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包み込んで映すための僕なりのコツ

 今日は、SIMTを実践していく中で、僕自身が、自分の中に生じてくる出来事を、「そのままにする」ために工夫しているコツを紹介したいと思います。
 あくまでこれは、僕自身のコツであり、大田先生がおすすめしている方法ではないので、参考程度にお読みください。
 
 でも、ちょっとした工夫ってみんなそれぞれ身に付けて行く上でしていると思うんですよね。「それが絶対的に正しい」と考えちゃうと間違いのもとになりますが、こういう人が、こう考えてこういう工夫をしているという過程を知ることは、SIMTを学ぶ上で参考になるかなーと思って今回、書いてみようと思います。

 上記の「そのままにする」というのは、独善的な評価や価値判断を加えず、起こっていることをまっすぐに観るという事です。
 つまり、SIMTのセッション最初の頃にある、「つつんで映す」という心の使い方の事です。
 SIMTの非常に基本的なテクニックでありつつ、一番奥が深く、難しい部分と言ってもいいかもしれません。僕自身は、これがちゃんとできるようなら、SIMTのかなり大きな部分を身に付けたといっても良いかなと思うくらいの事です。

 でも、この感覚って、感覚だけに伝えるのが非常に難しく、この感覚をつかむのが難しいんですよね。そして、一瞬はそういったことをできても、どんな場面でも、生活の中でもこの心の使い方を実践していくというのは、すごく訓練が必要なことです。
 それだけ、ついつい起こってきたことに独善的な評価や判断を我々はしていってしまうということなのですが。
 
 なので、過去のブログでもこの部分については繰り返し取り上げていると思います。
 今回も、同じ事を取り上げているわけですが、この「そのままにする」ということをより上手にできるようになるために、自分なりに日々工夫をしているので、最近している工夫を書いてみたいと思います。

 座って瞑想、呼吸法をしながら、自分の中に生じてくる現象に、「思考」「感覚」など名前をつけていく作業は、わりとやりやすく、この訓練をやって、「そのままにする」感覚、「包んで映す」感覚を練習していきますが、なかなか難しいのは、実生活の中でもこれをしていくことです。
 特に、「そのままにする」ということをしようと心がけると、ついつい、評価してしまう自分、思考に入ってしまう自分に対して、「ダメだ評価をしてしまった」と考えてしまいがちです。しかし、この「ダメだ、評価をしてしまった」と考えること自体、「評価」なわけです。
 そして、そんな自分を、さらに「ダメだ。。。」と考えてしまい、無限ループに入ってしまいがちです。
そうすると、その「評価」が行なわれた瞬間に、気分が落ち込んだり、身体が重く感じられたり、症状がでてきたり、様々な反応が自動的に出てきてしまいます。これは止められないので、そうして、「評価」を繰り返して調子を崩していったしてしまいます。

 なので、「そのままにする」というのは、評価してしまう自分に対しても、「そのままにする」ことが大切です。
 しかし、「そのままにしよう」と思っても、ついつい「またやっちまった」と考えてしまいます。
 そりゃそうです。できれば、そのままにしよう、思考に入らないようにしよう、とやっているのに、自分が思考や評価をしてしまったら、やっちまったと思うは当然です。

 なので、僕が徐々にできるようになってきた過程として、まずやったこと、工夫したことは、「がんばりすぎない。さらに上を求めすぎない」というものです。
 「良くなりたい、治りたい、もっと上達したい」、この気持ちはすごく大切です。これがなければ、SIMTの実践を続けることはできません。しかし、この気持ちが強くなりすぎてしまうと、逆に自分を苦しめる結果になってしまうわけです。なぜなら、期待が大きくなるほど、うまくいかなかったときに、その反動として、「やっちまった」と評価をしてしまいがちだからです。
 僕が、徐々に自分の思考や評価と距離をとれるようになってきたとき、「もう、できる範囲でいいや。できる範囲のことをやってけば、そのうちわかるだろう。今は、よくわからなくてもそれでいいや」と、ふっきれた後だったように思います。
 洞察がうまくいかない、気づいたら、洞察せずに1日がすぎてしまっている、洞察をしようとしていても、すぐに思考に飲み込まれてしまう。こういったことが続いて、「あーなんてダメなんだ」と思ったりしたのですが、そういうことを考えていることも評価だし、これ以上望んでも今よりすぐうまくはできないと思い、「調子を崩していた期間が7年間あったんだから、治るのに7年間くらいはかかってもしょうがない!」と覚悟を決めて、ただただ、気づいたら「今、ここ」に意識を戻すというのを繰り返していきました。そして、「やっちまった」と思っても、そう思うのも、今のレベルならしょうがないと割り切って、ただただ淡々と実践をやっていきました。
 
 まず、この思い切りというか、良い意味でのあきらめみたいなのが、良かったように思います。そうやって、その日の洞察に結果を求めすぎないで、自分自身の瞑想や洞察のでき自体も、評価をあまりせずにそのままにできるようになるにつれて、日常の生活や他人とのやりとりでも、生じる様々な感情やできごとを、「そのままにする」ことができるようになってきたような気がします。

 最近、考えたのですが、以前から書いているように、僕はSIMTを身に付けることって、言葉を習得したり、自転車をのれるようになったり、筋トレをしたりすることと同じように思うんです。
 いくら筋肉をつけたい、言葉を早く身に付けたいと思っても、1日に10時間、15時間とやり続けても、その日にできるようになるものではないですよね。筋トレにいたっては、早く筋力をつけたいからといっても、2時間も3時間も同じトレーニングをやり続けていたら、筋力がつく前に身体をこわします。
 筋力をつけたいという気持ちは大切だと思うんです。でも、その気持ちが強くなりすぎて、その日のトレーニングに結果を求めすぎるよりも、その気持ちはちょっと横に置いておいて、疲れすぎない程度のトレーニングを、ただ淡々と続けていく方が、1ヶ月、2ヶ月と立ったときに、「あれ、前より頑張らなくても、重い物を持ち上げられるかも」とか「楽になったかも」と気づくことがあると思うんです。

