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はじめての方はこちらの記事をご覧ください → はじめに (2014/9/21)
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否定してしまう自分を否定しないこと

 
  このところ、書くことがいつも同じようなことになってしまっているかなーと思いますが、ひとつのことを色々な角度から書くことは、それなりに意味があることかなと思うので、今日も書いてしまいます。

 マインドフルネスは、そしてSIMTは、皆さん何かを得たくてやっているんだと思います。何かを変えたくて、うつを治したくてやっているんだと思います。
 
 この「変化したい!」「治したい」という気持ちはすごーく大切です。
 この気持ちがあるからこそ、日々の実践を続けていこう!と思うのです。
 
 でも、やればやるほど苦しくなる。

 そんなときが、特に実践をし始めてから少し慣れてくるとあるかもしれません。
 ここには、誰しもぶつかってしまうSIMTやマインドフルネスのポイントがあるんじゃないかと思います。
 そこについて、今日も書いてみますね。

  SIMTを実践し始めるのは、この手法の特徴として、うつや不安障害に悩むかたが多いと思います。
 一刻も早く、今の自分を変えたい!この状況から抜け出したい!そういう気持ちが強いのではないかと思います。

 そうやってSIMTをはじめて見たけれど、呼吸法を続けて、心理現象に名前を付けてとやっていくけど、ネガティブな思考はどんどんわいてくるし、自分で評価もしてしまって、ちっともよくなっている感じがしない!受容なんて無理無理!
  そんな状況を経験されている方は多いんじゃありませんか?

  この状況、ちっともうまくいっていないように見えますが、マインドフルネスの観点からいうと、すごく上達している、もしくは、きちんとマインドフルネスができている、と言えると思うのです。
 こういった相談を受けたりしたとき、僕は、「あー、この方、すごく一生懸命されていて、すごく洞察ができているなー」と思ってしまったりします。

 というのも、SIMTにおいて(マインドフルネスにおいて)、大切なことは、「自分を変化させる」ということではないと思うんです。
 大切なのは、「今、ここにある自分や状況を、ありのままに観察すること」なのです。
 
 だから、極端にいうと、「思考を膨らませてしまうこと」や「自分を評価してしまうこと」だって、やってしまってもいいんです。
 もちろん、それが続くと、自分自身がつらいから、思考を膨らませないことや自分を評価してしまうことを止められたリ、やめられたリできたらそれが一番です。

 ただ、実践を続けていらっしゃる方ならだんだんわかってくると思うのですが、「思考を膨らませてしまうこと」や「自分を評価してしまうこと」、そして、そんな自分に対して「落ち込んでしまうこと」、といったものは、どれも自分の力でコントロールなんてできないものなのです。

 でも、SIMTの本には、「思考を止める」、「評価をしない」、「受容する」って書いてあるじゃない!と思うかもしれません。
 実際、僕も、以前のブログで同様のことを書いてきています。

 しかし、こと実践し始めのころ、特に、自分で「受容」とか「評価しない」なんてできないなーと感じている段階のころは、基本的に、上記のことは、「自分の力では変えられない」と思っていたほうがいいように思います。

 じゃあ、何のためにやっているのかということなのですが、現実的には、実践を続けていくと、「思考を止められるようになってくる(というか連鎖しにくくなってくる)」、「評価をしなくなってくる」、「受容できるようになってくる」ということは事実なのですが、いずれも、自分の力で思考の連鎖が続いてしまっているものを、起こさなくできるとか、評価をしている自分をやめてしまえる、とか、なんでもかんでも受け止められる!なんてことではないんです。

 SIMTの実践を続けていると、自然と、結果として、「自分が思考していることが、自覚できるようになってくる」→「結果として、無意識な連鎖が減る」、「評価をしていた前提自体が消えてしまうため、いつの間にか評価をする必要がなくなった」とか、「受容できているのかどうかわからないが、前ほどそのことについていろいろ考えなくなっているので、受容できているのかな」とか、そんなもんです。結果として、起こりにくくなっているというだけで、自らの力で自分自身を変化させているというよりは、自分の中のどうにもならない部分を悟って、それに対しては無駄な抵抗をしなくなるという感じかもしれません。

 ここを勘違いして、「SIMTが上手にできる人、こういったことがスマートにできているはずだ!」「自分の努力が足りないから、需要ができないんだ」とか「自分がへたくそだから、思考が止められないんだ」、「意志の力が足りないんだ!」などと思ってしまうと、それ自体が、評価、思考、感情をどんどん沸き上がらせ、どんどんつらくなってきます。そんなものを続けられるはずがありません。やればやるほど、つらくなってしまいます。

 そういった状態の時は、じゃあ何をすればいいかというと、そんな自分自身に起こっていることを、ただ、チェックだけすればいいんです。「あ、また思考に走っちゃったな。」「評価しちゃったな」「つらくなったな」、「また落ち込んだな」とか、これができていれば、SIMTの実践は、まず合格点なんです。 
  思考に走っても、評価しちゃってもいいんです。それに「気づいてさえ」いれば。
 そして、「受容」というのは、「うまくいかない自分、うまくいかない状況を、すべて穏やかな心で、受け入れられること」ではないんですね。マインドフルネス、そしてSIMTにおける「受容」というのは、「否定しない」ということに近いように思います。
 どんなことに対しても、できるだけ「否定しない」ということなんです。
 でも、注意してくださいね。「うまくいかなかった」と自分を否定したら、そんな自分も「否定しない」ことなんです。
 矛盾しているようですが、「否定してしまう自分をも、否定しない」ということです。
 だから、「気づけてさえ」いれば、OKなんです。自分が否定した、思考した、評価した、落ち込んだ、そういった事実に「気が付いて」さえいれば、それが、受容したということなんだと思うんです。

