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SIMTのセッションで身に着けることのカテゴリー分け


 久しぶりの記事更新になります。
 おかげさまで、勉強会の第一回目が終わりました。

 やはり一回目ということで、終わった後は少々ぐったりしましたが、いろいろ学びもあり、自分にとってはとても有意義な時間になりました。

 そこでも話したことなのですが、今日は、SIMTのセッションで学ぶ課題について少しカテゴリーわけをしてみたので、書いてみたいと思います。

 というのも、SIMTのテキスト本である「ひとりでできる自己洞察瞑想法」の本ですが↓



こちらのセッション1~5くらいのところには、初期に身に着けたい様々な手法やうつや不安障害を治す上で役に立つ生活習慣などについて、各セッションの課題として実践項目が設定されています。ただ、それぞれが様々な順番で出てくるので、それがどういう部分で改善に役立ってるのか理解しにくいかなーと思ってまとめてみることにしました。

 あくまで、これは筆者が個人的にまとめてみたもので、大田先生に確認してみたわけではないので、ご参考までにとどめてくださいね。

 まず、SIMTの大きな要素として「呼吸法」があります。これはセッション1で学ぶもので、さらっと流されているのですが、とても重要で、ずっと使っていく手法ですので、大切です。
 しかし、この「呼吸法」の中にも、「呼吸を整えて自律神経の調整を促す」という要素と、呼吸を意識を向ける対象として、「洞察の訓練を行うという要素」の二つがあると思います。
 この「洞察の訓練をしていく要素」という部分が、いわゆるマインドフルネスにあたってくる部分かなと思います。

 この「呼吸法」の実践を行っていく中では、、どちらの要素も同時に行われていくと思うのですが、状況によりこのどちらの要素を、今、自分は主にやっているかという事は意識していていいのではないかと思います。

 そして、実生活の中でのうつや不安障害の改善に役立つ生活習慣を身に着けていこうということで、「行動活性化手法」として、運動や、挨拶、早寝早起きなどの実践が取り上げられています。セッション4や5で行う価値の確認や朝一番の呼吸法なども、この要素が多く含まれていると思います。

 つまり、様々な実践課題がありますが

   「呼吸を整え自律神経を調整していく要素」
   「洞察の訓練をしていく要素」
   「行動活性化手法 (うつや不安障害に良い生活習慣の獲得)の要素」

 のどれを行っているのかを、少し考えてみるといいと思います。

 例えば、日々おこなっていく瞑想は、SIMTの中では「呼吸法」と呼ばれていますが、ただ単に呼吸を調整するだけでなく、呼吸に意識を向けながら、さらに注意の分配や移動といった洞察の訓練をやってます。

 「呼吸法」をやりましょう!といって、呼吸を整えるだけに主眼を置いても、この洞察の要素をトレーニングしていかなければ、SIMTにおけるマインドフルネスは上達していきません。
 しかしながら、本当に体調がしんどいときは、「呼吸法」といっても、洞察の練習をやるほどの余裕がないときがあると思います。
 僕の経験では、本当に体調がしんどく、ネガティブ思考に引っ張られてしまっているときは、洞察をしようとしても、どんどんネガティブな思考を膨らめる方向に行ってしまって、逆に調子を崩すときがありました。もちろん、今の自分の状態にチェックを入れることも必要ですが、そのような最悪の波を乗り切るときにおいては、主に「呼吸を整えて自律神経を整える方向へいく」ということに集中し、ただ呼吸のみに意識をむけてやっていくのもありだと思います。

 そして、この「洞察の訓練をしていく要素」は、日々の瞑想にあたる「基本的自己洞察法」と、日常の生活の中で洞察の訓練をしていく「行動時自己洞察法」の二つに大きく分けることができます。

 「基本的自己洞察法」では、静かな環境で、座って瞑想をする。つまり呼吸に意識を向けながら、それてしまった自分の意識の動きに名前を付け、戻すといった名前付けの実践、注意の分配や移動、などのトレーニングが含まれます。

 「行動時自己洞察法」では、思考のチェックや、一次感情~三次感情の観察、連鎖などのトレーニングが含まれます。
 
 しかしながら、この「基本的自己洞察法」と「行動時自己洞察法」は別々にあるのではなく、静かな環境でトレーニングしたことを、日常生活でも活用していけるように、洞察の幅を広げていくようなイメージになります。
 なので、「基本的自己洞察法」が基礎練習、「行動時自己洞察法」が実際の試合のようなつもりで実践を重ねていくことが大切です。
 だから、「基本的」な方の瞑想でも、感情が動けば、それに対して一次なのか三次なのか観察することは大切ですし、それらの連鎖をチェックすることも大切です。そして、「行動時」であっても、時間のある時には、隙間の時間を使って呼吸の観察や名前付けを丁寧にやっていくことで、その他のスキルも自然と磨かれていきます。