 なので、まずひとつは、「がんばりすぎないこと、多くをもとめないこと」というのは、ひとつポイントかなと思います。

 もうひとつ、工夫をしているのは、自分の中で起こってきた事に対して、「いいんだよ、今はそれでいいんだよ」と一言、投げかけてあげる事です。
 というのも、上記に書いたように、「早くよくなりたい」という気持ちがあるので、洞察がうまくいかなかったり、おもったように症状が改善しないとき、調子に波が出てきたときに、ついつい「またダメだとか」とか「失敗だ」と、ネガティブな評価をしてしまいがちなわけです。特に、鬱になったり、不安障害であったりして、自分のコンディションが悪いときは、自己肯定感が低下してますから、自分に対して、厳しい評価をしてしまいがちです。ベースとして、マイナスの方向に思考や評価が傾きがちなわけですね。
 だから、思考に流れてしまっている自分に気づいたとき、思考に飲み込まれて感情を騒がしてしまったとき、自分についついがっかりしてしまったとき、そんな自分に対して、そして、生まれてしまった感情や症状に対して、「早くなくなれ」とか「こんな風に考えちゃだめだ」と思わずに、「あー、今、ネガティブモードが働いているんだね、いいんだよ、今はそれでいいんだよ。今、ネガティブモードになっているこのに気づけたら、今の時点ではそれで100点だよー」と、自分の中の一見、ネガティブに思える出来事につぶやいてあげるようにしてました。
 そうすることで、すぐにその感情やネガティブモードがなくなるわけではないのですが、そのネガティブモードをさらに評価し、「だめな自分」悪循環に入ることは少なくなったように思います。そうして、自分の「自己評価モード」から距離をとれるようになってくるに従い、前述のように、他の事に対しても「そのままにする」ことができやすくなってきたように思います。

 それともう一つ、「評価モード」から自分を抜け出すために、「観察モード」に切り替えるということも工夫としてやってました。
 自分自身で、負の感情が浮かんだり、体調がわるくなったり、思考に流れやすいときに、「良い、悪い」といった評価をしなくても、lすむように、観察日記をつけるように、「今日のネガティブモードレベルは、10点満点で6点だな」とか、「この落ち込み具合は、80点くらい!結構、つらいかも」というように、数値化してみたりしていくと、自然と、単純に善悪、良い悪いといった評価の間で苦しまなくて済むようになってきました。また、こういった点数にしたり、レベルにしたり、ゲームに例えて、「レベル3。これならクリアできる」といったようにしていくと、自分の中でどの程度の反応であったら、普通に収まるのか、それぞれのレベルの反応に対して、どのような対策を立てられるのかといった部分でも参考になりました。

 本当に不思議なことなのですが、こういったことを繰り返して行き、自分の中のネガティブな反応や部分に対しても、許容できる範囲が広がるにつれて、不思議と、日常生活においても洞察やそのままにする感じができてくるようになり、また、鬱の症状や気分の波も起きにくくなっていきました。

 今思えば、最初のうちは、「評価しない」、「そのままにする」といいつつも、自分がやりたいと思ったことだけ、そうしようとしていて、本当にどんなことに対しても、その態度をやろうということをできていなかったんだと思います。頭ではわかっていても、実は、生活の隅々まで、自分の思考パターンの隅々まで、この「良い悪い、善悪評価モード」は入り込んでいるんだと思うんですね。だから、「そのままにする」「包み込んで映す」という態度を身に付けて行くためには、繰り返し、繰り返し、どんな状況でも、どんな条件でも、今、ここに起こっている事に対して、それをトライしていくことが大切なんだと思います。

 とは言っても、今も僕も試行錯誤の最中です。また、何か自分なりの工夫ができてきたらここに書いて見たいと思います。

 蛇足ではありますが、「評価をしない」といっても、生活をして、仕事をして、何かを判断していく過程では、評価もしますし、決断もします。ただ、そういったとき、繰り返しでてくる「善し悪し評価パターン」とも呼べる癖がかならず潜んでいるんですね。だから、そういった「善し悪し評価パターン」を見極めるためにも、まずは、すべての評価に対して、一瞬でもいいから「そのままにする」瞬間、習慣を作っていこうというのが、SIMTの基本的スキルである「包み込んで映す」という事なんだと思います。

 本日も長文におつきあいありがとうございました。
 何かご参考になることがあったら幸いです。

意志的自己と叡智的自己(意思作用の訓練と心の葛藤)

 
 久しぶりの更新になってしまいました。子供達も夏休みになり、何かと休まらない日々を送っています。

 今日は、意志的自己と叡智的自己という事について自分の経験を元に考えを書いてみたいと思っています。
 というのも、最近、SIMTの実践を続けていく中で、以前にもまして、日々の生活や仕事の中でストレスを感じる頻度が減ってきているように感じているからです。そして、なんでそんなに楽になっているかというと、それは自分の中での葛藤というのがすごく減ってきているからだと考えています。
 その葛藤がなぜ減ったのかというのを考えた時に、この意志的自己と叡智的自己というものに考えが至ったわけです。

 まず、意志的自己と叡智的自己というものについて簡単に書いてみたいと思います。
 SIMTの理論的背景となっている西田幾多郎の哲学では、いわゆる自己、自分とは何かというものについて、段階があると言っているようです。ここからは僕も大田先生の受売りで、西田哲学をしっかり勉強したわけではないので申し訳ないですが、正直、西田先生の文章だけを読んでも、意味はサッパリ分かりません。
 大田先生の書かれたマインドフルネス入門という本に叡智的自己について書いてあったりしますが、それも何回読んでもわかりませんでした。
 しかし、大田先生に会ってお話を聞いたり、SIMTの実践の中で気づきを積み重ねていくうちに、自分なりにこういうものなのかなというのが分かってきたので、それを踏まえて書いてみたいと思います。

 まず、普通、「私とは何か」という事を考えた時に、「今、感じ、考えている私が『私』だ」と思うと思います。
 これは、知的自己とか概念的自己、思惟的自己といったものです。
 このレベルでは、「私は、どう感じて、どう考えるかによって私というものが決まり、それによって行動している」といった感じだと思います。そして、この思考をしているレベルは、まさに鬱になって抜け出せないでいる時の状態で、様々なネガティブな思考が頭を巡り、「なんてだめな自分なんだ」と自分=ダメだとなっている状態です。

 そこで、意志的自己とは何かとう事ですが、様々な思考や感情、感覚を感じつつも、それを眺めて横に置いておけるような状態です。SIMTで訓練をしている意思作用、注意の作用というのは、このレベルの訓練の事になります。
 思考や感情など、様々な作用が自分の中で働いていて、そして、意思をもって、自分の注意作用を動かしたり、分配したりして、呼吸法を行なっていったり、洞察を繰り返して行ったりしていきます。
 それは、単に思考の波にのまれているより、もう一回り大きな自己であるわけです。
 思考や感情、感覚といった作用をつつんでいるというか、内に收めて、それをある程度、意思の作用で止めたり動かしたりしているという意味で、概念的自己、感情的自己、感覚的自己というものより一段階深い自己であると言えます。
 
 大田先生も、この意志的自己を訓練することで、不安障害や鬱は、改善し寛解させることができるとおっしゃっていました。
 特に、セッション前半でやるような訓練は、この注意作用をトレーニングし、自分の意思の力をうまく働かせる訓練と言えます。
 実際に、セッション前半のスキルを身に付けることで、僕自身も、様々な深いな症状や調子の波自体を抑えることはできませんが、それでも、そのような症状や波を感じながらも、それをくぐり抜けていくことが可能になってきました。
 症状や調子の波にパニックにならず、必要な対処を行なっていくことができるようになり、日常生活や仕事への復帰などができるようになっていきました。