 だから、そういう風に僕は思っているので、相談なんかを受けると、「今、自分が思考や評価をしてしまっている」ということがわかっているだけで、「あー、この人は、しっかり実践をしているじゃないですか」と思ってしまうのです。

 問題があるというか、もし変えたほうがいいものがあるとすれば、「思考をしてしまう自分」とか「評価してしまう自分」の方ではなくて、「もっと理想的な状態があるはずだ」、「こういう良い状態に早くなりたい、なれるはずだ」という妄想の方だと思います。

 なので、自分がSIMTの実践で、「うまくいかないなー」と思ってしまったときは、すぐに「うまくいくって、何?」、「今の自分は、こんなもんだ、このしょうもない自分と感じるけど、これが今の僕の姿だ」と確認して、それができればOKとしています。
 そして、「今は、この程度でも、合格点」と自分に一度いいきかせ、また観察にもどるようにしています。

 評価をすれば、落ち込みます。思考を連鎖すれば、落ち込みます。でも、そうなっちゃったら、もうそれは自分の力では消せません。あとは、「今の自分は、こんなもんだ」と思って、今、その瞬間に自分に起こっていること、その状況を観察して、ただ「名前をつけて、意識を今(呼吸など)に戻す」ということをしていきます。どこまでも、どこまでも、この「きづくこと」「観察すること」を続けていきます。
  たとえ、「こんな状況で、またおちこんじゃったよ」とか、「またダメかも」と思っても、100%同じ状況というのは、決してありません。その落ち込み具合はどの程度なのか、身体のどこでそれを感じているのか、その時、目の前の状況はどんなか、そういったとを、その落ち込んでいる自分とともに、ただ観察してください。少しでもその状況に「気づけて」、名前を付けられていればそれで合格です。

 でも、そうやって繰り返していくと、だんだん、自分の特徴が見えてくるんです。どういった思考が繰り返されているのか、状況と思っていたものの中でも、特にどんな要素が影響しているのか、自分の中のどんな評価が繰り返し働くのか、そして、その評価は本当に機能しているのか。そういったものが、自然と見えてきます。

 ここで強調しておきたいのは、こういったことは、ただただ、観察、洞察を積み重ねていった結果、自然と見えてくるものです。
 決っして、「自分にはどんな特徴があるだろう」「自分の中のどんな評価が悪さしているだろうか」と、座って考えていて見つかるものではありません。それは、さらに自分の中に、自分の思い込みを作る作業であり、自分をどんどん追い詰めてしまいます。
 理想像をつくって、自分を苦しめてしまうのと同じですね。

 だから、実践を始めると、いろいろなことが見えてきて、そして、自分の思い通りにならなくて、苦しい時期がかならず来ます。
 でも、それは普通のことなんです。みんなが、体験していることです。

 だからこそ、思い切って、「自分なんて思い通りにならないもの」と割り切っちゃいましょう。
 そして、自分にできること=呼吸法、名前付け、洞察
 そういったことを、ただただ、息をするがごとく、ただただ繰り返していきましょう。かならずその先に、見えるものができていますし、
そういう風に、割りきっちゃうと、続けることも少し楽になりますよ。

 実際、僕がこうやっていえるようになるにも、SIMTの開始から2年すぎくらいからでしょうか。今、3年間ほどになりましたが、そんなもんです。もちろん、そこまでいくまでにも小さな気づきはいっぱいあったし、体調も少しづつ回復はしましたけどね。

 前々回のブログでも書いたように、たとえ洞察や呼吸法をやり始めて、やり方を覚えても、脳が変わるのには時間が必要です。
 その時間を待てずに、すぐの「変化」を期待するのは、今日、腕立て伏せを10回やって、「いつになったら、100㎏のバーベルを持ち上げられるかな」って毎日考えていくようなものです。
 それを目指すことは、すごくいいこと、続ける力かもしれませんが、その結果を期待しすぎてしまうと、トレーニングがつらくなっちゃいますよね。でも、ただただ、そういった実践を続ける先に、100㎏のバーベルを持ち上げられる日がくるかもしれません。

 さて、今日は、実践をやり始めて誰しもがぶつかりやすい問題について書いてみました。問題といいつつも、このことに気づくということ自体、成長なんですけどね。
 初心者の方向けという感じですが、これと同じようなことは、状況を変えて繰り返し自分に起こってきます。僕も、いまだに今回書いたような方法で、自分の中の「評価」や「どうにもならない感情や思考」と対応しています。

 ぜひ、何かと困難を感じている方も、あきらめずに実践をお続けください。おそらくあなたが思っている以上に、実践自体はうまくいっているのだと思いますよ。あとは、肩のちからを抜いて、今やっている実践を、無理なく続けていくことが大切です。

 ではでは、今日はこの辺で。今回も、お付き合いいただきありがとうございました!