 そうして、こうした基礎的な実践のどだいがあってこそ、セッション後半にでてくる実生活の中での「本音の観察」や、自分なりの課題を見つけること、そして、課題に対しての具体的な対策を行っていくことができるようになってきます。

 ついつい本を読んで自己学習していると、早くうつを解決したい、不安障害から抜け出したいという気持ちが強くなり、セッション後半の「本音の観察」や自らの課題の解決に進みがちですが、そうすると、ほぼ確実に、むしろ体調を崩す結果になると思います。

 実際、セッション1~5の基礎的な課題をやっていても、セッション後半の「本音の観察」や「価値破壊の行動の解消」などでは、調子を崩してしまったり、崩しそうになることは多いです。
 でも、そんなときは、それまでやってきた、基礎的な実践に戻って、それを丁寧に行っていくことで、自然と「本音の観察」や「価値破壊の行動の解消」といったことに取り組むことができるようになっていきます。

 つまり、やはりSIMTは、そしてマインドフルネスは、読んで理解したりするものではなく、繰り返し実践を行う中で、「身に着けていく」ものなんですね。知っていても、できない、やらないのでは意味がない。逆に、よく理屈を知らなくても、繰り返し実践をしていくことで、身体に落とし込んでいくことで、自然とできるようになります。
 日本語を文法的に説明しようとしても、よくできないけど、日本に生まれ育ってきた人なら、日本語を普通にしゃべれるのと一緒です。例えば、外国人に「なんで、ここの部分は、~は、じゃなくて、~が、という風に「が」の助詞をつかうの?」と聞かれても、説明はできないけど、この文脈では、~は、はおかしくて、~がの方が適切とわかったりするじゃないですか。
 それと同じようなことだと思います。

 ちょっと脱線してしまいましたが、

 以上をまとめると、SIMTの初期の実践課題を分類すると

 「呼吸を整え自律神経を調整する要素」
 「洞察の訓練をしていく要素」
    (基本的自己洞察)
    (行動時自己洞)
 「行動活性化手法(うつや不安障害に良い生活習慣を身に着けていく」

 という風に分けて捉えられるのではないかと思います。

 今日は、自分なりに初期の実践課題の分類を試みてみました。SIMTでは、ただマインドフルネスを身に着けるというだけでなく、うつや不安障害を改善させていく、体調をよくしていくというところにも主眼が置かれているため、それらを意識して学んでいくといいのかなと思いました。

 ご参考になれば幸いです。わかりにくくて、逆に頭がこんがらがる場合は、忘れてくださいね。忘れてしまって問題ありません(笑)

 ではでは、長文お付き合いありがとうございました。またせひよかったら訪問してください。

勉強会を始めました!


 以前、少しブログで書いたのですが、個人的に自己洞察瞑想法の勉強会を始めてみました。

 講習会というより、すでに実践を開始している方、もしくは、本を買ってやってみたけど、今一つやり方がわからない、疑問がある、ななどの方々が集まり、お互いの経験を共有したり、経験者の方のちょっとしたコツを聞いて、自己洞察瞑想法を続けるモチベーションを維持出来たらなーというのが、勉強会を開始する目的です。

  会の中では、僕がこのブログでまとめてきたような内容のミニレクチャーも1コマくらい入れてみようと考えています。

  仕事や家庭の役割もこなしながらなので、どこまで続くかわかりませんが、このブログのようにマイペースにやっていく予定です。
  今のところ、個人指導や日記指導までは行っておりません。
 
  あくまで自主的な勉強会程度の会になりますが、ご興味ある方、お時間のある方は、ぜひご参加ください。

  HPはこちら→ マインドフルネス@つくば です。

 

価値や願いを一度捨ててみよう! 上級編(回復後の話)

前回は、価値や願いを一度捨ててみようというテーマで、実践のやり始めに出やすい葛藤や苦しみを、価値や願いという観点から解説してみました。

今回は、ある程度、自分の症状が改善し、自分の中の衝動や本音と付き合いながら生活をしていけるようになっても、まだ「価値」や「願い」といったものが、自己を深めていくうえで障害になりうるということを書いていこうと思います。