 確かにこの段階で、症状は軽くなり、大きな問題は解決されます。しかし、自分の症状、調子の波、生活に対する不安など、消えたわけではなく、あくまで共存できるようになってきたとうレベルです。

 それが、無くなってきたというのはどういうことかと考えると、そこで、もう一つ深い自己のレベル、叡智的自己というレベルが関係してくるように思いました。
 これは、セッション後半の本音をさぐったり、日常生活の中で洞察を繰り返して行く訓練を続けていくことで達成されるように思います。
 意志の作用を用いて、自分の中に生じてくる感情的な出来事、怒り、不安などなど、様々な現象を、そのままにしつつ観察して、どうしてそのような感情が生まれたのか観察していくと、その背後に、様々な本音、評価の基準があることが見えてきます。
 それは、今までまったくあたりまえで、自然に生じていた感情であっても、よくよく、繰り返し観察していくと、かならずその背後には、その感情が生まれる理由となった評価をしていることに気がつくはずです。
 その評価が行なわれているために、感情や気分が生まれ、自分の中に様々な葛藤が生まれ、ストレスを生じさせています。
 その評価自体の洞察をさらに繰り返していくと、過去の経験や記憶といったものに気づくようになります。
 そういった評価やそれによって生まれる感情は、瞬間的に起こり、自然に起こってきてしまうものなので、自分の意思の力をもってしても、止められるわけではありません。むしろ、それを止めようとしてしまったり、無くそうとしてしまうと、それがさらなる評価や葛藤につながり、感情はむしろ暴れ出します。
 ただ、そう評価したり、その結果、葛藤や感情が生まれたことに気づいてあげるだけでいいんです。
 日常の様々な事の中で、生まれては消えて行く、そういった葛藤や感情、その元になる評価に気づいてあげるだけでいいんです。
 そうして、その評価基準が生まれるもととなった記憶や過去の経験までたどりつくと、一時的に感情が大きく揺さぶられることはあるんですが、しばらくすると、その評価自体が自分のある経験から生まれた独善的なものだと理解できてくるのか、自然と、感情の動揺や葛藤は少なくなっていきます。自分の勝手な評価に気づいて、それを横に置いておいてあげることができるからです。

 しかし、生活の様々な場面では、常に決断を迫られ、行動をしています。そうすると、意思作用を使って、自分の中の勝手な評価やそれによって生じる感情を、横においておくように繰り返していっても、この状況であるなら、自分はこのように行動しようという選択肢がかならず浮かんできます。それは自分の中からでてくるものではありますが、感情や勝手な思い込みではなく、その状況をきちんとみつめた上で、フッとわき上がってくるように、決断や行動が内から生まれてくる感覚です。
 その結果が良いにつけ、悪いにつけ、それ自体にも評価をせずに受け止めるのですが、またそこでも感情や評価は横においておきながら、次の瞬間の状況にあった行動や選択が自然と生まれてきます。
 このように、意思作用を常に働かせて洞察を続けていくと、その先に、「行動する自分」というのが、自然とでてくるのです。
 その行動には、不安や迷いというものがあまりなく、「こういう状況ならこうしよう」というのが、すっと自然と出てくる状態です。
 この「行動している自分」というのが、まさに叡智的自己です。
 このような自己を頻繁に経験するようになってくると、この「行動する自己」の状況においては、迷いや不安が限りなく少なくなっているので、葛藤もなく、結果としてすごくストレスの少ない生き方をできるようになります。

 僕自身、常にこの状態になれているわけでは決してありませんが、自分の感情や思考の働きを常に洞察していると、その感情や思考、自分自身の勝手な評価に気づき、それに惑わされずに行動できる頻度が増えてきているので、日常で感じるストレスがすごく減ってきているんじゃないかと考えています。

 この叡智的自己に至るためのスキルは、セッション後半で学んではいて、そのための基本的なスキルはセッション前半で学んだ、注意の分配や心理現象への名前付けといったものになるのですが、おそらく、セッション10までの10ヶ月で完全に身に付けることは不可能かと思います。僕自身も、セッション開始後、もう3年くらいになりますが、やっと最近、このあたりのことが自分なりの考えではありますが、掴めてきているかなといった感じです。

 でも、実践を丁寧にやり続けていれば、絶対にこういった状況になっていけます。
 感情や症状、体調、ストレス、そういったものを自分の力で押さえこむことは不可能ですが、実践を続けることで、自然とそういった問題が生じにくくなってくるのです。
 確かに、意志的自己、意思作用の訓練だけで、体調は劇的に改善はします。
 しかし、生きて行くと言うことは、本当に様々なできごとが起こります。今までに予想しなかった挫折や困難、ストレスも襲いかかって来るわけです。僕自身、まだまだそういったものすべてに立ち向かえると自信をもって言える状態ではありませんが、自分を深くみつめ、洞察し、叡智的自己のレベルまで自分を深めていくと、そういったことが来ても、自分なりに対処していけるのではないかという自信が少しずつですが育ってきます。
 そして、ストレスが減り、葛藤がなくなることで、生きていくのがすごく楽になり、日々の生活に幸せを感じることができるようになってきました。つらい時には、自分の子供ですらも負担に感じ、自分の子供をかわいいと思えない自分はなんと残酷な親なんだと自分を責めたときもありましたが、子供をかわいいと思える感情も、自然とわいてくるようになりました。

 僕は、SIMTには、本当にうつや不安障害を始め、様々な問題、状況を解決する力があると思っています。
 ぜひ、今、苦しい中にいる方も、あきらめず、希望をもって実践を続けていただけたらなと思います。
 
 時間はかかります。一歩一歩のあゆみはゆっくりですが、でも、着実に前に進めます。
 ぜひ、あきらめず頑張ってください。

 今日は、僕自身が考える意志的自己、叡智的自己について、そして、それによりどのように自分の中のストレスや葛藤が減っていくかを書いてみました。ちょっと理屈っぽい話しになったかと思いますが、わからなくてもまったく問題はありません。
 実践を続けて、体験を通して感じれば、自然と分かってくるものです。決して頭だけで理解するものではないと思います。

 ではでは、長文おつきあいありがとうございました。
 また、何か気づいたことがあったら、更新をしていきたいと思います。

 
 

SIMTを学ぶ過程で、状況により重点をおくポイントについての考察


 いよいよ蒸し暑い日が増えてきましたね。
 寝苦しい日も多くなり、体調を崩しがちな季節です。十分に気をつけながら日々生活していきましょう。

 今日は、SIMTを習い学んでく過程において、こういう状況、自分のマインドフルネスの進展具合で、どのようなところに重点を置いて学ぶと良いかという点について、考察してみたので、よかったら参考にしてみてください。