少欲知足(小欲知足) (本音はあっても別にいいのだ!)

先日、さる講習会にてご一緒した方にこの言葉を伺いました。
仏教の言葉だそうです。
 恥ずかしながら、これまで知らなかったのですが、この言葉のことを話ていて学ぶところがあったので共有させてもらいたいと思います。

 ただ、ここで書くのは、SIMTの実践をしている中で、この言葉を僕が聞いたときに感じたことであり、もともとの仏教の中での意味とは違うかもしれません。もし勘違いであればご容赦ください。あくまで、SIMTの中での学びの一つとして書かせてもらえたらと思います。

 言葉で言えば、「欲を少なく、そして足るを知る」ということです。
 どうやら、お釈迦様が死に際して残された言葉の中の一つのようですね。ネットをみるといろいろな解釈をされているようですが、僕が、今回の言葉で自分なりに学び出会った部分は、「欲は少なく」という部分です。
 お釈迦様でも、けっして「欲=悪」とは言っていなかったのですね。
 ついつい、僕らは欲に振り回され、この「欲」そのものがいけないんだ、こんな「欲」を持ってしまう自分は悪い人間なんだ!と思ってしまいがちです。
 でも、あのお釈迦様ですら、「欲は消せるものではない、欲がすぐに悪いものとなるのではない」ということをおっしゃっていたなら、すごく励まされるなーと思ったんです。

 マインドフルネスを実践、僕の場合は自己洞察瞑想法を実践していくと、自分のいろいろなことが見えてきます。
 いいことだけではありません。多くが、自分の「嫌な」ところが見えてきます。
 最初は、それが苦しいのですが、マインドフルネスのスキルが上がってきて、そういった自分の中の「嫌だ」と思う部分を、「そのまま」にすることができるようになると、つまり受容できるようになると、すごく生きていくのが楽になってきます。

 こうかくと、自分をどこまでも肯定して、好き放題やるようなダメ人間になってしまうように感じるのですが、そういうわけではありません。

 最初は、SIMTでいういわゆる「本音」という部分が自分の中に見えてくると、瞬間的にそんな自分自身に対して「評価」をしてしまい、気分が落ち込んだり、感情が沸き上がってきたりしてしまいます。
 でも、よくよく自分の中で生じることを、ただただ、チェックしていく、観察・洞察していくと、何かの言葉や外界からの刺激に反応して、自分の中に生じてしまう「本音」と、そこに生じる「評価」、「感情」、そして、その結果としての「行動」は、決して一つのものではないとわかってくるからです。
 まだ、SIMTの実践をしていないうちは、この「本音」にも気づいておらず、何かをみたり聞いたりするような外界からの刺激に対して、無意識に「評価」「感情」そして、「行動」までが一セットになって行われているわけです。特にこの「行動」というのが、「衝動的、破滅的行動」であった場合には、結果は、ネガティブなものになります。そして、さらに落ち込み、後で振り返り、後悔するということがあるわけです。
 SIMTを実践していくと、徐々に、この「本音」に気づけるようになってきます。でも、気づいたからといって、その「本音」を変えられるわけではなく、そのあと瞬時に起こってくる「評価」「感情」も生じてしまいます。でも、その結果、自分がどういう「行動」をとるかも観察でき、場合によっては、この「行動」を「衝動的行動」ではなく、「選択的行動」「意志的行動」に変えていける場合もあります。

 でも、「評価」「感情」は止められないので、この時点ではまだ、結構つらいんですね。苦しいです。
 
 SIMTでは、自分の中の「本音」を観察するのは、セッション6なのですが、この「本音」って、本来は自分の中で見たくない部分でもあったりするので、それを観察する、気づくことって、結構、つらかったりもします。

 でも、上記のように、その「本音」から起こる、一連のことを丹念に、チェックして捨てるということを繰り返していくと、徐々に気が付いてくるんです。

 この「本音」そのものは、そこまで悪いものじゃないんじゃないかということに。

 「本音」そのものが、悪いんじゃなくて、その結果として、「衝動的行動」につながってしまうと、いわゆる「残念な結果」に結びついてしまうだけで、「本音」そのものは、それに気が付いてあげれていれば、それ自体が悪いものなわけではないんですよね。

 確かに、「本音」が意識されると、それに伴う「評価」や「感情」といったものも起こりやすいのですが、「本音」自体がすぐに悪いものではないし、簡単に変えられるものならいいですが、「別に無理して変える必要なないんだ!」と気づけると、その「本音」自体を評価することも少なくなってくるんです。そして、その結果、「感情」を騒がせることも少なくなってきます。

 つまり、自分にはこんな悪い本音がある!と思って、その「本音」を変えようとか、無くそうと思っているうちは、全然うまくいかなくて、どんどん苦しくなっていってしまいます。ところが、「本音」はあっても、いいんだよ、無理に変えなくてもいいんだよ、という風にして、それがあることで、どんなふうに自分に働いているかを、丹念にチェックを繰り返していくと、自然と、「本音」に対する「評価」や「感情」が起こることが少なくなり、すごく楽になってくるんです。
 そうして、観察していくと、自分が「本音」と思っていたものに、さらに深い「本音」があったなんてことがわかってきます。