SIMTで自己洞察を深めていって、自分の病気や症状の特徴がある程度掴めて、そういったものと付き合っていけるようになると、生きていくことが、そして生活していくことがだいぶ楽になってきます。
様々な症状やストレスがあって、それに対して、様々な感情や衝動が起こっても、その中である程度、自分の価値にあった、そして価値を実現する方向への行動というものが選択できるようになってくるんですね。
もちろん、毎回、価値実現の行動をできるわけではありませんが、そういった選択、行動をできることが増えていきます。
そんな中で症状も少しずつ落ち着いていきます。

しかしですね、そういった生活をして、自分なりにある程度満足のいく行動がとれるようになってきても、生活の中でやっぱり葛藤や違和感を感じる状況があるんですね。
というのは、自分としては、自分の価値に基づいて、自分なりにベストだとかベターだと思った行動をしたのに、自分の中に怒りや戸惑いといった感情が出現するような状況に気づくことが出てきたんです。
そんな自分を洞察すると、それは、それまでのように、自分の衝動的反応とか本音に基づいた評価の結果生まれた感情、つまり「こんな衝動的な反応をするなんて、俺ってダメだな」というものではなく、自分が洞察の結果、できるだけ本音や独善を交えない形で築き上げてきた価値に基づいた行動の結果としての感情、もし言語化するならば、「この状況で、洞察をして、一番良いだろうという判断をしたのに、なんでこんなに理不尽な対応をされなくてはならないんだ」といった感情であることがわかりました。

そういったできるだけ偏見や独善的な基準を排除した価値にもとづいた行動で、それまで体調も改善し、自己実現に結びつく結果につながってきたはずです。

最初は、なぜ、そういった感情が生じるのか自分でもよくわかりませんでした。
でも、確かにそういったことが時々あり、自分の中でそういった感情の置き所に困ることがありました。

ただ、その感情を抑え込もうとすると、それはさらなるストレスを生み出してしまうので、そこはSIMTのマインドフルネスな態度を貫いて、「今、自分はこういうつもりで行動して、結果としてこんな感情が、これくらい生じているんだなあ」と観察して、そこから「なんでだろう」ということを、ついつい考えたくなるのですが、深追いしないように、できるだけそのままにして、流して様子をみていました。

そうするうちに、あることに気がつきました。

僕が価値に基づいて行動した時に、その価値が、誰か他の人の価値とぶつかった場合、どうやらそのような感情が浮かびやすいことに気がついたのです。
価値に基づいた行動をするときの価値とは、SIMTの洞察をしながらの価値ですから、できるだけ1人よがりの価値ではなく、その状況やそのときの相手にとっても、良い結果を招くだろうと判断しての価値です。
だから、多くの場合、状況にあった、相手がいる状況でも、その場にいる人がある程度、みんな受け入れてくれるといっった場合が多いです。そして、それまでは、その結果、まわりの人にも喜んでもらえて、自分の喜びにつながっていくことが多かったのです。

しかし、まれに自分が良かれと思って選択した価値や行動が、受け入れてもらえなかったり、誰かの価値とぶつかってしまうことがあります。
特に、自分が色々な角度から洞察した上で、絶対にこの判断がいいはずだ!と思ったときであると、それが拒絶されたり、受け入れてもらえなかったりしたときに生じる憤りや怒りの感情も、とても強くなります。

そんなときに「こんな良い選択をしているのに、なんでそんな理不尽な対応をされなけならないのか」とか、「なんでこんな理不尽な状況にいなくちゃならないのか」といった憤りの感情が心に渦巻いてしまうわけです。

でも、読んでいる方はもうお気づきかもしれませんが、「こんな良い選択をしているのに」といったときに、その中に多かれ少なかれ自分の偏見が入ってしまっているわけです。
もちろん、それを完全に取り除くわけにはいきません。
でも、それで憤りを感じてしまうということは、その後ろに「私の判断したこの事は、絶対にただしい」という本音が働いているわけですね。

どんなに正しく見えることでも、本当にそれが正しいかどうかは、それを判断する人によって変わります。
例えば、食べ物に飢えている戦時下の子供に、食べ物を与えることは正しいように思えますよね。
でも、その子供がたまたま他で食べ物をもらってお腹いっぱいだったり、たまたま体調が悪くお腹の調子が悪くて食べ物が食べれないときかもしれません。
そんなときに、食べ物を渡されても実は迷惑だったりするかもしれませんよね。
しかし、そんな事情をしらないとしたら、食べ物がないだろうと思って差し出した食べ物を断られたら、
「なんでせっかくあげようとようとした食べ物を拒否するんだ!」と憤りの気持ちが生じませんか?

