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自己洞察瞑想療法の講習会なども始めました! → マインドフルネス@つくば

本当にやりたいことが見えてくる。

ゴールデンウィークですねー。
我が家は、お出かけもせず家におります。。。。先週、僕も風邪をひいてしまい、まだ本調子ではありません。
子供たちを公園などに連れ出したいと思いつつ、まだ身体がすっきりせずウダウダしております。
これも身体が必要としていることと思って、したがっています。

 さてさて、今日は、自己洞察瞑想療法を続けて、自己のマインドフルネスを深めていくと、本当にやりたいことが見えてくる、ということについて、書いてみようと思います。

 以前、ブログ記事「価値や願いを一度すててみよう」にて、価値や願いについて書いてみました。

 詳細は一度、読んでいただければと思うのですが、価値や願いというのは、モチベーションを維持し、改善に向けての努力や実践を続けるためにはとても大切なのですが、それを強く持ちすぎたり、こだわったりしてしまうと、逆に自分を縛り苦しめることになってしまうということを書いてみました。

 価値や願いを手放すことと、本当にやりたいことを見つけることは、真逆の方向に感じてしまいますが、実は、価値や願いを手放していくことで、本当にやりたいこと、本当に自分が大切にしていることというのが、見えてきます。

 普段、生活している中で、我々が「こうありたい、こうしたい」という願望というのは、実は、とても制限された状態にあり、場合によっては、自分の真の願いと真逆の方向のことであることさえあります。
 特に、うつや不安障害の状態のときは、思考も制限されますし、自分の可能性自体がかなり過小評価されている状態です。
そのような状態で描いた理想や願いは、必然的に本来の自分から発せられたものではありません。

 私自身、鬱で苦しんでいた時、私の願いは、「とにかくうつ病を早く治して、仕事に戻ってキャリアアップしたい」というものでした。
しかし、実はそれは願いというより、「そうしなければ」という義務感に近いものであるということが、SIMTの実践を続ける中で気が付いていきました。
 
 実は、多くの人は、この時の私のように、「自分の中の義務感」のようなものと、「自分の本当の願い」というものを取り違えてしまっていることが多いです。

 そして、その多くは、自分の中から湧き出てきたものではなく、外から押し付けられたもの、もしくは借り物のようなののものなのです。

これは、いつの間にか、他の人に勧められてきていた服を、自分自身の身体と勘違いしてしまったような状態です。
 
 この他人に勧められた服に例えられる価値観というのは、 古くは、親の考え方や学校での教育、子供のころの友人との関係、影響を受けた本など、大人になってからも、職場、メディア、流行、常識など、様々なものがありまして、僕らは普通、歳をとればとるほど、こういった外からの価値観を重ね着をしていってしまっています。

 この時、一番上に来ている数枚の服については、新しい情報を得たり、本を読んだり、感銘を受けたりすると、着替えたりすることが可能です。
 つまり、ある程度は、自分の考え方や価値観を変えたり、生き方を変えることは、ある程度は可能なのですが、昔から着続けている服=古くからある価値観や判断基準は、自分がそれを着ていることすら気が付かず、変えることが難しい状態にあります。
そして、それらが重ね着された状態では、自分の動きがどんどん制限され動きにくく、息もしずらくなっていくのですね。
 
 なので、本来の自分、自分のやりたいこと、内から湧き出るような希望を知るためには、これらの価値観をぬいでいくことが大切です。そして、そのためには、まず、自分がどんな服を着ているかということを認識することが必要です。

 その服を認識する作用が、自己洞察瞑想療法では、洞察なのですね。

 それはいくら頭で考えていても、みつかりません。自分の服はどこから服で、どこから身体なのか、見えていない状態でいくら考えていても、しょうがないのです。

 ひたすら、今ここで起こっている現象を、洞察していきます。いいと思われることも、悪い、嫌だと思うことも、一度、その評価をわきにおいて、よく見ていきます。そうすると、ふと行動していったときに、自分の身体が突っ張って、着ている服が意識されるように、自分の中で働いている価値観、SIMTで言うところの本音というものが見えてくる瞬間があるのです。

 それに気がついただけでは、すぐにその価値観を脱ぎ去ることはできませんが、繰り返し洞察を続けていくと、どんな状況でそれが働きだすのか、そもそもその根本にある体験や基準は何なのかがわかってきます。
 そこまでいけば、その価値観から距離を置くことができます。自分の着ている服の端がわかってきて、その価値観を自由に脱ぎ気できる状況になってきます。その価値観自体は、決して悪いものではなくて、それを身に着けたときには、それが生きていく上で必要であったということです。しかし、そのような価値観を身にまとい続け、自分本来の動きが制限されてきてしまうと問題が生じます。なので、それを理解し、使い分けられるようになれば全く問題ありません。

 そうして、自分の動きが軽くなっていくと、だんだん、自分自身がどのように動いていきたいか、何をしたいかということがわかってきます。そして、より深く自分を知っていけばいくほど、自分を自由に開放してあげることができてきます。