 たとえでいうと、「食欲」なんかがわかりやすいです。
 どうしても、甘いものをたくさん食べてしまう、満腹になるまで食べてしまう、ということってありますよね。
 それで、ダイエットをするぞ!と、無理にその食欲を我慢しよう、押さえつけようとすると、ストレスが爆発して、暴飲暴食をしてしまうなんてことがよくあります。

 この「食欲」自体を悪者としても、これ自体は絶対なくせません。人間である以上、身体は食べ物を必要としています。世の中には、不食といって、食べなくても生きていける人もいるようですが、多くの人にって食べることはやめられません。

 でも、ここで、「食べたい自分」「もっとほしい自分」を、もっとよく、観察していきます。食べるということを、マインドフルネスに実行していくようにします。

 そうすると、いろいろいなことに気が付き始めます。
 自分は、「もっと食べなくちゃ、我慢できない!」と思っていたけど、じっくり意識を集中して食べると、身体はそんなに量をたべなくても、満足するんだなとか、おなかが一杯の時でも、テレビでおいしそうな食べ物がでてくると、急に食べたいような気がしてくるな、これは、おなかがすいているのではなくて、目で見た刺激で脳が反応しているだけだな、とか。
 そういった刺激で反応した食欲は、どんな風に増大して、どんな風に消えていくのかとか。
 実は、おなかがすいたから食べていると思っていたけど、そこには、「今たべなくちゃ、損するかも」とか「もったいない」という「本音」が働いて、無理に食べている自分がいるなとか。

 そういったことが分かってくると、「じゃあ、そんな時は、どういう風に対応すればいいのか、行動すればいいのか」というったことが少しづつ見えていきます。
 そこで、いろいろと試してみると、徐々に、「我慢できないから、食べる!」といった衝動的な行動ではなく、「これくらいは、食べてみよう」とか、「こういう時は、食べなくても我慢できるぞ」とか、「こういう食べ物なら、比較的少量で満足する」とか、「ほかにこういう行動をすれば、不思議と落ち着いてくる」とか、自分の特徴が見えて、自分なりの対策がわかってきます。
 さらには、自分は「空腹」に伴う「食べたい」というものかと思っていたけど、「食べる」ということを通して、自分自身に「充足感を得たい」という「本音」がさらに深くにあったなんてことに気が付くかもしれませんね。

 そうすると、「食べたい」「もっとほしい」という欲や、「もったいない、今食べなくちゃ」といった、「欲」や「本音」自体は、悪いものではなくなって、衝動的な行動をとらなくても済んでくるんですね。

 この時、「食べたい」という欲もありますし、その時に瞬時に出てくる「不満足感」「ちょっといらいらとした感情」などは、確かにあります。でも、それを満足させるだけの、量や、それと付き合う方法が見えてくるんですね。

 これって、冒頭にお話しした、「小欲知足」そのものですよね。
 「欲」の存在を、認め、よく知ることで、それを最小限にして、「足る」という状態がわかるということです。
 決して、無くせるわけではありませんが、この「欲」に振り回されることはなくなります。

 マインドフルネスでは、この「本音」の部分、自分の中の「負」だと思ってしまう感情や欲求なども、すぐに「悪」として扱わず、ただ、それをよく見ていく、観察していくということがすごく大切だと思うんです。
 決して、無くす必要などないんだよということですね。

 ここを実感として、理解できると、SIMTの実践、マインドフルネスの実践がとても楽になってきます。そして実践することが、楽しくなってきます。
 ここの実感を得るまでは、思い通りに洞察できない自分に、苦しい思いをするかもしれません。

 結構、この点が、SIMTやマインドフルネスを続けられるかどうかの境目があるように思うのです。
 がんばろう、治そう、良くしよう!としている人ほど、つらくなってしまうかもしれません。

 慌てなくてもいいです。ゆっくり実践していきましょう。無理せず、今の自分を観察し、チェックをいれることを、ただただ繰り返していくことです。そうすれば、だれでも、今書いたような実感を理解できるようになると思います。

 今日は、仏教の言葉をきっかけに、「本音」について書いてみました。そこから、SIMTの実践を継続していくためのコツを書いてみたつもりです。

 長文、読んでいただいてありがとうございました。少しでも参考になるところがあったらさいわいです。
 ではでは、今日はこの辺で。

マインドフルネスの実践中に脳の中で起こっていること

11月に入ってしまいました!
今月もなかなか忙しい月になりそうですが、自分で妄想をを勝手に膨らめて忙しくせず、日々の目の前のことに意識を向けていきたいと思います。
 忙しい月になりそうだ!と書いている時点で、自分の意識の中で忙しい生活のイメージを作り出して、それに伴う身体反応は、その瞬間から起こってしまいますものね。
 いやいや、気を付けよう。

 さて、今日は、最近、読んだ本の中に、マインドフルネスの実践者の脳の中で起こっていることについて、自分の実感と一致するというか、おもしろいなと思った部分があったので、記事にしてみたいと思います。