確かに、丁寧にその状況の説明をいってもらえれば、納得するかもしれませんが、そうでなければ憤りのが生じるはずです。場合によっては、その状況を聞いてもすっきりしないモヤモヤが残るかもしれません。

SIMTを続け洞察を続けていくと、自分の価値や願いも磨かれていきます。
しかし、自分が自由に動けるようになってくると、ついつい自分の価値や願いが素晴らしいものだ、さらには絶対的なものだと勘違いしてしまうことがあります。


そういった状況に応じて適切に動けるようになった自己は、西田哲学においては意志的自己を超えて、叡知的自己といいます。そのような自己は、行為的直観といい、様々な状況において、見た瞬間に独善的な判断を離れ、適切に判断をし行動ができるようになります。

しかし、自分自身の判断、評価を絶対としてしまうと、そこに間違いを起こしてしまう落とし穴があります。
自分の正しさを押し付けて、他の人の価値や判断が認められなくなってしまいます。
そうするとそこで、自己の成長は止まってしまいます。

やはり、ここでも、「自分の価値や願いを一度すててみる」という態度が必要になります。
例え、自分が正しいと思っても、そこで、一度、自分の正しさや価値を横において、状況を改めて落ち着いてよくみみることです。決してその憤りを起こさないようにするのではありません。
自分の価値を否定されれば、だれでも気分が良くはありません。
ただ、そこで、自分の価値を押し付けるのではなく、それを一度、横において、状況をただ良くみていきます。そして、待ちます。
そうすることで、今まで自分が気がつかなかった背景や、さらには、自分がそれは間違いだと思っていた判断も、状況によっては、必要な判断であったことに気がついて、さらに自分の幅を広げるきっかけになるかもしれません。

むしろ、自分の行動が自由になっていけばいくほど、憤りを感じるような場面にこそ、自分の成長をもたらすきっかけが隠れていることがわかってきます。

さて、今日は、自己洞察が進んできた先にも、「価値や願いを一度すててみる、横においてみる」という態度が大切なんじゃないかということを、例をあげながら書いてみました。

ちょっと西田哲学などわかりにくい言葉も出てきましたが、大切なのは、頭で理解することではありません。
SIMTでは、初心者も、経験者でも、基本的には行っていく実践の内容に変化はありません。
丁寧に丁寧に、実践の内容を深めていけば、理解は自然とあとからついてきます。

ぜひ、日々の実践を大切にお過ごしください。

ではでは、また時間のあるときに書いてみようとおもいます。
お時間のあるときに、ぜひご訪問ください。

価値や願いを一度捨ててみよう!

早いもので、前回のブログよりすでに一か月たってしまいました。

今日は、価値や願いを一度捨ててみよう!というテーマで書いてみたいと思います。
「価値」や「願い」というものは、だれでも持っているもので、決して悪いものではありません。セッション4でも、「価値」と「願い」をしっかりと確認し、実践を続けられるモチベーションを維持することが大切なことが取り上げられています。

しかし、この「価値」と「願い」というのの扱い方を間違えてしまうと、自分自身をどんどん苦しめてしまうことになりかねません。
なので、今回は、この「価値」と「願い」というものとどのように付き合っていくかということを書いてみようと思います。

僕が、この「価値」「願い」について考えていく中で、大きく、実践をやりはじめの初心者と、しばらく続けた実践者、中級者の方とで、「価値や願いを捨ててみよう!」という理由が少し違うように感じました。なので、まずは初心者向けの「価値と願いを捨ててみよう」について書いてみようと思います。

 うつや不安障害を治そうと思ってSIMTに取り組んでいる方々において、この「価値」「願い」というのは、とても重要かと思います。
「早くよくなりたい!」「この体調から抜け出したい!」「早く仕事に戻りたい!」「仕事じゃなくても、まともに生活できるようになりたい!」などなど。
 
 かなり切迫した強い願いをお持ちではないでしょうか。

 しかし、その願いをあまり強く持ちすぎると、自らをどんどん苦しめる結果になってしまいます。
 なぜなら、それはあくまでも、「長期的目標」、目指す先であり、今すぐかなえられるようなものではないからです。
確かに、目的、目標は大切です。これがなかったら、どこに向かえばいいのかわからなくなるし、これがあるからこそ日々頑張れるわけです。だから、この「願い」そして「目標」といったものを持っていること自体は、決して悪いことではありません。
 ただ、それが、今すぐかなえたい目標、つまり短期的目標になってしまうと、何かと不都合が起こってきます。