 それは、当初自分が望んでいたものとは違うかもしれません。でも、もっと肩のちからを抜いて、自然に動いていけるような方向性のはずです。

 しかし、そのようにして見つけた願いや価値観も、もしかすると自分の着ていた服のひとつに気が付くときがくるかもしれません。

 さらに深く、見つけた価値観や願いを手放していきます。そうすると果たしてどのような自分がみえてくるでしょうか。

 それは、本当にワクワクする体験です。自分探しの冒険です。

 どこまでも、どこまでもこのようにして自分を深めていくことができます。そして、深めていけば深めていくほど、心も体も自由になっていくのです。

 さて、今日は、価値や願いを手放すことで、本当にやりたいこと、本当の自分の価値に気がつけるという話をかきました。
価値や願いを持っていることを悪く思う必要はありません。それを無理に手放す必要もありません。ただ、今自分が持っている価値や願いは、仮のものかもしれないとして、一瞬、横においておいて、それがない状態で、今、何が起こるか、ということを丁寧に見ていけば、いいのです。

 頻度が減ってしまっていますが、また気ままに更新していきたいと思います。よろしければ、またぜひご覧ください。

 ではでは。



チェックだけでOKなのです

 
 少しずつ春の足音が近づいてきていますね。
 この季節は、花粉症との付き合い方に悩みますが、皆さんはいかがでしょうか。

 今日は、少し前に、勉強会の中で出てきた質問で、参考になりそうな話があったので、書いてみたいと思います。

 質問にあったのは、まだセッション2~3をやっている方からでしたが、感情の連鎖や思考のチェックをやっていって、今後、先行刺激の分析や後続結果の予測という課題をやっていこうとしているときだったと思います。

 自己洞察瞑想療法では、マインドフルネスを身に着けるために、段階的に「洞察」のやり方を学んでいきますが、まずは、自分が思考しているか、していないかを知るためのチェック、そして、思考以外にも想起や感情など、自分の中で起こる様々な心理現象に名前を付けるという実践、その中で特に感情に注目し、その感情の分類をする実践、そして、その感情が起こったりしたときに、それを引き起こした刺激や連鎖の洞察、またその後に生じる衝動や行動の結果予測などを行います。

 ちょっと文章で書くと難しそうに感じますが、例えば、「ムカッ」と怒りの感情が起こったら、何をきっかけにそのような感情が起こったか、その時に何か思考がよぎったか、などを一瞬だけチェックし、また怒りが生じたときに、自分の中にどのような反応をしたいという衝動が起こるか、またその衝動のまま反応すると、結果的にどのようなことが起こるかを、やはり一瞬だけチェックする作業です。

 ここでいつも僕が強調しているのが、自分がなんで怒ったのかとか、落ち込んだのかを、「どうしてだろう、こんなことが現認じゃないか」などと、考えて答えを出すのではなく、一瞬だけ、「テレビを見たんだな」とか「その瞬間、思考が働いたんだな」とチェックするだけ、名前を付けるだけで大丈夫だということです。
 先行刺激の分析といっても、「僕は、こういうことが嫌で、こういうことを考えてしまったのだろう」などと、思考のレベルで分析をしないほうがいいと思います。
 
 やってはいけないということではないのですが、うつや不安障害を治そうとしてこの療法に取り組んでいる方の場合、特に、そのような分析はおすすめしないということです。
 
 かわりに、自分の中に何が起こったのか、名前付けができれば、まずはOK。もし、その思考の内容が一瞬だけ、こう考えたなとyチェックできればそれでOKです。

 なぜかということをこれから書いてみたいと思います。

 確かに、鬱や不安障害で苦しい状況を好転させるためには、考え方を訂正したり、ちゃんと分析して修正をしていかなければならないんじゃないか、そうしないと改善しないのではないかと考えがちですよね。

 しかし、うつや不安障害の時は、考えることすべてがネガティブな方向に行きがちです。そして、自分に対して、常にネガティブな評価をもっていますので、どのような思考に対しても、結果的にネガティブな評価を下してしまい、最終的に「僕ってこんなにダメな奴」ということで思考が終わりがちになります。
 そのような、思考や評価を続けてしまうと、その分だけ、ネガティブな感情を膨らませてしまい、結果的に症状や体調はどんどん悪化してしまいます。

 じゃあ、ポジティブに考えればいいんじゃないかと、一般的には思うかもしれませんが、鬱や不安障害という、日常生活に支障をきたすレベルになっている時には、すでに脳のレベルで、生理学的に変化が起こっていることがわかっています。
 つまり、脳の中が変わってしまって、ポジティブに考えることが、不可能な状態になっているのです。
 このような人に、もっと前向きに考えろというのは、足を骨折していたがっている人に、なんで普通にあるけないの?と言っているようなものなのです。

 だから、そのような状態の時に、いくら課題の実践だからといって、思考のレベルで自分を客観的に分析し、改善しようと思っても、最終的にネガティブな自己評価や、無理な理想との比較により、落ち込む結果になっていきます。
 むしろ、そのような思考を繰り返してきたからこそ、病状がここまで悪化してきたわけです。

 マインドフルネスでは、そういった自分の中で勝手に決めつけたな思考や評価から一度離れてみることが非常に大切です。
 そこから離れるトレーニングを通して、脳の中の構造も回復してきます。
  足が骨折しているときに、足に負担がかかるような動作を極力しないように注意して、回復を促すようなものです。

