訪問ありがとうございます

はじめての方はこちらの記事をご覧ください → はじめに (2014/9/21)
記事一覧や目次をご覧になりたい方はこちらをどうぞ → 記事一覧・目次
自己洞察瞑想療法の講習会なども始めました! → マインドフルネス@つくば

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

感情はセンサーである!

 あけましておめでとうございます!
 今年も、懲りずにマイペースに更新をしていこうと思いますので、よろしかったらお付き合いください。

 なんとか1か月更新しないときに出る広告を出さないくらいのペースでやっていきたいと思うのですが、なかなか難しいですね。
まあ、焦らず、無理せず、ぼちぼちやってきます。

 今日は、感情について書いてみようと思います。
 というのも、今、自己洞察瞑想療法の勉強会を始めているのですが、そこで、セッション3のポイントや課題のコツを説明する中で、改めて、「感情」というものについて考えさせられる機会があったからです。

 この「感情」とのお付き合いは、なかなか大変です。
 というのも、うつや不安障害では、多くの場合、特にこの「感情」に振り回されて、つらい思いをすることが多いので、僕のかなり大変な思いをしてきました。

 しかしながら、この「感情」を嫌悪したり、遠ざけようとしたり、抑え込もうなどとするところからは何も生まれないんですね。
むしろ、体調が悪化したり、様々な自律神経症状が余計悪くなったりしていくだけです。

 じゃあ、どうしたらいいのか。

 そんなところを今日は書いてみようと思います。

 自己洞察瞑想療法のテキスト本である、この本のセッション3の初めには、「感情は現在の状況を教えてくれる」と書いてあります。



 ついつい不安や落ち込み、後悔、怒り、などネガティブな感情が生じてしまったとき、僕らはそれを嫌悪してしまいます。
そして、この嫌悪というのも、感情ですね。
 それを繰り返し、どんどん、ストレス反応を増大させ、体調を悪化させてしまうことが多いです。

 しかし、「感情」というものには、基本的に善悪はありません。
 「感情」は、今の身体の状態や、現状における意識とのズレなどを教えてくれるセンサーであり、サイン、そして警報機なのです。
 あくまで、知らせて繰られているだけということです。
 しかし、僕らは、その知らせ自体を、不快なものだと判断して、止めようとか抑えようとしてしまいます。
 でも、その警報を止めようとしても、警報は警報としての役割を全うしようと、さらに大きい音をならそうとするだけです。

 例を挙げて書いているみると、

 例えば、僕らが普通につつがなく暮らしているときは、ガス警報器は作動しません。
 しかしながら、自覚しない程度でも、ガス漏れが発生している時には、ガス警報器は、高らかになりだします。
 多くの場合は、この警報機の音は、不快でうるさいものです。なぜなら、みんなの注意をひかなければならないので、そのようにできています。
 でも、もし、この警報機かうるさいからと言って、警報を止めてしまったらどうなるでしょう。
 警報機は、最初は、さらに危険を訴えて、繰り返しなりだすでしょう。
 
 そこで、その電源をきってしまうとか、ふたをして、警報が聞こえないようにしてしまったらどうでしょう。

 一見、静かになって問題は解決したように思えますが、ガスが漏れていれば、そのうち、身体に変調をきたし、最悪の場合死んでしまいます。

 「感情」も、この警報機のように働いています。
 不安な時、落ち込むとき、よくよく観察してあげると、心も体も限界であるということや、もうそろそろ危ないよということを、教えてくれていることが多いです。

 それを意識の方で、「そんなはずはない」とか「もっと頑張れるはずだ!」と無視し続けると、最終的には、心か身体が壊れてしまうことが多いです。

 実際、僕は、そんな声を無視していろいろと頑張りすぎた結果、様々な自律神経症状に悩まされ、最終的には仕事もできなくなってしまいました。

 感情が動くとき、必ず何らかの身体反応が起こってきます。筋肉の緊張だったり、心臓がどきどきするなどの反応だったり、胃のあたりがきゅっと締め付けられる反応だったり。

 今、思えば、本当にいろんな感情や症状という形をとって、身体や心は、僕の意識に、「もう無理だよ、休みなよ」などと、メッセージを送っていたいのだと思います。それを嫌悪し、無視続けてきた結果が、僕のうつだったのかなと思ったりしています。

 じゃあ、そのような「感情」のメッセージを受け取ったときに、どのようにしたらいいのでしょう。

 自己洞察瞑想療法におけるマインドフルネスの方法としては、その警報である「感情」を変化させようとアプローチせず、その時に、身体や症状、思考などにどのような事が起こっているか、チェックをしてみるということです。

 ガス警報器がなったら、その時に、ガス栓などをチェックしてみるのと同じです。
 どこからガスが漏れているのかと、探したりしますよね。

 残念ながら、多くの場合、この感情の警報が、どのような理由でなるのか見つけるのは簡単ではありません。
 なぜなら、無意識の世界で行われていることで、意識でそれをとらえようとすることは、基本的に無理なことだからです。

 だから、意識の範囲で、いくら「何が理由なんだろう」と考え込んでも、勝手な妄想を増やすだけで、原因はわかりません。

 大切なのは、どのような時にその警報がなるのか、どんな時に、どんなふうにその警報が変化するのかを、「今、ここ」で行われている日常生活を通して、観察していくことです。

 そのようにして、「感情」が変化した時をチェックし、その時に起こる様々な身体症状や思考の連鎖をただチェックしていくと、かならず、その「感情」が表しているサインが見えていきます。そうしたら、そのメッセージを受け取って、それい合わせて行動してあげればいいのです。
 そうすると、その「感情」は、警報としての役割を全うしたので、自然と収まっていくはずです。

 「感情」や「身体反応」は、ものすごく素直です。意識のつく嘘を簡単に見抜いて、本当に正直に反応を起こします。現実を正直に映していきます。

 ただ、もし、過敏に反応しすぎていると感じたら、それが、どのような時に、どんな風にお知らせを出すか、さらに繰り返し見ていくことです。

 そうすると、「感情」がセンサーとして働く設定自体にエラーが隠れているときがあります。
 それが、「本音」です。

 始めに、感情は、身体の反応を反映し、警報として働くほかに、意識と現状とのズレを教えてくれていると書きました。
 そのズレというのが、この「本音」です。

  警報が鳴るからには、そこには設定があります。その設定をしているのは、意識の深層にある、ある種の「判定基準」みたいなものです。自己洞察瞑想療法では、自分の行動や判断に、陰で影響を与えているそのような独善的な基準や価値観を、「本音」と呼んでいます。