 なぜなら、その理想像が、今すぐ可能ような状況なら、あなたは今ここで、うつや不安障害などで苦しんでないわけです。
 今までそこから抜け出そうともがいてきたのに、それができないから苦しんでいるわけです。そんな中で、この目標や願いだけが独り歩きしてしまうとどうなるでしょうか。
 「こんな自分でありたい」という理想像がどんどん強くなり、どんどん目標が高くなればなるほど、今の自分とのギャップは大きくなってしまいます。そして、人が落ち込んだり、不安になったりするのは、この「理想像と今の自分とのギャップ」によって引き起こされます。だから、このギャップが大きくなればなるほど、無力感も強くなります。

 そこで、SIMTにおけるマインドフルネスというのの定義を思い出してみましょう。
 マインドフルネスというのは、常に「今、ここ」の自分を独善を排して観察・洞察し、その上で、判断、行動をしていくものです。
 あくまで、観察や洞察の対象は、「今、ここの自分」なんですね。
 「価値や願い」「目標や理想像」というのを持つこと自体は問題ないのですが、そればかりを意識して、自分の思考作用が作り出している幻ばかり追いかけていっても、「今、ここ」を観察するマインドフルネスからはどんどん離れていってしまうばかりです。

 しかし、我々は、幼いころから、今の自分よりもっと高い理想や目標をもって、それに向かって努力することを教育され、しつけられてきました。今の自分に満足することは、おごりや怠慢といった風にすら考えられてしまったりします。
 だから、ついつい、何をやるときにも、この「理想像」や「目標」を作りたがってしまいます。
 
 身近なところで言えば、座って瞑想をやるとき、「~分できなきゃダメだ!」とか「もっと気分が良くなるはずだ!」とか。
 実践を続ける中で、「これだけやっていれば、もっと体調がよくなるはずだ!」、仕事を始めれば、「毎日、朝から夕方までフルで仕事をしなくちゃ」とか。
 ついつい、いろいろと勝手な「価値や願い、目標、理想像」を定め、そうできないことに落ち込んでしまいます。
 そして、それが達成できない自分をダメだと評価して、苦しくなってしまいます。

 ここで、注目しなくてはならないのは、「~であるはずだ」という理想像の方ではなく、そうてきない自分自身の状態の方なのですね。「今、ここ」の自分自身を観察して、「今の自分は、~分くらい瞑想していると、やめたくなる気持ちが生まれるんだな」とか、「良くなってきていると思っていたけど、こういう日には体調が悪く感じるんだな。こういう部分はまだよくなっていないんだな」とか、「これくらいの仕事ならこなせるけど、このレベル以上に頑張ると、ぶり返しがきて体調が崩れるんだな」とか、そういう観察・洞察が、とても大切になります。

 でも、ついつい「こうありたい」ということが先になって、否定的評価をし、落ち込んでしまいます。これは、もう習慣です。
 だから、思い切って「価値や願いをすててみよう!」というタイトルにしたわけです。

 自分が、「こうありたい」「このほうがいい」などの願いが出てきたら、「いや、そうじゃなくてもいいんだよ」「まずは、今の自分をみていこう」と、次々にわいてくる願いや理想を、一度、横に置いてみる、自分の手から放してみるという事を、習慣づけていくと、実践をするのが楽になってきます。
 今日の自分には、今日の自分があり、明日の自分には明日の自分があります。今、そこにある自分がすべてです。
 頭で作り出す勝手な理想像は、一度横において、実践を続けてみましょう。

 ちょっとたとえ話で、書いてみますね。
 ある人が地方で生活していたとして、「東京に行きたい」という願いがあったとします。東京に行って、華やかな生活をすることを夢見ています。
 テレビドラマのように、「東京に行けば、こんなことができる、あんなこともきっとできる」と夢見ていますが、それを考えれば考えるほど、今の自分の境遇と比較して、気持ちが落ち込んできます。
 
 ここで、東京での生活を想像することは楽しいですが、東京での生活を調べることは夢が膨らみますが、そればかり膨らませていても、「今、ここ」の状況は、まったく変わりません。1㎜も東京には、近づきません。
 もし、真剣にその夢をかなえることを考えるなら、まず、「今の自分」を見つめなければなりません。
 今の自分が、いくら持っているのか、まずはそれが大切かもしれません。そして、今の自分に何ができるのか、生活費を稼ぐことができるのか、生活に必要な家事はできるのか、何を持っているのか、なども大切な要素ですよね。
 まずは、「今の自分の現状」をどこまでも正確に知ることが大切です。