 だから、いくら先行刺激の分析や後続結果の予測といっても、できるだけ、思考や評価を働かせずに、一瞬だけのチェックですませるようにしていくべきです。

 実際のところ、分析や結果の予測には、思考作用を使います。しかし、その使うのを最小限にしておいたほうがいいということです。どのような心理現象が働いたのか、その刺激は何か、思考した内容は何かを、一瞬だけチェックしたら、そのことはすぐに流して手放すようにし、「今、ここ」の呼吸や目のまで行っていることにに意識を戻すのが良いです。

 でも、それでは状況はなにも変わらないのではないかという疑問を持つ方もいるかもしれません。
 
 しかし、多くの場合、すでに生じている負の感情は、結果なのですね。
 骨が折れて痛みが生じているというのが、結果であるということと変わりません。
 痛みを止めようと、折れている骨をすぐにつなごうと、もんだりたたいたりすれば、余計痛みはましてしまいます。
 
 できることは、刺激をしないようにそっと休めて、あとは回復を待つだけなんです。

 しかし、そんな中でも、ひたすらチェックを続けていくと、自分の中に、繰り返し起こってくるパターンが見えてくるんですね。
 一度のチェックでは気が付かなかったことでも、自分が良くしてしまう行動や反応というのは、日常生活で繰り返しでてきます。
 同じことが、5回、10回と繰り返されていくと、どんなに鈍感な人でも、「あれ、こんなことが以前もあったかも」と気づくときがくるのです。

 それは、「僕の中のパターンはなんだ?」と考えて見つかるようなものではなく、ただ、淡々と上記のチェックを続けていったときに、ある時、「あれ、こんなこと、前もやってたかも」という風に、フッと、気づきが起こる瞬間があります。

 それが、自然と起こるまでは、ただひたすらに、名前付けや先行刺激の分析、後続結果予測などのチェックを続けることです。

 そして、そのパターンがわかってくると、そういうことを行った時に、どのような結果になるかが、自然とみえてくるようになります。
 
 そういう意味でも、チェックが大切なのですね。決して、ボケーっと、何もせずに過ごすわけではなりません。名前付けや連鎖の分析など、かならずチェックはするわけです。しかし、そのチェック以上に、深く考察をしようとしなくていいということです。

 
 先ほどの骨折の例えでいうと、足が折れているときに、痛みが走ったときにやっている動作をその都度チェックしていきます。
 そうすると、自分のどのような動作が、足の負担につながっていたかが、自然とわかってくるのです。
 無意識にしていた動作なので、それまでは気が付かなかったかもしれません。でも、痛みが生じたときにチェックを繰り返していくと、自然にいつも無意識にやっていた動作に気が付くことができ、その結果として、そういった動作を減らしていくことができます。

 ここでも、大切なのは、もしチェックを繰り返していって、パターンが見えてくると、そのパターンを無理に治そうとしなくても、明らかに自分にとって不利益しか生まないような行動や反応に関しては、自然ととらなくなっていくものだということです。
 むしろ、意識的に行動や反応を、正解と思われるものに変えようとするより、自然と、そのような衝動がなくなってくるまで、しっかりと、チェックをし続け、先行刺激やその結果起こることを、徹底的にチェックしていくことが大切です。
 そうすれば、自然と自分の進むべき道が見えてきます。そして、その時には、自然と、そのような反応へ、身体が導いてくれるはずです。

 そして、このチェックのみをして、すぐに今ここに戻していくトレーニングをしていくと、脳の構造も変化してきて、自然と、ネガティブな思考や評価から離れることができやすくなってきます。
 しかし、その変化が起こってくるのには、少なくとも数か月のトレーニングが必要です。
 筋トレが1日では意味がないのと同じことです。
 
 そして、このような習慣ができていることが、セッション6以降で、さらに深い自己を見つめていく過程で、大変に重要になります。なぜなら、その習慣ができない状態で、思考のレベルで、セッション6以降の実践をやっていこうとすると、大抵の場合、自動思考の罠につかまり、体調をさらに崩してしまうことになってしまうからです。

 しかし、このセッション6以降をしっかりとやらないと、再発をしない自分というのは作っていけません。

 だからこそ、この「チェックのみをする」という態度、実践を積み重ねていくことがすごく大事だと、僕は考えています。

 ぜひ、まだやりはじめでうまくわからない、効果が感じられないという方も、諦めずに実践を続けてみてください。
 かならず、効果が感じられる日がくると思います。

 何かご質問や意見がありましたら、ぜひコメント欄にお書きください。最近、更新が遅くなって申し訳ないのですが、これからもマイペースに続けていきたいと思います。

 ではでは、今日はこの辺で。


自分の中につくられたポケモンとそこからの解放


 だいぶ久しぶりの更新となってしまいました。

 今日は、たまたま読んだ記事で印象深いものがあり、そのことについて考察してみたいと思います。

 その元記事はこちらです。
 東大生より不登校のほうが人生を始めやすい理由 東大教授・安冨歩

 不登校新聞の中のインタビュー記事です。
 確か、ネットのニュースなどでこちらについてのコメント記事があり、そこからこの記事をしりました。

 要約すると、我々はみんな、本来の自分自身ではなく、親からつくられた「社会に適応できるためのキャラクター」を身に着け、それを自分自身だと思って生きている。だから、その自分で生きていても喜びがなく、葛藤が生まれる。この著者の方は、そんなキャラクターをポケモンと呼び、 本来の自分の生き方は、それらを脱ぎ捨てるところから始まるという話だと思います。