 これらは、普段は、無意識の中で働いているため、多くの場合、そのような価値基準や判断基準を自分が持っていることすら気が付かないことが多いです。

 しかし、生活の様々な部分で、これらの影響を受けて我々は行動しており、ときに、その影響により、非機能的、非建設的な行動を繰り返してしまうことがあります。

 「感情」や「身体反応」は、そういった現実と、我々の意識のずれを生じさせている「本音」を知る上でも、アラームとして機能してくれます。

 「感情」や「身体反応」、それ自体は、そういった設定に基づいて、ただ反応しているにすぎません。それが、それらの役割なのです。

 ガス警報器が、繰り返しなる状況を見ていくと、料理を作っているときに発生するときのわずかな煙でも、警報が鳴っていることに気が付いたとします。警報機は、その煙にも反応するように設定されていれば、あたりまえのことながら、それに基づいて、警報を発するわけです。
 しかしながら、その設定のままでは、まともに料理もできないので、現実の状況とあっていません。
 そんな時は、料理ではならない程度に、設定を緩めてあげる必要があります。
 ここで、大切なのは、警報を切るのではないということです。警報を切ってしまったら、ガス漏れという危険な状況を探知できなくなってしまいます。
 状況に合わせて設定を緩めてあげるということです。

 例えば、対人過敏があり、人に会うのが不安でしょうないとします。その時の、不安な感情は、自分の心や体が傷つくのを避けるために、働いているのかもしれません。その反応がなくなってしまったら、だれにでも警戒なく近づいてしまい、だまされたり、傷つけられたりしていしまうでしょう。

 でも、その不安を観察していくと、本来、傷つく心配のない人にまで、反応しているかもしれません。
 
 自分を傷つけようとしているのではなく、ちょっとした注意や、自分を正しい方向に導こうとしているような言動にまで、反応しているかもしれません。

 そんなときは、その不安の背後にある本音、もし「だれでも自分に近寄ってくる人は、自分を否定したり傷つけようとしている」という本音があるなら、それを、「誰でも」ではなく、「悪意を持っている人」だとかに、変えていくといいと思います。

 もちろん、警報機のように、簡単に数値を書き換えるだけで、その設定が変わるわけではありません。
 その設定を変えるためには、人に会い、どのような人であるかを、「今、ここ」で働いている自分の五感で、ちゃんと感じ取り、その時に、自分の中にどのような警報が鳴るかをチェックしながら、この程度の反応であれば、警報はそこまで鳴らさなくても大丈夫だな。とか、この程度の警報のなり具合(不安の強さ)なら、もう少し様子をみて大丈夫だな、とか、経験を積んでいくことが大切です。

 このように、「感情」や「身体反応」は、僕らの身や心を守るために、自分の意識の設定に基づいて、自然な反応をしているだけです。むしろ、その警報をよく知ることで、自分の状況や本音にいち早く気が付き、より安全に、そして安心して生活をしてくことができるようになります。

 警報は時に不快な音を発するので、最初のうちは、なかなか慣れるのが大変かもしれません。

 でも、「感情」や「身体反応」を敵とせず、ただチェックをしていく、ということを続けていけば、だんだん、「感情」や「身体反応」と仲良くなっていけます。
 そうすると、「感情」や「身体反応」は、本当にいろいろなことを教えてくれる先生となります。

 今、様々な状況で、苦しんでいる方も多いと思います。でも、基本的な思考のチェック、そして、心理現象に名前を付ける、感情の連鎖をチェックするなどの、基本的な自己洞察瞑想療法の実践を積んでいけば、かならずこういったことがわかる日がくると思います。

 どうか、自分自身の反応を嫌悪せず、大切にしてあげて、焦らずにやっていってください。
 あなたの心や体は、あなたが幸せになることを、切に望んでいると思います。

 ではでは、長くなってしまいましたが、お付き合いありがとうございました。
 今年も、マイペースにやっていきますので、お時間のある時に、またお付き合いください。

スポンサーサイト

ストレスへの対処法


今日は、ストレスへの対処法を中心に書いてみたいと思います。
というのも、先日、このような質問を頂きました。

概略ですが、

「現在、少し大きめのストレスを抱えています。しかし、その対処法がわかりません。現在、セッション8をやっているのですが、その対処法がうまくできていない気がします。以前のセッションにさかのぼって課題をするべきなのか迷っています。」

といった内容の質問でした。

セッション8というのは、「今まで学んできた実践を、組み合わせて統合的に使い、具体的な自分の問題や課題に対応していこう」といった感じのセッションになっています。

 なので、ここでうまくできないのは、過去の実践がうまく身についていないからだ、だから前のところに戻ってやろう、しかしどこにもどったらいいんだ、という事なのだと思います。

 セッションを続けていくと、かならず一度はぶつかる悩みだと思います。
 なので、今回は、記事に取り上げて答えてみることとしました。

 僕の体験では、質問者さんが考えていることは、基本的に正しいと思います。しかし、考える方によって、苦しい方向に行ってしまっている気がするので、いくつかの前提を説明して、対処方法を解説してみたいと思います。
 ある程度、質問者さんの状況を推測して書いていますので、的外れだったらごめんなさい。
 参考になりそうなところだけ、参考にしてもらえばいいと思います。

 まず、大きめなストレスを今現在抱えているとのことでした。
 SIMTをやっていても、日常生活をしていけば、かならずストレスは生じてきます。特に、セッション後半は、日常生活をしながら、仕事に復帰しながらなど、実生活の課題に向き合っていくことに主眼が置かれていますので、この段階で、様々な体調の波を経験する方は多いです。