 それが、わかって初めて、では「東京に行くためにどのような方法があるのか」という事が考えられるわけです。
 
 ポケットに500円玉1枚しか入っていないのに、「今日中に東京に新幹線で行きたい!」といくら願ってもかなえられません。
 今の自分が500円しか持っていないのを確認した上で、では、銀行口座にはいくらあるのか、そして、今後どのように、いくらくらい稼げばいいのか、そして、自分はどれくらいの収入を得られるのか、そういったことを現実的に考える必要があるわけです。

 そうすると、1㎜も東京に近づいていなかったのが、「この500円で、まずは、駅を2つ進もう」という判断がつくかもしれません。そこで、少しアルバイトをしてお金をためたら、何日か後には、もう少し進めるはずです。
 もちろん、これが最善の方法とは言えないかしれませんし、最初の駅で、まずは進まずにお金を貯めるという選択しもあるでしょう。
 でも、ただ東京に行くことだけに嘆いて日々落ち込んでいるより、ずっと現実的ですよね。

 このようにSIMTでも、いつかよくなる日を夢見て、その時の生活を思い描くのもいいのですが、そればかりを見てため息をつくのではなく、そのような願いを胸にそっと収めつつ、今の自分がどのような状態なのか、どのようなことが可能なのか、実践をしていく中でどのような変化が起こってきているのか、といったことを偏見のない目で観察しながら、実践を続けていくことが大切です。
 そうすることで、日々の実践の苦しさ自体も和らぎ、少しでも前に進めているという感覚も生まれてきます。それがわかるまでは、理想とのギャップにため息をついてしまう自分も含めて、自分を許してあげましょう。

 そして、二つ目の理由があるのですが、SIMTを経験したものとしていえることは、実践を続ける中で、「価値や願い」というもの自体もどんどん変化していってしまいます。だから、苦しい時期に思いつく「価値・願い」といったものに、あまりこだわる必要性自体がないともいえるのです。
 僕自身、うつ病で苦しんで仕事もできず家にいた時期は、本当に苦しかったです。そういった時の自分は、視野自体もすごく狭くなり、思考作用や心の働き自体も落ちているので、その状況で考える「価値や願い、理想像、目標」といったものは、実は自分が本当に思っている価値や願いではなかったりします。もしくは、本来の願いのほんの一側面だけだったり。
 
 例えば、そのつらかった時は、「とにかく家族を養って生きていくために、なんでもいいから仕事して養っていければそれでいい」「そして、そのためには、なんとか常勤で働く正社員のような仕事をしなくては」と考えたりしてました。
 実際に、そのために、早く現場に戻ろうとし、そしてダウンするのを繰り返したわけです。
 そこで、SIMTを実践し始めてみると、そもそも、そんなことができる状態じゃないのが分かってくるわけです。まずは、その段階で、今まで自分が考えていたことと、現状の自分とのギャップに落ち込むわけです。
 しかし、それでも実践を続け、自分を観察していくと、だんだん調子の波もわかってきて、一部、アルバイトのような仕事もできるようになります。そして、どんな仕事でもいいわけではなく、やはり、自分にはやりやすい仕事とストレスがたまりやすい、体調が崩れやすい仕事内容がわかってきます。そして、ある程度、お金を得られて暮らせるようになったら、別に正社員とか常勤とかにこだわらず、自分の体調を維持できる、比較的自分がしたいと思えるような仕事でまずはやっていけるようになりました。そうすると、別に「常勤であることや正社員であること」は、自分がやりたいこととイコールではなくて、それをかなえる手段がそれだけしかないと勝手に思い込んでいたからだなというのもわかってきました。
 そして、今も、ついつい勝手に考えた理想像を膨らませて、やりすぎて調子の波がでてしまうこともまったくなくなったわけではありませんが、仕事と生活のバランスを取りながら、ある程度、自己実現の方向性も見つけ出せつつやれています。

 先ほど、東京に行くというたとえ話をしましたが、現実の世界では、未来まで自分の生き方を示す完全なマップというものやマニュアルがあるわけではありません。
 今、ここから見える山の頂が、目標や価値にあたるようなものです。あんまり遠くの山の頂を目指しても、なかなか近づかずに苦しいだけです。それを遠目に見つつも、まずは、あの山の方向のあの峠を目指そうと、考えながら今いる自分の場所からの道、そして、行く方法を見つめていきます。しかし、その山を目指して日々進んみると、さらに遠くの山が見えてきたりします。
 そして、気づくと、遠くの山もいいけど、自分が求めていた生活は、その途上の村にあったなんてことが出てきます。
 
