっと自由があり、確信があります。

 ステップ④は、そんな感じです。例がわかりにくかったかもしれませんが、そういう自由を手に入れるステップです。

 自分の中の、「本音」や「判断基準・前提」に気がついたからと言って、自分の判断や反応がすぐに変化するわけではありません。
 前回も出てきた例で話すと、「人は、昼間、しっかり働いているべきだ」という前提に気がついたからといって、「テレビで働いている人の映像を見た」のち、「働いていない自分は、ダメだ」と「落ち込む」自分が、すぐに変わるわけではありません。嫌な気持ちも、やっぱりあります。
 でも、まず、その「前提」に気がついたことで、その後の、思考の悪循環を止めることができます。
 「働いていない自分はダメだ、やっぱりだめだんだ、こんな自分は死んだ方がましだ、、、、、」と続いていた思考を、洞察したときに、呼吸に意識を持っていくことで、さらに悪くなるのを、止めることができるようになります。
 そして、繰り返し「前提」に気がつき、洞察ができていると、「でも、その前提、本当か?」という気持ちが出てくるんです。「冷静に考えると、違う解釈もOKなんじゃないか」と。そういう気持ちが少しでもでてくると、今までの、落ち込みや、ダメだ思考が、自然と、だんだんと、薄くなってきます。

  セッション6,7~10あたりでは、こう言ったことをやっていきます。
 まずは、繰り返すパターンに気がついたら、そのパターンを書き出してみます。
 そこで、取り得る選択肢や今までと違ったパターンも、できれば書き出してみます。対策方法も。
 書き出す作業は、いわゆる認知行動療法的ですが、あえて書き出さなくても、気づきを繰り返すというやり方でもいいとは思います。でも、書き出す作業自体が、客観化であり、洞察なので、ある程度、パターンが見つかったら書き出してみるといいと思います。
 そこでの対策も、別に、認知行動療法的に別の考え方や方法を無理に考え出さなくてもいいです。対策も、あくまでマインドフルネス的に、それを変えるというよりは、それをふくらませないように、悪循環に向かわせないように、今まで身に付けてきた、短時間呼吸法だったり、傾注観察法だったりを利用して、対策をうってく事になります。

 この過程を、パターンが浮かんでくる度に、繰り返し、繰り返し、取り組んでいきます。

 そうすることで、自分の中の悪循環はもとより、いろんな制約から抜け出すことができ、人は本当の自由を手にすることができるのだと思います。

 読んでいて気がついた方、実践して体験している方もいると思いますが、この過程には終わりはありません。

 自分の中の制約、「前提や判断基準」も、強く、わかりやすいものもあれば、本当に些細なものであったり、心のずーっと奥底に深く刻み込まれていて、なかなか洞察できないものもあります。

 だから、Step④は、セッション中に完成するということはなく、取り組み方を身に付けたら、セッション終了後も、自分でそれを実践していく必要があります。
 おそらく、セッション終了までに、まずはStep③までに到達できれば、それで合格点かなと思います。
 
 僕自身、セッション終了後も、瞑想、洞察を続けていて、今でも、日々、発見があります。

 佐藤先生は、セッション終了までに、自分の病状の7~8割は改善していけるとおっしゃっていました。実際、そうなることで、ある程度、生活も問題なく過ごせるようになっていきます。
 しかし、最後の2~3割を治すために追い込んでいく、そして、再発しない自分を作るのに、このStep③、Step④の作業が、本当に大切になり、そこは、自分自身の実践にかかっているところだと思います。

 Step④の説明は、こんな感じです。

 Step①~④の説明で、思わぬ長さになってしまいました。
 次回、一連のステップを通しての、まとめと注意事項などを書いて、回復過程の話の終わりにしたいと思います。

 
 

SIMTにおけるうつ病の回復過程 Step③

さて、Step③の説明です。

Step③  その背後にある「本音」や「判断基準・前提条件」が見えてくる段階。

  Step②では、自分の中に生じてくる現象に、名前をつけてひたすら観察することで、その中にパターンがあることがわかってきました。パターンがわかってくると、「このままいくと、落ち込むだろう」とか、「これは、いつものパターンだ」とか、早めに気づくことで、その衝撃を軽めに抑えることができるという効果がありますが、しかし、まだこのパターンを変えるということにまでは、つながらないかもしれません。
  そのために、このStep③の過程が必要になってきます。