 SIMTを学んでいく過程って、結構大変ですよね。
 やること自体は、そんなに大変な課題はないのですが、でも調子の悪いときに課題をやっていくってやっぱり大変だと思います。
 欧米のマインドフルネスや認知行動療法が、いわゆる再発予防に力を入れられてるのも、そういった理由があるのではないでしょうか。課題を遂行していくって、調子が悪くてダウンしている時は、中々できないと思うからです。

 でも、SIMTも、そのように体調が改善し、ある程度良くなってから始めなくちゃならないのかというと、そういうわけではないように思います。
 
 僕が経験した感じからは、調子が悪い人こそ取り組んで欲しい、始めて欲しいと思う部分もあるからです。
 だって、良くなってから始めるんだったら、一番必要としている人の所には、助け船が出せないということじゃないですか。
 それでは、あまり意味がないと思うんです。やはり、つらい人にこそ活用して欲しい。そういうものこそ、本物だと思うし、それが大切だと思うんです。まあ、そんな個人的な思いは置いといて。

 でも、そういった調子が悪いときに、SIMTのステップを全部やろうとすると、さすがに無理だし、しんどくなってむしろ調子を崩してしまう可能性が高いと思うので、僕なりに体調により重要なポイントをピックアップしてみたいと思います。

 鬱や不安障害の改善のステップをまず分けてみると、、、
   ① 気分の落ち込みや体調が悪すぎて、日常生活もうまくおくれていない状態。
   ② 日常生活は、ほぼ問題なくなったが、まだ仕事など社会的生活は難しい状態。
   ③ 仕事など社会的生活はできるようになってきたが、まだ症状に波があり、時につらくなる状態。
   ④ 仕事や家庭生活、社会生活をおくれており、多少の体調の変化では問題ないという状態。いわゆる寛解状態。
 
 という感じに分けられるかなと思います。
 僕が再発を繰り返していたときは、①、②、③の間を行ったり来たりしていましたね。③の状態になったといっても、自分としては、どうして調子悪くなっているのか、どうやったら良い状態を維持できるのか、全く分からず不安が一杯でした。

 ではでは、まず① 気分の落ち込みや体調が悪すぎて、日常生活もうまくおくれていない状態。 においての、重点ポイント。

 この状態では、前頭葉のワーキングメモリもかなり低下していることも多い状態です。
 おそらく、ちゃんと本を読んで、理解するということ自体、難しい人は多いのではないでしょうか。
 この段階では、あまり難しい洞察までやることは困難だと思うので、まずは、呼吸法をしっかり学んで、身に付けていくことが大切だと思います。それをやるだけで、かなり体調自体が改善されることが多く、それだけで②の状態になれる事も多いのではないでしょうか。
 呼吸法でも、特に、セッション①でやる「ゆっくり呼吸法」をしっかり身に付けていくのが大切です。
 ほんの気持ちでいいので、吐く息を細く長くします。この時、大切なのは、5秒と10秒とか時間を決めて、無理にその時間にあわせようとしないこと。それをやると、時間を達成させるために、無理をして頑張る事となり、結果的に交感神経を活発にして余計つらくなってしまいます。
 ほんの気持ちだけでもいいので、吐く息を長めにとって呼吸をしていくと、少しずつ少しずつ、身体のリラックスの状態にあわせて、呼気の時間もゆっくり長くなってくるので、自分のペースでやっていけばいいです。
 ここで大切なことは、その時に、なるべく呼吸に意識をむけて、あれこれ考えないように、ネガティブ思考の悪循環をまわさないようにするということが大切です。
 調子が悪すぎて、どうしてもネガティブな思考に引っ張られてしまうという人は、呼吸を数えながらやるなど意識を無理矢理にでも、呼吸にむけるといいと思います。「ひとーつ、(と数えながら息を吐き、『つ』が終わったら、速やかに息をすう)、ふたーつ、みーっつ」と数え、「とーう(10)」までいったら、また「ひとーつ」に戻ります。

 これを10分から15分くらいは続けていると、副交感神経が刺激され、不思議と身体の緊張や症状、不安感が楽になってきます。もちろん、症状や発作の強さにはよりますが、繰り返し繰り返し続けていると、呼吸法をやれば、症状がやわらぐようになってきます。また、症状が悪くなりかけて来た時に、すぐこの呼吸法をする習慣をつけることで、思考と症状悪化の悪循環をある程度、止めたり和らげたりできるようになり、大きく体調を崩す事が少なくなってきます。つまり、②の日常生活は送れる状態に改善するわけですね。

 ここで、パニック発作をもっている人、不安障害の人の中には、呼吸自体に意識をむけることがつらい人がいるようです。
 そういう人は、「吐く息はゆっくりしたほうがいいんだな」という意識だけ持っておきながら、意識をむけるのを、例えば歩く瞑想を利用して、一歩一歩の足の裏に集中するようにするとか、ただ見る訓練のように、目の前の物の輪郭を目で置くことに意識をむけるとかしてもらえばいいと思います。その時に、「ひとーつ、ふたーつ、」という呼気を長めにとるカウントさえしてもらえば、だんだん自然と呼気が長いゆっくり呼吸法が呼吸に意識をむけずにできます。

 SIMTのセッション1の段階でも、その後必要になる、活動中の洞察の訓練は始まっています。また包んで映すなど、その後の洞察の基礎となる技術も盛り込まれていますが、あまり調子の悪い段階では、活動時の洞察や包んで映すを頭で理解しようとするのは難しいと思うので、つらい状況の方は、まずは、ゆっくり呼吸法とそれに意識をむけて、思考の悪循環を止めることから始めればいいと思います。
 そして、体調が改善してきて、できるようなら、活動時の傾注観察、思考をしているかのチェック、包んで映すなどの理解に取り組んでいくといいでしょう。

 では、②の「日常生活は、ほぼ問題なくなったが、まだ仕事など社会的生活は難しい状態。」では、どうしてったらいいか。
 この状態でも、呼吸法の習慣と実践は、ぜひ続けていください。その実践を続けることで、脳や身体自体が、悪い症状やネガティブな思考ループを起こしにくくなっていきます。
 そういった呼吸法がある程度身について来たら、いよいよ洞察の訓練の開始です。
 セッション1,2,3といったところで取り上げられている、傾注観察法、思考のチェック、心理現象の名前付け、感情の連鎖、など、その後の活動中の洞察の基本となるようなスキルを重点的に、練習するのがいいと思います。いずれも、日常生活の中の場面でできるものです。これが社会活動の中での洞察となると、一気に難しくなるので、家庭での生活の時に、こういったスキルをしっかり練習しておくと良いです。それをしっかりしていると、不思議と、忙しい社会生活の中でも、ふとしたときに、洞察モードが働いてくれるようになります。
 そして、この練習の段階でも、家庭生活自体が、社会活動の縮小版みたいなものですから、親や配偶者、子供との関係を、この洞察の基本的なスキルを使いながら見ていくだけでも、様々な気づきが得られます。この状態のうちに、セッション後半に入ってきたら、本音の観察などもどんどんやれる範囲でやっていった方が、その後の為になります。