 記事後半は、学校はそういった「適応するための自分」の生き方を肯定し、本来の自分を否定するようなところだから、無理にいく必要はないといった、少し極端な論調になっているのですが、このような「社会に適応できるためのキャラクター」をポケモンと呼んでわかりやすくしている点が面白いなと思いました。

 僕自身も、マインドフルネスを実践に学んでいく過程で、同様なことを考えていました。
 誰しもが自分の中に、ある種周りによってつくられた自分を持っています。この記事で言うところのポケモンですね。
 多くは、まず親によってしつけという形で形成されます。そして、その後、学校教育、住んでいる社会や文化、メディア、などによってそのポケモンは改良、強化されていきます。

 しかし、誰しもに自意識というのが芽生えてくると、このポケモンとは違う、自分の内なる欲求や衝動と向き合うことになります。そこで、葛藤が生じ、どこかで、このポケモンという名の殻を破って、本来の自分自身というものと向きあっていかなければなりません。

 しかしながら、「社会的には、このポケモンの方が正しいんだ!」と本来の自分の中にある衝動や欲求を押し殺してしまうと、様々な葛藤をかかえながら生きることになります。

 パターンとしては、
 ① ポケモンと本来の自分が葛藤し、社会生活ができなくなる。→うつやひきこもり、不登校などはこのケースだと思います。
 ② 本来の自分を押し殺し、ポケモンとして生きていく→社会的には生きていけますが、本当の喜びや幸せを感じにくくなる。
 ③ ポケモンを解放し、本来の自分として生きていく→社会とは衝突することもあるが、実感をもって生きていける。
 ④ ポケモンのことを認めた上で、本来の自分として生きていく→社会と適応しながらも、自分の幸せをかなえていける。
 といった生き方のパターンがあると思います。

 ここで、僕は、このポケモンをまず開放するのに、マインドフルネスがすごく役に立つと思うのです。
 マインドフルネスが、なぜ、自分の幸せにつながっていくかというところで、いつも説明が難しいのですが、このポケモンの記事を読んで、この文脈で説明をするとわかりやすいのではないかと思いました。
 
 というのは、まず、この記事で著者の方が語っているように、本来の自分というのは、探しに行っても見つからないものなのです。なぜなら自分自身とは、まさに自分自身だから、外に探しにいったら、その時点でそれは、また違うポケモンを探しにいく結果になるだけなんです。今あるポケモンを強化したり、今のポケモンと取り換えて新しいポケモンを捕まえてきたところで、それは自分ではありません。だから、それを続けても上記の生き方の①、②を行ったきたりするだけなのですね。

 本来の自分は、素のままで自分のはずなんですね。そのためには、外に求めて、新しいものを加えていってもダメなんです。
むしろ、今ある余計なものを一つ一つ取り除いていった結果、最後に残っていくのが本来の自分という事なんです。

 だから、その点において、ただ自分の中に生じるものを、そのままにして捨てていくというマインドフルネスは、この自分探しにおいて、すごく役に立つというか、そこにたどり着ける方法だと僕は思うのです。

 次に、この自分の中のポケモンをただ捨てようとするだけでは、本当に幸せにはなれないように思います。上記③の生き方ですね。なぜなら、それを捨てようとすると、家族も含め、社会の様々な場面で、衝突や葛藤が生じ、自分らしい生き方をできて自分の内では幸せを感じられるかもしれませんが、それを貫くために、外の世界との間で様々な葛藤が生じてしまう可能性があります。

 そもそも、ポケモンは決して悪いものというわけではないんですね。
 親や教育の中で、現実の世界を生きていくために、親や社会が授けてくれたアイテムというか、モンスターなわけです。
 そもそも、それらと仲良くし、うまく付き合って、一緒に世界を冒険していければ、ポケモンも自分も一緒に成長してけるはずなんですね。まさにアニメやゲームの世界と一緒です。
 
 それを、このポケモンが自分自身だと誤解して、ポケモンとして生きようとしてしまうと、様々な葛藤や問題が生じてしまうわけです。
 
 僕らは、社会を形成し、この世界で生きていくためには、様々なルールや人たちと付き合っていかなくてはいけません。そのために、ポケモンはとても役に立つ相棒のはずなのです。

 我々は、誰しもがポケモンを持っています。
 それが、その人が今いる環境や状況に適しているものであれば、その人は、ポケモンとして生きていても、あまり苦を感じないはずです。むしろその方が幸せを感じるときもあるかもしれません。
 しかし、環境や状況は常に変化していきます。だから、たとえどのようなポケモンを持っていても、そのポケモンのみに頼って生きていては、いつか壁にぶつかるときがきます。その時に、そのポケモンを持っている、捜査している自分自身が問われてくるわけです。

 そこで大切なのは、自分が持っているポケモンがどのような特徴があるのか、そして、そのポケモンを取り除いてみたときに、本来の自分というのは、どういう特徴があるのかということをよく知る必要があります。