  Step②が進んでくると、自分のパターンがより詳細にわかるようになってきます。例えば

  「テレビをニュースを見ていると(視覚)、なぜだか落ち込む(感情)」

  というパターンがあるのに気が付き、
  それを、さらにより深く洞察していくと、

  「テレビでニュースを見ていたら(視覚)、仕事をしている人たちの映像が出て(視覚)、みんなが働いているのに、自分はダメだと考えが浮かび(思考)、気分が落ち込む(感情・気分)」

  という、連鎖が起きていたのに気がついた、ということがあるとします。

  ここで、「ニュースを見る(視覚)」→「落ち込む(感情・気分)」という流れが、
  「働いている人をみる(視覚)」→「自分はダメだ(思考)」→「落ち込む(感情・気分)」

  というふうに、「働いている人を見たとき(視覚)」とより、具体的な事がわかり、さらに「自分はダメだ(思考)」というステップが入っていることが発見されました。
  実は、感情が動いたり、症状が悪化したりという自分の中での変化が起こっている時、多くの場合、この「瞬間的な思考」というのが働いている場合が非常に多いです。これは、日常生活で経験している「考えている」という意味の思考とは、まったく別で、日常ではほとんど意識にのぼる間もないほど一瞬で行われている思考です。それが、瞑想を続け、日常に洞察を持ち込めるようになり、自分の中の現象に対する感度が高まると、この一瞬の思考に気が付けるようになってきます。ここまでは、Step②がより進んだ状態ということができます。

 さて、そこで、よくみると「働いている人をみる(視覚)」と「自分はダメだ(思考)」との間に、隠れているものがあることに気が付いた方はいるでしょうか?

 実は、視覚情報の後、「自分はダメだ(思考)」と価値の判断してしまっているのです。

 自分の中では、その作業は自動的に行われていますが、「自分はダメだ」という価値判断が行われているその裏には、自分の中で作られた価値判断の基準があるのです。

 ここを、つかむことがStep③です。

 この例で言うと、無意識の中に「常に仕事をしていなくてはならない」とか「家でゆっくりしているのダメ人間である」とかの、判断基準が隠れていて、その基準により、「だから自分はダメだ」と判断してしまっています。

 でも、冷静に考えると、休日に家にいる人もいるし、世の中には仕事をしていない人もいるわけで、そして、それがダイレクトに人間性を否定することにはならず、すごく一人よがりの判断であることが多いです。でも、それは、洞察し、気づくまでは、自分の中で自動化されている作業であり、まるでスイッチのように、「働いている人をみる」→「自分はダメ人間だと思う」という作業が行われてしまっているのです。

 僕も、休職し、家で休んでいる間、日中に外に出るのが苦痛でしょうがありませんでした。そして、新聞やテレビを見ると、急に気分が落ち込んだり、ドッと疲れがでたりして、訳もわからずどうしようも無いことがしばらくありました。

 最初は、落ち込んだり、疲労感が急に強くなったりする理由するわからなかったのですが、洞察を続けていくと、どうも、
「日中に出歩いてたら仕事していないことがばれちゃう」とか「こんな自分はダメだ」という思考が瞬間的に入っているのに気がつきました。
 さらには、そこに、「日中に外を歩いている人は仕事をしていない」とか、「すべての人は仕事を全力でがんばっている」とか、勝手な判断基準や前提を作っている事に気がつきました。

 そうやって、日常生活の中の洞察の頻度や感度を高めていくと、数限りなく、大小含め、自分の中にはいろんな「判断基準」や「前提」があることが見えてきました。

 ・いい夫、いい父親であるべきだ。 
 ・いい夫は家事を率先してやって、子供とは一緒に遊ぶものである
 ・毎日、仕事をしていなければならない
 ・常勤の仕事につかなければならない
 ・妻は、家事をこなさなくてはならない、やって当然だ
 などなど。

  すべて、はっきり意識して強く思っていたわけではありません。でも、洞察をしていくと、自分の感情の変化や症状の変化が起こった時には、上記のような基準が一瞬のうちに働き、その判断結果として、「駄目な自分」という思考が働いていることに気が付きました。