 では、そういったことを続けて、③ 仕事など社会的生活はできるようになってきたが、まだ症状に波があり、時につらくなる状態。
 この状態は、良くなってきたように見えて、結構つらいですよね。だいたい、体調というのは、たとえ悪くても悪いなりに落ち着いている時の方が、意外とやり過ごせます。よくなったり悪くなったりすると、その波の中で、ついつい波に飲み込まれて自分を見失いそうになってしまい、意外と精神的にはつらい時であったりします。
  
 ここで、今まで培ってきた、呼吸法や傾注観察など、つらい症状に対応する手段が力を発揮します。
 まずは、波に飲み込まれずに、乗りきっていくのが大切なので、こういった方法を駆使して、なんとか波をやり過ごせるようになりましょう。やり過ごせるようになりさえすれば、いろいろと対策の打ち方が見えてきます。そのためにも、今までのセッションで学んだ事を駆使して、また、自分なりの問題点・症状の特徴とその対策をいくつも持っておくことが大切です。あまり先のことを考え過ぎたり、活動範囲を広げることを頑張りすぎずに、まずは、波に対処していくことが大切になるように思います。セッション7~10くらいの事は、このために大切な課題が多くあります。

 そして、ある程度、自分なりに波に対する対処法が分かってきたら、さらに洞察を深めるチャンスです。
 というのも、家庭での生活より、社会活動を開始していくと、様々な場面に出くわすようになります。ストレスフルな状況に合うことも多くなるわけです。だからこそ、様々な症状や調子の波がでてくるわけですが、実は、こういった場面こそ、自分の本音や自分の中の評価基準を洞察するチャンスなのです。自分の感情が動き、身体反応が出現するような場面というのは、自分の中にかならず何らかの「評価」が働いていることが多いです。だから、その「評価」に気がついた時には、その「評価」の後ろにある「評価基準」というのを、一瞬でいいので意識してみると良いです。そうすると、思わぬ気づきが得られたりします。
 意外と、それまで当たり前に思っていたり、当たり前と思って反応していた事が、かなり独善的な判断であったと気づくきっかになったりしますよ。

 それでも、活動中、社会生活の中では、今自分がやっている仕事に没頭していることが多く、こういった観察、洞察はかなり難しいと言わざるをえません。僕も未だに良くできているとは言い難い部分もあります。だから、無理にこういった洞察までしようとせず、ちょっとつらい状況になってきたなと思ったら、洞察までは考えず、その波をやり過ごすことに焦点を当てて、その時を過ごしてもいいと思います。
 やり過ごせば、また少し調子の良い時期もかならずでてきますから。

 こういった波がある程度、やり過ごすことができるようになってきたら、いわゆる体力をつけていくのも大切な事のように思います。日常生活の中で、運動を取り入れて行くことは、鬱や不安障害において、変化してしまって過敏になっている脳内のネガティブ回路を抑制し、むしろ前頭前野といった部分を活性化してくれる作用が分かっています。ですから、SIMTの本でも、初期から運動を課題として取り入れるように書かれています。
 しかし、僕自身の体験では、初期にあまり無理に運動をしようとすると、どうしてもやりすぎてしまったり、運動後に生じる体調の悪化がつらくて、うまく続かなかったりしました。だから、回復初期の頃、今回の①、②のあたりでは、運動というより、体操やヨガといったくらいの方が続くかもしれません。僕自身も、簡単なヨガを生活に取り入れるようになってから、体調の調子も整いました。

 でも、やはり、「元気があればなんでもできる」という名言?があるように、やはり体力というのは、精神力にもつながる部分があり、非常に重要だと思います。
 ③の段階になり、自分なりに体調の波をやり過ごせるようになってきたら、運動を積極的に取り入れて、体力をつけていくことは、体調の波自体が少なくし、安定した状態を作っていくためにすごく大切だと思います。

 こういった事を続けて、④の段階になれば、もう、病気は寛解(一時的に状態が改善し、健常時とかわらない状態になっていること)といえる状態です。
 しかし、ここで気を抜いて、実践をやめてしまうと、再発の影が忍び寄ってくることになります。
 実践をやめると、洞察の習慣がどうしてもなくなっていき、感情的な出来事、ストレスフルな出来事が起こってきた時に、その感情やストレスと距離を置いて見つめることが難しくなってしまいます。そうすると、影を潜めていた悪循環を起こす反応、対応の仕方が出現するようになり、いわゆる再発を起こしてしまいます。

 人生の中では、ストレスはさけては通れません。自分がそれまでに感じた事のないつらい状況になることも考えられます。
 そういった場合でも、価値崩壊の行動ではなく、価値実現の行動をとっていくためには、やはり、日々、SIMTを実践し、マインドフルネスな態度を身に付けて行くことが大切です。

 さて、今日は、体調や状況に応じたSIMTの学習の重点ポイントを僕なりにまとめてみました。

 特に①の部分は今日、書きたかったことです。
 すごくつらい状況の人でも、今日から、開始できることがSIMTにはあります。そして、難しいと感じる課題があっても、決してあきらめないでください。ステップを踏んで、状況が改善してくれば、少しずつできることも増えていきます。

 少しでも、読んでくださった方の参考になれば幸いです。
 今日も長文に、おつきあいありがとうございました。
 ぜひぜひ、気が向いたときにまたこのブログにお立ち寄りください。

本質をとらえるということ


 今日は、マインドフルネスだけの話しではなく、一般に技術などを伝えていく、もしくは学ぶ時に大事だなーと感じたことがあったので、それについて書いてみたいと思います。

 それは、本当に伝えたいこと、身に付けたいことは、言葉にはできない、そして形にできないものであるが、それを伝える手段は、言葉や形に頼るしかないということです。

 とても大きな矛盾があるのですが、その矛盾を理解した上で学んでいくことが大切だと思います。

 どういうことかというと、自分でマインドフルネスに日々取り組みながら思うことは、ここでも繰り返し書いておりますが、頭で理解している、知識として持っているというのと、実践できる、体得しているというのとはまったく別の事であるということです。

 SIMTの本の中でも、10に分かれているセッション事に様々な課題があり、それに取り組むことで、SIMTの実践を身に付けて行くわけですが、どんなに繰り返し読んで知識として理解したとしても、課題の実践が伴わないとそれを本当の意味で理解したとは言えないし、改善効果も見込めません。
 当たり前の話しなのですが、逆に言うと、課題の中で、その本質にあるものを実感し、それを身に付けることができれば、課題のやり方にはこだわらなくても良いということです。
 