 読んだ本というのは、この「マインドフルネス 基礎と実践」というちょっと専門書的な本です。

 

 国内のマインドフルネス研究者の第一人者の方々が最近のマインドフルネスについての知見(エビデンス)を中心にまとめた本です。内容もかなり専門的な内容なので、一般向けではないのですが、心理学や医学的なことについて知識のある方にはとても面白い本だと思います。

 まだ読み始めなのですが、その中で、脳科学的なことについての最近の発見が前半部分にあり、そこで面白い事実を見つけたので、紹介してみたいと思います。

 いろいろあるのですが難しい話にもなるので、今回読んだ本にのっていた脳科学的に脳内で起こっている現象と自分がSIMTの実践をする中で感じていた実感が一致していたというものを一つ。

 瞑想を実践しているとき背外側前頭前野(dlPFC)という部位が活発に活動します。この部位は、いわゆるワーキングメモリとよばれる「意識的に何かをしようとするとき」に使われる機能のグループに属する部位です。つまり、傾注観察法などで、意識的に選択や掃除、食べることなどに意識を傾注しているときに働いている部位です。
 そして、もう一方、偏桃体という部位があるのですが、これは、不安や恐怖などの情動をつかさどる部位といわれおり、不安になったり緊張したりするときに、よく活動している脳の部位のようです。

 また、デフォルトモードネットワーク(DMN)と呼ばれる活動が注目されており、安静時や心の瞑想状態、無意識に物思いにふけっている、連想を働かせているような状態のときに活発に活動する神経部位のグループとして知られています。
 
 抑うつ状態の人では、このdlPFCという部位の活動が鈍く、偏桃体の活動が活発で、さらにDMNの活動も活発であることが知られています。
 つまり、何かを意識的に何かに集中したり行ったりするのが難しく、不安や緊張の感情が起こりやすく、そこから、さらに様々な考えを勝手に巡らせたりしやすい状態というわけです。そして、少しの苦痛で、こういった感情を誘発しやすく、ネガティブな思考をめぐらせやすくなっています。

 そこで、瞑想を実践すると、苦痛の刺激があっても、このdlPFCという部位が活発に活動し、一方で、偏桃体の活動や、DMNの活動が抑制されるという活動が観察されています。つまり、意識的に瞑想を行うことで、苦痛の刺激があっても、不安や緊張がある程度抑制され、考えを巡らすことが少なくなったということです。

 しかし、ここで面白いのが、瞑想を習い始めて数か月程度の人まではこのような傾向が観察されるのですが、数年間以上実践を続けている実践者の人たちでは、また違った脳内の活動が観察されたということです。

 というのは、長期間の実践者たちでは、苦痛の刺激にも、dlPFCの活動も、そこまで活発ではなく、偏桃体の活動も普通にみられる状態で、DMNの活動のみが低下していたというのです。
 これは何を意味しているかというと、苦痛の刺激にあうと、それに伴って、不安や緊張の反応も普通に起こっているが、その結果生じる、考えを巡らせるような活動を起こしていることはないということだと思います。

 つまり、瞑想初心者のうちは、意識的に瞑想の実践をやっていくことで、苦痛の刺激にともなって生じる自分の中の不安や緊張、そしてネガティブな思考を抑え込んでいるということなのですが、熟練してくると、そのようなことを意識的に起こそうとしなくても、そして、自分の中に不安や緊張の感覚が生まれたとしても、それも、そのままにして、そこからいろいろな連想を膨らませることがないということだと思います。

 この変化が、僕の実感とすごくマッチしていたので、興味深く思いました。

 というのも、SIMTの実践そして瞑想を続けて、3年ほどになりますが、最初のころは、課題をこなすのに一生懸命で、自分の中の不安や不快な症状に引っ張られそうになる意識を、ひっしに、呼吸に意識を向けたり、傾注観察で、今ここでやっていることに意識を向けたり、すごく、意識的にそういうことをやっていたように思います。

 しかし、いつ頃からかははっきりしませんが、意識的に注意を症状やネガティブな思考の連想から離して、呼吸や身体感覚などに向けるというより、自分の中で生じた様々なネガティブな感覚を、「そのまま」として扱い、眺められるようになってきている実感がでてきました。

 嫌なことがあれば、「いやだな」とか「体が重いような感覚」などは、生じてくるのですが、そこから「あーだからダメなんだ」とか「これで、台無しだ」とか、ネガティブな思考を巡らせることなく、というか巡らせるのを少なくして、『「いやだな」とか「重いな」と今は感じているんだな』と、自分の中に生じた感覚を感じたまま、それを思考で膨らませずに、そこから先は、その感覚が消えゆくままに、そのまま自分の中に置いておくことができるようになってきたのです。

 この、今まで自分が実践の中で感じてきた感覚と、今回の本でよんだ脳内での活動が、すごく一致しているような気がして、自分の体験、実践に少し自信が持てました。と同時に、はじめのうちにそれがうまくいかないのも当然で、意識的にやっていくうちに、自然とできるようになる過程が、画像的にもとらえられるんだなーと、そちらにも自信が持てたというか、そういうものなのだと安心できたという感じです。