 「仕事に戻りたい」「結婚さえできたら」「子供がほしい」「あとこれくらいお金があったら」「この病気さえなかったら」いろんな願いがあると思います。でも、今、あなたが頭で描いていることは、あなたが本当に願っていることのほんの一部、ただの一側面なのかもしれません。

 一度、そういったこだわり、「願い」「価値」を横に置いて、「今、ここ」の自分を眺めてみましょう。
 今は、不満ばかりがたまる自分かもしれませんが、きっと時間とともにそんな印象も変化していくはずです。

 今日は、まず、SIMT実践し始めのころに大切と思われる「価値、願いを捨ててみよう!」というテーマで書いてみました。

 できれば、次回は、SIMTを実践し、ある程度改善して、自分の本音をさらに探っていくという段階においても、この「価値や願いを一度捨ててみる」という事が、意味あることなんじゃないかなと思う理由について書いてみたいと思います。

 書き始めると一気に書いてしまうんですが、なかなかそこまでが。。。。
 まあ、マイペースにやっていきたいと思います。皆様も気が向いたときにお付き合いくださいませ。
 
 ではでは今日はこの辺で。

まずは三次感情に着目しよう!

すっかり1か月近くがたってしまいました。大きな仕事がひと段落したので、また書き始めたいと思います。

今日は、「三次感情に注目しよう!」というテーマです。
特に、実践をしはじめのころ、まだまだ体調の状態がすぐれないころには、ここに注目するといいんじゃないかと思います。

この「三次感情」というのは、セッション3で課題として出てきます。

呼吸法の実践、注意の分配や心理現象への名前付けなど、セッション1、2の中で習っていって、その後にでてくる課題です。

僕は、個人的には、ゆっくり呼吸法をしっかりと身に着け、それを繰り返し実践していくこと、そして、この三次感情を見つけて、そこからの思考の連鎖をある程度予防できるようになると、それだけでも初期の体調の悪さがだいぶ改善するんじゃないかと思っています。

ちなみに、わからない方とために説明すると、
一次感情・・・・・何かその場で起きたり、言葉を言われたり、見たり、聞いたりしたときにまず出てくる感情のこと。
二次感情・・・・・一次感情の結果として自分が起こした反応や行動に対し、返された反応として生じた感情のこと。
  例:相手の言葉に対し怒りが芽生えたため(一次感情)、怒鳴ったところ、無視されたためさらに怒りが強くなった(二次感情)

三次感情・・・・・一次感情や二次感情が生じたところから、時間的、空間的に離れたところで、思い出したり考えたりしたことにより生じる感情。
となっています。

ここで、一次感情、二次感情は、かなり強力な感情なので、最初のうちからコントロールしようと手を出したりしてはいけません。
これらは、結果として起こっているので、起こってしまった時点でもう消すことはできないものです。それを何とかしようとか、止めようとすると余計体調を崩していく結果となります。

そこで、三次感情なのですが、この三次感情というのは、日常生活の中でかなり頻繁に起こっていることなのです。これは、日中の洞察訓練を積んでいkとわかってきます。
 「感情」というと、泣いたり、笑ったり、どちらかというと激しいものを連想させるため、頻繁に起こっているといわれても最初は気が付かないかもしれません。しかし、ちょっとした気分の変化も含めて感情ととらえていくと、この三次感情というのは、すごくたくさん生じていることに気が付いていきます。

 そして、この三次感情のポイントは「今、ここ」ではないことです。

 うつや不安障害では、この「今、ここ」ではないことに対して、繰り返し思考や映像を思い起こして、気分を悪化させているという特徴があります。例え、無意識であっても、このことが繰り返されています。その結果として、体調を悪化させたり、希死念慮を生じたりしています。

 そこで、「感情」の変化に着目して、とにかく、日常生活の中で、自分の「気分」や「感情」が少しでも動いた時を徹底して洗い出すのです。
 まずは、まずは動いた時を発見できれば、それでいいです。実は、「感情」というのも、すでに結果なので、三次感情といえども、生じてしまったものを止めることはできません。まずは、感情が動いたことに気が付けるようになることが大切です。

 そして、ネガティブな三次感情に気が付いたら、そこで、すぐに呼吸法を始めましょう。意識が感情にひっぱられて、さらなる思考をめぐらし、三次感情をどんどん悪化させる前に、呼吸に数分~数十分、意識を向け続けて呼吸法を行い、自律神経の波がさるまで時間稼ぎをしましょう。