 そもそも、このストレスは消すことができません。ここ大切なポイントです。
 ついつい、SIMTを実践してきて、マインドフルネスを身に着けてきて、なんとか、この手法で、このストレスを解消できないか、悩みを解決できないか、と考えるのですが、基本的に、ストレスそのものを解決はできないです。
 そもそも、皆さん、悩みを解決するためにSIMTの実践を行っているはずなので、「解決したい!」「ストレスを無くしたい」という気持ちを持つのは当然です。それは間違いではありません。
 しかし、実は、「ストレスを感じる」となっている時点で、そのストレス自体を消すことは難しいです。SIMTを実践していった先に起こってくることは、「気が付いたら、今までストレスだと思っていたものが、ストレスと感じなくなってきていた」というように変化していくものです。
 今、もし、「あー、これはストレスだわー」と感じることがあるとしたら、それは、すでにその人の中でストレスになってしまっているので、それを理屈で、ストレスじゃなくすることはできないのです。
 そして、そもそも、簡単に解決できるような事であれば、すでに解決させているはずだし、そうであれば、そもそもストレスとは感じないはずですよね。今、解決できないからこそ、ストレスに感じているのです。
 
 だから、それを無理に解決しようともがいてしまえば、できない問題を考え続けるようなもので、どんどんストレスを膨らまさせてしまいます。
 なので、ここからの対処法は、「それをなるべく膨らませずに、チェックだけして、そのままにしておく」というものです。
 
 その上で、まず大切だなと思うのが、「無理をしない」ということです。「新しいことをやろうとしない」ということでもあります。
というのも、ストレスがかかったときって、身体はストレス反応を、し始めます。体調は普段よりは悪くなったり、低下したりします。
思考も、緩慢になったり、ネガティブになったりしますね。
 これを、無理に解決しようとしては、いけません。ストレスがかかっているんだから、そのような反応は、自然であり、当たり前のことです。
 しかし、ついつい、「この状況を打開したい!」と思って、普段しないことをやってしまったり、新しいことをやりたくなるんですよね、不思議と。例えば、身体のだるさをとるために、ジョギングをしてみるとか、気晴らしに旅行に行ってみるとか。
 もちろん、それが功を奏するときもありますが、経験上、疲労を貯めて状況を悪化させることが多いように思います。

 普段より、パフォーマンスが落ちている状況にあるわけですから、新しいことを始めるより、むしろ、やめられること、一時延期できることは、一度、手を放して、ペースを落とすことが大切です。
 
 身体を休め、気持ちに余裕を持たせることで、ストレス体制を多少なりとも上げることができます。

 そして、ストレスの波が去るまで、乗り切ることが大切となります。
 特に、期限付きのものであれば、とにかく乗り切るのが大切です。

 では、そのためにどうすればいいのか。そして、その間に、どのような実践を行っていくのかという事ですが、ここで、基本的な実践に戻るのが大切です。

 ポイントとしては、セッション後半の本音の観察や、今の自分の課題の対策を行っていて、調子がでないときは、一度、その実践は横に置いて、少しまえの実践に戻りましょう。

 この時に、できることなら、短時間呼吸法、日々の瞑想(呼吸法)をこまめに入れて、少しでも自律神経系を整える方向に働かせつつ、思考のチェックをして「今、ここ」に意識を戻す、心理現象に名前を付ける、感情の連鎖、傾注観察などは、続けられるといいと思います。
 そして、これらの基本的な実践を、丁寧に行っていくことが重要です。

 というのも、ストレスがかかっているときは、パフォーマンスは落ちますし、頭の回転も低下、集中力低下、思考に流れやすい、それもネガティブなことを考えやすいという特徴があります。
 だからこそ、そちらに行きがちな意識を丁寧に、「今、ここ」に戻していくことが大切です。
 課題のひとうひとつを丁寧にゆっくりとやっていくことが大切だと思います。そうすると、それ自体に、ストレスフルな時間をやり過ごす効果が出てきます。

 もし、本当につらい状況で、洞察も観察もできそうもなく、どうしようもなくネガティブな思考や希死念慮に引っ張られてしまうようなときは、そこまでの状況になるまでには、すでに感情などをかなり大きく刺激してしまっている状況になっているはずなので、「今、ここ」にひたすら意識を向けて、呼吸法を続けていくkことをお勧めします。難しいことはいりません。数時間か、数日かわかりませんが、とにかく乗り切りましょう。

 でも、少し体調が戻ってきたら、心理現象の名前付け、感情などの連鎖のチェックくらいは行いましょう。

 そして、もう少し、落ち着いてきたら、それらの連鎖が起こったとき、その思考の裏にある本音を、一瞬だけチェックしてみてください。もし、チェックできなかったら、名前をつけて捨てていく作業を徹底的に繰り返していきましょう。

 もしも、もう少し余裕が生まれてきたら、その時は、いつもと違う反応や方法を試してみたりして、さらにその結果をチェックしてみていってください。
 正直なところ、そのような対応ができるレベルというのは、かなりストレスも小さいような課題、もしくは、状況が、落ち着いてきてからだと思います。

 そんなことをやっていたら、いつまでたっても、ストレスや自分の体調がよくならないんじゃないかと思うかもしれません。
 
 でも、そんなことはないんです。

 最初は、ストレスに感じていることも、最初は、死に物狂いでなんとか乗り越え、2回目、3回目は、かろうじてやりくりしたかもしれないけど、同じようなストレスも4回目、5回目になってくると、不思議と、慣れてくるというか、少し、余裕をもって眺められるようになってきます。
 だからこそ、1回目、2回目でパニックにならずに、とにかくまずは乗り切っていくことが大切なのです。
 そして、少しずつ、名前付けなどを続けて、状況を観察していくと、かならず、今までの自分では気が付かなかった課題のもう一面が見えていきます。
 そのような段階になってくると、もう、同じ状況においても、かかるストレスが自然と減ってくるんです。

 日常生活を送っていると、様々なことが起こってきます。その中には、よいことばかりではなく、悪いこと、嫌なこともあります。
 そんな時は、自分がどのようなストレスを受けているのか、その時に、どのような反応が出るのか、そして、その時に自分はどのような段階の実践なら可能なのかを知るうえで、とても良い練習、そして経験になります。

 それがわかってくれば、このくらいのストレスだから、とりあえず、今やる必要のあること以外や、一時中止して、これくらいの実践に集中しようとか、この状況は、とにかく呼吸法だけでいいから、それでなんとか乗り越えよう、などとできるようになってきます。