 もちろん、だから何をやってもいいと言うわけではありません。あくまで「本質を実感できる範囲においては」ということです。
 なので、まったく白も黒も分からない段階においては、課題をその通りやってみることが大切だと思います。
 そして、そこから先、「このような感覚が、この課題が伝えたいものだ」というのがある程度理解できたら、それを多少変更したりするのは、おそらく問題ないのだと思います。

 例えば、呼吸法のところでも、「目を開けてやる」「背筋を伸ばしてやる」などと書いてありますが、これは「目を開けていなければならない」「背筋を常に伸ばしていなければならない」ということを書いているのではないと思います。
 マインドフルネスな状態を導くにあたり、今、ここに意識をおくこと、そのために眠くならないようにすること、呼吸が整ってくることで、意識も体調も整ってきやすいこと、などの理由から、やるんであれば、「目を開けていた方が眠くもならないし、良い姿勢でやったほうが呼吸もしやすく、体調も整ってきやすいよ」ということだと思うんです。
 でも、呼吸法のところに「目を開けてやる」とか「背筋を伸ばしてやる」と書いてあると、ついつい、「目を開けているとうまくできないから、もう呼吸法はできない」とか、「良い姿勢を維持しようとなると苦しくなってしまう」「良い姿勢をとれない」とついつい、「目を開ける」もしくは「良い姿勢」ということにとらわれてしまって、否定的な気持ちになってしまったり、逆にそれにこだわってそれが目的になってしまったりします。
 さらには、「良い姿勢は、腰をこういう風に伸ばして、脚はこういう姿勢が正解で、そうでなければ正しいSIMTの呼吸法ではない!」なんて思い詰めちゃったりする可能性が出てきます。

 大切なのは、「今、ここ」に一番属している「呼吸」というものに意識をむけることで、ふわふわと過去や未来、そして思考の世界を漂いがちな意識を、自分の意思作用を使って「今、ここ」に戻すことを繰り返していくことです。
 それを繰り返していくことで、呼吸と自分の体調との関連が「実感」されてきますし、また自分の意識が無意識に「今、ここ」以外のことに流れてしまっている感覚が実際に体感としてわかるようになり、その状態になったときに気がつけるようになってきます。

 だから、そのような訓練ができて、そういった感覚を実感できるようになれば、かならずしも「目を開けたままで行なう」とか「背筋を伸ばして」とかにこだわらなくても良いのです。

 ただ、実際に、呼吸法や思考への気づきの訓練をして、瞑想などを行なっていくと、自然と目を開けていたほうが眠くなりにくいかなー、思考に流れにくいかな-と思いますし、良い姿勢でやった方が、瞑想もやはり眠くなりにくく、呼吸もしやすいなーと思うわけです。

 だから、経験者の人からにまだ未体験者、未経験者の人が、「どのようにしたら、SIMTを実践、体得できますか?その時の呼吸法はどのようにやったらいいですか?」と聞かれれば、「目を開けてやった方が、いいと思うよ、背筋は伸ばしてやったほうが良いと思うよ」という事になるわけですね。

 これが、僕が最初の部分で書いた、伝えたいこと、本質は、言葉や形にできないものであるが、それを伝えるには、言葉やある形を通してでしかできない、といった事です。

 SIMTにおいて、マインドフルネスにおいて、身に付けるもの、本質とは、まさに「ある状態」というか、「感覚」です。
 それは、本来、言葉では完全には表せない、決まった形としては表現できないものだと思います。
 でも、それを身に付けた人の実践には、共通点があるのも事実だし、ある種の共通した表現、あらわれがあるのも事実です。

 だから、たぶん、それを学ぶ場合は、常に、「その表現する言葉や型の意味するところはどのような感覚か」というのを、常に意識して取り組んで行かねばならないように思います。
 そして、「その意味するところ」というのは、常に実践において、理解される物であるはずです。
 その言葉を、繰り返し唱えて、思考のなかで、「こういう意味なんじゃないか、いや、こうじゃないか」と考えて考えてひねり出すというものではなく、実際の実践を繰り返すなかで、「どうやらこういう感覚のようだ」と気づいてくるもののように思います。

 なぜなら、思考でひねり出した答えには、常に、自分の独善的な評価というものが入ってくるからです。
 もしSIMTやマインドフルネスの実践の中で、その意味するところ、答えのような物が見えてくるとしたら、そういった評価を徹底的に排除して言った結果として、残ってくる形のないもののように思うからです。

 僕自身、今、身体の動きにも興味をもち、研究会にたまに顔を出したりしているのですが、武道の世界には、「体認」という言葉があります。頭で、「このように動かせばよい」と理解するのではなく、「身体で実感し、認識し体得する」という事です。

 マインドフルネスにおいても、この「体認」というのがすごく大切なように思います。

 僕も、今現在も、実践中の実であり、様々な先生方の話を聞いたり、本を読んだりする機会があります。
 そういったときに、それぞれの先生の話の中には、一見、矛盾したり意味不明なものもあるかもしれません。
 でも、それをすぐ「正解、間違い」といった視点で見るのではなく、その意味するもの、伝えようとするものを意識しつつ、実践の中で、自らその伝えようとしていた感覚をつかみ取って行くことが大切なんではないかと思っています。

 SIMTの実践をし始めると、「鑑に映す、包んでうつす」という意味がわからなかったり、「本音をさぐる」の本音とはなんなのかという疑問が浮かんだり、悩むことが結構あります。でも、そんなとき、すぐに「正しい、間違い」などの判断をせずに、そのもやもやとした気持ちがることも許容してあげながら、一つひとつの課題を丁寧にやっていくことが大切だと思います。
 そうすると、その実践の中で、「あ、この感覚が、あの言葉の意味だったのか」と気づく時が、きっと出てくるのではないでしょうか。

 結局、マインドフルネス中心のお話になってしまいましたが、同じような事は古来よりいろいろな方がおっしゃっているようです。
 ある人は、その言葉や型にとらわれてしまうことを、
 「アレを見ろと指をさしているのに、指の指し示す先はみないで、指先の爪の部分を見つめているようなものだ」と形容しているとういう話しをどこかで聞いたことがあります。うまい言い方だなと思います。

 直接、実践の助けにはならないかもしれませんが、マインドフルネスを学んでいく上で、大切なことじゃないかなと思い、書かせていただきました。
 今回も、おつきあいありがとうございます。またよかったら次回も読んでください。
 ではでは。

質問に答えて (働き出してからの調子の波とのつきあい方)

 今回は、前回の記事にコメントで頂いた質問に答えて、書いてみようと思います。
 お返事を書くにあたり、長くなりそうなこと、そして、体調が回復しだしてからの波とのつきあい方は、鬱からの回復過程ではおそらく誰もが経験するであろう課題であり、また、SIMTの講習期間である10ヶ月間以降になってから問題になることも多く、困っている人も多いのではないかな-と思い、新たなテーマとして取り上げてここに書かせていただきました。