 個人的な体験であるマインドフルネスが、このような形で、客観的なデータとして示されるのも大変おもしろいなと思います。

 よんだ文章の中で、論文に書かれていたことの引用などかもしれませんが、こういった科学的な知見を応用し、脳波や脳の活動部位を観察しながらマインドフルネスを練習することで、より個人に合わせた瞑想法を選択したりするのに有用ではないかと語っていました。つまりヘッドギアなどでこの状態が観測できれば、その状態を意識的に作り出し観測することで、より早くマインドフルネスが身につくのではないかということです。

 ただ、この点については、僕は注意が必要かなと思います。
 確かに今回のことは、マインドフルネスの実践と、その活動部位の関係を表しているとは思いますが、熟練者が、dlPFCをあまりつかわず、偏桃体をそのままにしたまま、DMNだけ抑制できているからといって、じゃあ、観測したときに、dlPFCや偏桃体に変化がなくDMNだけが低下している人は、みな、マインドフルネスの実践がうまくできているかというとそういうことではないかと思うからです。

 つまり、Aの時、 Bがなりたつといったからといって、ついついA=Bと思いがちですが、Aの時、Bが成り立つからといって、Bの時、Aがなりたつということは必ずしも言えないからです。

 例をあげて話すと、例えばある武道が強いAという人がいたとします。その人は、いつも草履をはいていて靴を履きませんでした。そして、またBという武道が強い人が靴ではなく、草履で生活していたとします。それをみた少年が、「そうか、強い人は草履をはいているのか、じゃあ僕もそうしよう」といって、毎日、草履をはくようになりました。もし、この少年が、「よし、僕は草履を毎日履いているから、これで強くなれるぞ!」と思っていたらどうでしょうか。
 決してそんなことはありませんよね。確かに、強い人が草履をはく理由はあるのかもしれません。素足のほうが、さまざまな大地の感覚を繊細に感じ取れるようになり、武道をやるうえではその感覚は大変重要なのかもしれません。でも、それは、ただの一条件であり、草履にすることで得られる「感覚」そのものを理解しようとしなければ、「草履をはく」という行為自体は意味のないものになってしまいます。

 なので、このような脳科学での所見が認められたからと言って、こういった所見を生じさせるために瞑想を行っていたのでは、この草履をはくことで強くなったと思っている少年と同じ状態になってしまうと思うのです。
 もちろん、この知見自体は重要で、こういったことの積み重ねは大変意味あるものだともうのですが、その利用の仕方には注意が必要なのだと思います。

 真似することは確かに大切なのですが、大切なのは、真似したり、画像上同じになることより、地道な実践を続けながら、言葉では伝えきれない、画像でも図り切れない、その「感覚」というものを自分なりにつかんでいく必要があるように思うんです。

 最後は、少し本線から脱線してしまいましたが、今日は、自分が実践の中で体験した感覚の変化と、脳科学的な知見が一致していたよーというお話を書いてみました。
 

 少しでも参考になる部分があったら幸いです。
 ではでは、また次回。よかったらお時間のある時にお付き合いください。

注意!:ここで紹介した知見は、すべて絶対に正しいというわけではなく、まだ研究途上の事実のようです。
      瞑想中の脳画像とはいっても、瞑想法にもいろいろありますし、長期間実践をしてきたといっても、どのような方法をとったかで使っている脳部位は違う可能性があり、現在発表されている研究結果も、結果は様々な意見があるようですので、詳しく知りたい方は、今回ご紹介した本を参考にしてみてください。

待つことの大切さ

 10月も終わりそうですね。。。。
 いや、本当に時が過ぎるのが早い!日々、必死に生きていると、それだけで時間がどんどん過ぎていってしまいます。
 いいことではあるんですが、そうしている間に、ブログを更新できないまま、こんな時期になってしまいました。

 今日は、「待つことの大切さ」ということで少し書いてみたいと思います。

 ここで、書いた「待つこと」というのは、自分の成長をじっくり待ってあげるという意味です。

 マインドフルネスをやっていると、ついつい、我の自分が顔を出してきて、「結果」を求めたくなってしまいます。
 「早く改善してほしい」「もう、落ち込んだりしたくない」などなど。。
 その気持ちが継続していく活力になるので、「良くなりたい」という気持ち自体は、まったく善悪で判断できるものではないんですが、それが「早く結果をほしい!」という方に働いてしまうと、どうしても焦りや落ち込みなどの原因になってしまいます。

 マインドフルネスを上達するうえで、必要な態度とは、植物を育てるときのようなそんな心もちです。

 毎日、水はあげないといけませんが、だからといって、今日どんなに頑張ってみたとしても、今日蒔いた種から、すぐに目がでるわけではありません。芽が出てくるのは、自然まかせです。それまでは、じっくり待つしかありません。

 マインドフルネスや自己洞察瞑想法をやり始めての、気持ちはこんな感じです。
 早く、自分の中に気づきの芽が出て、大きな実りがほしい!という気持ちでいっぱいでスタートします。
 
 でも、できること、大切なことは、日々の課題を丁寧にやりながら、その「時」がくるまでじっくり待っていてあげることです。
 自分自身の洞察の芽が、生まれて、そして育っていき、大きな花を咲かせ、実りの時がくるまで、しっかり世話を続けながら待ってあげることが大切です。