 もちろん、呼吸法だけで無理そうなら、薬を一時的に増やしてもいいですし、家族や友達、かかりつけの医師に相談して、一時的に頼ってみるというのもありです。それこそが、まさにコーピング、対処行動なのですね。

 そして、そんな行動をとっていくということ自体が、まさにセッション8での、意志作用の実行であり、対処法、対処計画の実行という実践につながっていきます。

 今日は、うまく回答できているかわかりませんが、ストレス下においての実践のコツについてちょっと書いてみました。

 まずは、ストレスそれ自体を解決しようとはしないこと、主眼を乗り切ることにおいて、今できそうな基本的な実践を丁寧にやっていくことが大切だということを書いてみました。
 その過程が、自分の経験値となり、どうような課題が起こってきた時に、徐々に上手な対処法ができるようになってきます。
 それまでは、とにかく積み重ねが必要なんです。

 質問者さんが行っていること、向かっている方向性は、決して悪い方向ではないと思います。どうか、焦らずに実践を続けていただけたらと思います。

 最後までお付き合いありがとうございました。
 少しでも、読者の方のご参考になることがあれば、幸いです。
 ではでは、今日は、この辺で。

 
 




 


 

コントロールしようとするのではなく、マネージメントしよう

 さてさて、どうもはっきりしない天気が続きますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 このところ抽象的な話の記事が続いてしまいましたが、今日は、もう少し実践的なことかもしれません。

 タイトルからはわかりにくいかもしれませんが、僕自身の体験から感じたマインドフルネス実践のコツです。

 ここで書かれる「コントロール」という言葉は、「自分の力で変化させよう、思い通りい動かそう」とすることで、それに対し、「マネージメント」という言葉は、「変えようとする、思い通りに動かそうとするのではなく、そちらに合わせて対処する、調整する」といった感じでとらえていただけるといいと思います。

 僕自身、うつになる前から、何かにつけて、「コントロールしよう」としていたと思います。それは、自分の感情、つまり不安や怒り、そして体調などに始まり、まわりの状況、相手の反応、などなど、そういったものを努力して、そして自分の意志でどうにか変化させよう、思い通りにしようとしていました。
 それが努力することであり、目標にむかって頑張ることだと思ってもいました。
 そして、思ったようにならないことを、「自分の意志が弱いから」「努力が足りないから」、さらに、不安に負けそうになり、弱い気持ちを消せない自分を、「自分が弱い人間だから」と思っていました。

 そうして、そうならないことばかりの中で、疲労とストレスを積み重ねてうつになってしまい、なってからも、前向きに考えられない自分を責め、思ったように動けない自分を責め、嵐のように変化する体調に対して、「なんで思い通りにならないんだ!」と怒りを感じては、さらに体調が悪化するような日々を過ごしていました。

 しかし、SIMTを実践して、マインドフルネスを続けていく中で、そういったことをコントロールしようという気持ちを手放して、それに対して自分自身をマネージメントしていければそれでいいんだという風に考えるようになりました。

 というのは、SIMTの課題の実践を通して、生じてくる様々なことをできるだけ評価せず、自分自身を観察、洞察していくうちに、そもそも、自分でコントロールできることなんていうのは、ごくごくわずかなことしかなくて、自分自身の感情や体調でさえも、コントロールできるような代物でないという事に気が付いていったからです。

 例えるなら、それは、天候に対応するのに似ています。

 天候は、日々、変化していきますよね。
 自分がお出かけしたい、ピクニックに行きたいという時でも、かならずしも晴れるわけではありません。
 雨が降ったりする日もあります。
 そんな時、雨を止めようと努力したりするでしょうか。そんなことは無駄ですよね。エネルギーばかり消費して、ずぶぬれになってひどい目に合うだけです。
 
 雨そのものをどうすることもできません。確かに残念だなという気持ちはぬぐえません。それ自体はなくすことはできません。
 でも、小雨だったら、傘をさしたり、カッパを来たりすれば、ある程度、出かけたりすることは可能ですよね。
 ちょっとお出かけなら、明日に延期したり、キャンセルしたりできるかもしれません。
 もちろん、その結果、晴れの時のようには楽しめないかもしれませんが、晴れの時には経験できない、雨の時の美しい風景を見ることができる可能性もありますし、思わぬ雨の日セールに出会うかもしれません。 
 たとえキャンセルして家にいることにしても、家で思わぬ面白いテレビを見つけたり、ふと手にとった本から生きるためのヒントを得ることだってあり得ますよね。予定外にとった休養で、身体がリフレッシュし、翌日のお出かけは、より楽しいものになるかもしれません。

 雨が降っていることを呪って、それを止めようと必死になっているより、ずっと生産的でストレスの少ない対応が可能です。

 僕が自分自身の生活において、いろいろなことを「コントロールしよう」とするのをやめたのは、こういった感じに似ています。

 周りの環境や、他人の態度や反応はもちろんのこと、自分自身の感情や気分、そして体調さえも、自分の意志でどうにかできるものではなく、こちらはそれを変えられないものとして対処して、合わせていくしかないんだと思ったからです。

 でも、天候と同じで、対処なら可能です。

 具体的に言うと、仕事で疲れているときに、「もっと頑張れるはずだ」ではなく、「これくらいの疲れがあるから、今日は、早めに切り上げよう」とか「疲れがあるから、これくらいのペースでしかすすまないのはしょうがない、無理せずやろう」とか、怒りの感情が生じたときも、「こんなところで怒ってはいけない、抑えなくては!」ではなく、「これは自分で抱えきれないほどの怒りになっているから、だれかに話して発散しよう」とか、「少しこの場を離れて、新鮮な空気をすってこよう」とか、そういった対処が可能です。

  でも、こういった対処だけでも、天候と同じように、状況や感情、気分も常に変化していくので、時間さえかければ、晴れ間がまた除くように、状況が好転し、感情が落ち着いてくるときがあるのです。

 これが、「コントロールしよう」という気持ちを手放して、「マネージメントしていこう」という事です。

 言葉でいうのは簡単ですが、これを日々の観察の中で、観察・洞察し、実感として理解していくことが大切です。
 自分の中で変えられないことは何なのか、でも、それらに対してどのような対処が可能なのかということを、理解し見つけていくことが大切だと思います。