  それを知っていく作業が、マインドフルネスであり、自己洞察瞑想療法でやっていく作業のように思います。
 
  もし、これを読んでくださった方が、自分は、ポケモンと本来の自分の間を行ったり来たりして苦しさを感じているなら、きっと、マインドフルネスを学ぶことは役に立つと思います。

 そして、自己洞察瞑想法(SIMT)は、そのようなマインドフルネスを一つ一つステップで身に着けていくための良い手法になるのではないかと思うのです。

 そうやって、自分の中のポケモンと自分自身を知ることができたら、互いに助け合い、この世の中ですばらしい冒険を繰り広げていくことができるのではないでしょうか。

 今日は、自分の中のつくられた自分をポケモンと名付けている記事を通じて、僕がマインドフルネスが本来の自分を見つけていく過程をちょっと書いてみました。
 
 ですが、おまけに一言かくと、そのような形で、マインドフルネスで自分自身を見つめていくと、本来の自分自身と呼べるような確固たるものは、そもそも存在しないんだーと気づくときがくるのですが。。。それは、また別の機会に書いてみたいと思います。

 ではでは、ちょっと急ぎで書いた記事でまとまりがないかもしれませんが、読んでくださった方、おつきあいありがとうございました!

 
 

感情はセンサーである!

 あけましておめでとうございます!
 今年も、懲りずにマイペースに更新をしていこうと思いますので、よろしかったらお付き合いください。

 なんとか1か月更新しないときに出る広告を出さないくらいのペースでやっていきたいと思うのですが、なかなか難しいですね。
まあ、焦らず、無理せず、ぼちぼちやってきます。

 今日は、感情について書いてみようと思います。
 というのも、今、自己洞察瞑想療法の勉強会を始めているのですが、そこで、セッション3のポイントや課題のコツを説明する中で、改めて、「感情」というものについて考えさせられる機会があったからです。

 この「感情」とのお付き合いは、なかなか大変です。
 というのも、うつや不安障害では、多くの場合、特にこの「感情」に振り回されて、つらい思いをすることが多いので、僕のかなり大変な思いをしてきました。

 しかしながら、この「感情」を嫌悪したり、遠ざけようとしたり、抑え込もうなどとするところからは何も生まれないんですね。
むしろ、体調が悪化したり、様々な自律神経症状が余計悪くなったりしていくだけです。

 じゃあ、どうしたらいいのか。

 そんなところを今日は書いてみようと思います。

 自己洞察瞑想療法のテキスト本である、この本のセッション3の初めには、「感情は現在の状況を教えてくれる」と書いてあります。



 ついつい不安や落ち込み、後悔、怒り、などネガティブな感情が生じてしまったとき、僕らはそれを嫌悪してしまいます。
そして、この嫌悪というのも、感情ですね。
 それを繰り返し、どんどん、ストレス反応を増大させ、体調を悪化させてしまうことが多いです。

 しかし、「感情」というものには、基本的に善悪はありません。
 「感情」は、今の身体の状態や、現状における意識とのズレなどを教えてくれるセンサーであり、サイン、そして警報機なのです。
 あくまで、知らせて繰られているだけということです。
 しかし、僕らは、その知らせ自体を、不快なものだと判断して、止めようとか抑えようとしてしまいます。
 でも、その警報を止めようとしても、警報は警報としての役割を全うしようと、さらに大きい音をならそうとするだけです。

 例を挙げて書いているみると、

 例えば、僕らが普通につつがなく暮らしているときは、ガス警報器は作動しません。
 しかしながら、自覚しない程度でも、ガス漏れが発生している時には、ガス警報器は、高らかになりだします。
 多くの場合は、この警報機の音は、不快でうるさいものです。なぜなら、みんなの注意をひかなければならないので、そのようにできています。
 でも、もし、この警報機かうるさいからと言って、警報を止めてしまったらどうなるでしょう。
 警報機は、最初は、さらに危険を訴えて、繰り返しなりだすでしょう。
 
 そこで、その電源をきってしまうとか、ふたをして、警報が聞こえないようにしてしまったらどうでしょう。

 一見、静かになって問題は解決したように思えますが、ガスが漏れていれば、そのうち、身体に変調をきたし、最悪の場合死んでしまいます。

 「感情」も、この警報機のように働いています。
 不安な時、落ち込むとき、よくよく観察してあげると、心も体も限界であるということや、もうそろそろ危ないよということを、教えてくれていることが多いです。

 それを意識の方で、「そんなはずはない」とか「もっと頑張れるはずだ!」と無視し続けると、最終的には、心か身体が壊れてしまうことが多いです。

 実際、僕は、そんな声を無視していろいろと頑張りすぎた結果、様々な自律神経症状に悩まされ、最終的には仕事もできなくなってしまいました。

 感情が動くとき、必ず何らかの身体反応が起こってきます。筋肉の緊張だったり、心臓がどきどきするなどの反応だったり、胃のあたりがきゅっと締め付けられる反応だったり。

 今、思えば、本当にいろんな感情や症状という形をとって、身体や心は、僕の意識に、「もう無理だよ、休みなよ」などと、メッセージを送っていたいのだと思います。それを嫌悪し、無視続けてきた結果が、僕のうつだったのかなと思ったりしています。