 特に最初のうちは、今までの自分との変化が感じられず、毎日の課題をこなすことに意味を感じられないかもしれません。
 それは、まだ芽が出てくる前の土に、ひたすら毎日水をあげているようなものです。
 「本当に芽がでるのか?」と疑問がわいてくる時もあるかもしれません。
 でも、それでも続けることが大切なんですね。そして、芽が出る時を待ってあげることが大切です。

 こういった面では、我々は絶対的に受け身です。確かに、毎日の課題をこなし、自分の中の洞察の芽が生まれてきて育つように、お世話をすることは大切です。
 しかし、どのタイミングで、芽が出るのか、そして、どのようなタイミングで、花を咲かせ、自分の中に学びとして大きな実りをつける日がくるのかは、我々には決められません。
 待つしかないんです。

 しかし、続けていれば、そして、待っていれば、いづれ、大きな花を咲かせる日が来ます。
 それが、明日なのか、1年後なのかは、わからないですが、もし、春に咲く花が、冬に花を開いてしまったら、それはあだ花です。
 十分な実りを付けることはないでしょう。
  ちゃんと課題を続けて、日々、洞察の芽に水をあげていれば、いつか、必要な時に、必要なタイミングで、大きな花を咲かせてくれるはずです。

 現代という生活の中では、ついつい、「結果」と求めたくなります。
 ボタンを押せば、すぐに必要な情報が手に入る現代では、この「待ってあげる」ということが一番難しくなっているのかもしれません。
 本屋さんにも、「これ一つで、劇的に人生がかわる!」とか、「これさえとれば、あなたは健康!」といった安易な題名の本があふれています。きっと、現代の人間にとって、そういったキャッチーなコピーは売れるために必須なんでしょう。

 でも、マインドフルネスというのは、それと対極に位置するようなものだと思います。
 
 でも、だからこそ、自分自身で作り上げていた技術、身に着けた洞察の力は、本物になるんだと思います。

 How to ではありません。自分自身の洞察の力は、自分自身にしかつけられませんし、その感覚は、それぞれにみんな違うものです。でも、だからこそ、自分にとっては、一番深い学びをもたらすことができますし、だからこそパワフルなんだと思います。

 これを読んでいる読者の方々も、さまざまな状況で、さまざまな葛藤や迷いの中で、実践されていると思います。
 僕も、いまだにその最中ではありますが、それでも、続けていくこと、辛抱強く、自分を信じて待ってあげることが大切だと思います。
 今、実践を続けている方々は、少しづつでいいので、継続されていっていただけたらと、心から思います。
 ともに頑張っていきましょう。

 ではでは、今日はこの辺で。お付き合いありがとうございました。

失敗はない。すべては前進

さてさて、9月ももう終わりでね。
個人的には9月はいろいろと忙しかったり、体調も波が大きかったりで、なかなかハードな1ヶ月となりました。
先月、久しぶりに偏頭痛が出てしまい、そうすると1ヶ月くらいはまた偏頭痛がでるんじゃないかと、些細な体調の変化にも敏感なってしまうせいもあります。
でも、今回の発作があったおかげで、また自分の体調の変化のポイントをいくつかつかむことができました。
これも、ひとつの前進。大切な一歩です。

今日は、そんな前進に関する話です。

以前からのブログの中にも度々書いていますが、SIMTでの上達の仕方、回復の仕方というのは、右肩上がりに一直線というわけではまったくありません。
中にはそういう人もいるのかもしれませんが、すくなくとも僕の経験ではそうではなく、また、自分がSIMTを始めてからの過程を見つめていくと、たぶん、そのような右肩上がりの上達はないのではないかと思うのです。さらには、すべての上達の過程や、大きいことをいうと人生というのは、右肩あがりではなく、一見寄り道や回り道に見えるみ道も全部含めて上達はと言えるのではないかと思っています。

SIMの課題を、実践を進めていく中で、体調に波が出てきたとき、何かのきっかけで体調を崩すことがあります。
「もう、このまま良くなるんじゃないか」、そう思っていたところで調子を崩すと、「やっぱりダメだった」とか
今まで自分がやってきたことは失敗だったとか、意味がなかったとか、ついつい思ってしまいます。
「こんなはずじゃない!」とか。
でも、本当にそうでしょうか。
いや、そう思ってしまうのは、しょうがないんです。自分が描いていた理想とは違う結果になってしまったんだから、落ち込みを感じるのはしょうがないんです。
でも、前回のブログで書いたように、そこで大切なのは、自分がどんなことがあって、どのように調子を崩し、どのように落ち込んでしまって、身体のどこでどのようにそれを感じているか、それを、しっかりチェックしておくことなんです。最初は、後付けでもいいです。もう完全に落ち込んでしまってからでも、いいんです。
「もっと早くに気付ければよかった」と思うかもしれませんが、それでもいいから、「今回は、こういう経過で、こういう風に調子が落ちていってしまったな。あのときにああしたな」と気づいた時点でチェックすればOKです。そして、それ以上、反省しようとしてあれこれ考え出すとドツボにはまるので、思考を連鎖させないように呼吸に意識を向けるなど対策をとりつつ、調子が回復してくるのを待ちましょう。