 日々のストレスや葛藤というのは、「自分で思うようにできるはずだ、こうなるはずだ」と思ったことができなかったり、思うようにならなかったりすることから生じていきます。
 
 SIMTの実践開始時は、ついついマインドフルネスをしていれば、自分の体調を自分の意志で改善させることができるとか、マインドフルネスを身に着けることは、自分の感情を思うように制御できると思ってしまいがちです。

 でも、僕の経験では、自分の感情や体調などをコントロールできないということを理解して、それに合わせて対処していけるようになることが、マインドフルネスなのかなと思います。
 コントロールできないといっても、そこで諦めてしまうのではなく、その状況、例えていうなら、雲の流れや雨の強さなど、天候の変化を注意深く観察していきながら、その状況に合わせ、カッパや傘で出かけられるのか、雨天決行できるのか、それとも少し延期にするか、キャンセルして自宅にいたほうがいいのか、そういったことを常に変化していく状況に応じて判断していけることがマインドフルネスな状態かなと思います。

 こう書いている僕自身も、今日のブログは、一度書き終わりそうなところでブラウザが停止し、すべて消えてしまいました。
 その瞬間は、がくんと落ち込み、とてもすぐに再開して書く気にはなれなかったので、しばらくPCの前を離れ、ほかのことをしていました。気分も落ち込んだし、「途中で一度でいいから保存しておけばよかった」などの思考がうずまきますが、今起こってしまった状況は今更変えられないし、さらには、ブラウザが停止することを前もって止められるわけでもありません。不可抗力なわけです。
 そこは、「自分の力で変化させられたことではなく、今日はそういう日だった」「その時書いたブログは消える運命だった」と手放して、しばらく自分の感情が落ち着くまで、ほかのことをして過ごしました。
 その結果、またこうやって書き始めることができました。
 
 こうやって書くと、なんでも不可抗力ということで、努力なんてしなくなってしまう気がしますが、僕の場合、「こうしなければ」とか、「自分はこうするんだ!」という気持ちを手放すことで、逆に力みが抜けて、仕事にしてもこういった趣味にしても、継続的に行っていくことができるようになり、結果的にパフォーマンスは上がっている気がします。
 前は、すごく頑張ろうという気持ちがありましたが、それがかえって邪魔して、やる気が出なくなってしまったり、手を付けられなかったり、様々な葛藤を逆に抱えてしまっていたように思います。

 もしかしてお気づきの方もいるかもしれませんが、そういった部分で、「コントロールをしようとせず、マネージメントに徹していく」というのは、前々回ブログに書いた「価値や願いを一度手放す」ということにも通じているんですね。

 ではでは、そうは言っても、最初に書いた文章の方がうまく書けているのではないかという思考は頭をよぎりますが(笑)
 その気持ちも自然なこととして、今日の文章を自分でも味わいたいと思います。

 今日も独りよがりな文章になっているかもしれませんが、少しでも参考になることがあったなら、本当にそれは僕の喜びです。
 
 では、今日はこの辺で。また書きたいと思います。

時間は実在するのか?(未来や過去なんて本当にあるの?)


 今日も、ちょっと意味不明なタイトルで書き始めてみたいと思います。
 最近の内容は、直接、マインドフルネスとは関係のないことのようにも思えるかもしれませんが、僕にとっては、マインドフルネスという状態を、きちんと実感、理解していく上では大切かなーと思っていることなので、懲りずに今日も書かせてください。

 前回で、価値や願いを一度捨ててみようというような記事を書いてきました。
 
 今日は、さらに踏み込んで、未来や過去なんて本当にあるの?という事を書いてみようと思います。

 というのも、未来や過去を考えることが絶対的に悪いことだとか、今という時間を刹那的に好きなように生きればいいんだということではなくて、「未来」「過去」そして「時間」という既成概念にとらわれてしまっている場合は、そこから自由になりましょうというお話です。

 僕らは普段の生活の中でも、これら「過去」「未来」「昨日」「明日」など、「時間」という概念を使って生活をしています。
 この概念があるからこそ、カレンダーを使って先々の予定を立てたり、以前のことを振り返って、今日、新たな作業に取り組めるわけです。
 でも、それができるからこそ、「あの時、あんなことをしなかったら」とか、「あの人にあの時にこんな仕打ちを受けたから、今の私はこんな風になっているんだ」という風に、過去を悔んだり、「このままいったら、私の将来はどうなってしまうんんだろう」とか「来週に入っているあの仕事の時に、こんな失敗をしたらどうしよう」など、未来について不安を抱いたりしてしまうことがあります。

 この時、「未来」というのは、「今」ここに存在しているわけではないし、自分の意識が、様々な情報を元に、「今、ここで」、作り出しているただの概念的な想像物であることは、わかっていただけると思います。
 確かに、様々な情報を元にして推測したことであれば、かなり正しいことのように思えるかもしれません。でも、それは、あくまで「今、ここ」の自分が、勝手に作り出した概念ですから、決して、「真実」や「事実」とは違うわけです。
 東日本大震災が起こった日も、あの地震の直前まで、いろいろな人が、いろいろな未来を想像したり、無意識に考えたりして生活していたと思います。でも、その直後に、あれだけの自身や津波がくるなんて想像ができていた人は、ほぼ皆無なんじゃないでしょうか。

 「今、ここ」で、どんな未来を想像したとしても、それは、「今、ここ」の自分自身が勝手に作り出した想像の産物にすぎません。
 なので、「今、ここ」の状況が変化していけば、この未来像も、どんどん変化していってしまいます。
 
 だから、そんな勝手な想像を「確かな事実」と無意識に信じ込んで、あれこれ思い悩むのは、無意味であることを頭で理解するのは、そう難しいことではないと思います。

 SIMTの実践をして、マインドフルネスを身に着けていくとき、決して未来のことを考えない、というわけではありませんが、この「今の自分が無意識に想像してしまう未来」というのに関しては、それが生じたときには、「思考」「想像」と名前を付けて、そこで止めるように訓練していきます。そして、「今、ここ」の状況、感覚、などに意識を戻していきます。
  さらに、実践が進むと、そのような「思考」「想像」が生まれた背景にある自分の本音や価値観に焦点をあてたりしていきますが、それは、一瞬のことです。