 こういった自分の中の「前提」「判断基準」に気がついたからと言って、すぐにその「前提」や「判断基準」を変えられるわけでもないし、また、無理に変えようとしてはいけません。なぜなら、そういった基準をダメだと否定すること自体も、また別の判断基準にとらわれているだけだからです。
 マインドフルネスは、「無評価」そして「徹底受容」という大原則があります。これについては、また別の機会に詳しく書こうと思いますが、洞察でみるかるこういった「前提」や「判断基準」の多くは、自分の成長過程での教育や経験により培われてきたものです。自分が育ってきた過程では、こういった風に考えるのも当然だよなと、そんな自分も認めてあげることが大切です。そして、その結果、自分の事を「ダメな自分」と思う自分がいることも。
  しかし、それを認めてあげる事と、それに縛られたり、振り回されたりすることは違います。そういった判断基準が自分の中に働いていることが分かれば、その判断基準を適用して良い時か悪い時かの選択をできたり、自分に対して、「違う見方もあるよね」と突っ込みを入れてあげることができるようになってきます。
 ここが、微妙なニュアンスなんですが、決して、無理矢理その判断基準を変えるわけではないのですが、その基準を観察し、その存在に気がついただけで、その基準の結果、自分が苦しむのかどうかということもわかるようになってくるので、瞬間的に自動的に「自分はダメだ」とか判断してしまっているときとは別の選択肢を持てるようになってくるのです。今まで、わけもわからず「落ち込む」だけだったのが、理由がわかって「落ち込む」場合とでは、心の自由度が格段に変わっているのです。(伝えるのがむずかし~)
 これは、洞察を実践し、その体験をしたことがある人なら、たぶんすぐにわかることなんですが、体験していないと、上記の説明の違いを理解するのは中々難しいかもしれません。

 しかし、そうして洞察を深めていくと、無意識の領域にあった、数々の自分の束縛「勝手な判断基準」を見つけ出し、徐々に心が自由になっていくことができるのです。

 この過程がStep③です。
 これができるようになってくると、病状が良くなってくるだけでなく、生きることがすごく楽になってきます。あらゆるところで自分を縛っていた掟から、少しずつ自由になっていく事ができるのです。

 おそらく、この段階までくることができれが、マインドフルネスの効果や良さを実感し、たぶん、洞察や瞑想を自然と続けるようになると思います。そして、再発を予防できる段階まで到達できるのではないかと考えます(あくまで現時点では、実感による推測ですが)。

 大田先生の本によるセッションでいうと、セッション6~8くらいのところだと思います。

うつ・不安障害を治すマインドフルネス―ひとりでできる「自己洞察瞑想療法」うつ・不安障害を治すマインドフルネス―ひとりでできる「自己洞察瞑想療法」
(2013/06/04)
大田 健次郎

商品詳細を見る

 本では、「本音」を見つけるという形で出てきますが、自分にとっては、「本音」というのを、自分の中にある「判断基準」や「前提」と言い換えた方が、しっくりきて、洞察を進めやすくなりました。
 「本音」を探そうと思ってしまうと、どうしても「怠けようとしている心があるんじゃないか」「治りたくない本音があるんじゃないか」とか、どうしても「オレってダメ人間思考」に、はまってしまいがちになり、むしろ一時的に調子を崩しやすくなってしまいました。
 佐藤先生にも気を付けるように言われたのですが、「本音」や「前提」の観察といっても、「こんな本音があるんじゃないか」とか、「このうらにはどういう前提があるだろう」とか、見つけようと頑張ったりするものでは決してないんだということです。見つけようと頑張ってしまうと、どんどん、「あーでもない、こーでもない」と思考に嵌ってしまい、調子を崩してしまう人が多いとのことでした。
 「本音」や「前提・判断基準」というものが、うらに働いているらしいぞ、と思いながら、ただひたすらに、洞察、観察を繰り返して行くと、繰り返されたパターンの中で、フッと浮き上がってきた「本音」や「前提・判断基準」に気がつく瞬間があるんです。決して、考えて考えてひねり出すものではありません。
  この点は、Step③において注意が必要です。

  ではでは、いよいよ次回はStep④についてのお話。
               

   

SIMTにおけるうつ病の回復過程 Step②

さてさて、それではステップ②についてです。

 ②洞察の基本を身に付け、日常生活中で洞察を繰り返し、自分の中のパターンを見つける段階。

 ステップ①が、わりと簡単に身に付ける事ができ、実践できるのに比べ、ステップ②になると、ある程度の時間の訓練と実践の積み重ねが必要になってきます。
 大田先生の書かれた「うつ・不安障害を治すマインドフルネス」の本は、10セッションからなっていますが、だいたいセッション1からセッション6or7あたりまでといったところでしょうか。内容は、多層構造になっていて、少しずつ準備をし、前に進めるようになっているので、僕が今回提示している改善のステップにあう明確な区切りがあるわけではありません。でも、上記のセッションを通し、学び、身に付け、実践していけるようになるものだと思います。