 じゃあ、そのような「感情」のメッセージを受け取ったときに、どのようにしたらいいのでしょう。

 自己洞察瞑想療法におけるマインドフルネスの方法としては、その警報である「感情」を変化させようとアプローチせず、その時に、身体や症状、思考などにどのような事が起こっているか、チェックをしてみるということです。

 ガス警報器がなったら、その時に、ガス栓などをチェックしてみるのと同じです。
 どこからガスが漏れているのかと、探したりしますよね。

 残念ながら、多くの場合、この感情の警報が、どのような理由でなるのか見つけるのは簡単ではありません。
 なぜなら、無意識の世界で行われていることで、意識でそれをとらえようとすることは、基本的に無理なことだからです。

 だから、意識の範囲で、いくら「何が理由なんだろう」と考え込んでも、勝手な妄想を増やすだけで、原因はわかりません。

 大切なのは、どのような時にその警報がなるのか、どんな時に、どんなふうにその警報が変化するのかを、「今、ここ」で行われている日常生活を通して、観察していくことです。

 そのようにして、「感情」が変化した時をチェックし、その時に起こる様々な身体症状や思考の連鎖をただチェックしていくと、かならず、その「感情」が表しているサインが見えていきます。そうしたら、そのメッセージを受け取って、それい合わせて行動してあげればいいのです。
 そうすると、その「感情」は、警報としての役割を全うしたので、自然と収まっていくはずです。

 「感情」や「身体反応」は、ものすごく素直です。意識のつく嘘を簡単に見抜いて、本当に正直に反応を起こします。現実を正直に映していきます。

 ただ、もし、過敏に反応しすぎていると感じたら、それが、どのような時に、どんな風にお知らせを出すか、さらに繰り返し見ていくことです。

 そうすると、「感情」がセンサーとして働く設定自体にエラーが隠れているときがあります。
 それが、「本音」です。

 始めに、感情は、身体の反応を反映し、警報として働くほかに、意識と現状とのズレを教えてくれていると書きました。
 そのズレというのが、この「本音」です。

  警報が鳴るからには、そこには設定があります。その設定をしているのは、意識の深層にある、ある種の「判定基準」みたいなものです。自己洞察瞑想療法では、自分の行動や判断に、陰で影響を与えているそのような独善的な基準や価値観を、「本音」と呼んでいます。

 これらは、普段は、無意識の中で働いているため、多くの場合、そのような価値基準や判断基準を自分が持っていることすら気が付かないことが多いです。

 しかし、生活の様々な部分で、これらの影響を受けて我々は行動しており、ときに、その影響により、非機能的、非建設的な行動を繰り返してしまうことがあります。

 「感情」や「身体反応」は、そういった現実と、我々の意識のずれを生じさせている「本音」を知る上でも、アラームとして機能してくれます。

 「感情」や「身体反応」、それ自体は、そういった設定に基づいて、ただ反応しているにすぎません。それが、それらの役割なのです。

 ガス警報器が、繰り返しなる状況を見ていくと、料理を作っているときに発生するときのわずかな煙でも、警報が鳴っていることに気が付いたとします。警報機は、その煙にも反応するように設定されていれば、あたりまえのことながら、それに基づいて、警報を発するわけです。
 しかしながら、その設定のままでは、まともに料理もできないので、現実の状況とあっていません。
 そんな時は、料理ではならない程度に、設定を緩めてあげる必要があります。
 ここで、大切なのは、警報を切るのではないということです。警報を切ってしまったら、ガス漏れという危険な状況を探知できなくなってしまいます。
 状況に合わせて設定を緩めてあげるということです。

 例えば、対人過敏があり、人に会うのが不安でしょうないとします。その時の、不安な感情は、自分の心や体が傷つくのを避けるために、働いているのかもしれません。その反応がなくなってしまったら、だれにでも警戒なく近づいてしまい、だまされたり、傷つけられたりしていしまうでしょう。

 でも、その不安を観察していくと、本来、傷つく心配のない人にまで、反応しているかもしれません。
 
 自分を傷つけようとしているのではなく、ちょっとした注意や、自分を正しい方向に導こうとしているような言動にまで、反応しているかもしれません。

 そんなときは、その不安の背後にある本音、もし「だれでも自分に近寄ってくる人は、自分を否定したり傷つけようとしている」という本音があるなら、それを、「誰でも」ではなく、「悪意を持っている人」だとかに、変えていくといいと思います。

 もちろん、警報機のように、簡単に数値を書き換えるだけで、その設定が変わるわけではありません。
 その設定を変えるためには、人に会い、どのような人であるかを、「今、ここ」で働いている自分の五感で、ちゃんと感じ取り、その時に、自分の中にどのような警報が鳴るかをチェックしながら、この程度の反応であれば、警報はそこまで鳴らさなくても大丈夫だな。とか、この程度の警報のなり具合(不安の強さ)なら、もう少し様子をみて大丈夫だな、とか、経験を積んでいくことが大切です。

 このように、「感情」や「身体反応」は、僕らの身や心を守るために、自分の意識の設定に基づいて、自然な反応をしているだけです。むしろ、その警報をよく知ることで、自分の状況や本音にいち早く気が付き、より安全に、そして安心して生活をしてくことができるようになります。