 基本的な対処方法としては、SIMTの課題の中でやってきたことと変わりない方法で良いとは思うのですが、実際の所は、調子の波に対する方法といっても、かなり個人的な要素が大きくなり、例えば、その人がどんなリズムで生活をされているのか、実践の期間、現在のマインドフルネスの身につき方などで具体的な対処の内容はかなり変わってくると思います。
 
 なので、いただいた質問と、僕が存じている状況、それについてのあくまで僕の個人的経験から言えることに限られてしまいますが、今回、書いていってみようと思います。

 よかったらおつきあいください。

 ご質問下さった方は、1年8ヶ月ほど実践を続けられ、現在はバイトも週4日できており、かなり回復期に入ったている段階だと思います。そんな中で、いわゆる症状の波を経験されており、今回、質問を頂いているといった感じです。

 以下、質問内容、抜粋です。

 > SIMTを始めて1年と8ヶ月が経ち、始めたころに比べれば身体症状もかなり良くなり、またネガティブ思考の頻度やその強さも軽減してるように思います。
> ただ考えたり動けるようになった分、将来や就職についの焦りと現状でいることへの罪悪感(こんな歳にもなって情けない、周りは一人前に生活しているのに)を感じ、思考をめぐらせてしまうことが多くなりました(これも鬱の症状なのかもしれませんが)。
> ただまだ寝起きの不安、動悸、また意欲が沸かない、人の言動に敏感、嫌なこと、仕事に関することを見聞きすると調子を崩すといった症状があり(これも昔に比べればかなり良くなったのですが)、大きなアクションをするのは怖い、自信がないという状態です。ちなみに現状は週4日ほどアルバイトをしています。
> そこでko7さんにお聞きしたいのは、症状の波がある状態で普通の生活に戻らなくてはという焦りや罪悪感とどのように付き合っていったら良いかという点です。もちろん人それぞれなのでしょうが、参考にしたいのでko7さんの経験をお聞かせ下さい。
> お暇な時でけっこうですので、よろしくお願い致します。


 僕も同様の時期はありました。もちろん全く一緒ではありませんし、今も、同じような不安や焦り、そして体調の波がないわけではありませんが、以前ほどではなくなってきています。
 やはり、一度でも、鬱になり休職したり退職したりしていると、回復してきたとは言っても、仕事に復帰していく過程では、過去のつらい経験がありますから、かなり不安や緊張が高まります。だれでもできるような事をやると言っても、本人にとっては、仕事を復帰する、社会に復帰するということ自体がかなりのストレス経験なわけです。
 
 また、「動けるようになるにしたがって、様々な思考を巡らせてしまう」というのも、自然な経過のように思います。体調が本当に悪いとき、日常生活も困難なレベルの時には、身体も動かない、もちろん、頭も思考もまったく働かないわけです。頭の中には自分を責める思考や記憶が渦巻いて、それ以外のことは考えられません。脳の前頭前野の働きがストップしているわけです。
 でも、体調が回復してきて、考えたり作業をしたりすることができるようになると、結果、仕事も再開できるわけですが、それはつまり、いろんな思考を巡らすことが可能になってくるわけです。
 そうすると、今まで考えることすらなかった将来のこと、気づかなかった周りの状況、などいろいろなことが目に入り、想像して、不安や焦りが渦巻いてくるわけです。
 だから、これは、脳の機能が回復してきている兆候でもあるわけですが、ここでその使い方をうまくやらないと、この波に飲み込まれて、また体調を崩してしまう結果となってしまいます。
 鬱で苦しんだ経験のある人は、頭の中の神経回路自体が、様々な経験や体験をネガティブな思考や感情へとつなげる回路としてできあがっています。だから、頭が働き出す=ネガティブな思考もまわりやすい状態になっている、と考えられるわけです。
 おそらくこれが、鬱の回復期に、再発が多い理由かなと思います。

 だから、ネガティブな思考や、不安、焦り、こういったものが、仕事をし始めるくらいになると、良くあらわれてくるというのは、自然なことなのです。
 では、どうやってそれらとつきあって行けば良いかと言うことですが、基本的には、そういったものも「思考、評価」なので、早めに気づき、名前をつけ、注意作用を呼吸や目の前の活動、身体の感覚などにむけて、それ以上、ふくらませないといったことが中心になります。

 実は、この不安、焦り、罪悪感、といったものには、すべて「評価」が入っています。それも、自分の「独善的な評価」というものです。
 なので、それを思考のレベルでいろいろ考えて処理しよう、なくそうと思っても、消してうまくいきません。だから、できることは、「あ、今、評価したな」と気がついて、それまでその思考に使っていた意識を、「今、ここ」の活動にむけることが大切です。
 ここで、この「評価した」時点で、気分が落ち込んだり、どきどきしたり、身体の反応がすでに出ていると思いますが、それはすぐに消すことができないので、「身体反応、症状がでているな」と名前をつけて確認して、「今、ここ」に意識をむけつつ、呼吸法などで、落ち着いてくるまでやりすごすということになります。

 つまり、SIMTの実践の課題である瞑想や日中の洞察としてやっていたことを、実際の生活の場面で生じることに、どんどん使って行くということが、ポイントになります。
 ここでは、SIMTのセッションの後半でやった、「本音(ぼくは評価基準と言ったりしてますが)に気づく」そして、それについて、自分なりの課題を挙げて、それに対しての具体的な対処方法を挙げて試していく、という部分を、繰り返し繰り返しやっていくということになります。

 ちなみに、厳密に言えば、「評価」といっても、仕事や生活の場面では、起こってきたこと、自分の状態を「評価し、判断して」いくのは、必要なことです。そうでなければ、行動できません。

 では、何が、必要な「評価・判断」で、何が『独善的な評価・判断』なのか。
 僕が経験したところでは、瞬間的に、身体感覚や感情に変化が起こった場合は、それには「独善的な評価」といったものが、かならず入っているように思います。
 だから、不安になったり、焦りを感じたり、身体が重くなる、どきどきする、暗い気分になる、結果的にこういう反応が出たときにしている「思考」には、そこにかならず「独善的な評価」が入っているように思います。
 一方、そういったものが起こってこない評価や判断は、「観察、洞察」に近いもののように思います。
 例えていうと、観察日記みたいなものです。
 例えば、朝顔の観察をするとき、「今日の時点で、00cmの高さになった」とか「薄紫色のつぼみがこれくらい大きくなった」というのは、ただの観察であり、独善的な評価ではありません。
 そこに、「まだ00cmしかのびてない」とか「もう、こんなに大きくなった」とかいうのは、観察というより、そこに個人的な「評価」がかなり入っていますよね。

 なので、自分に起こってくる様々な現象や、今の自分の状態に対して、このただの「観察・洞察」という観点から、評価、判断をしていき、ただ、それだけを行なって、あとは「今、ここ」の呼吸や活動に意識を向けて行くことが大切です。そして、その結果変化して行った状態にも、ただただ、「観察・洞察」をしていくという。
 