 おそらく、これに徹底して取り組むことで、初期には体調の悪化がだいぶ予防されるんじゃないかと思うのです。
 やはり、ここでのポイントは、起こってしまった感情は止められないという事です。
 「覆水盆に返らず」です。
 生じてしまった感情は、こぼれた水と一緒です。もうこぼれてしまった水を、お盆に戻すことはできません。またこぼれた水を多少拭くことはできても、濡れてしまった床を完全に乾かすことはできません。こぼれた水を何とかしようと必死になると、さらにお盆から水がこぼれていって、被害は大きくなります。
 乾くには、時間を待つしかないのです。今の水がそれ以上にこぼれないようにじっと乾くまで待たなくてはいけません。

 ここがポイントです。怒りが生じてしまった時、落ち込んでしまった時、それに気が付いてがっかりしてしまいます。
 気が付いたときには、どうしようもないくらい感情が膨らんでいるときもあります。
 しかし、そこで、たとえがっかりしてもいいんですが、それを無理やり抑え込もうとか消そうとか、どうにかしようとしないことが大切です。
 
 そこで、呼吸法があるんですね。できればゆっくり呼吸法を心掛け、ついついこぼした水(すでに生じてしまった感情)に向かってしまいそうな意識を、呼吸の方につなぎとめて、ひたすらそれを続けることで、自律神経の興奮や暴走が自然に落ち着いてい来るのをゆっくり待つしかないんです。

 すごく受け身な対応のように感じますが、これを徹底的に身に着けていくことで、ある程度、体調の波をしのいでいくことができるようになり、その結果、気持ちに余裕も生まれて洞察がしやすくなってきます。

 これができてこないうちに、無理に深いレベルまで洞察をしようとしても、そのこと自体が体調や感情の波を起こす結果となり、逆に体調が悪化してしまうことさえあると思います。だから、ここを徹底的に取り組んでいくことは、特に初期では大切なことだと思うんです。
 初期とは言いましたが、セッションが進んで本音の観察など、難しい課題が増えてきても、「やばい」と思った時に、この対応がとれると、それだけで体調をある程度、戻していくことができるようになります。大崩れしにくくなるということですね。困ったときに、戻れる安全地帯を自分の中に作れるのです。

 まずは、こういったように、三次感情にとにかく注目し、それが起こっていることに気がついていきます。そして、そこからさらに思考の連鎖、感情の連鎖を生まないように、呼吸法、傾注観察で対策をとっていきます。

 そして、それができるようになってきたら、次のステップです。
 それは、その三次感情が起こった直前、および直後に起こっている自分の中の連鎖を観察していくということです。
 先ほど、感情は結果だといいました。
 「感情」というのは、それが単体で起こっているのではなく、かならず何らかの連鎖の結果として生じてきます。つまり「感情」が動いている時には、かならずそこに連鎖が生まれているのです。
 その連鎖とは、どのような連鎖なのか、それを注意深く観察していきます。
 あまり具体的に書くと、そういうものだと思って、ついついそのような連鎖を探したくなってしまいますので、あえて書きませんが、自分の中で起こっていることに、丁寧に名前付けをしていく作業を、繰り返し繰り返しやっていくことが大切です。

 そうすることで、自分の中で感情が生じるきっかけとなっている事、そしてそのパターンなどが見えてくるのです。
 ここで大切なのは、そのパターンを無理に探そうとしないことです。探そうとしてしまうと、自分から「こんなパターンがあるんじゃないか」「俺ってこんなことを考えているかも」など自分で考えた出したものをパターンと認識してしまう可能性があります。
 洞察で得られる気づきとは、あまりそういったことではありません。
 ただ、名前付けの実践を繰り返し繰り返し行っていった結果、「あれ、こんなことを考えてた」と、思わぬ気づきがある場合こそ、価値ある気づきであることが多いです。
 ただ、ただ、実践の事実を積みあげていくことが大切です。

 そうしたパターンが分かってきて、初めて、従来生じていた感情や反応が起こらなくなったり、変化していくような判断や行動といったものが可能になってきます。

 特に実践初期は、「早く良くなりたい」「治したい」という気持ちが大きいので、こういったステップを駆け足で上りたいという焦りが生じてしまいます。
 でも、あえてそういった気持ちを横に置いて、ただ淡々と、課題の実践の積み重ねを続けていくことが大切です。
  
 そうした先にこそ、上に書いたような様々な変化や、実感を伴う改善を得られることだと思います。

 今日は、「三次感情に注目しよう」というテーマで、実践初期の日中生活時における洞察の目の付け所を解説してみました。
 
 またぼちぼち更新をしていくので、よかったら読みにきてください。
 ではでは失礼いたします。
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Ko7

Author:Ko7

訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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