でも、その過程で、チェックさえしていれば、体調を崩す状況と、その過程などについて、ひとつの貴重な情報が得られたわけです。もちろん、その過程自体はしんどいものかもしれませんが、そのチェックさえできれば、ゼロではないわけです。1だろうと2だろうと、0.1だろうと、前進は前進だと思うんです。
それを積み重ねていくことが大切なのだと思います。

たしかエジソンだったと思いますが、1回の発見をするのに、99999回失敗したとしても、それは、失敗ではなく、99999回のうまくいかない方法を発見したんだというようなことを言っていたと思います。(違ったらごめんなさい)
これだけを聞くとただの負け惜しみにきこえますが、SIMTを続け自己に対する洞察を深めていく過程で、これが本当にそのとおりだなとかんじられるようになってきました。

同じミスを繰り返してもいいんです。それも大切な検証です。

例えば、ある人とあうと、いつも感情的になってしまい、そのあと体調を崩してしまうとします。
いつもは、もうその感情にのまれて、相手にどなってばかりです。
SIMTで、心理現象になまえをつけたりしていくうちに、体調を崩してからでも、その過程をチェックするようにしていきます。でも、まだ、感情的になってしまうし、怒鳴り声をあげることはやめられません。

でも、丁寧にその課題を繰り返しているうちに、「あ、このままいったら、いつもの感情が爆発しそうだな」とか、「あー、もう感情がきれる寸前だな」とかいうのに気づく日があります。
でも、だからと言って、その感情を抑えられるわけではないし、いつものとおり、怒鳴ってしまうかもしれません。
でも、この、「きれる寸前だな」と気づいた意識は、今までになかったものです。これは洞察がはたらいている証拠です。
そこで、意味なかったとは思わず、自分の感情に一瞬でも気づけたんだと捉えましょう。

次の時には、「あ、このままいったら、感情が爆発する。でも、我慢できないから爆発しちゃえ。でも、きっと落ち込むだろうな」と気付けるかもしれません。
案の定、落ちこむでしょう。
でも、それでもいいんですよ。たとえ同じような状況をくりかえしてしまったとしても、「自分が予測した通りに落ち込んだ」としたら、これってある意味成功じゃありませんか?
予想以上に落ち込んだとしても、それで自分の見立てが甘かったなと、次回の予測を修正できます。

それを続けていくうちに、「あー、このままいくと、いつも通り感情を爆発させちゃうから、今日は、早めにこの場を放棄して、離れてみよう」と思うかもしれません。
その結果、感情はぶつけどころをなくして、どなるよりつらい気分になるかもしれません。でも、落ち込みを方はいつもと違うかもしれないですよね。その違いが自分にとってよかったか悪かったかっはまた別の問題です。よかったら次もやってみればいいですが、結果は同じものになるかわかりません。

でも、最初に無意識に争って同じ落ち込みををくりかえしていた時に比べると、だいぶ選択肢が増えてきていうと思いませんか。

僕がSIMTで経験してきた上達の仕方ってこんな感じでした。今でもそうです。
うまくいかないなと思うことは日々のあります。
でも、そこで、ちょっとでいいからチェックを入れてくりかえしていくと、ほんのちょっとずつですが、違いが生まれてくるんです。時には失敗に思える状況や選択もあります。
でも、それも大切な0.1なんです。その小さな0.1をくりかえしていくことで、気がつくと、以前と比べて、5も10も変わってきたなということに気がつきます。

これが、僕がいいたかった、失敗にと見えることもすべて前進のための大切な一歩ということです。

なんか、「だいぶ変わってきたな、洞察が上達はしたな」と思うことと、「いや、まだまだ全然ダメだ」とおもうことのくりかえしてです。でも、どちらも大切で、どちらも前進だと思うんですよね。

こと、SIMTの開始始めの頃、セッション前半のころは、「そのままにしておく、包んでうつす」ということがうまくできてこないうちは、些細なことを「失敗だ、やり直しだ」と捉えてしまいがちです。
それが、「これも成長への一過程だ」と捉えられるようになってくると、洞察すること、マインドフルネス自体が、上達はしてきた証拠なのかなと感じています。

そう捉えられるようになると、色々なことで落ち込む頻度が明らかない少なくなりますからね。

やはり、日々の積み重ねが大事なんでしょうね。
実践を積み重ねていくと、自分の経験を信頼できるようにもなりすし。
だから、今、SIMTを実践んされて、「うまくいかいない、できないな」と感られている方も、ぜひ、それ以上自分を責めたりせずに、ぜひぜひ実践をお続けになってみてください。
きっと、丁寧に課題を続けていけば、今までと違った局面が見える日がくると思います。

今日は、こんなことを書いてみました。

誤字脱字もあるかと思いますが、ご容赦ください。少しでもご参考になる点があれば幸いです。

ではでは、今日はこの辺で。

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プロフィール

Author:Ko7

訪問ありがとうございます。
 

鬱になって苦しんでいたときにマインドフルネスと出会いました。
自分の経験とマインドフルネスを実践する中での気づきなどを徒然なるままに書いていこうと思います。
私にとって先達者の方々のブログが参考になったように、このブログが同様に苦しんでいる方々に少しでも助けになればと願っています。

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