 警報は時に不快な音を発するので、最初のうちは、なかなか慣れるのが大変かもしれません。

 でも、「感情」や「身体反応」を敵とせず、ただチェックをしていく、ということを続けていけば、だんだん、「感情」や「身体反応」と仲良くなっていけます。
 そうすると、「感情」や「身体反応」は、本当にいろいろなことを教えてくれる先生となります。

 今、様々な状況で、苦しんでいる方も多いと思います。でも、基本的な思考のチェック、そして、心理現象に名前を付ける、感情の連鎖をチェックするなどの、基本的な自己洞察瞑想療法の実践を積んでいけば、かならずこういったことがわかる日がくると思います。

 どうか、自分自身の反応を嫌悪せず、大切にしてあげて、焦らずにやっていってください。
 あなたの心や体は、あなたが幸せになることを、切に望んでいると思います。

 ではでは、長くなってしまいましたが、お付き合いありがとうございました。
 今年も、マイペースにやっていきますので、お時間のある時に、またお付き合いください。

ストレスへの対処法


今日は、ストレスへの対処法を中心に書いてみたいと思います。
というのも、先日、このような質問を頂きました。

概略ですが、

「現在、少し大きめのストレスを抱えています。しかし、その対処法がわかりません。現在、セッション8をやっているのですが、その対処法がうまくできていない気がします。以前のセッションにさかのぼって課題をするべきなのか迷っています。」

といった内容の質問でした。

セッション8というのは、「今まで学んできた実践を、組み合わせて統合的に使い、具体的な自分の問題や課題に対応していこう」といった感じのセッションになっています。

 なので、ここでうまくできないのは、過去の実践がうまく身についていないからだ、だから前のところに戻ってやろう、しかしどこにもどったらいいんだ、という事なのだと思います。

 セッションを続けていくと、かならず一度はぶつかる悩みだと思います。
 なので、今回は、記事に取り上げて答えてみることとしました。

 僕の体験では、質問者さんが考えていることは、基本的に正しいと思います。しかし、考える方によって、苦しい方向に行ってしまっている気がするので、いくつかの前提を説明して、対処方法を解説してみたいと思います。
 ある程度、質問者さんの状況を推測して書いていますので、的外れだったらごめんなさい。
 参考になりそうなところだけ、参考にしてもらえばいいと思います。

 まず、大きめなストレスを今現在抱えているとのことでした。
 SIMTをやっていても、日常生活をしていけば、かならずストレスは生じてきます。特に、セッション後半は、日常生活をしながら、仕事に復帰しながらなど、実生活の課題に向き合っていくことに主眼が置かれていますので、この段階で、様々な体調の波を経験する方は多いです。

 そもそも、このストレスは消すことができません。ここ大切なポイントです。
 ついつい、SIMTを実践してきて、マインドフルネスを身に着けてきて、なんとか、この手法で、このストレスを解消できないか、悩みを解決できないか、と考えるのですが、基本的に、ストレスそのものを解決はできないです。
 そもそも、皆さん、悩みを解決するためにSIMTの実践を行っているはずなので、「解決したい!」「ストレスを無くしたい」という気持ちを持つのは当然です。それは間違いではありません。
 しかし、実は、「ストレスを感じる」となっている時点で、そのストレス自体を消すことは難しいです。SIMTを実践していった先に起こってくることは、「気が付いたら、今までストレスだと思っていたものが、ストレスと感じなくなってきていた」というように変化していくものです。
 今、もし、「あー、これはストレスだわー」と感じることがあるとしたら、それは、すでにその人の中でストレスになってしまっているので、それを理屈で、ストレスじゃなくすることはできないのです。
 そして、そもそも、簡単に解決できるような事であれば、すでに解決させているはずだし、そうであれば、そもそもストレスとは感じないはずですよね。今、解決できないからこそ、ストレスに感じているのです。
 
 だから、それを無理に解決しようともがいてしまえば、できない問題を考え続けるようなもので、どんどんストレスを膨らまさせてしまいます。
 なので、ここからの対処法は、「それをなるべく膨らませずに、チェックだけして、そのままにしておく」というものです。
 
 その上で、まず大切だなと思うのが、「無理をしない」ということです。「新しいことをやろうとしない」ということでもあります。
というのも、ストレスがかかったときって、身体はストレス反応を、し始めます。体調は普段よりは悪くなったり、低下したりします。
思考も、緩慢になったり、ネガティブになったりしますね。
 これを、無理に解決しようとしては、いけません。ストレスがかかっているんだから、そのような反応は、自然であり、当たり前のことです。
 しかし、ついつい、「この状況を打開したい!」と思って、普段しないことをやってしまったり、新しいことをやりたくなるんですよね、不思議と。例えば、身体のだるさをとるために、ジョギングをしてみるとか、気晴らしに旅行に行ってみるとか。
 もちろん、それが功を奏するときもありますが、経験上、疲労を貯めて状況を悪化させることが多いように思います。

 普段より、パフォーマンスが落ちている状況にあるわけですから、新しいことを始めるより、むしろ、やめられること、一時延期できることは、一度、手を放して、ペースを落とすことが大切です。
 