  ちなみにその本はこちら。
  
うつ・不安障害を治すマインドフルネス―ひとりでできる「自己洞察瞑想療法」うつ・不安障害を治すマインドフルネス―ひとりでできる「自己洞察瞑想療法」
(2013/06/04)
大田 健次郎

商品詳細を見る


 さて、そんなステップ②の過程を、もう少し詳しく見ていくと、これまたいくつかの段階に分けられると思います。

 Ⅰ. 座って瞑想する中で、基本的洞察のやり方を学び、日常生活の中でも、洞察の機会を増やしていく段階
    (セッション1~2あたり)
 Ⅱ. 洞察の中で、自らに生じている現象に名前を付けられるようになり、作用と対象が明確になってくる段階
    (セッション3~4あたり)
 Ⅲ. 日常生活の洞察を続けていくことで、自分の中の現象の連鎖、パターンが見えてくる段階
    (セッション5~6or7あたり)

  といった感じです。

  Ⅰ. では、呼吸法の中で、自分の意識や思考、感情などを観察して、習慣化し、それを日常生活の中にも取り入れて行く段階です。座って、瞑想しながら観察していくことで、いかに自分が思考せずにはいられない存在であるという事に気がつきます。ほんの数秒、呼吸を観察していると、すぐに思考に走ってしまう自分がいる。そして、ただ座っているだけでも、なんて様々な感情や感覚(聞こえたり、感じたり、見えたり)が生まれては消えて行くということに気がつくようになってきます。
 そして、そのような観察・洞察を、日中の活動中でも、取り入れて行くようにします。自分にとっては、最初はこれが難しかったです。座っているときは、呼吸に集中すると意識しているから、思考に流れる自分に気づき、その他の感情や感覚も観察できますが、これが生活中となるとそうはいきません。朝には、「よし洞察の回数を増やすぞ」と思っても、気づくと1日過ぎ去っていて、まったく洞察ができていないことに気がつき愕然とする。そんな事が多々ありました。
 そこで自分なりに工夫したり、佐藤先生に質問して考えた方法は、
 「時間や動作を決めて、その瞬間には、今、活動していること以外の事を考えたりしていたかどうか確認する」
 「短時間呼吸法や傾注観察法を生活の中に多く取り入れ、それをやっている最中は、観察を続ける」
 などの対策を考えていきました。
  そうすることで、少しずつ、生活の中で、自分自身を観察・洞察している瞬間が増えてきました。また、座ってやる瞑想の時間が延びてきて、繰り返しやっていると、不思議と日常生活の中でも、ふとしたときにその瞑想モードというか、洞察モードになれるようになってきます。やっぱり、座ってやる呼吸法・静的洞察は大切なんだなーと感じたものでした。

  ※ ちなみに、考えているか、考えていないのかのチェックといったときに、日中には色々思索にふける時もあるわけで、それは、考えている瞬間、洞察の対象になるのかと疑問を持つ人もいるでしょう。僕も、同じ疑問を持ちました。
 結果、自分なりの結論としては、「この計画を立てよう」とか、「今は、あれについて考えよう」と思って、思索しているのは問題ないし、それを止める必要はありません。ただ、今、目の前で取り組んでいる事と別なこと(これがポイント)を無意識に考えてしまっている場合は、その思考は洞察の対象であり、気づくべきものだと思います。

  そうやって、生活の中で洞察の回数を増やしていきました。


  続いて、
Ⅱ. 洞察の中で、自らに生じている現象に名前を付けられるようになり、作用と対象が明確になってくる段階
  についてです。

 
  日中の洞察ができてくると、自分の中で、様々な現象が起きていることがわかってきます。怒りが生まれたり、悲しくなったり、考え事していたり、痛みを感じてみたり、動悸がしたり、そういったものが、同時におこってきたり。
  そういう事たちを、頭で整理して、俯瞰的に眺められるように、それぞれの現象に、名前を付けていきます。
  これも、うまく整理できるようなら、こうでなければならないというものはありませんが、参考に僕なりの整理の仕方を書いて起きます。