 自分の勝手な想像の中で、あれやこれや不安や妄想を膨らませていくより、「今、ここ」の状況や、「今、ここ」でできることに意識をむけていくわけです。 
 なぜなら、「今、ここ」の状況のみが、その「未来」を作っており、実際の「未来」を変えていく方法だからです。
 しかし、その未来が現実にやってくるときには、それは、その時の「今、ここ」になっているわけです。
 だから、常に意識を「今、ここ」に焦点をあてて、「今、ここ」の課題に取り組んでいくわけですね。

 では、過去はどうでしょう。

 過去とは、「記憶」です。

 過去に起こったことは、変えようのない事実で、それは「今、ここ」でどうしようとも、もう変わらない普遍的なものだと考えてしまいがちですよね。

 でも、違うんです。「過去」というのも、やはり「今、ここ」の自分の状態や状況によって、どんどん姿を変えていくんです。

 先ほど、過去はつまり「記憶」だよ、と書きましたが、皆さんんは、自分の記憶にどれくらいの自信をお持ちでしょうか。
 実は、人間の記憶ほどあやふやなものはありません。
  
  それを証明する様々な心理学上のエビデンスはあると思いますが、ひとつに、TEDで行われた「The fiction of memory」というプレゼンを見ていただくとその一端を知ることができるかもしれません。

 そこでは、車の自己をみて、それを記憶し、その状況対して質問に答えるという課題があったかと思います。
 その時、質問の仕方を、「車が衝突したとき」として聞くのか、「車が激突したとき」と前ふりして聞くのかでは、聞かれた人が答えるスピードの速さが、有意に変化してしまうというものだったと思います。
 
 みんなが同じ映像をみて、それも「しっかりと記憶してください」という前提のもとで覚えたものでも、「今、ここ」の質問の仕方一つで、簡単に内容に変化がみられてしまうわけです。
 
 さらには、このような質問に誘導された本人は、その誘導にはまったく気が付きません。

 そのようにして、目撃証言というような裁判の証拠として使われるようなことでも、簡単に誘導や記憶の改変が行えてしまうわけです。そうして冤罪が作られてしまうわけですね。

 そうじゃなくっても、過去のつらい体験も、「今、ここ」の状況が自分に肯定的に感じられる状況であれば、人は、「あの時があったからこそ、今の自分がある」などとかたります。しかし、「今、ここ」の状況が自分にとってつらいものだと、「あの時、あんなことがなければ」と人は語りたがります。

 確かに、「過去」というものは、僕らが「今、ここ」に生きている以上、確かにあったものかもしれません。
 でも、我々の意識というのは、その「過去」を完全に再現したり、自分の意識の中に「記憶」としてとどめて置けるわけではなく、そのごく一部しか、とらえておくことはできないわけです。
 さらに、その一部も、プリントした写真のように変化しない決まったシーンをとどめておけるのではなく、水の上に浮かべられた絵具の模様のように、どんどん変化する曖昧なものです。

 だから、「過去」というものが実在するわけではなく、「今、ここ」の自分の意識の中に、その「過去」の残さ、すでに原型をとどめていないカスのようなものが、漂っているだけなわけです。

 そうすると、ここでも、「未来」について書いたときと同じように、そんなあやふやな「カス」みないたものを、絶対的な事実として、いつまでも、繰り返し思い出して、考え続けることは、あまり意味のないことだというのがわかるかと思います。
 もう、使い古してボロボロになり字さえ見えないような地図をもちながら、その地図だけをもって、道路を歩いているようなものです。そんなものを見続けるより、「今、ここ」の状況で、落とし穴はないか、危険な車は迫っていないか、まわりをしっかり見なくちゃなりません。
  
 だから、SIMTでは、「過去」に対しての扱い方も、さきほどの「未来」の時と同様です。

 繰り返し、無意識に自分の意識の中に過去の記憶がよみがえって来たりする時も、それに気づき次第、「記憶」とか「映像」とか名前をつけて、そこで中断し、「今、ここ」に意識を戻していきます。
 なぜなら、自分が「過去」と思っているその映像を作り出しているのは、「今、ここ」の自分だからです。「今、ここ」の自分と向き合い、できることをやっていくことで、結果的に、「過去」と思っている自分の記憶、そしてその意味が、変化していってしまうからです。

 以上のような感じで、僕は、「過去」や「未来」というのが、事実ではなくて、「今、ここ」の自分が作り出したものだというのが少しお分かりいただけるかと思います。

 そうやって考えると、「時間」ってなんでしょう?

 僕らは、普段、「時間」という概念を使って、生活しています。
 1時間は、60分で、1分は、60秒で、それは変わることなく、世界を支配しているルールのように思えます。
 そして、過去から未来に向かって、時間はだれにとっても平等に流れているように感じています。

 でも、同時に、同じ1時間や1分であろうとも、それは、すべての人に同じような意味を持つものではないことは、だれもが実感できるところだと思います。
 好きな人と一緒にいるときの1時間はあっという間なのに、嫌いな先生のつまらない授業を受けているときの1時間は、永遠に続くのではないかと思うほど長く感じたりします。
 そんな経験はだれもがお持ちではないでしょうか。

 なぜなら、「時間」というもののもつ価値や意味も、「今、ここ」の自分の状況や価値によっていくらでも変化してしまうものだからです。

 アインシュタインがいうまでもなく、時間は「絶対的なもの」ではなく、「相対的なもの」なんですね。

 それは、まるで、「国境」や「お金」のようなものかもしれません。

 確かに「国境」や「お金」という概念は、僕らが生活していく上では便利なものです。

 しかし、地球のどこを眺めても、「国境」という名の絶対的な線は存在しないわけです。僕らが勝手に決めて、フェンスを立ててみたり、検問を設けたりしています。「~人」といのも、勝手に人間が作り出した概念にすぎません。

 お金だってそうです。1万円札そのものには、1万円の価値はまったくありません。あれは、あの紙幣を国が保証して、その価値を認めているからこそ、みんなその1万円札をほしがるわけですが、その前提は絶対的なものではありませんから、国が崩れてしまえば、紙幣なんて、なんの意味もないものになってしまいます。
 日本にいると、ついつい忘れてしまいそうですが、そういう視点で、1万円札の束をもってニコニコしている姿は、滑稽に見えるかもしれません。それでも、ぼくらは、その1万年札に1万円の価値があると思って、ときに殺人さえ起こったりしてしまうわけです。