 身体を休め、気持ちに余裕を持たせることで、ストレス体制を多少なりとも上げることができます。

 そして、ストレスの波が去るまで、乗り切ることが大切となります。
 特に、期限付きのものであれば、とにかく乗り切るのが大切です。

 では、そのためにどうすればいいのか。そして、その間に、どのような実践を行っていくのかという事ですが、ここで、基本的な実践に戻るのが大切です。

 ポイントとしては、セッション後半の本音の観察や、今の自分の課題の対策を行っていて、調子がでないときは、一度、その実践は横に置いて、少しまえの実践に戻りましょう。

 この時に、できることなら、短時間呼吸法、日々の瞑想(呼吸法)をこまめに入れて、少しでも自律神経系を整える方向に働かせつつ、思考のチェックをして「今、ここ」に意識を戻す、心理現象に名前を付ける、感情の連鎖、傾注観察などは、続けられるといいと思います。
 そして、これらの基本的な実践を、丁寧に行っていくことが重要です。

 というのも、ストレスがかかっているときは、パフォーマンスは落ちますし、頭の回転も低下、集中力低下、思考に流れやすい、それもネガティブなことを考えやすいという特徴があります。
 だからこそ、そちらに行きがちな意識を丁寧に、「今、ここ」に戻していくことが大切です。
 課題のひとうひとつを丁寧にゆっくりとやっていくことが大切だと思います。そうすると、それ自体に、ストレスフルな時間をやり過ごす効果が出てきます。

 もし、本当につらい状況で、洞察も観察もできそうもなく、どうしようもなくネガティブな思考や希死念慮に引っ張られてしまうようなときは、そこまでの状況になるまでには、すでに感情などをかなり大きく刺激してしまっている状況になっているはずなので、「今、ここ」にひたすら意識を向けて、呼吸法を続けていくkことをお勧めします。難しいことはいりません。数時間か、数日かわかりませんが、とにかく乗り切りましょう。

 でも、少し体調が戻ってきたら、心理現象の名前付け、感情などの連鎖のチェックくらいは行いましょう。

 そして、もう少し、落ち着いてきたら、それらの連鎖が起こったとき、その思考の裏にある本音を、一瞬だけチェックしてみてください。もし、チェックできなかったら、名前をつけて捨てていく作業を徹底的に繰り返していきましょう。

 もしも、もう少し余裕が生まれてきたら、その時は、いつもと違う反応や方法を試してみたりして、さらにその結果をチェックしてみていってください。
 正直なところ、そのような対応ができるレベルというのは、かなりストレスも小さいような課題、もしくは、状況が、落ち着いてきてからだと思います。

 そんなことをやっていたら、いつまでたっても、ストレスや自分の体調がよくならないんじゃないかと思うかもしれません。
 
 でも、そんなことはないんです。

 最初は、ストレスに感じていることも、最初は、死に物狂いでなんとか乗り越え、2回目、3回目は、かろうじてやりくりしたかもしれないけど、同じようなストレスも4回目、5回目になってくると、不思議と、慣れてくるというか、少し、余裕をもって眺められるようになってきます。
 だからこそ、1回目、2回目でパニックにならずに、とにかくまずは乗り切っていくことが大切なのです。
 そして、少しずつ、名前付けなどを続けて、状況を観察していくと、かならず、今までの自分では気が付かなかった課題のもう一面が見えていきます。
 そのような段階になってくると、もう、同じ状況においても、かかるストレスが自然と減ってくるんです。

 日常生活を送っていると、様々なことが起こってきます。その中には、よいことばかりではなく、悪いこと、嫌なこともあります。
 そんな時は、自分がどのようなストレスを受けているのか、その時に、どのような反応が出るのか、そして、その時に自分はどのような段階の実践なら可能なのかを知るうえで、とても良い練習、そして経験になります。

 それがわかってくれば、このくらいのストレスだから、とりあえず、今やる必要のあること以外や、一時中止して、これくらいの実践に集中しようとか、この状況は、とにかく呼吸法だけでいいから、それでなんとか乗り越えよう、などとできるようになってきます。

 もちろん、呼吸法だけで無理そうなら、薬を一時的に増やしてもいいですし、家族や友達、かかりつけの医師に相談して、一時的に頼ってみるというのもありです。それこそが、まさにコーピング、対処行動なのですね。

 そして、そんな行動をとっていくということ自体が、まさにセッション8での、意志作用の実行であり、対処法、対処計画の実行という実践につながっていきます。

 今日は、うまく回答できているかわかりませんが、ストレス下においての実践のコツについてちょっと書いてみました。

 まずは、ストレスそれ自体を解決しようとはしないこと、主眼を乗り切ることにおいて、今できそうな基本的な実践を丁寧にやっていくことが大切だということを書いてみました。
 その過程が、自分の経験値となり、どうような課題が起こってきた時に、徐々に上手な対処法ができるようになってきます。
 それまでは、とにかく積み重ねが必要なんです。

 質問者さんが行っていること、向かっている方向性は、決して悪い方向ではないと思います。どうか、焦らずに実践を続けていただけたらと思います。

 最後までお付き合いありがとうございました。
 少しでも、読者の方のご参考になることがあれば、幸いです。
 ではでは、今日は、この辺で。

 
 




 


 

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鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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