 ただし、正直なところ、少し仕事をしただけで、自分に強い疲労感がでたりすると、「こんな仕事しかしていないのに」とか、考えて評価していがっかりしてしまうのは、もうしょうがないことです。
 このような評価を無理に止めるのは不可能ですし、そんな評価した自分を「また評価してしまってダメだ」とすること自体、あらたな評価になってしまうわけです。
 大切なのは、この評価してしまう自分、そして、今、それくらいのことしかできない自分の状態に対しても、「今、自分は、このような評価をした」とか、「今の回復状態はこのレベルなのだ」とか、できるだけ客観的な「観察・洞察」をしてあげて、あとは、それ以上、思考をふくらめないことが大切です。評価してしまう自分自身をも、「そのまま」にして扱うということですね。
 
 そういう事を繰り返して行くと、「こういう評価が今日は繰り返しでているな」「これは、疲労が出てきているサインだ」と、そこから自分自身の体調を把握するヒントを得ることもできるようになってきます。
 また、「こういう状況の後は、すぐに疲労がでるな」とか、「この仕事の時は、そこまで評価や思考をめぐらせず行えるな」とか、自分自身の今の状態、そして特徴を、知っていくおおきな手がかりになります。

 だから、波が出てきている現状は、自分の特徴をしるチャンスのなのです。
 そして、この特徴をいろいろつかんで、それに対しての対処方法もいろいろ選択肢をもっていけるようになると、より調子を崩しにくくなっていきます。
 ただ、この自分自身の特徴、つまり、どんなときに、自分はどんな状態になるのか、どんな反応がでるのか、といったことは、各々の個人によってかなり幅がありますし、そしてそれに対する対処法としては、どんな方法を今の生活の中で使うことができ、どのような効果があるのかも、それぞれの状況で大きく違うので、ここの部分が、自分で特徴をつかんでいき、自分で対処方法を試していくということが大切な理由になります。

 生きている以上、調子の波自体はなくなるわけではありませんが、こういった特徴がつかめるようになってくると、上がり下がりの幅は、かなり少なくなっていくようになると思います。

 これが僕が考える、調子の波や、それに対しての焦りや不安に対処していく方法ですが、もう一つ、こういった状況の中で、僕が悩んだ事としては、そういった波の中で、どれくらいのペースで仕事や活動の幅を広げていくか、といったことです。
 焦って広げれば、また体調を崩し、ダウンしてしまいます。かといって現状にとどまっては、いつまでたっても状況は好転しないように感じます。

 それについて書いて見ると、
 僕の経験では、自分の中に焦り、不安、迷い、があるうちは、無理に活動を広げない方が良く、今、できている実践を大切にして、それを丁寧にやっていった方が良いと考えています。細かい手法の変化や対処法の試しは色々やってみていいと思いますが、仕事を増やすとか、環境や生活のリズムを大きく変えることは無理してやらない方がいいということです。

 なぜなら、自分の中に迷いがあるという時は、すでに頭の中で、「こうした方が良いはずだ、こうするべきだ!」と思いながら、身体や感情部分では「でも、それは無理かも」という状態のわけです。
 鬱になる人の特徴として、ついつい頭の中で勝手にゴールや基準を設定して、それに自分を合わせようとしてしまうということがあります(これは僕だけの特徴かもしれませんが)。
 なので、回復へ大切なことは、今、自分の体調、現状を、頭の独善的な評価をせずに、率直に受け止め判断することです。
 この率直に受け止めるということに関しては、身体感覚の方が、正直にそれを反映しているように思います。だから、そういうときは、身体の反応に素直に従って上げた方が良いかなと思います。
 これも、「今は、この程度疲れているな」とか、「今日のやる気は00%程度だな」など、観察をして、それに併せてその日の行動をとっていくということです。このときに、「こんなに疲れてしまっている」とか「今日のやる気は00%しかないよ」という思考は、独善的な評価が入ってしまっています。あくまで「観察・洞察」に徹していくということです。
 
 もし、やれるタイミングがくるとするなら、その時は、頭の部分でも、「やれるはずだ」となっており、身体も「やってみたい」となっているので、すでに自分の中に相反するものがなくなっていますから、その時は、「頭で考えるより先に、もうそのことを実践している」という状態になってきます。迷う必要がなくなるような。タイミングが来れば、スッと自然に一歩を踏み出してしまいます。

 だから、迷いや焦りを感じるうちは、すぐには動かず、今の事を丁寧にしていく、それを続けていく。そして、そうしていることで、機が熟せば、自然と物事は動いていくように感じています。
 この辺の判断は、いくらやっても難しいところではありますが、上記の「観察・洞察」を丁寧に続けていくと、自分の中の「焦り」や「迷い」の存在にも鋭敏になってくるので、見極めがしやすくなるように思います。

 あと、仕事を始めるようになってから、難しくなってくるのが、基本的な瞑想や洞察をする時間を確保することです。

 ただ、僕自身の経験から言えることは、やはり、日々、時間をとって静かに瞑想しながらやる洞察や呼吸法などは、それがなくなってしまうと、どうしても、上記で書いた、日常の生活の中での「観察・洞察」をするための意識のアンテナのようなものの感度自体が鈍くなっていってしまうように思います。日常の様々なイベントに飲み込まれて、洞察ができなくなっていってしまいます。

 だから、可能であれば、5分でも10分でも時間をとって、瞑想や基本的な洞察の訓練を作ることをおすすめします。
 それば無理であれば、行き帰りの電車など普段の生活の中で習慣にするでもかまいません。
 ここでも、長時間を確保する必要はなくて、大切なのは、短い時間でも、1回1回の瞑想や洞察を丁寧にやることです。練習の質を高めるという感じでしょうか。これは、僕自身への自戒の意味も込めて書かせていただきます。

 さてさて、つらつらと僕なりの対策法を書き連ねてしまいましたが、質問者さんのお役に立てるかどうか。。。。
 でも、僕自身、そういう波の大変な時期を経験した中で、その波そのものも、一つの「特徴」として、あまり評価をせず、ただ洞察、観察をする感覚を掴めるようになってくると、すごく生活も楽になってきて、そのうち、波自体も自然と収まってきました。

 質問者さんが感じるような不安や焦りは、僕ら、鬱の体験者がみんなかならず体験するものなので、ぜひ、そのこと自体には不安にならず、丁寧に実践をお続けになっていただけるといいと思います。
 そうしているうちに、脳も使う機能は使うほど強くなり、使わない物はどんどんなくなっていくので、ネガティブ回路も自然と消失していき、思考の内容自体も、ネガティブなものが少なくなっていきますよ。

 安らぎの時間が少しでも多くなることをお祈りしております。
 
 ではでは、今回も長文、おつきあいありがとうございました。
 またよろしくお願い致します。

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プロフィール

Author:Ko7

訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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