 「時間」というのも、そのようなものの一つだと思います。もう、無意識に絶対的なものだと思いがちですが、時計のない時代から、この世や続いているわけです。
 そんな時代も、みんな生きていたわけです。との時は、「今」という時間しかありません。
 その「今」をどう生きるかということに集中していたはずです。
 そういう視点で言うと、「過去」も「未来」も、「今、ここ」の自分が作り出した妄想なんですね。

 僕らには、常に「今、ここ」という時間のみが存在しています。

 だからこそ、意識の焦点を「今、ここ」に合わせて、生きていきましょう。

 今日は、「過去」「未来」ということから、絶対的な「時間」というものはあるのか?という事について書いてみました。

 マインドフルネスの実践において、「今、ここ」に焦点をあてる理由みたいなのが、よく理解できるかなと思って書いてみました。
 だからこそ、マインドフルネスでは、問題を解決していくのに、原因とか結果とかにはあまりこだわらず、「今、ここ」に焦点を当てていくのではないかなーと思ったわけです。

 しばらくちょっと抽象的なお話が続いていますが、少しでも参考になったなーと思ってくれる方がいたら幸いです。

 ではでは、今日はこの辺で。
 また、時間のある時に書きたいと思います。

 最後まで読んでいただいてありがとうございました! 

※ あくまで「過去」の記憶や「未来」の不安などが悪いといっているわけではありませし、その記憶は嘘だとか間違いだとか言っているわけではありません。
  そういったものは、無意識にぼくらの意識に浮かんできますし、繰り返しでてくるそれらを完全に抑え込むことは不可能でし、抑え込もうとすれば、逆にとらわれます。
  しかし、それらを無意識に「事実」だと思い込んしまって、とらわれていることに「気づく」のが大切なのではないかということを提案したいだけです。

 自分の記憶や思い出を呼び起こしたり、それをついつい考えてしまうことを、悪いことだと自分を責める方向に行ってしまわないように、念のため、追記させていただきました。
 

意志的判断と意志的行動


 今日は、前回書いたブログの中で出てきた「意志的判断」、「意志的行動」について書いてみようと思います。

 そもそも、自己洞察瞑想法(SIMT)では、うつやパニック障害、不安障害を改善させるために、「意志的自己」を機能的に働かせることをトレーニングします。
 SIMT自体は、うつや不安障害が改善し、日常の生活や仕事が問題なくできるようになってからも、実践を続けることで、さらに深い自己(叡智的自己や人格的自己)を探求していくことができます。

 そんな深いレベルの自己を知りたい方は、詳しくは大田先生の書いている青い本「マインドフルネス入門 不安、ストレスが消える心の鍛え方」をご覧ください。
 といっても、読んだだけで理解できる人なんていないとおもいますが。。。。。。(笑)

  そういった深いレベルの自己の探究は、まさに一生をかけての課題になってくるので、まずうつや不安障害を克服し、改善するために、SIMTのセッションの中では「意志的自己」のトレーニングをしていくことが優先されています。
  そして、この「意志的自己を機能させる」という部分が、SIMTの特徴となっています。
 特に、一般的にマインドフルネスというと、「ありのままの注意」「今ここを偏見なく観察する」といった見る局面が協調されています。
 例:日本マインドフルネスにおける定義
 「“今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること” と定義する。
なお、“観る”は、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、さらにそれらによって生じる心の働きをも観る、という意味である。」


 このように対象が感覚だとしても、主に「観る」局面が強調されています。

 しかし、SIMTでは、意志的自己の使い方の中でも、洞察による観る局面だけでなく、そこからさらに「意志的判断」を行い「意志的行動」をとっていくことが協調されており、それが、SIMTの特徴となっています。 

 この「意志的自己」を鍛えるといっても、一般に言われているところの「意志を鍛える」ということとはちょっと違うと僕は思っています。
 一般的に「意志を鍛える」というと、困難にも負けないように意志を貫ける強さを持つ!とか、いやなことでも負けない自分を作る!のように、鋼のような強さをもつようなイメージを持つことが多いと思います。
 しかし、「意志的自己を機能させる」というのは、そのような自分の中の葛藤と戦って勝つような類のものではなく、そういった葛藤と上手に付き合いながらも、自分の生きたい生き方を選らんでいけるような状態です。
 前者が、鋼の強さだとしたら、後者は風にゆらぐ竹や柳のような強さとでも例えられるでしょうか。

 いつものように前置きが長くなりましたが、そんな「意志的判断」と「意志的行動」とはどういうことかということについて書いていきたいと思います。

 前回書きましたが、例えば、呼吸法や瞑想をやる気が出ないとき、課題の実践をやる気が出ないとき、ありますよね。
 
  「やる気がでない」 → 「こんな自分はダメだ」「これじゃ良い瞑想ができそうもない」 → 「実践をやらない」

 やる気が出ないときがあるのはしょうがないですが、
 この  「こんな自分はダメだ」「これじゃ良い瞑想ができそうもない」  というのは 衝動的・独善的な評価・判断

 その結果、 「実践をやらない」 というのは、 衝動的・独善的な行動

 ということになります。

 こういったときに、僕は今まで、この「観る局面」を大切にすることを強調してきました。すぐに決めつけないで、まずはよく見ましょう、観察しましょうということです。

「やる気がない」と思ったときは、その「やる気がない」という感覚を、どこでどのように感じているのか、例えば、身体が重い感じがするのか、頭がぼーっとするのか、などを観察してみようとお勧めしていました。
 また、その時に、どんな感情があるのか、どんな気分が、どのくらいの強さであるのか、その時に、どんな思考が繰り返されているのか、そういったことを観察していけば、それはもう課題の洞察と同じことだよ、と書いていました。

 だから、やる気のない自分を責めなくていいのだよ。やる気がなくても、そんな自分を観察していけば、それで洞察は十分なんだよと考えていたんです。そうしたら、自然と次につながっていくのではないか。そう思っていました。
 こうした意志の使い方をすれば、初期の意志作用としては十分なんじゃないかと考えたんです。

 今でもこの部分について、大きな変化はありません。すぐに衝動的な反応をせずに、たとえしたとしても、まずは「観る局面」を大事にしていくことは、すごく重要なことだと思います。

  実は、こういったことを文章にして、先日、養成講座の講習会の時に、大田先生にお伝えしてみたんですね。
 そうしたら、意志作用には、「判断・評価する局面」「行動する局面」が含まれていなければならず、それがSIMTの大事な要素であるということを、ズバッといわれてしまいました。だから、「観る局面」だけではダメだよと。
 
 そこで、僕なりにいろいろ考えまして、大田先生に言われたことを噛みしめて、自分の体験の中で自分なりの意味をつかむために、しばらく熟成させていました。

 そこで僕なりに答えを出してみたのですが、結果、やはり大田先生のいう事はさすがだなーと思いました。あたりまえですが。。。

 大田先生にそう言われてみると、僕が「観る局面」だけでも十分じゃないかと考えていたときに、すでに、無意識に、その中に「評価・判断する局面」「行動する局面」も含めて考えていたように思いました。
 上記の、やる気がないときでも、「今、衝動的な評価をして、自分を責めた!」と気づき、そう判断するためには、意識的に、その状況を洞察し、判断しなければなりません。そして、衝動的な行動に走るのではなく、「では、今のやる気のなさとはどんな状況だろう」と「観る」という作用を、自分自身に向けようとするのは、ある意味、「意志的行動」と言えると思ったからです。

 そういう意味で、「自分をよく観ていこう」と決断し、行動することには、すでに「意志的判断」「意志的行動」の要素が含まれているといえます。

 さらに、僕は、この「観る局面」というある意味「意志的行動」をしていけば、結果として、自然と改善・マインドフルネスの上達への道が開かれるのではないか、と思っていたのですが、よくよく考えて、普段の自分の行動を観察していくと、やはりそうではないということにも気が付きました。

 例えば、やる気がないとき、「今日は、やる気がでないな」「疲れがたまっているな」と意志的に判断し、「今日は休んで実践をやらないでおこう」と決断し、実践を休むという「意志的行動」をしたとします。
 これが、今日の判断であれば、間違っているとは言えません。
 しかし、毎回、毎回、「今日は、やる気が出ない日だな」「だから今日も休もう」と、やっていたのでは、やはり絶対にマインドフルネスは上達していかないし、現状も変わってはいきません。
 厳密にいうと、こういった状況では、「今日は、やる気が出ない日だな」といったときに、その観察だけで終わってしまっていては、自分をよく観察できているようで、十分には観察できていないのですよね。
 自分の過去の経験から、「やる気が出ない日」という事にひとくくりにしてしまい、今日のやる気のなさはどのような状況か、どんな感覚なのか、ということを細かくみる視点がなくなってしまっています。

 さらに、そこで、一度は、観察した今日の状態を基に、「では、そんな自分で今日できることはないか」「改善を目指すために、今、必要なことは一体何か」という事を、真摯に探ってみなくてはいけません。そして、少しでもいいから、できることがあれば、それを続けていく、という意志的行動が大切になります。
 「やる気がでない」というものを何とか出るように変化させようというわけではなく、それを観察した上で、「じゃあ、今できる実践はなにかな」ということを判断し、行動に移していくということです。
 
 この過程を隔てた上で、自分が「今日は、疲れがピークの状態なので(意志的洞察)、まず体を休めるのが最善だと判断し(意志的判断)、ゆっくり休む。(意志的行動)」という選択になるのであれば、それは問題ないと思います。
 
 しかし、安易に「やる気がでない」「疲れてるから今日はやめよう」となってしまうと、一見、よく観察し行動したように見えますが、これはもう衝動的な判断、行動になってしまっていますよね。

 人間には、経験を積み重ねていくと、そこから一定した法則を見つけ出して、考えたりせずに瞬間的に判断できるようしていくような傾向があると思います。これは本能であり、自然の中で人間が情報を効率よく判断するために培ってきたシステムだと思います。
 それは、人間が生きていくために必要な能力です。
 しかし、それが無意識に行なわれていると、非機能的な反応に終始し、いつまでたっても症状が改善してこなかかったり、対人関係をこじらせてばかりになったりと、悪循環から抜け出すことはできません。
 
 そこに、意志の機能を働かせ、その局面に光をあて、自分の中のパターンに気づき、新たな選択肢を見つけていくことができるのが、マインドフルネスです。

 そのためには、まず「観る局面」で、今ここの自分自身の状態をよく観察し、そのうえで、むやみに、その良し悪しを評価して、自分を責めたり、その状態を無理に変化させようとするのではなく、今、必要なこと、できることを、その瞬間瞬間、判断し、実行していくことが大切です。そして、その結果をさらに観察し、判断し、実行していく。この繰り返しこそが、改善へのカギじゃないかと思っています。

 症状、苦しい感情、やる気のなさ、そういったものと戦わないけども、それらの言いなりにはならない。

 以前からブログで繰り返し、その違いを表現したいと思って書いているのですが、うまく表現できているでしょうか。
 これは、これから先も、ずっと僕の中でのテーマだと思います。

  つらいとき、苦しいときは、休んだっていいんです。でも、とにかく諦めないで、できる洞察、課題を実践していくことが大切です。
基本的な呼吸法、傾注観察、日常生活の中で、「思考してないかな」「感情が動いたかな」というチェックでいいんです。
 そういった基本的なことを、とにかく少しでもいいから日々続けていくことが大切だと思います。

 今日は、意志機能の中に含まれる「意志的判断」「意志的行動」について書いてみました。

 なかなかうまく伝えることが難しい内容なのですが、少しでも参考になったなと思えるところがあったら幸いです。
 今日も長文を読んでくださってありがとうございました。
 また、少しずつ更新していこうと思うので、お時間のあるときにお寄りください。

 ではでは今日はこの辺で。
これまでの訪問者数
ブログランキング
ブログランキングに参加しております。応援していただける方は下記バナーをクリックお願い致します!
プロフィール

Ko7

Author:Ko7

訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

カテゴリ
カレンダー
01 | 2018/02 | 03
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 - - -
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
ブログ内の記事から探す
入力した語句が含まれる記事を探せます
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。