  ・思考 (頭の中でしゃべっている、言語でやりとりされていること)、
  ・想起 (イメージ、思い浮かべている画像。想起はあくまで過去の記憶の呼び起こしで、自分が作り出すイメージは想像や妄想などと言い換えてもいいのですが、過去のイメージも結局、今、自分が作り出しているものなので、僕は、心に浮かべている視覚的なイメージはすべて想起と名付けてました)
  ・身体感覚 (視覚、触覚、聴覚、味覚、嗅覚などの感覚情報) 
  ・感情・気分 (怒り、悲しみ、不安、憂鬱など)
  ・症状 ( これは、ほぼ、感情気分と身体感覚に入れられると思います。)
  ・欲求・衝動、意思 ( ~したい、~しよう、という思い)
  ・行動・反応 ( 体を動かしたとか、動悸がしている、冷汗が出たとか)
  
  こんな感じです。別にこれじゃなくちゃだめ、ということは無いですが、大切なのは、自分の中で生じている現象に、瞬間的に名前を付けて行けるようになるのが目的ということ。
  「えーと、これは感情かな、身体反応かな?」とか
 名前付けに時間がかかって思考にはまるようでは意味がありません。
 ちなみに、これらの現象は、同時に起こったりします。嫌な記憶の映像を思い出し(想起)、同時に不安(感情)を感じて、その不安を胸のあたりの重さ(身体感覚)として感じているとか。
  
  いよいよ、Ⅲです。
  Ⅲ. 日常生活の洞察を続けていくことで、自分の中の現象の連鎖、パターンが見えてくる段階

  Ⅱ.の名付けが瞬間的にできるようになると、自分の中で日々起こっている現象の関連性、連鎖に気がついてきます。
 逆に言うと、その連鎖に気がつけるようになるためには、それぞれの現象の名前付けに時間がかかっていたらダメで、その現象をカテゴリー分けして、ラベル付けできるようになることで、それぞれ独立だと思っていた現象に関連があることがわかってきます。
  たとえば、しょっちゅう落ち込んで自分はダメだと思っていたのが、その中にいくつかのパターンがあることがわかってきた。
 体の疲れを重さとして感じ(身体症状、身体感覚)、今日もダメかと考え(思考)、気分が落ち込む(感情・気分)。
 人に批判をされて(聴覚)、頭に血が上る感じがして(身体反応、感覚)、怒り(感情)が起きて、その後落ち込む(感情)
 テレビをニュースを見ている時に(視覚)、過去の記憶を思い出して(想起)、落ち込む(感情)

  といった風に、自分の中にあるいくつかのパターンに気づくようになります。
 ちなみに、この分析は、これで終わりではなく、さらに洞察が進むと、より細かいパターンがわかってきます。
  上記の、「テレビをニュースを見ている時に(視覚)、過去の記憶を思い出して(想起)、落ち込む(感情)」
  というのを、より深く洞察していくと、実は
   「テレビでニュースを見ていたら(視覚)、仕事をしている人たちの映像が出て(視覚)、その瞬間、以前働いていた職場でのつらい出来事が思い浮かび(想起)、仕事をしていない自分はダメだと考え(思考)、気分が落ち込む(感情・気分)」
  という、連鎖が起きていたのに気がついた、というように。

  こうやって、洞察を深めて行くことで、今までとらえどころの無かった自分の症状や、わけがわからないと思っていた自分の病気の特徴が、パターンとして少しずつ見えてきます。

  実は、これがすごく大切で、鬱では、自分の感情や症状が、自分ではまったく理解不能、そしてコントロール不能になっています。でも、洞察を繰り返して行って、パターンや特徴を見つけてくると、今までほど、症状や感情に振り回されなくなってくるのです。なぜなら、自分で、これからどうなるかわかってくるから。わけもわからず落ち込んだり、しんどくなるのと、たぶんこの後には、落ち込みがくるだろう、調子を崩すだろうと少しでもわかりながらそうなるのとでは、雲泥の差があります。 こういったことを繰り返しながら、さらに症状が改善していくんですね。

  ということで、今日は、この辺で。

  次回はステップ③!

   
 
これまでの訪問者数
ブログランキング
ブログランキングに参加しております。応援していただける方は下記バナーをクリックお願い致します!
プロフィール

Ko7

Author:Ko7

訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

カテゴリ
カレンダー
02 | 2015/03 | 04
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
ブログ内の記事から探す
入力した語句が含まれる記事を探せます
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR